第9話 海ツバメと陸ツバメ

 ある初夏の朝。

 手を伸ばすと吸い込まれそうなあおい空に、うっすらと透きとった白いお月様が名残惜しげに浮かんでいます。

 岸壁に生える新緑の草木達と蒼い空が絵画のような海岸線。

 そんな中、羽いっぱいに潮風を受けて気持ち良さそうに飛び回っているのは海のつばめ“アナツバメ”です。


「とっても気持ちの良い朝だなぁ~。こんな日は、きっと素敵な事があるに違いないぞ!」


 若い海ツバメは、巣作りに飽きてしまって、ちょっぴり退屈していました。


「誰か~! 助けて~!」


 息もえのか細い声が、海岸の方から聞こえてきました。


「今の声は……誰かが助けを呼んでいる?」


 海ツバメは声のする方に向って羽ばたきました。

 しばらく飛んでいると、海沿いの岸壁に群生ぐんせいする松ノ木の上を、一匹のツバメがトンビに追われて逃げ回っている姿が目に飛び込んできました

 そのツバメは羽を怪我しているみたい。フラフラと力なく逃げ回っています。


「危ない~!」


 海つばめは目をふさぎました。


〈クルリン!〉


 そのツバメは、トンビの鋭い爪につかまりそうになるのを、ギリギリでかわしながら必死で逃げています。


「もうだめだ……あのままでは直ぐに捕まってしまう!」


 意を決した海ツバメは、トンビの背中に向って急降下を始めました。


「今、助けてあげるからね~!」


 鋭い爪をカギ状に広げて、今まさにツバメを捕まえようとしているトンビの背中めがけて〈ドスン!〉――体当たりをしました。


「ウヒャ~! 何かが背中にぶつかってきたぁ~」


 いきなりの背中に浴びた衝撃しょうげきでバランスを崩してしまったトンビは、クルクルと回りながら松ノ木の中に落ちてしまいました。


「あいたった……痛いよ~! 痛いよ~!」


 松ノ木の葉っぱは、トゲトゲ葉っぱです。

 その先っぽが体中に刺さり、その痛さで悲鳴を上げるトンビです。


「こいつは……たまらない! 誰か~トゲを抜いてくれ~!」


 トンビは逃げるように飛び去っていきました。

 海ツバメはトンビが見えなくなったのを確認すると、ツバメの傍に行き、優しく声を掛けました。


「君……大丈夫かい? 危なかったね」


 海ツバメの問いかけに、ハァハァと肩で息をしているツバメはすぐに返事をする事ができません。


「ありがとう。本当にありがとう……僕は陸ツバメの……」


 命からがら逃げまどって精も根の尽き果てかけていたツバメは、そう答えるのが精一杯でした。


「飛べる? 僕の家はすぐそこなんだけど……ゆっくり休めるからおいでよ」


 海ツバメは、陸ツバメが小さくうなづくのを確認すると、ゆっくりと翼を広げ飛び立ちました。


「ハァ~! ハァ~! ハァ~!」

 

 少し飛んでは、木の枝でひと休み。


「ハァ~! ハァ~! ハァ~!」


 少し飛んでは、岩の上でひと休み。


「ハァ~! ハァ~! ハァ~!」


 少し飛んでは、牛の角の上でひと休み。


 海ツバメは、陸ツバメが遅れないように、ゆっくり飛んでいます。

 しばらくすると、海岸の近くに高くそそり立った岸壁が現れました。


「もう少しだから頑張って……あとチョット頑張って!」


 こんなとこでフラフラ岩にぶつかったら大変な事になってしまいます。


「あそこに白い家(巣)見えてきた。あれが僕の家(巣)だから」


 陸ツバメは最後の力を振り絞って真っ白な家(巣)の中に飛び込んでいきました。


「もう大丈夫だよ。ここなら安全だから」


「ありがとう! なんてお礼を言ったらいいか……君は『命の恩人』だよ」


 恐怖で体が冷たくなっていた陸ツバメに、少し温もりが戻ってきました。


「あのトンビは、この辺りでは有名な暴れん坊なんだ!」


「そんな奴に、君は体当たりを……」


 海ツバメの勇気に驚く陸ツバメでした。


「チョットでも懲らしめてやれ! ……ってね。僕も気持ちがスカッとしたよ~」


 海ツバメは笑いながら言いました。


「君が来てくれなかったら……僕は、トンビに食べられていたかもしれない」


 さっきの事を思い出した陸ツバメは羽を膨らませると、ブルッと震えました。


「これでも食べて落ち着きなよ」


 海ツバメは、家(巣)の隅っこから干エビを取り出すと、陸ツバメに渡しました。

 お腹が空いていた陸ツバメは美味しそうにエビを飲み込みました。


「なんて美味しいんだ! 僕の住んでいる所ではこんな美味しい餌なんて……」


「この海には、たくさん泳いでいるから獲り放題さ」


 羽を膨らませながら自慢げに胸をはる海ツバメです。 


「その上、この真っ白で綺麗なお家はどうだろう……こんな素敵で大きなお家は初めて見たよ」


 家中をキョロキョロ見渡しながら驚く陸ツバメです。


「他の家より、何倍も長い時間をかけて造ったんだ。僕の自慢のお家さ」


 自慢のお家を褒められて、海ツバメは更に羽を膨らましています。


「そうだ! 今日はもう遅いから……泊まっていきなよ」


「でも……助けてくれた上に……」


 申し訳なさそうに陸ツバメは首をすぼめています。

 羽毛の中に頭が埋まってしまいそうです。


「本当は……この大きな家に一人で居ると、すこし寂しくて、退屈だったんだ」


 もうひとつ干しエビを差出しながら海ツバメが言いました。


「ありがとう! 僕も今日は帰りたくない気分……お言葉に甘えちゃおうかな」


「よし! そうと決まれば僕たちはもう友達だ。素敵な出会いに感謝して今夜は語り明かそうよ」


 海ツバメは友達ができた事が嬉しくてたまりません。

 エビや貝や小魚を取り出すと、陸ツバメに振る舞いました。


 二羽のツバメは、今までの楽しかった事、哀しかった事を語り合いました。

 お月様の姿がボンヤリと消え入りそうな朝が来ました。

 さすがに語り疲れた二羽は、仲良く肩を寄せ合って、ウツラウツラと眠ってしまいました。


 ポツリ♪ ポツリ♪――。

 雨しずくの音色で海ツバメは目を覚ましました。


「……いつのまにか雨が降り出したんだ!」


 海ツバメの声で目が覚めた陸ツバメも首を伸ばして、外をのぞきました。


「なんだ! あれは? ……海の向こう! あの真っ黒で大きな雲は……」


「大変だ! でっかい『嵐』が来るんだよ……」


 海をよく知っている海ツバメです。

 風のいきおい、雲の流れを見て嵐が来るのが分かりました。


「波も大きくうねりだした……台風かな……」


 ビュー、ビューと大きな音を響かせる風が吹き始めました。


「海ツバメ君! 僕の家は、都会の大きなビルの軒下に土で造った頑丈だけが取り柄の家なんだけど……昨日のお礼に君を、招待させてくれないかな」


 海岸の、それも岸壁のでは嵐が来ると、どんな災害が襲ってくるか分かりません。

 陸ツバメは、海ツバメが心配になったのです。


「そんなに誘ってくれるなら……今夜は君のお家に遊びに行こうかな」


 海ツバメもそんな陸ツバメの気持ちに気づき嬉しくなりました。


「そうと決まれば……急ごう!」


 雨と風はどんどん強くなってきています。

 二羽のツバメは風に飛ばされないように、助け合いながら飛び立ちました。


〈ゴーッ、ゴーッ! ビューッ!〉


 海岸線の松の木を、根こそぎ吹き飛ばしそうな勢いで風が舞っています。

 二羽は、お互いに励ましあいながら、力強く羽ばたいて嵐の中を突き進んでいます。

 その姿は、轟音と共に空を突き抜けて宇宙に飛び出すロケットのようです。


「見えてきた! あのビルに僕の家があるんだ……もう少しだよ!」


「やれ、後ひと踏ん張りだ!」


〈ドスン~! コロコロ~~!〉


 陸ツバメがお家に飛び込んだ直ぐ後ろを、海ツバメも転がりながら飛び込んできました。

 二羽が帰ってきたのを待っていたように、風も雨も一層強くなりました。

 ビルに穴を開けようとばかりに殴りつける雨。

 ビルを投げ飛ばそうと、巻き上げ、吹き荒れる風。


「危なかったね! もう少し遅かったら……どこかに吹き飛ばされていたかもしれないね」


「大冒険をした気分だ! ちょっとだけ楽しかったね!」


 二羽は大笑いしています。

 土の家の入口から外を覗きながら、ブルブル~と体を震わせると、羽から水滴を弾き飛ばしました。


「土で造った不細工な家だけど、嵐なんか何でもないから……安心して」

 

「ほんとうだ! 外はあんなに風が吹いているのに、中はとっても静かだね」


 海ツバメは、嵐もびくともしない頑丈なお家に驚いています。


「もう安心だ! 今日も朝まで語り明かそうよ」


 陸ツバメは、わらの下から、バッタやクモを取り出すと海ツバメに振る舞いました。

 形は妙だけど、とても美味しい食べ物に海ツバメは大喜びです。


 この日の嵐は、その年で一番の大きな台風でした。

 でも、ビルの軒下に造った土の家は静かでビクともしません。

 白くて綺麗なお家でも、土で造った不細工なお家でも、それぞれの暮らしに合った素晴らしい家なのだと海ツバメは知りました。

 そして何より友達と一緒に楽しい時間を過ごせれば、場所なんて全然関係なく幸せな気持ちになれるのだとも――心から思いました。

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どんぶりコロコロどんぶりこ 山本 ヨウジ @yamayamato

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