第13話 面倒なヤツ
何度も言うが、俺はかなりポジティブでかつ社交的な人間だと思う。いくら気に入らない学校とはいえ、クラスメートに対してずっと不機嫌を通すような無粋な事もしたくない。だから、入学以来、朝も帰りもクラスメイトの彼女たちに挨拶をしなかった事は一度だって無い。
しかし、一貫して俺の挨拶を無視し続けたのが、
昨日の帰宅時も、校門のところで三条を見かけた俺は、お疲れ様、と明るく挨拶したのだが、いつもながらに三条は眼光鋭く睨みつけると、無視してさっさと行ってしまった。
巧とは違ったピンと尖った視線というか、すこぶる美形である故、その冬を思わせるひんやりとした雰囲気と相まり、何か冷たいヤツだな、というのが俺の感想。いや、むしろ俺に悪意すらあるような目で睨むんだよな、コイツ。
もし俺に文句があるのなら、きちんと言葉で伝えて欲しいと思うのだが、まだこちらからは切り出していない。
そんな日々を何日か繰り返していたが、今朝、一つ大きな変化が訪れた。
円谷を校門近くで見つけ、俺がいつものように「おはよう」と声を掛けた。いつもなら、そそくさと聞こえなかったかのように立ち去っていくのが常の円谷が、立ち止まり俺に声を掛けてきた。
「朝、お忙しい所、少々お時間、よろしいでしょうか?
下井君が毎朝おはよう、と声を掛けてくれるのは、それは単に朝の挨拶としてなのか、それとも私に好意を持っているのかを、ここ数日検証していました。その結果、下井君は誰に対しても朝の挨拶はするようで、やはり朝の挨拶として儀礼的に私にも声を掛けた、と推察するに至りましたが、それで正しいでしょうか?」
「は? ・・・ああ、まあ、そうです」
「過去の事例から推測するに、私に対しては例え儀礼的だとしても声を掛けてくる者は極めて稀有だったので、数日間の検証の必要性を感じ、あえてご返事は控えさせていただいておりました。
せっかくの朝の挨拶に不義理を致し、大変失礼を重ねました。申し訳ありませんでした。それでは改めて、おはようございます」
「お、おはようございます」
「せっかくなので、一つ疑問があるのでご質問させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「あ、は、はい?」
「ここ数日ですが、下井君と林さんが、私達に憚る事なく体を非常に密着させたり、匂いを嗅ぐ様にお互いの顔を極めて接近させたり、決まった時間になると二人きりで部屋に篭ったりといった行為を目にします。もしかしてそれは、求愛行動の現れであって、すでに子作りの準備に入っているのではと推測しますが、正しいでしょうか?
もし、これから子作りに入られるとしたのなら、私は今まで人間の子作りを観察する機会に恵まれませんでしたので、是非観察したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「よ、よろしくねえよ! っていうか、子作りって、何だよ、子作りって!? あれは、ただのスキンシップ! ベタベタして悪かったと思うけど、あれは未理が勝手にやってきてる事で・・・」
「では、あれは林さんの一方的な求愛行動で、下井君は雌としての林さんに関心を示していない、という事ですか?」
「あ、ああ、まあ・・・」
「はたしてそうなのでしょうか? では同じ状況下において私が林さんと同様な求愛行動に出たとしても、下井君は同様な行動に及ぶというのですね? 私には、あのように見つめ合い、手を繋ぐ、といったような行為は、下井君が林さんの求愛行動に同意したとしか判断できないのですが? 下井君は、例え雌としての関心が無くても、あのような行為に及ぶ、という事でよろしいでしょうか?」
「あ、いや、うーん、それはどうだろう」
「もし私が林さん同様の行為をしたのにも関わらず、下井さんが同様な反応に到らなかったとしたのなら、そこには私と林さんの間に隔たるものがあると推察され、下井さんは否定されてはいますが、あの様な求愛行動に対する反応の差異こそが、雄として雌の個体差を識別している事となり、すなわちそれは下井君が林さんの雌としての優位性に呼応している、と言わざるを得ないのでは? それは、求愛行動に同意した、という事なのでは?」
「い、いや、ち、違う。やっぱり未理に対して、そういう特別な感情はない。うん、だから円谷さんとも、あのような行為に及ぶ可能性はあると思う、多分。で、でも、あれは別に求愛行動に応えたわけじゃなくて・・・」
「わかりました。私に対しても、あのような行為に至る可能性は否定できない、という事でよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、よろしいです、かな?」
ああ、面倒くさい! 一体コイツは何が言いたいんだ? 人とのコミュニケーションで挫折を味わったのは初めてだった。
しかし、面倒くさい、と物事を雑に扱った報いはすぐにやってきた。
教室に入ると未理はすでに登校しており、おはよぉー、と明るく挨拶してきた。俺は他のクラスメートにも挨拶し席についた。早速、未理は、しーくん、あのさぁ、昨日の夜ねぇー、などとベタベタしてきた、そこまではいつもの事だった。
しかし、今日は違った。
突然、円谷が自分の椅子を持って俺の隣に来た思うと、体に抱きついてきたのだ。
「ちょ、ちょっとぉー!」
「えー?!」
俺も驚いたが、未理と巧も驚いたとみえ、声を上げて立ち上がった。
当の円谷は何食わぬ顔で、俺に抱きついたままで、未理は泣きそうな顔で困惑している様子だった。俺は救いを求めるように巧を見た。
「直! 未理のマネもいいけど、突然どうしちゃったっていうの? 説明してくれる?」
円谷はスッと居直ると、彼女らしく、例の硬質な調子で答えた。しかも、とんでもない事を。
「いえ、突然では無いのです。先ほど下井君にお話を伺った所、林さんの間係は現在求愛行動に呼応し生殖行為が行われる段階には無く、下井君自身、林さんの求愛行動に応える意思は無い、との事でした。それにも関わらず、下井君の行動はあたかも雌の求愛に答えたかのようであり、それを自ら実証したいという強い欲求が基本となって、このような行動をとらせていただきました。
また異なる雌である私に対しても同様な行動を示すのかどうか、つまりは林さんと私の個体評価にも大変興味がありました。いかがです、ご納得されたでしょうか?」
「アタシは納得したけど、ソイツは納得してなさそうだよ」
見ると未理が俺を睨んで、うー、と唸っているじゃないか。
いや、違う。俺は悪くないだろう? 何かが根本的に違う。そもそもこんな意味不明なヤツを野放しにしておく方が悪いんじゃないか?
「未理、落ち着いてくれよ。勘違いしちゃ駄目だ。円谷は誤解している。俺の言った事を全然理解していないだけなんだ」
「私は理解しておりますが? 下井君は林さんに対して、雌として関心は無い、とハッキリおっしゃっいました、違いますか?」
「しーくんのバカーーーッ!!」
「違う、違うんだ、未理!」
「いやあ、モテル男は大変ですなぁー」
「笑ってないで、何とかしろよっ!」
ニヤつく巧を押しのけ、未理の後を追う。未理は自分の部屋に篭ってしまったようだ。
違う! 違わないが、違う。物事には、順序とか状況とか表現とか、真実だけでは無い、大事なものがあるんだ。円谷はそういう情緒的な事が欠如しているのだろう。うーん、なんて危険なヤツだ。
でも、まぁ、いいか。正直、鬱陶しい事からは開放されたい、という願望はある。未理がちょっと可哀相ではあるが、別に付き合っていたわけでは無いのだし・・・。
そんな俺の気持ちを見越してか、後を追ってきた巧が忠告めいた事を言う。
「オマエさ、未理の機嫌を損なうような事をするなよな。色々と面倒だし」
「何だよ? また何か強請るつもりか?」
「違う、いろいろ、だ」
仕方が無い。やけに意味深な巧の様子に不安を感じるし、未理に許してもらったほうがよさそうだ。
「未理、ゴメン。円谷に誤解を与えるような言い方をしたのは、俺の手落ちだった。本当にゴメン。未理が本当に俺に対して好意をもっていてくれたとしたらき、傷つくのは当然だよね。確かに俺も、未理を心から好きだ、とは、今は言えないよ。だってまだ出会ったばかりでお互いを理解したとは言えないし、無責任に、愛してるなんて簡単に言えないからね。でも、それは未理の事が大事だからでもあるんだよ?
それに、これから二人で、少しずつ好きになっていくっていうのも素敵じゃないか? 一気に大きくなり過ぎた炎は、後は消えるだけ、違う? だから、一歩ずつゆっくりと歩みを進めようよ。
それに、他人のあんな戯言に惑わされる事自体、本当ならあってはいけない事なんだ。強く結びつきたいと望むなら、相手を信じる事が一番大事じゃないの?」
すると鍵を開ける音がして扉が静かに開くと、目を赤くした未理が立っていた。
「わかったよぉ。しーくんの言う通りにするよぉ。でも、その代わり、今度の土曜日、未理に付き合ってね」
「あ、ああ、わかった。どこにだって付き合うよ」
何とか機嫌は直ったようだ。しかし、待てよ。この展開だと、俺と未理は完全に付き合っているみたいじゃないか。これってまったく、カップルの痴話喧嘩だよな? いつの間に、こんな事になっちゃったんだよ。
「大したもんだねー、色男は違うねー。どこにだって付き合うよー、ときたもんだ」
「元はといえば、お前のせいじゃねえか! お前が俺を利用して、未理におねだりなんてするから、こんな事になるんだろっ!」
「まぁ、アタシは心配してないから。オマエは未理とは一線は越えられない」
「お前、あの写真、利用する気だな!」
「それもあるけど・・・。まあ、そのうちわかるよ」
「また、そのうちかよっ!」
何が言いたいのか、ハッキリとしない巧に業を煮やしたが、巧がこうやって今まで誤魔化していた事が何だったのか、それこそ嫌っと言うほどわかる事になる。それが、そんなに遠い先ではなかった事に、この時の俺が気づく事はなかった。
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