3本目 魔術


ぎ。ぎぎぎゅむ。ぎゅうぅるぐぅむ。みぎぎゅむ。みみぎちむ。


自らの生きる目的を定めた後、〝私〟は自分が果たすべき目標を定めた。

その内の1つが、『会話』。

先ほどの母娘との関係も、それができれば幾ばくか満足のいくものになっていたかもしれない。そう思い、私は何かしらの音を発することを試みていた。

その成果とは呼べぬ結果が、この音だ。


出せることは出せた。触手の根本や先を擦り合わせ捩らせて出す音だ。だが同じ音が出せない。これではとても、意味を持たせられないだろう。

現時点では、と但し書きをつけておく。現状私の発音能力はこれだけなのだから。意のままに発音できるようになるまで、この訓練を行っていくこととしよう。


私は森の中をその音で埋め尽くしながら、木々の間を進んでいく。

なお、私には〝脚〟がない。確かめたらなかった。蠢く触手の数本が私の肉塊を持ち上げ、それを動かすことで前に進んでいる。

目的地は特になかった。


だから森の中に人間を見つけたときは、少し驚いた。

ほの暗い緑色、草場の陰に潜みやすそうな色のローブを纏った細身の男。その下には金属の板を体に纏い、腰に細長いもの―――〝鎧〟と〝剣〟を纏っている。

男は〝私〟が目の前に現れる前から、私の方を見ていた。おそらく練習していた〝声〟が聴こえていたのだろう。


「貴様、俺に気づいて―――いや、俺を追ってきたのか!?」


知る由もなかったが、彼はマルグリッテ母娘を襲撃してきた一団の魔法騎士だった。街道を行く本隊とは別に森の中を進み、本隊を側面から支援する役目。だからこそ、本隊を襲った破壊の嵐から彼は逃れることができた。

一団の壊滅を主家に伝えるため、魔法の師たる団長や同僚たちの屍を置き去りに、彼は身を隠したままアラオザル大森林を踏破しようとしていた。

だからこそ彼は、〝私〟が彼を追ってきたのだと思い込んだのだ。

そしてその思い込み勘違いがある以上、彼は逃走を選べなかった。逃げに徹していた彼の前に私が現れたのだから。

逃走は無意味と断じ、彼は覚悟を決める。自身の倍以上、3メートルを優に超える触手の塊へと立ち向かう覚悟を。


「やってやる……!あとのことなんか知るか!団長たちの仇、今ここで挑ませて貰う!全魔力持っていけ、魔導書!」


男はそう言い放ち、懐から何かを取り出した。板かと思ったが、男はそれを開く。なんというのだったか―――そう〝本〟だ。

そんなことを考えていたからだろうか。私は反応が遅れた。

彼がその本を手に言葉を発するごとに、〝何か〟がうねりをあげていたというのに。その〝何か〟はその言葉と本を道しるべに、冒涜的な形を作り上げていく。


『灰燼の神名に侍る徒よ、道化の命啜る吸血鬼よ。請願に応え、南の一つ星より降り注げ―――』


いいや違う。私が気を取られたのは本ではない。

男が謳い上げるその言葉、それが形容する存在に、私の全存在が粟立ったのだ。


『〝生ける炎〟!』


その言葉とともに現れたのは、とても小さな炎だった。

男が広げた掌ほどもない。せいぜい指先ほどの小さな炎。


だがそれはか弱さとはかけ離れていた。それは密度。本来ならば巨大な存在を、あらゆる法則を無視してその形へ押し込んだようなもの。


だからこそ放たれたそれは、私に触れるとともに歓喜の声をあげた。

解放された喜びを唄う。自らが自らによって潰されていくほどに押し込められていたそれらは、それまでの責め苦を裏返し踊る。

それほどまでの、膨大な炎。


指先ほどの炎は一瞬で膨れ上がると、私の体を包み上げた。


―――!!


私は〝声〟をあげた。大気を震わせるものではない。意思を伝えるためのものでもない。ただ存在の奥底から発せられた、だった。


(あつい。あついあつい。あつい。あついあついあついあついあつい――――!!!)


炎が体に纏わりつき、そので私の体を舐めていく。私から何かを奪うように、執拗に。そのたびに私の体は引き攣り、ボロボロと零れていく。


そのとき私は気づく。私が感じた粟立ち、それは―――私のだったのだ。


私は悲鳴を挙げながら、その炎を振り払おうとする。だが炎は私にしがみついたまま離れない。それどころかますます勢いを増し、その灼熱を私の体に突き刺してくる。

私はもう無茶苦茶に暴れた。触手を出鱈目に振り回し、肉塊身体を転がし地面に押し付ける。


「あのときの副長の炎は効かなかったのに―――いや、効果があるんならそれでいい!止めだもういっぱぢゅっ」


炎を消さなければ。水―――ダメだ、湖まで間に合わない。炎が私をすべて焼き尽くすほうが早いだろう。

ならばどうすれば消える。この炎は。


(火、水―――風、土)


瞬間、私は跳躍していた。ボロボロになった触手が何本も崩れおちる。しかし最後に私の体を空へと打ち上げた。木々を軽く跳び越え、空の碧さに迫った私は、しかし即座に重力に縛られ降下を始める。そして落ち行く私に、風がぶち当たる。

空気の壁によって炎は勢いを減らした。だが炎はしぶとかった。未だに私の体表では炎がしがみついているし、その牙と舌を私の体に突き刺している。私の体内へと潜り込み、内側から焼き焦がそうとしてくる。


猶予はない。選択肢もない。だから私は決断した。

目の前の風の壁だけでは足りない。もっと強固で、この炎をそぎ落とせるもの。

幸いそれは、唯一の選択肢として目の前に迫りつつあった。

だから私は一切の抵抗をせず最大速度で墜ちて―――


―――記憶の中にある限り、最大の衝撃をその身に受けた。


§


アラオザル大森林浅層―――只人は訪れることのない、人と魔物との境界。

その外縁部に居た樵だけが、その振動を感じた。

この地方では滅多に怒らない地揺れか、それとも大地を揺るがすほどのモンスターなのか。

そして振動のほかに、森の上空に現れた〝燃え盛る太陽〟の目撃情報が複数挙げられたことで、彼らは未知のモンスターの出現を疑った。何せ王国に残る最大の未踏破領域―――竜種が跋扈するとさえ噂される人外領域ならば何が出てもおかしくはない。

この情報を認知した探索者組合ギルドは所属する〝探索者〟にアラオザル大森林の調査を命じることになる。高位の熟練者で構成された調査隊が形成されることになる……

同時期に勃発したとある貴族家の謀反とそれに伴う大規模な王国の内乱―――後に『サンドウィン内乱』と呼ばれる―――により、腕の立つ探索者の大部分は傭兵か、各都市の防衛に割かれることとなる。

よって動員されたのは少数の探索者に留まり……最終的に成果を得ることなく、組合としての調査は打ち切られることとなる。



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