鋏と靴と止まない雨と

折紙千鶴

第0夜 鋏になる前の小噺

わたし達は出会った時には既に鋏と靴だった。

わたしには親がいない。同じように靴のカリアにも親がいない。

わたし達が親、と呼べる人は居ないけれど似たような人は居る。

常に雨音が響く街の中、わたしとカリアは頼まれていた毒々しい色合いのお菓子を抱えて家路へと向かっていた。


「ねぇ、ルピナス。貴女は母親の顔って覚えてる?」

特に着色料がたっぷりと含まれているだろうキャンディを咥えながらカリアが訊ねる。

「いいえ。全く記憶にないわ。興味すらないわ。」

即答でわたしはカリアの質問に答える。

記憶にある。

わたしはその時初めてカリアに嘘を吐いた。


わたしには両親が居た。既に過去形の表現でお察し頂けると思うけれど、わたしはこの街に堕とされた。


この層にこの子どもは相応しくない。


嫌という程聞いた両親の口癖。

生まれつき私の片腕は節々が奇妙な形に変形し、何度切断、再生手術をしても『普通』と呼ばれる形にならなかった。

醜い、哀れ、気味が悪い、不吉、呪われてる。周囲からの冷たい視線と言葉には慣れていた。

だけど何度も繰り返される切断と再生手術の痛みは幼いわたしにはとても辛い事だった。

繰り返す程に麻酔の効き目は弱くなり、直接金属が肌を切り裂き、抉って行く感覚、血管がプチプチと弾ける音、変形した骨を粉砕する鈍い音に、レーザーで焼ける皮膚の鼻につく匂い。

思い通りにならない医師の舌打ちと、諦めを含んでいるだろう荒々しい縫合。


手術の度に猛獣のように叫び、泣き咽び、この地獄のような事はいつ終わるのだろと頭の中はそれでいっぱいだった。

そんな生活にもやがて終わりの日はやって来た。


母親が自殺した。


この子どもは私の子どもじゃない。

これは違う。これは私の子どもじゃない。

狂ったように、否、既に現実を受け入れる精神が崩壊していたのだろう。

母はひたすら同じ言葉を繰り返しながらわたしの目の前で呪いをかけるように

致死量の亜砒酸ナトリウムを摂取し、悶え苦しみながらながら死んだ。


母は常にわたしの事を『これ』と呼び

目を合わせる事も、手術の度に苦しむわたしを見ては『早く死んで欲しい』とばかりの視線を感じていた。

目の前で自殺こそすれど、悲しい、辛いと言う一般的に親を失った際の感情も何もわかず、わたしはただ死後冷たくなって行く母の手に触れていた。


(人はこうも簡単に死ねるものなんだな)


そう思いながら死への思いをただただ募らせていた。


その光景を都合良く解釈したであろう父は、わたしを人殺しと呼び、恩知らずと罵った。


自分よりもとても大きくてゴツゴツとした手が首に掛けられ、力が入ると苦しくなり

(あぁ、このまま楽になれるのか)

そう思って不意にわたしは笑ってしまった。


そこで意識が遠のき、 両親と呼べる人達の記憶はここまでで終わりとなった。

後の事は意識が戻ってからいつもの手術を行う医師より言葉と紙で説明を受けた。


「同意してくれるね?」


この街で聞いた最後の言葉にわたしは迷いなく頷き、右腕の切断と共に下層街への移転を許諾した。

その日は痛みを感じないよう、と今更配慮を効かせて麻薬を使用くれたのか眠っている間に右腕は無くなっていた。

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