第十五話 『憧憬』

 

 天音は『雨竜家』本邸宅へと歩みを進める中、今までに幾度と無く見た街並みをボンヤリと眺めながら思い出に浸っていた。


(あの中華飯店は天理が気に入ってたなぁ。次に行く事があったら別のメニューも食べてみたかったかも)

 基本的にファッションや雑貨に興味が無かった為、目を引くのは匂いにつられた天理にせがまれて入った料理店ばかりだ。


 紅に彩られた着物に不釣り合いなスポーツ靴を履いた少女は、とてもこれから殺し合いに向かうとは思えない程に心穏やかで、柔和に微笑んでいる。

 覚悟を決めた時から、残された時間の一分一秒をこの瞳に刻みつけようとしているのだ。


(私が天理に残せるものなんてこの瞳で見た記憶くらいだと思うんだけど、正直それも怪しいかなぁ。どこまで今の記憶を保てるか検証なんてしてないし。それよりも、そろそろかな……)

 ーーピュンッ!

 天音は丁度商店街を出た辺りで、一瞬漏れ出た殺気を感じた。同時にサイレンサー付きの銃声音が鳴ると、見当を付けていた方角から一発の銃弾が放たれる。


 薄めていた瞼を見開くと、ゆっくり近付いてくる銃弾の軌跡の延長線上にそっと『白夜』の刃を添えて、半歩身体を逸らした。

 ーーキィンッ!!

「良い腕ね。でも標的ターゲットを前にして居場所が暴露る位じゃ、まだまだかなぁ?」

 天音はまだもう一本の『極夜』を抜かずに、右手の白刃を逆手に持ち替えて疾駆する。

 別段常識離れした速度では無いのだが、狙われた射撃手は全身が粟立つ程の恐怖を覚えた。


 避けようにも少女の視線がまるで捕食者の様に、自分を捉えて離さないのだ。

 ーー『殺さなければ殺される』

 そう認識せざるを得ない状況に追い込まれた狙撃手は、二者択一の選択を迫られた。即ち、『戦う』か『逃げるか』だ。


 だが、光学照準器スコープに左眼を当てて覗き込んだ直後に男の意識は閉じる。額にはクナイが突き刺さり、トドメだと言わんばかりに深呼吸をした瞬間を狙って、口内へもう一本のクナイが刺し込まれていた。


 着物の裾の内に隠された暗器。天音からすれば光学照準器スコープに頼る必要が無い程の視力を持ち得ていた時点で、狙撃手なぞ相手にすらならない。

 細かい音まで聞き逃さない様に耳に手を翳し、風音に乗って集束させた敵の位置情報を正確に分析する。


「この感じ……もしかして時間稼ぎかしら? だとしたら目的は何?」

 明らかに双火の手が伸びているのが分かる為、天音はその思考の先を読もうと熟考しながら特殊部隊の『捨て駒』を排除していった。


(所詮、私を殺すための手駒は本邸宅にいるんでしょう?)

 抜き去った二本目の短刀『極夜』は、夕闇に溶けてその黒き刃を消したかの如く、不可視の斬閃を刻み付ける。

 喉元を裂き、胸元を突き、首を捻じ折り、時に逃走する兵士を背中から二本の短刀で襲った。


「逃げる位なら、最初からこんな場所に来なければ良いのに……」

 天音は軽い溜め息を吐くと、意外にもあまり汚れていない着物を見て微笑みを浮かべる。


「天理に会うまであまり汚れたくないしね」

 大方近くに配置されていた奇襲部隊を排除した後、比較的小さめな敵の銃を三丁程拝借して、帯の中へ押し込んだ。


 再び裏声を混じえて小声で歌を歌いながら本邸宅へと向かう。かつて聞いた曲の中で、唯一歌詞まで覚えていた好きな歌。


「あの時私が欲しかったものは、間違いなく貴方でした」

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