第七話 『兄弟』

 

 道場の中に静寂が訪れる。

 凛と張り詰めた雰囲気を僕は好んでおり、一ヶ月に一度だけ着るこの道着の匂いが落ち着くのだ。

 冷ややかな木造床の温度を足先で感じながら、深呼吸をした。


 相対するのは、兄である『雨竜嵐道ウリュウランドウ』、その人だ。

 昔から僕の『稽古』の相手をしてくれるのは嵐兄だけだった。父にお願いした事もあったが、何故かいつも公務を理由に躱されている。


 ーーその理由は、大体予想がついているのだけれど。


「さて、戦おうか」

「はい、宜しくお願い致します」

 この模擬戦の時だけ、嵐兄は別人の様に殺気を漲らせる。『本当に殺すつもりでやらないと、お兄ちゃんが死んじゃうからね〜!』などと冗談を言うが、正直、その言葉の本質が最近は理解できる様になっていた。


 __________


「じゃあ、リラックスしてそこのソファーに横たわってね〜! あっ! 天ちゃんの温もりと匂いがしっかり移る様に、深く身体を沈めておくれ」

「黙れ変態……僕が帰った後、ソファーで何をするつもりだ……」

「はふぅんっ! その冷酷な言葉……お兄ちゃん刺されちゃう⁉︎ 天ちゃんの愛のナイフで、貫かれちゃう〜⁉︎ テ、ン、ショ、ン、ーーMAXでっす!!」

「もう! 真面目にやってよ、嵐兄!」

 チッチッチと舌を鳴らすと、吐かれる台詞は決まっていた。毎度のやり取りではあるが、今日は趣向を凝らしてみようと思う。


「それじゃあ、上目遣いで『お兄ちゃん』って言うんだ! そうしたら真剣に取り組むと、神に誓って約束し、よ、うーーじゃないか!」

 ここだ。狙うならばここしか無いだろう。


「僕……恥ずかしいよ……お兄ちゃん……」

 いつもは拳を顔面に捩じ込む所だが、今日は言う通りにしてみた。目は見えないが、両手を組み『あざとく』照れた演技をする。

 さて、嵐兄のリアクションはどうだろうか。


「……………………」

「あの〜? 嵐兄? 何も言ってくれないと逆につまらないというか、本当に恥ずかしくなるってば……」

 おかしいな。何かしらの反応があると思って上目遣いまでしてみたのに、空気の振動からして嵐兄は微動だにしていない様子だ。

 冗談だったならそれで良いかとソファーに寝そべった直後、部屋のドアが勢い良く開いて田中さん(偽名)が入って来た。


「拙い! 心肺停止! 医者を、直ぐに医者を呼べ!!」

「ーーーーはぁっ⁉︎」

「天理様……貴方様は自分の可愛さを理解していらっしゃらないから、そんな真似が出来るのですぞ! この殺人鬼! いや、殺人姫!」

「黙れ。僕は男だし、そんな特殊性癖を持つのは嵐兄と田中さんだけだよ……」

 ドタバタと慌ただしい足音が入り混じる中、僕はただただ呆れていた。きっと嵐兄は起きたら直ぐに筆を取り、先程の光景を忘れまいと絵を描き始めるに違いない。


「致し方があるまいな……天理様! 『人工呼吸』をお願い致します!」

「だが断る! 田中さんがすれば良いだろ!」

「そんなご無体な……これは嵐道様が『これが叶ったらお兄ちゃんいつ死んでも良いシリーズ』の中で、ベスト3に入る展開なのですぞ!」

「良いから死ね。そのまま死ね。何なら僕がそのまま心臓を貫いてやるよ」

 驚く程自然に足を組み、見下ろしたままに冷淡な言葉を吐き出せた。もし、物語の魔王などがこの世にいたら、こんな風なさまに違いない。


「良いっ! そのポーズ良いよ天ちゃん! もう少し右手を頬から下にズラして、顔全体が映るようにして、左手は腹の部分に添えるようにね! ーーカシャッ! カシャカシャッ!」

「こうかな?」


 ーーブシュッ!!

 何故か先程よりも血の匂いが部屋に充満した。これは、誰かが鼻血でも出したのかな。


「さ、い、こ、うーーです!!」

「あははっ。なんか照れるなぁ〜!」

「照れてる天ちゃんもいい! 寧ろ良いっ!」

「えへへっ。さて、嵐兄、ーーそろそろ殺していい?」

 ポキポキと骨を鳴らすと、愚かな兄へ鉄槌を下した。

 声色からとっくに覚醒している事には気付いていた。田中さんが楽しそうだったから付き合ってあげたけれど、調子に乗りすぎだ。


「ひ、酷いよ、天ちゃん……」

「うるさい! 今日の『催眠療法』は見送りだね。僕は部屋に戻るよ」

「……そうだね、おやすみ天ちゃん」

 何かが引っかかるけれど、嵐兄の考えは容易には読めない。僕なんかよりも、遥かに超越した頭脳を持ち合わせる天才の思考を読み取るのは難しいだろう。

 このブラコン性癖さえなければ、素晴らしい兄なのになぁ。


 __________


「今日も、結果としては失敗でしたな」

 暗闇に包まれた暗室で、天才と執事は月を見上げながら佇んでいる。


「俺程度の『死』では、心を揺さぶる事など出来はしないさ。やはり、あのババァアマネを殺す必要があるかな。その結果、弟に恨まれようが構わない」

 先程の冗談の様なやり取りの最中、本当に嵐道はとある装置により心肺停止に陥ったのだ。正確には、自ら心臓を止めた。

 狙いはただ一つ、死を『引き金トリガー』に記憶を解放する実験。


 そして、単純に弟が可愛すぎて死に掛けた事もある。田中の突入が遅ければ、間違いなく死んでいた。これは計算外の出来事であり、事前に説教を食らった後の話。


「貴方様は、ーー死ぬ気ですか?」

「そうだね。あんなにも美しい『化け物』を封じた愚かな父を、俺は許しはしないさ」

「えぇ……アレは美しかった」

『催眠療法』を初めて施したのは天理が十歳の頃だ。嵐道は好奇心から一度だけ『欠陥品』と呼ばれた弟に興味を持ち、何故健康状態の人間が盲目になり、聴力を落としたのか、軽いお遊び程度にアメリカで出会った精神科医より聞き受けた方法を試した。


 ーーそれは、幼さからの過ち。天才過ぎるが故に犯した、ただ一つの過ち。


 失禁し、哭き叫び、生を乞い、無様にも地に額を擦り付けた過去。

 結果として、別邸の人間は当時見習いをしていた田中以外の全てが死んだ。


「誰か、誰か助けてくれぇ〜〜〜〜!!」

 本邸宅の特殊部隊が現れて天理を制してくれるまでの十分間。

 嵐道の人生は、この時に初めて屈辱に塗れて始まりを迎える。


 その後、どうしてなのか嵐道は天理へ異常な執着を見せ、後に天音へ復讐心を抱く様になった。


「我が最愛の弟を目覚めさせるのは、俺でなくてはならない。父も、姉も全ては唯の障害だ。排除せねばな」

 男の目は漆黒に煌めいている。全ては弟の為であり、この世界は弟のモノだと日々、奔走しているのだ。


 ーー狂った兄弟愛が齎すのは、幸か不幸か……

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