世界が無価値になった日、化け物は産声を上げる。
武士カイト
第一話 『日常』
僕は、幼い頃から『不自由』の中に生きているらしい。
『らしい』という曖昧な言い方をしてしまうのは、自分自身がそう感じていないからだ。
「
「ごめん、ちょっと考え事をしてた。お腹は減ってないから平気だよ、
「そう? なら良いけれど」
僕、
生まれつき目が見えず、聴覚も一般人より劣り、補聴器を付けて生活を送っていた。
松葉杖が必要無いのは、常に手を引いてくれる
唐突だが『雨竜家』は代々続く武術の名家であり、この日本において古くの時代から
ーー詳しくは知らないが、現代において残っている血筋は『雨竜家』のみであり、その現当主、つまり実の父である雨竜政宗の嫡子である僕は、残念ながら歴代最低の『欠陥品』だった。
家の期待を裏切ってしまったのだろう。身内どころか使用人からも蔑まれ、踏まれ、地位を妬まれ、そして見下されて誹謗と嘲笑に塗れる日々。
それでも天音が側に居てくれれば、僕は人生を素敵だと思いながら生きて来れた。
__________
「おぉ! 今日も良い匂いのする店を発見したよ!」
「はいはい、メニューは何か分かる?」
「う〜ん。多分、麻婆豆腐かなぁ?」
「何が多分よ。確信してる癖に勿体ぶらないでね?」
「……はい、すいません」
僕の浅はかな嘘なんて簡単に見破られる。天音にしか言っていないけれど、一般人より劣っているこの身体、つまり欠損した五感には別の特異性があった。
唯一まともに残された『嗅覚』、『味覚』、『触覚』は野生の獣並みの感覚を有しており、離れた場所からも一発で美味しい食べ物を嗅ぎ当てる。
風の流れから人の動きを読む事も出来るし、味覚さえあれば充分に幸せは得られるのだけれど、『臭い』のはだけは御免だ。
汗の臭いや腋臭も含め、更には女性特有の血の臭いは僕の鼻にはキツい。思わず吐き気を催しそうになる為、天音も自らが『そう』なった期間中は、離れる様に考慮してくれてる。
外食したくても出来ないという理由から、基本的には僕が美味しい店を発見すると、天音がそのメニューを食べて、家で再現してくれるというのが日課になっていた。その際、料理名などを聞かせてくれる。
彼女は素晴らしく料理の腕が立つのだ。幼い頃から一緒にいるけれど、常に僕の側にいるから練習している様にも見えないのに、本当に不思議だった。
「お待たせ! 毎日こんな風に天理の我が儘に付き合ってたら、私が太っちゃうわ?」
「ごめんよ。でも、どんなに太っても天音が側に居てくれれば幸せだから、別に構わないさ」
「……う〜ん。私が肉ダルマみたいになっても良いの?」
「抱いて寝たら、きっと気持ち良さそうだよね!」
「夏場は蹴り飛ばす癖に……」
「その時は、クーラーをガンガンにかけるさ」
「そうね。私が太ったら電気代も含めて、天理に責任をとって貰うことにするわ」
彼女の足取りが軽くなった気がする。体温は少し上昇してるな。うん、喜んで貰えたなら何よりだ。
家路に向かう途中、いつも高台の上にある公園へ天音は僕を連れていく。
「本当に、君はここが好きなんだね」
「……いつか天理にも分かるよ。私の見ている世界を貴方にも感じて欲しいから」
天音は口癖の様に毎日この台詞を聞かせる。叶わない願いを必死で願い続ける乙女の様に。
僕自身はとっくに諦めたというのに健気だと思わせるのは、握っている手が震えているからだろう。
「ニュースで聞く限り、医学は常に進歩を遂げてるんだろう? いつかは僕にあった視力の回復方法が見つかるといいな」
自分で発した言葉に嫌気がさした。そんな事で眼が見える様になるなら、とっくに僕は『雨竜家』の金の力にものを言わせて、世界を視認出来ているだろう。
『原因不明』ーーまるで正常に働いている人体の構造を、別の他人に『使われている』かの如き不可解な症状だと、とある医学の権威に言い聞かされた。
ーー僕の世界は、不可視で理不尽だ。
ーー僕の世界は、耳を塞ぎたくなる現実に満ちている。
それでも別に構わないさ。
天音が側にいてくれれば、それだけで生きている価値があると思わせてくれるのだから。
もし、僕から彼女を奪う存在がいるのならば、絶対に許さないけれど。
「うん、今日も幸せだね!」
「……そうね。早く帰ってご飯にしましょう?」
ほんの少しだけど、いつもより強く握られた手に痛みを感じながら、家路に着いた。
__________
世界が無価値になるまであと二日。
『化け物』が泣哭に呻く日まで、ーーあと二日。
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