第29話 巧の涙

 梅雨も明けたら夏休みだ、と楽しみにしていた俺に、突然降りかかった災難。


 まさか、夏休みがないなんて思ってもみなかった。お盆くらいは休みやるよ、と巧は言っていたが、俺の心は少しも晴れなかった。


 しかし、他の連中は将来というものを、どのように考えているのだろう? あんな変わった連中に将来はあるのか? と考えてみると、巧と中は何せ家が工場だ、卒業したって作業をやる場所が変わるだけだろう。

 未理は東証1部上場会社社長のご令嬢で心配ゼロ、三日月はああ見えて勉強は一流、この学校からだってソコソコの大学には行けるだろう、素行さえ気をつければだが。

 セツ姉は家が置屋、むしろこちらの方が天職と思われるし、夜の世界に行けば引く手あまたなのは間違いなし、むしろソッチ方面に行くべきだ。

 心配なのは美留と、直か。ただ、美留は巧も中もお気に入りだから、放ってはおけないだろうし、直は黙ってさえいれば、余計な事を考えさえしなければ、結構優秀な設計士になれると思う。多分。


 よくよく考えてみれば、連中はその得意分野では優秀なのだが、性格やら素行やら諸々の問題を抱えているからココに来たようなもので、いざ働こうという段階においては、結構使えるヤツなのかもしれない。


 しかし、それと比べて俺はどうだ?


 俺はこの1学期でやってきた事といえば、巧の使いっぱしりだったり、補助作業だったり、お客謝りに行ったりと、勉強はおろか、技術的な事すらまだ人並みにできない有様じゃないか!? 

 人の事を心配している場合なのか?


 俺が不安に身震いしている時、いつもなら早く来ているはずの巧が、真っ青な顔で教室に入って来るのが見えた。


「おい、遅刻か、珍しいな!」

「あ、ああ・・・」

「どうしたの巧ちゃん? 真っ青な顔しちゃって」

「佐伯金型・・つぶれちゃった・・・」

「えーー! 佐伯さん!? つぶれちゃったの!?」


 俺は驚いた。佐伯金型さんは、作田製作所と古い付き合いの金型屋さんで、巧がスカ女で仕事を始めたと聞いて、真っ先に仕事をくれた会社だった。

 会社といっても、社長さんと奥さん二人でやっている小さな工場で、二人とも俺が納品に行ったりすると、いつもコーヒーを入れてくれたり、とても優しい人たちだった。


「朝、先月分の手形受け取りに行ったら、工場、もぬけの殻だった・・・」


 あの巧が目を真っ赤にしている! こいつにも流す涙なんてものがあったんだ!


「あそこ、手形3ヶ月だよな? という事は4月分も駄目か!?」

「うん・・・」

「全部で幾らある?」

「20万くらいかな・・・」

「うーん、結構痛いな・・・」

「みんな、ゴメン・・・」

「謝らないでよ、巧ちゃんが悪いわけじゃないんだから」

「そうだ、そんなに落ち込むなんてキャサリンらしくないじゃないか」

「そうよぉ、20万くらいならぁ、わたしのおこずかい・・ムグッ」


 俺は未理の口を塞いだ。それを言ってはダメだ、それくらい考えろよ。


「ありがとう、みんな。これは作田製作所経由の仕事だから、アタシがんばって取り返すから」


 それでもその日、巧は一日中元気の無い様子で、昼休みも一人でフラっと外へ出たので、俺は後から追ってみた。居る場所は、きっと屋上だろう。

 案の定、屋上でタバコを吸っていた。膝を抱えて丸くなった巧は、どこか弱々しげで、まるでいつもの巧ではなかった。


「何だ、まだ元気でないのか? お前らしくもないな」

「アタシ、佐伯のおっちゃんに教えてもらった事、結構多いんだ。父ちゃんがあんな感じで、人にもの教えるって柄じゃなかったから・・・。

 あの工場で機械も使わせてもらったし、ミガキっていう仕上げなんかも手伝ってあげたり。

 それに、佐伯さんには真由ちゃんていう小6の女の子がいて、アタシに懐いてくれててさ、アタシがグレて特攻服でバイク乗ってた時も、巧ちゃんカッコいいよ、って言ってくれたの、真由ちゃんだけだったんだよ。佐伯のおっちゃんにはぶっとばされたし。

 でも、その真由ちゃんも出ていっちゃたんだよな・・・。学校どうしたろう? 奥さんも、どうしたろう? タンスとか机とか、鍋もお皿のそのままだったし・・・」


 巧の目からポロポロと涙がこぼれているのを見て、驚いた。


 俺はよく考えると、人が悲しくて泣いているのを初めて見たかもしれない。俺が見た事があるのは、恐怖に震える涙か、ババアがテレビのバラエティ見て笑って流す涙くらいだったから。

 だから、どう慰めていいのか、いや慰めなくていいのかすら、見当がつかなかった。だから、つい思った事を口にしてしまったのだ。


「大丈夫! 電車に飛び込んで死んだら、すぐニュースになるよ」

「テ、テメー! よくもそんな事いえるなっーー!」


 突然激怒した巧に驚き、逃げる俺を巧はものスゴイ勢いで追ってくると、俺をタックルで倒し、馬乗りになって殴りかかろうとした。

 しかし、その顔を見ると、顔が涙と鼻水でグチャグチャで、あまりにも非道い有様だったので、俺は思わず笑ってしまった。


「お前、ひどい顔だぜー!?」

「うるせー」


 軽くポカリと俺の頭を殴ると気が済んだのか、巧はあっさりと俺を解放すると、またタバコに火を点け、煙を深く吸い込むと、空にフーと吹き出した。


「昔、父ちゃんが、よくこうやって煙を吹いて、アタシに見せてくれたんだ。何か、それが格好よくてさぁ。アタシがタバコ吸ってるの見ると、みんなスゴク怒って、よく、ぶん殴られたりしたけど、最後は一緒にタバコ吸ったりしてさ、以外とみんな、嬉しかったんじゃないかと思うんだ。

 佐伯のおっちゃんも、最後に会ったとき、と言っても先月の話だけど、一緒にタバコ吸ったんだ。・・・一言くらい、相談してくれてたらなあ」


 そう言ってまた巧は膝をかかえて塞ぎこむ風だったので、俺は話繋がなきゃ、と少しあせった。


「でも、女子がタバコ吸ってるのって、格好イイもんじゃないぜ?」

「えー、そうか? アタシにとっては、格好イイもんなんだけどな」

「何でお前、タバコ吸い始めたの?」

「父ちゃんへの反抗心、ってのもあったけど、レイコさんって、スゲー格好イイ先輩が吸ってたから、かな」

「でも、俺はタバコ吸ってる女って、ダメだな」

「そう、なのか?」

「だって臭いじゃん」

「・・・アタシは、臭くねーよ」


 それから、二人で寝そべり、無言で空を眺めながら、ボーっとしていたら、ボソッと巧が呟くように言った。


「ありがとうな。話したら、ちょっと気が晴れた」

「うん、なら良かった」


 あれっ? 何かこれって、青春っぽくねえ? イイ感じの雰囲気だよな。もしかして、このままナニか事が起きたりして!?

 俺はうずいてくる下半身を宥めながら、そっと横を向いてみたら、なんと巧はヨダレをこぼしながら、口を開けて寝ているじゃないか。普通、この局面で寝るか? しかも一瞬で?


 女子としてはあんまりな、そんな姿をみたら、急に俺の下半身は賢者モードへと切り替わった。

 まあ、こいつにムードのある雰囲気期待した俺が馬鹿だったのかもしれない。


 本格的な夏が近い、ある暑い日の出来事だった。

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