第14話 ナノ登場

 とにもかくにも、俺は未理と約束した土曜日を迎えた。事情はともあれ、いわゆる女子とのデートは俺も小学校以来だったので、思っていた以上に緊張していたのか昨晩は中々眠れず、結局、ろくに睡眠も取れぬ間に朝を迎える事となってしまった。

 時間はたっぷりあったはずなのに、結局着ていく服に迷ったりしていたら時間がギリギリになり、焦って待ち合わせ場所に指定された最寄の駅に着くと、未理はすでにそこに待っていた。


「ゴメン、待たしちゃったかな?」

「ううん、大丈夫だよぉ、未理も今来たところだからぁ」


 客観的に判断するに、未理も見た目だけはかなり可愛いと思う。正直、他のカップルと比べて、俺たちはかなりイイ線いっているのは間違いない。電車で俺たちの斜め前に立つカップルの女性が、やたらと俺たちを意識してチラ見してくるのは、何となく気分が良いもんである。


 デートとはいえ、行き先はすべて未理に任している。というか、未理のショッピングの付き合いなので当たり前なのだが・・。

 で、早々に俺は度肝を抜かれる事になった。何が驚いたって、その買いっぷりがハンパなかった。さすが、一部上場会社のご令嬢、金あるヤツってこんなものなのか?

 これ、似合うかな? うん、似合うよ、そんなやり取りを何回繰り返しただろう。その度に買い物袋は増え続け、大荷物を抱えて未理の後ろをついて回る俺。その様子はデート中のカップルというよりも、女主人とポーターといった風情となり、さっきの優越感はすぐにどこかへ吹き飛んでしまった。


 ようやく休めたのは、お昼もすいぶん回ってから。俺は腹が減りまくり、ガッツリとラーメンか丼物でも食べたかったのだが、入った店はケーキ店だった。


「ひ、昼ご飯・・・ここで?」

「未理、3食ケーキでも全然アリだなぁー」

「いやー、それは勘弁してください・・・」

「ここのドゥ ミルフィユ は絶対美味しいよぉ」


 確かに美味かった。でもこれは昼飯では無い。


「こんなに買った事だし、そろそろ帰るのかな?」

「えー、まだ帰るわけないじゃなぁい。靴だって買ってないしぃ、帽子もちょっと見たいんだぁー」


 結局、暗くなるまで俺はポーターの仕事から解放される事なく、両肩には各4袋、両手に各3袋の荷物を抱えさせられ、肩やら手に食い込む荷物の重さにただ耐える俺は、今日がペナルティであった事を改めて実感させられたのであった。


 ようやくご主人様から休憩を頂き、夕刻のビルの合間のベンチに腰掛け、重い荷物から開放された爽快さを味わっていると、未理が急に体を寄せてきた。


「今日はありがとう! すっごく楽しかったよぉ! 荷物、重くて大変だったでしょう? 未理ねぇ、男の子とこんな風に一緒にショッピングするの、初めてなんだぁ。だから、ちょっとドキドキしながらぁ、でも、すっごくウキウキしちゃってぇ、本当に楽しかったよぉー!」

「それは、良かったね」

(チッ、あれだけ好きなモノ買いたい放題なら、そりゃ楽しいだろうよ!)

「それでねぇー、これは未理からのプレゼント!」


 それはポールスミスとやらの財布で、とても格好良く、値段も結構するはずだ。いつの間に買っていたのだろう。


「これ、高いんだろう? 受け取れないよ」

「駄目ぇ、もらってくれなきゃ。だって、今日のお礼だもン」

「でも」

「このウォレットはきっかけなのぉ。これを見たり、手にした時、その度にわたしの事、思い出すでしょう? しーくん、言ったよねぇ? これから未理のコト、少しずつ好きになっていくって」

「う、うん」

「好きになるのが未理だけじゃイヤだよぉ、しーくんも未理の事、好きになって欲しいもン」


 か、可愛い・・・。ヤ、ヤベエ、不覚にもキュンときちまった。

 見ると、未理は目を瞑り俺に顔を向け・・・、こ、これはキス、してもイイよ、のポーズ?


 いかん、いかん、欲情に駆られる前に、まずは冷静になろう。


 巧は明らかに俺が誰かと、特に未理と付き合う事を阻止しようとしている。それは、ユウコと約束したと言っていたが、本当にそれだけなのだろうか? 未理の親父さんに頼まれているという事は・・・うん、十分に考えられる。


 では、あの写真を公表するという脅し、あれはどうだろう?


 もし巧があの写真を公表する事で何がおこるか? ユウコはどうだ? ユウコの俺に対しての複雑な感情はとりあえず無視したとしても、あいつの経歴や人気に汚点は付くのは確かだ。俺は、といえば、精神的にも社会的にも確実にダメージを受ける。当然、未理も傷つくだろうし、傷ついた未理がまた暴走する危険もはらんでいる。これがマイナスな点だ。

 じゃあ、プラスな点は? ユウコのゲイ気質が、写真の公表をきっかけにカミングアウトされる事により、心が開放される? けれど、そんなユウコの思いに俺が応えなければ(いや、応えない!)、決してプラスとは言えないのでは?

 他にプラスな点なんてあるか? ない、どう考えても、ない!


 ユウコ、未理、二人の幼馴染どちらかが、あるいは二人とも傷つく行動を、いくら巧といえども取るだろうか?

 いや、もしかして、巧の目当てが未理の資産にあるとしたら、俺と未理が付き合う事で、むしろメリットが生まれる事もあるんじゃないか? 俺なら、未理から金を引き出す事は容易い。

 そんな、金が生まれる機会を、巧が考えないわけないだろう? あの、金に汚い巧が?

 そうだ、そうに決まってる! ならば・・・。


 いっただきまーす!


 俺はドキドキとワクワクで胸が張り裂けそうになりながら、未理の小さな体をギュッと抱きしめた。そして、つややかに光る、柔らかそうな未理の唇を見つめた。

 ゆっくりと二人の唇が合わさろうとした瞬間、突然の悲鳴に俺は縮みあがった。


 キャアァーーー!

 

 な、何だっ! だっ誰!?


 なんと、誰あろう、その悲鳴は未理の口から叫ばれたものだった。

 未理は恐怖に震えるように、蒼白となった顔で必死に悲鳴を上げ続け、俺たちはその悲鳴を聞いて駆けつけた人々にたちまち囲まれてしまった。


「キャーーー、いやぁーーーー!」

「どうしたっ! 何があったんだい?」

「こ、このお兄ちゃんが、ナノにイヤラシイ事しようとしてたのーーっ!」

「は、はあーー!? な、何言ってるんだよ、未理っ! 悪い冗談はよせよっ!」

「いやぁーー、やめてよー! 誰かーー!」

「お前、やめろ! この子、嫌がったるじゃないかっ!」

「ち、ち、違うんです、こ、この子と俺は、ど、同級生で・・・」

「本当なのかい? 君?」

「知らないよーぉ、こんなお兄ちゃん!」


 ど、どういう事だ? 何が起きているんだ? 俺はパニック状態だった。


「とにかく、この痴漢を取り押さえろ!」

「ち、違うーーー! 痴漢なんかじゃねぇーってば! 未理ぃ! 何とかしてくれっ! だっ誰かーー! 助けてーー!」


 幾ら俺が未理に救いを求めても、泣き叫ぶ未理はまったく俺を知らないヤツ扱い。一体何が起きたのかわからないまま、俺は数人の男たちに取り押さえられ、そのまま警察へと突き出される事となってしまった。

 もみ合いとなった時にパンチを数発入れられ、顔に青アザまで作る始末。

 連行された警察でも変質者扱いで、数人のお巡りさんに散々絞られる羽目になった。俺が何をしたって言うんだよ!?


「それで、突然ムラムラして、ベンチにたまたまいたあの娘を襲った、そうだね?」

「違います! 向こうからキスを迫ってきたんです。何度も言っているように、俺たち同級生で、その、えーと、一応恋人同士なんです」

「いい加減な嘘をつくなっ! あの娘はお前の事なんか知らない、と言ってるぞ。恋人同士だなんてそれはお前の妄想で、お前が痴漢したんだろ? なあ、白状しちゃえよ」

「ち、違いますって!」

「じゃあ、家の人に連絡取れよ、何度電話したって、お前の母親ってヤツは電話に出ないじゃないか!」

「だから、お袋は家出中で、居所がわかんないって、さっきから言ってるでしょう!」

「警察を馬鹿にする気かっ! 家出する母親なんているか!」

「いるんですよ、実際にウチのババアは・・・」

「いい加減にしろっ、お前がそういう考えなら、しばらくは帰せないからなっ!」


 そんな中、俺を向かえに来てくれたのは、なんと巧だった。


 未理の保護者からの委任状、医者の診断書なんかを持ってきたらしく、あの父親とも電話で話したらしい警察は、一応納得したようで、渋々ながら俺を解放してくれた。時計を見れば、もう21時を回っていた。

 むかつく事に、話もちゃんと聞かず散々俺を犯罪者扱いした警察からは、すいません、の一言もなかった。


 警察で保護されていた未理も巧が引き取った。巧が顔を見せると、未理は「巧ちゃーん!」と、駆け寄ってくるなり巧に抱きついた。


「巧ちゃーん、ナノ、怖かったよぉ!」

「もう大丈夫。でもね、コイツは未理のお友だちなんだ。怖い人じゃないよ」

「ウソ! だって、ナノにイヤラシイ事しようとしてたよ、コイツ!」

「それは駄目だなー、よし、アタシから、もうそんな事しないようにキツく言っておくからさ、ね、許してあげてくれないかな?」

「やだっ! ナノ、許さない!」


 自分をナノ、だとかほざきながら未理は、まだ泣きながら巧の後ろに隠れて、俺を汚いものを見るような目つきで見つめる。


 未理を自宅まで送った帰り道、俺は巧に説明を求めた。


「なんだよ、あの茶番劇! なんなんだ、ナノって? 説明しろよ!」

「未理はね、多重人格なんだ。奈乃はそのうちの一人。5歳の女の子」

「多重人格!? 5歳だぁ!? ふざけんなよ」

「本当だよ、診断書だってある。だから、こうしてオマエも警察から開放されたんだろ」

「本当だったら、何で今まで言わなかったんだよ!」

「論より証拠ってね。これでお前も納得しただろう? ヘンな事はできないって」

「ヘンな事!? 俺からしたわけじゃ無いっつの! あれは未理から・・・」

「未理は、ああ見えて結構積極的だから気をつけたほうがいい。奈乃なのはまだいいけど、明汰めいたが出てきたら、オマエ、えらい目に合うからな」

「メイタ? メイタって、何者?」

「会いたくないだろ? だったら注意するこった」


 あの日買った洋服とかは、あの場に置き忘れていたが、後日全部未理の手元に帰ってきたらしい。俺がもらったポールスミスの財布は、今は一応俺の手元にあるが、俺はそれを複雑な気持ちで見る事しかできない。

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