第6話 バレンタインデー
宝冠弥勒作成と通常業務ね作業に追われる日々、気が付くと今日は2月14日、世の中の未婚男女が心ときめかす、バレンタインデーではないか!
今さらスカ女の連中からチョコをもらいたいとは思ってはいないが、義理チョコくらいなら、もらってやらなくはない。何かと残念あいつらだって、唯一の男子たる俺に対して義理チョコを贈るくらいの常識はあるだろう。
けれど問題は未理と美留だ。特に、美留の思いに対しては、いい加減な態度で対応するのは良くないと思う。けれど、どうしたらいいのだろう? 美留はとても可愛いが、正直、彼女にしたいとは思わない。未理も同様。
うーん、ま、受取るくらいなら問題ないかな。
俺はチョコを入れて帰るための紙袋をバッグに入れると、急ぎ足で学校に向かった。無意識の内に鼻歌交じりの自分に気が付き、ちょっと苦笑い。
「おはよー!」
「おう、おはよう」「おはよう」「おはようございます」
いつもと変わらない、みんなの表情。さて、みなさん、どのタイミングでチョコをくれるのやら。
「みんな、何か報告はある? 中、田井中機械さんへ納める分、いつ仕上がる? あ、そうか、じゃあ今日アタシ中野製作所さんに行くついでに納品してくるよ。じゃ、時間も無い事だし、さっさと作業に入るか」
ミーティングもそこそこに、みんな作業に入る。何しろ、今は誰も忙しいのだ、仕方ない。チョコは帰りかな? それでも自分の部屋に向かおうとする未理に声をかけてみた。
「未理、もしあれだったら、今、受取ってもいいわよ?」
「えー、なんの事ぉ?」
「な、何って、その、えーと」
その時、俺は未理のカバンに入っている、綺麗な包装紙に包まれた小箱の存在に気が付いた。なんだ、持っているんじゃないか!
「ううん、いいわ。帰りにしましょうか」
俺はフライス室に向かい、いつもの通り作業に入った。巧も美留も、それぞれマシニングとフライス盤に向かうと、さっそく加工準備に入っている。
「さてと、作業に入る前に、何かしておく事なかったかしら。ねぇ、巧? 美留?」
「あー? ねーよ、そんな事。さっさと機械電源入れろよ。最近特に寒くて気温が低いから、朝一は機械の調子に気をつけろよ」
なんだよ。せっかくチョコ渡せるタイミング、作ってやったのに。もしかして、二人になる機会でも伺っているのか?
俺は仕方なく俺用のNCフライス盤の電源を入れる。程なく美留の汎用フライス盤の快い切削音が聞こえだす。まったく普段通りだ。
俺は今、得意先から毎月もらっている部品の製作をしている。機械部品らしいが公差の緩い、俺に出来るくらいだから比較的簡単な仕事だ。
簡単だからといって気が抜けていたわけではないのだが、やはり心のどこかでチョコの事が気になるのだろう。俺は立て続けにつまらないミスを犯してしまった。
「何やってんだよっ! ボーッとしやがってっ! 集中できないなら、外で頭冷やしてこいっ!」
俺は巧に怒鳴られてフライス室を出た。ちょうどいい、みんなの所で顔を出してみよう。チョコ、こっちからもらいに行ってやる。
俺は最初に、一番脈がありそうな三日月の作業室に向かった。今、三日月は宝冠弥勒の台座の細かい模様部分の仕上げを行っている。機械仕上げだけでは滑らかな面にはならないため、ヤスリや砥石を使いながら綺麗に仕上げる工程を担っているのだ。
ノックし作業室に入っても、一心不乱で作業に没頭する三日月はチラリともこちらを見ない。俺も慣れたもので、邪魔にならない距離を保って椅子に腰かけると、その作業が一段落するまで黙って見ている事にした。
三日月は5分ほど手を休める事なく作業を続けたが、チラリと俺の姿を認めると、フゥと一息つき手を休め、ようやく俺に声をかけてきた。
「作田殿が細かく加工してくれるゆえ、仕上げは意外と楽なのだ。兄もやってみるか?」
俺も言われるがまま、平たい棒のような砥石で台座のパーツの模様部分をこすってみる。見た目は綺麗に見えるパーツだが、機械で削った所は機械の動き通りにスジがついていて、その段差は見た目以上に深い。砥石で擦っているだけでは余程一生懸命に手を動かさないと、その段差はなかなか滑らかにならない。
「これ、ちょっと大変じゃない? 全然綺麗にならないんだけれど?」
「いや、これはまだ機械で削った曲面としては良いほうだ」
「ヤスリでガリガリやってはダメなの?」
「場所によりけりだな。そんな平坦な面をヤスリなどかけたら、後でその跡を消すのに苦労するだけだ」
俺はものの10分もしないうちに根をあげた。こんなパーツが10数枚もあるのだ。仕上げるだけで相当時間がかかりそうだ。
「これ、三日月一人で全部やるなんて、とても無理でしょう?」
「そうだな。本体部分も仕上げねばならないだろうし、最終的には皆に協力してもらわねばならないだろう。それに今でも、木本殿が時間をつくっては手伝いに来てくれている」
中が手伝いに? あの身勝手なヤツが進んで人の手伝いをするとは、いくら美留のためとはいえ、あいつも変わったものだ。
ああ、そうだった。本題に入らないと!
「えーと、三日月、あなた私に何か用があるんじゃないかな? それで顔出してみたのだけれど?」
「兄に用?」
「そうよ。今だったら、みんなの目も気にならないでしょう?」
「すまないが、兄が何を言っているのかわからないが」
「え・・・、あ、そうなの」
くれないのか、チョコ? 三日月、俺に気があるんじゃないのか?
何か少し釈然としない気持ちのまま、俺は三日月の作業室を出ると、今度は直を設計室に訪ねてみた。文化祭の折には、あれだけ骨を折ってやったのだ、あんなヤツでも感謝の気持ちくらいはあるだろう。
「直、台座の設計、お疲れ様。これでお役目御免ね」
「いえ、加工ミスなどがあった場合に設計上対処しなければいけない場合もあるでしょうから、仮組みするまでは気を許せません。それに仕上げ工程に人手が足りないのなら私も尽力するつもりですので、設計の役割が終わったからといって宝冠弥勒の仕事から手を引こうとは考えてません」
「あ、あらそうなのね、ごめんなさい、余計な事言って」
「いえ、下井さんが私の仕事に気を配って下さった事に対しては感謝いたします。それで、ご用件はその事だけなのでしょうか?」
「あ、いえ、直のほうが、私に用があるのではないかと思って・・・」
「いいえ、私のほうからは特に下井さんに用事はありません」
「あ、あぁ、そう」
なんだよ、恩知らずめ。俺は心の中で毒づきながら、設計室を後にした。
セツ姉の所も、中の所も顔を出してみたが、やっぱり無反応。お前ら、義理チョコってシステム知ってる? 何も本気チョコよこせって言ってるわけじゃないんだ。俺だってお前らから本気チョコなんてもらいたくないよ。
でも、でも、今日はバレンタインデーだよ? 女ばかりの環境で、チョコ一個もらえないなんて、あんまり悲し過ぎるじゃないか?
意気消沈したまま向かえた放課後。
「これ、受取ってくれるぅ? わたしからの気持ちだよぉ!」
未理の明るい声が耳に入る。
よしよし、ようやく俺はチョコをゲットした。最悪でも未理と美留の二人はチョコをくれると信じていた。ありがとう!
「違うよぉ、しーくんじゃないよ」
「へっ?」
「巧、これ、受取ってくれるよねぇ?」
「アタシ? アタシにくれるの? でも、これって女から男への愛の告白ってヤツだろ?」
「今時はそんなの、関係ないよぉ」
呆然とする俺など無視するように、巧の元にみんなが群がる。
「私からも巧ちゃんに! いつもの感謝の気持ち。なんなら、一晩くらいは付き合ってもいいかしら。巧ちゃんなら女同士でもOKよ?」
「い、いやいや、セツ姉の気持ちだけもらうよ」
「私からのチョコレートも受け取って下さい。自分で作ったものです。コートジボワールからカカオを取り寄せカカオマスを作る事から始めました。焙煎にかなりの経費がかかってしまいましたが、ココアバター砂糖ミルクの調合にも試行錯誤を繰り返した結果、自分でも満足の出来る仕上がりになったかと思います」
「おいおい、手作りの意味、間違えてないか? でも嬉しいよ。直、ありがとう」
「拙も作田殿に。こんな形で感謝を伝えるのもどうかと思うのだが、時に世事に耳を傾けてみるのも一興であろう」
「三日月、サンキュー! なんだ、お前も手作りとは、アタシ、モテモテだな!」
ちょ、ちょっと待てって! 何で、こうなる? なんで男の俺でなく、巧がチョコをもらっているんだ?
「・・・巧・・・これ・・・」
「昨日、一緒に作ったヤツじゃん? いいの?」
「ん」
「ありがとう、美留」
み、美留まで・・・。
「ちょっと、美留? あの、あのね? 私には、ないのかな、チョコ?」
「・・・む」
ガーーーーン! なんと、未理も、美留もくれないの? チョコ・・・、まさかのゼロ? 本当に?
「何だ、オマエ、チョコ欲しかったのか? 女の成りしてるから、てっきり男捨てているんだと思ってたよ」
「巧がそうしろって、言ったんじゃないっ!」
「いつの話だよ? 良かったんだぜ、男に戻っても。それをそうしてこなかったのは、オマエの意思じゃん?」
「え?」
俺の意思? そうだったのか?
「そういえば私たちも忍ちゃんの事、男として見ていなかったわ。チョコあげようだなんて、思いもしなかった」
「そうだな。下井殿を男として意識しなくなってから随分たった気がする」
そ、そんなーーーっ!
俺はチョコをもらえなかったショックと、男としてのアイデンティティーを失ってしまった事のショックで、意気消沈したまま帰路についた。
いや、確かに悩んでいたんだ。いつまで女の恰好をしていればいいのか? でも、ついつい女として過ごす居心地の良さにそのままおざなりにしていたのは事実だ。
溜息交じりに自宅マンションの扉を開けると、突き当りのリビングに電気が付いていた。しまった、付けっぱなしで出掛けてしまったのか? そんな俺の前に、扉を開き半裸の女が姿を見せた。
「おかえりーーー!」
その懐かしくも腹ただしい顔に俺は思わす叫び声をあげてしまった。
「バ、ババア?」
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