第20話 三日月の笑顔

 気が付けば駆け足で時は過ぎ、暦は師走、もうすぐ2学期も終わろうという季節になった。

 仕事は思いのほか順調で、今では巧も営業活動よりも作業をしている時間が増えてきている。俺も巧についてマシニングの勉強を始め、今では簡単なプログラムくらいは作れるし、図面も読めるようになってきた。


「もしもーし。あ、コーモン先生? え? FAX? 見てない。・・・わかった、見るよ。・・・コレ、どうするの? えっ? 今週中に欲しいって? 無理無理。・・・えー、マジかよー、仕方無いなー、でも納品はイヤだよ、遠くてさーセンセーのトコ。・・・ああ、わかったよ。じゃあ、金曜日までにやっとくから。松屋には午後に来るように言っておいてくれ」


 今では、トーキオ大学の中道教授がたびたび仕事をくれるようになり、巧は面と向かって、コーモン先生などとあだ名で呼んでいるが、教授も特に気にする風でも無く、2人の間に妙な友だち意識が生まれているような気がする。


 そんな日の放課後、久しぶりに三日月と帰り際に一緒になった。俺がちょうど駅に行く用事ができたから、たまたま三日月と一緒になったのだが、ふと嫌な思い出が頭を過った。確か前にも駅近くで三日月と偶然会った時、確かトラブルに巻き込まれて・・・。

 少し不安な気持ちになってきた。

 三日月は黙ったままで、俺も何を話して良いやら、そんな調子で歩いていると、目の前で車道から歩道に移ろうとした自転車の少女が転倒した。

 まだ幼稚園にあがる前くらいの子だろうか? 近くに親がいる様子も無く、見ると膝と肘から血を流していた。骨には異常が無さそうだし、おそらく擦りむいたくらいだろう。それでも三日月はカバンから絆創膏を取り出し、少女のキズに貼ってあげようとしたら、その少女はかえって大きな声で泣きだしてしまった。


「どうした? 大丈夫だ? 絆創膏貼るだけだから、痛くない」

「いやーーっ!」

「なぜだ?」

「お姉ちゃん、怖いんだもーん」


 お姉ちゃん? どうも三日月の事のようだった。しばらくすると、その少女の母親と思しき人が現われ、モモちゃん、大丈夫? とか言いながら、子供を抱き起こした。

 それでも、そのお姉ちゃんがー、怖いよー、といって泣き止まず、三日月は少し青い顔をして黙りこみ、母親もバツが悪そうな顔をして、やはり無言で立ち去ってしまった。


「何か、感じ悪いわね。介抱してあげてたのにお礼も言わないなんて」

「いや・・・拙のせいだろう」


 何となく落ち込んだようにうな垂れながら、三日月は先を急ぐように早足で歩いていった。そこに、男の声が掛かる。


「いやあ、久しぶりだね、ナイフのお姉ちゃん! 今日は美人の友達と一緒?」


 なんと! 例の怖いお兄さんたちじゃないか? 悪い予感は的中といった所か。それでも、向こうは俺だという事に気がつかないようだ。そのお兄さん2人は、またしつこく三日月に絡みだす。


「ねえ、今日もナイフ持ってるんだろう? 今度は刺しちゃう? いいよ、美人さんに刺されるなら本望だし!」

「へー、お前、こういう子が好み? 俺はこっちの子のほうが、断然いいけどなあ」

「なあ、人刺すのもイイけど、俺たちと一緒に遊びに行こうよ。もっと気持ちいい事、しよーぜ?」

 

 三日月も今回はさすがにナイフを出そうとはしないし、どうしようか、と思案してると、忍ー、久しぶりー、という明るい声が聞こえた。

 レイコさんだった。これはもしかして僥倖?


「あれ? もしかして、何か困ってる?」

「は、はい。えーと、この人たち、ちょっとしつこくて・・・」


 怖いお兄さんたちは気色ばむ。


「あー? なんだあ、このババア? 若者の明るい交遊に余計な口出しすんなよ?」

「ババア? どの口が言ったんだ、あぁ?」

「この口だよ、ババア! モウロクして目が見えねーのか? ・・・えっ!?」

「へえ、たいした口だねえ。もう、そのお口でもの食えなくなっても構わないんだ、坊やは?」

「ひゃーー! このババア、いやいやいや、この方は、紅蓮拿威くれないの初代総長の辰巳怜子さんだぞーーっ!」

「ええっー、素手で七人の極道を血の海に沈めた? 紅蓮拿威くれない引退の際は全国の暴力団26団体から1位指名を受けたっていう、あ、あ、あの?」

「で、伝説の、血みどろレイコ・・・・」


 顔面蒼白でガクブルのお兄さんたち。いや、俺もちょっとビビッてるんですけど。


「おい、人を化け物みたいに言うなよな。でもババアになった今だって、アンタらの未来を東京湾に沈めるくらいなら、簡単にできるけど、どうする?」

「すいません! すいません! すいません! すいません!」

「じゃあ、この子たち、私が好きにしていいかなー?」

「もちろんです! もちろんです! もちろんです!」

「でさ、また、この子たちに、チョッカイ出す気、ある?」

「ないです! ないです! ないです! ないです! ないです!」

「もしさ、またこんな事があったって聞いたら、どうなるか想像してごらん? うーん、あの痛みに耐えられるかなー、アンタら? 結構、辛いよ?」

「もっ、申し訳ありませんっ! も、もう、二度とこんな事は・・・どうか、どうか、許してください」

「じゃあ、私たち、行くけど?」

「お疲れ様っしたぁーーーー!」


「バカだな。通しきれない虚勢なんて張ったって意味ないのにな?」


 レイコさんは口元に笑みを浮かべながら、タバコを口にくわえた。あれ? 電子タバコ? レイコさん?


「今時、タバコって時代じゃないからね。私、禁煙してるんだ。巧、あのバカ、まだタバコ吸ってるんだろう? 私が言ってたって、伝えてくれよ。ヤニ臭い女はモテないよってね。忍も嫌いだろう? タバコ吸う女なんて?」

「は、はあ、い、いえ」


 レイコさんは匂いのしない煙を燻らせ、少し恥ずかしそうに笑う。


「でも、こんな紛いものに頼ってるようじゃ、私もまだまだだな。でさ、三日月?」

「えっ? はいっ? 何で拙の名を?」

「巧から聞いてるさ、あんたの事は。巧も心配してる。差し出がましい事言うようだけど、私が見ても思うよ。三日月、あんた、潰れちゃいそうじゃないか? 気がつかないまま背負った荷物が重くなり過ぎちまった、そんな感じだぜ? もう少し楽になんないと、あんた、潰れちゃうよ?」

「・・・は、はい・・・」

「ダチのダチはダチだ。何かあったら言いな。少しは役に立つ事もあるぜ。忍もな」

「いえ、本当に今日は助かりました。ありがとうございました」

「そんなご丁寧な挨拶なんていらねーよ。じゃあ、またな!」


 俺たちは深くお辞儀をして、レイコさんと別れた。


 そして、俺たちは缶コーヒー片手に、駅に近い公園のベンチで並んで座っていた。なんだか甘いものを、とにかく甘いものを口にしたかったのだ。


「いつもの事なんだ。拙には子供と動物が懐かない」

「子供と動物?」

「わかるんだ、子供と動物には。本能的に危険なものが」

「自分が危険だっていうの?」

「兄もわかるだろう? 拙が血に対して異常な執着がある事を。拙はどうしてもそれから逃れられない。先だって、お父様が拙を責めたのは、その事なのだ。拙が血に捕らわれた痴れ者ゆえ、刀鍛冶を継ぐことを許してくれないのだ」

「でも、お父さま、三日月を愛している、それは間違いないと思うけれど」

「拙とって、お父様は、父である以上に師であるのだ。師であるお父様は拙を決して弟子としては認めてはくれない。娘として愛してもらえても、拙の一番の望みは弟子として認めてほしいのだ。お父様のおっしゃることは理解している、それにもかかわらず、拙は血を見ると、心の奥底から浮き立つように興奮が湧いてしまうんだ。自分で作ったナイフで肉を裂く時の興奮といったら! 正直、自分でもどうしたら良いかわからない・・・」


 三日月の心の底はわからない。しかし、その一途な思いは理解できる。こいつの一番厄介な事は、自分の感情のコントロールが出来ない事だ。押さえたいと思っていても欲望に忠実に動いてしまう。

 巧にも似た所がある。けれど、あいつの場合は感情を吐き出しても、コントロールできていないわけじゃない。きっと自分の事を理解しているし、そんな自分を嫌いではないんだ。

 そこが三日月と違う所なのかもしれない。


「ねえ、三日月、巧見てごらんなさいよ。あいつ、本能に忠実って言うか、思った事をすぐに実行するじゃない? いい事につけ悪い事につけ、だけど。でも、三日月もソレでいいんじゃないかしら? 血に執着がある、言いかえれば血に興味があるって事じゃない? だったら、お母さまと同じ医者って選択肢もあるわよ? 悪い方向に考えずに、今は心の要求に素直に従っていればいいんじゃない? そうしているうちに、段々と自分の事がわかってくるかもしれない。まあ、要求と言っても、もちろん法律の許す範囲でだけど」

「・・・でも、子供とか」

「いいじゃない、別に誰に嫌われていたって。ウチの連中見てよ? 誰からも愛される子たち? 違うわよね? でも、嫌い? 私は嫌いじゃないな、みんなの事。いいんじゃないかしら、それで」

「・・・うん、そうだな。ありがとう、忍」


 三日月は少し落ち着いたのだろうか、缶コーヒーを口にして、心なしか穏やかな表情になった気がする。


「ところで、巧と三日月、やっぱり入学前から知り合いなの?」

「スカ女に来るよう誘ってくれたのは作田殿だ。あれは、拙が中学3年の時。拙は勉強では苦労した事がなかったが、放課後は友人もなくただ塾に通う毎日だった。もっとも友人がいない事も塾通いも全然苦ではなく、むしろ母と一緒に家にいるよりは、そのほうがずっとマシだった。お父様を深く敬愛する拙は、母とはうまくいってなかったのでな。 

 両親の離婚でお父様と離れた事は、その頃の拙を酷く苦しめていた。お父様は私では無くお兄様を選んだ、その事が辛くてならなかった。そんな拙は、夜の街に繰り出した。ナイフをポケットに忍ばせトラブルを待った。苦しみを忘れるために、強い刺激が欲しくなったのだ。誰かがケンカを売ってきたなら切り裂いてやる気で、毎日ポケットに手突っ込んでは、夜の街をギラギラして歩いていた」


 こ、怖い。三日月が常に誰かを刺す機会を伺いながら、今以上にギラギラして歩いていたなんて・・・。


「そんな拙に声を掛けるのは結局警察やナンパ野郎くらいなもので、警察に見つかっては逃げて、ほとぼり冷めた頃に街を変え、そんな事を繰り返している時、この街で作田殿に会ったのだ。作田殿も金髪でやっぱりギラギラしていたけど、拙と目が合うとなぜか、ニカッと笑ったんだ」

「笑った?」

「そう。そして言ったんだ。アンタのポケットのナイフ、見せてくれないか? って。それから少し話をした。拙が作ったというと大げさに驚いて、スゲーを連発してた。なんで拙がナイフを持っているのがわかったかと聞いたら、そんなのハッタリにきまってる、そう言った。でもアンタがそのポケットの中のモノに縋ってるのはわかった、おまえギリギリじゃないかって、作田殿はまた微笑んだんだ。

 その笑顔で、ちょっと体が軽くなった気がしたんだ。拙は、誰かにわかって欲しかったのかもしれない」

「巧、ちょっと格好いいわね」

「そうだ、格好いい。それでいて、とても可愛いところもある。拙は随分と作田殿には救われていると思う」

「そうね。でも、可愛い所があるっていうのは、ちょっと疑問だけど」

「拙は、本当にみんなに助けられている。今日は忍、本当にありがとう」


 わ、笑った! 三日月が・・・少しだけど、笑顔を! 初めて見た三日月の笑顔。もっと見せればいいんだよ、そうすれば誰だってお前を好きにならずにいられなくなるよ、三日月。


 で、後日・・・。


「松屋、また太っただろう! オマエさ、ちっとは運動とかしろよ、みっともねーんだよ、その体! そのうちオマエが丼モノにされちまうぞ? そう、ソレ持っていってくれよ、大事に扱えよアタシが加工してやったんだ、傷でもつけたら、ただじゃおかねーからな。それと、今度5軸加工機借りに行くってコーモン先生に言っておいてくれよな、ちゃんと伝えろよ! ま、そん時、忘れてなきゃ、だが、オマエにも土産持っていってやるよ。そうだよ、例のコロッケサンド、好きだろ? ああいうウマイもの食ってりゃ、少しはマシな太り方になるさ。えっ、牛丼もコロッケサンドもB級はB級だって? 違うんだよっ! 同じB級でも作り手の心が違うの! そこがわからねーからオマエは駄目なデブなんだよ!」


 うーん、ほんとうにこいつ、格好いいのか? ただ口の悪いヤンキーにしか見えない時も多いよなー。

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