第5話 美留の覚醒

 俺の来期からのCEO就任が決まって程なくのある日、ミーティングで巧はみんなに、今日の放課後時間あるかと聞いてきた。

 みんなどんな用事があるのかと尋ねたが、とにかくウチに来て欲しいんだ、と熱心に頼み込むので、結局全員で巧のウチへと向かう事にした。


 巧のウチに着くと、俺たちはクリスマス会もやった例の工場へと案内された。工場のフライス盤の上には、何か加工している途中のようなモノが見える。その機械の下にも何か置いてあって、それはどうも人間の足のようなモノだった。そうだよな、これって足だよな?


「こ、これは何?」

「最近、学校から帰った後、美留が作っているんだ」

「こ、これは、足よね? 何の足なの?」

「美留が言うには、宝冠弥勒の足らしい。宝冠弥勒っていうのは、京都の広隆寺にある美留の大好きな仏像らしい」

「な、なんだって仏像を?」

「まあ、ちょっと見て欲しいんだ。美留、いつものように作業してくれ。みんなに見てもらってもいいだろう?」

「ん」


 そう言われると、再び作業着に着替えた美留がフライス盤に向かい早速切削を始めた。機械にクランプされた材料、まだ荒削りで何を作っているのかわからなかったのだが、美留が例のごとく、両手片足を使って機械を扱い出すと、その鉄の塊が、どうも右足のような形になっていくのがわかる。見事だ、その一言に尽きる。


「なにせ、ウチのフライス盤、そう大きくないから、仏様の一部分しか削れないんだよ」

「仏像をパーツごとに作っているっていうわけ? まったくのフリーハンドで? し、信じられない・・・。そ、それで、私たちにどうしろと言うの?」

「最終的にはこの部品を組んで、宝冠弥勒を完成させたい。そのためには、みんなの協力が必要なんだ」

「何をすれば・・・」

「体を美留が作っている間、アタシたちで台座を作ろうと思っているんだ。そうする事によって美留は身体部分の製作に集中できる。台座の加工に際して、美留の作る人体部から、アタシたちが作る台座部の寸法をきちんと出してデータ化するのは、もちろん直にやってもらう。アタシたちは、いくらなんでもデータや図面が無いと加工できないもんな。本当は現物をスキャニングしたい所だけど、国宝じゃそういうわけにもいかないだろう。3Dデータにしたら、後はアタシがマシニングで加工する。体のパーツの接合はセツ姉に溶接してもらい、溶接後、みんなで仕上げを行いたいと思っているんだ」

「ぼ、僕は? 僕にも手伝える事、あるかな・・・」

「正直、旋盤を使う仕事は無い。よって中、今回オマエの出番はない」

「えーーーーっ! そ、そんなぁーー!」

「ま、文句さえ言わなければ、機械加工後や溶接後の仕上げを手伝ってもらってもイイんだけどな」

「ぼ、僕が手伝っていいのかな? ね、ねえ、美留、いいの?」

「ん」

「あ、ありがとう! が、がんばるよ!」

「宝冠弥勒をみた事がないとイメージできないかもしれないけど、とにかくみんなで完成させたいんだ、この一年間の集大成として」

「面白そうね」

「素晴らしいアイデアだ! ありがとう、キャサリン!」

「オマエがアタシに礼言うなんて、珍しいな」

「ぼ、僕だって、礼くらいはするさ!」

「でも、本当に素晴らしいのは、美留だよ。見ろよ、あれ。美留の技術は、産業向けじゃなくて、むしろ芸術面でこそ陽の目を見るんじゃないかと思っているんだ。実は、アタシさ、こんな、なんと言うか美留が覚醒する? そういうの期待していたんだ」

「あのトーキオ大学の実験で?」

「うん、そう。あの時の美留、見ただろう? 機械にかぶりつきだったじゃん? 絶対アタシ、美留は興味示すと思った。美留の脳みそは特別なんだよ。物体の捉え方が人間離れしてると言うか、脳内での処理は3Dプリンターを越えているんじゃね?」

「機械とケンカさせようと思った?」

「そうだね、ケンカだね。しかもあの時の素材が忍だったじゃん? 美留、なぜか忍がお気に入りだから、きっと何か感じてくれると思ったんだ。それが今、こうして期待してた、いやそれ以上に美留が覚醒してくれている」


 美留が踊るように機械を動かすと、フライス盤のエンドミルが切子を出しながら鉄を切削する。最初のうちは何をしているのかさっぱりわからない。けれど、掘り下げていくに従って見えてくる形状。うーん、まさに人間3Dプリンター。ちなみにアンダーカットといって、一方向からでは加工できない裏の部分は、素材の段取りを変えて加工する。図面、写真一つ見ずに、一体どうやって加工しているのか、検討もつかない。

 その神業の様な、もはや芸術と呼ぶべき代物を、何とか形にしようじゃないか。そんな思いで、俺たちは結束した。


「なぁ、みんな。力貸してくれるか? 通常の仕事と並行しての作業になって、大変だとは思うけど」

「もちろん!」「もちろんよ!」「任せてくれ」


 まず、最初に取り掛かったのは直だった。まずは宝冠弥勒の写真から3Dデータを作成し美留が削ったパーツの寸法をあたり、縮尺を合わせる。


「実際の宝冠弥勒がスキャニングできれば完璧なのですが、とりあえず写真から3Dデータを作成しました。本物は写真撮影も禁止なようで、ネットから写真を拾い集めるのにはとても苦労しました。まったく、いくら国宝とはいえあんな目に合わせるとは、日本国も横暴なものですね」

「あんな目にって、あなた、広隆寺に行ったの?」

「ええ行きました、データが必要だったもので。ハンディスキャナーやカメラを持ち込んだくらいで、とても乱暴に扱われ追い出されてしまったのですよ? おまけに警察までくるし根掘り葉掘り尋問されるし散々な目に合いました。ただ向学の民たる私に対しての国家権力のこの横暴を、私は看過する事は出来ません!」

「まあまあ、そう怒るなって」

「そうよ、それはあなたが悪いわよ」


 京都まで足を運んだのか、直。その熱意には頭が下がるが、行き過ぎたその行為は如何なものだろう。しかし、その甲斐もあってか、出来上がった3Dデータの出来は素晴らしいものだった。

 けれど、そんな直でさえ、美留には舌を巻いていた。


「穴井さんには本当に驚かされます。あんな目検討で加工しているにも関わらず、右足左足の寸法誤差はほとんどありませんでした。右足の親指、左足の親指に至るまで、誤差は0.5mm以内、神業です。穴井さんは一体何者なのですか? 私は未来から来られた未来人なのではと疑っているのですが」


 3Dデータ出来上がった。もっとも、大変なのはそこからだった。

 台座はかなりのボリュームがあるので、その形のままムクの材料から作ったのでは重量がハンパない。そこで、台座を可能な限り分解、パーツ化し、加工モデルを作成していかなければならない。何しろ上に鉄製の仏像が乗るのだ、それなりに強度が必要で、俺にはわからない強度計算をしながら、各パーツのデータを作成していく。

 そこからは、巧の出番だった。直から受け取った加工モデルからNCデータを作ると、すぐにマシニングで加工に入った。モノが大きいだけに、夜中も無人運転で加工を続けた。マシニングが台座の加工で埋まってしまった関係上、通常の仕事を汎用フライスとボール盤で加工しなければいけなくなってしまい、その結果、俺もすごく忙しくなった。気がつくと、帰る時間はどんどん遅くなっていった。


「みんな、いつもこんな遅くなって大丈夫か?」

「巧ちゃん、別に心配いらないわよ。どっちみち、みんな帰ったって、誰か待っている人がいるわけじゃないし。今は勉強や自分の事の前に、コッチのほうが楽しいのよ」

「拙も楽しくてならない。拙の仕事は元来、自己完結的なものがほとんど。あえて自らそうしていたのだが。でも、今はこうして兄らと共に過ごす時間を、愛おしく感じてしまうくらいだ。自分でも驚いているが」

「三日月ちゃん、あなた、変わったわよね。ここの所、とっても素敵よ、女らしくて。あなた、たまに直ちゃんに貰った香水つけてるでしょう? 所作にも柔らかさが見えてきたし、前よりずっと魅力的になったわ」


「はーい、お待たせぇ! みんな、出来たよぉー」


 残業で遅くなる時は、こうしてカフェミリーズで軽く食事を取る。例のパンケーキだったり、エッグタルトだったり、シフォンケーキだったり、未理は多彩にスイーツを提供してくれ、どれも絶品だった。


「すごく美味しいよ未理! でも、こう毎日スイーツってのもなー。みんなデブになっちゃうぜ。何か、こう、甘くなくて旨いもの、食わせてくれよー」

「甘くないモノで、美味しいモノなんて、あるかなぁ?」


 それで出てきたのが、今日のサンドイッチだった。お、美味いよ。これ!


「でしょうぅ? ハムは鹿児島産の黒豚を使ったローストポークだしぃ、トマトも露地栽培の今日の朝取ってきたヤツだからぁ、もちろんパンも一本堂のだしねぇ」


 未理は未理なりに役に立ちたいと考えているのだろう。俺たちが残っている時は自分も帰らずに、ずっと待っている。自分の部屋に篭るわけでもなく、フライス室へ行ってみたり、旋盤室に顔を出してみたり、この間は直と三日月と三人でお茶をしている光景にも出くわした。今まで見た事のない取り合わせに、ああ、こういう忙しいのも良いもんだなと、素直に思った。


 良く考えれば、そう考える俺自身も変わったのかもしれない。俺はとにかくこの学校から逃げ出す事ばかり考えていた。それが、どうだ。こんなに遅くては勉強が少しも出来ない、けれどそんな状況を受け入れている。いや、三日月ではないけれど、むしろ楽しんでいる? しかも、来期からは俺が会社の代表、もっと自分の時間が少なくなってしまうかもしれない。それでさえ、俺はやってやろうという気持ちになっているのだ。


 まあ、いいか、とりあえず今は宝冠弥勒に集中だ。

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