世界が無価値になった日、化け物は産声を上げる。

武士カイト

第一話 『日常』

 

 僕は、幼い頃から『不自由』の中に生きているらしい。

『らしい』という曖昧な言い方をしてしまうのは、自分自身がそう感じていないからだ。


天理テンリ? 突然立ち止まってどうしたの? お腹が減ったなら、私が何か買って来てあげるよ?」

「ごめん、ちょっと考え事をしてた。お腹は減ってないから平気だよ、天音アマネ

「そう? なら良いけれど」

 僕、雨竜天理うりゅうてんりは今月十七歳になる。

 生まれつき目が見えず、聴覚も一般人より劣り、補聴器を付けて生活を送っていた。

 松葉杖が必要無いのは、常に手を引いてくれる雨竜天音うりゅうあまねが側に居てくれるからだ。


 唐突だが『雨竜家』は代々続く武術の名家であり、この日本において古くの時代から雨月うつき雨竜うりゅう雨羽ういばねの『御三家』は、特殊な能力を代々受け継がせる事で、己が家の繁栄を欲しいがままにして来たらしい。


 ーー詳しくは知らないが、現代において残っている血筋は『雨竜家』のみであり、その現当主、つまり実の父である雨竜政宗の嫡子である僕は、残念ながら歴代最低の『欠陥品』だった。


 家の期待を裏切ってしまったのだろう。身内どころか使用人からも蔑まれ、踏まれ、地位を妬まれ、そして見下されて誹謗と嘲笑に塗れる日々。


 それでも天音が側に居てくれれば、僕は人生を素敵だと思いながら生きて来れた。


 __________


「おぉ! 今日も良い匂いのする店を発見したよ!」

「はいはい、メニューは何か分かる?」

「う〜ん。多分、麻婆豆腐かなぁ?」

「何が多分よ。確信してる癖に勿体ぶらないでね?」

「……はい、すいません」

 僕の浅はかな嘘なんて簡単に見破られる。天音にしか言っていないけれど、一般人より劣っているこの身体、つまり欠損した五感には別の特異性があった。


 唯一まともに残された『嗅覚』、『味覚』、『触覚』は野生の獣並みの感覚を有しており、離れた場所からも一発で美味しい食べ物を嗅ぎ当てる。

 風の流れから人の動きを読む事も出来るし、味覚さえあれば充分に幸せは得られるのだけれど、『臭い』のはだけは御免だ。


 汗の臭いや腋臭も含め、更には女性特有の血の臭いは僕の鼻にはキツい。思わず吐き気を催しそうになる為、天音も自らが『そう』なった期間中は、離れる様に考慮してくれてる。


 外食したくても出来ないという理由から、基本的には僕が美味しい店を発見すると、天音がそのメニューを食べて、家で再現してくれるというのが日課になっていた。その際、料理名などを聞かせてくれる。


 彼女は素晴らしく料理の腕が立つのだ。幼い頃から一緒にいるけれど、常に僕の側にいるから練習している様にも見えないのに、本当に不思議だった。


「お待たせ! 毎日こんな風に天理の我が儘に付き合ってたら、私が太っちゃうわ?」

「ごめんよ。でも、どんなに太っても天音が側に居てくれれば幸せだから、別に構わないさ」

「……う〜ん。私が肉ダルマみたいになっても良いの?」

「抱いて寝たら、きっと気持ち良さそうだよね!」

「夏場は蹴り飛ばす癖に……」

「その時は、クーラーをガンガンにかけるさ」

「そうね。私が太ったら電気代も含めて、天理に責任をとって貰うことにするわ」

 彼女の足取りが軽くなった気がする。体温は少し上昇してるな。うん、喜んで貰えたなら何よりだ。

 家路に向かう途中、いつも高台の上にある公園へ天音は僕を連れていく。


「本当に、君はここが好きなんだね」

「……いつか天理にも分かるよ。私の見ている世界を貴方にも感じて欲しいから」

 天音は口癖の様に毎日この台詞を聞かせる。叶わない願いを必死で願い続ける乙女の様に。

 僕自身はとっくに諦めたというのに健気だと思わせるのは、握っている手が震えているからだろう。


「ニュースで聞く限り、医学は常に進歩を遂げてるんだろう? いつかは僕にあった視力の回復方法が見つかるといいな」

 自分で発した言葉に嫌気がさした。そんな事で眼が見える様になるなら、とっくに僕は『雨竜家』の金の力にものを言わせて、世界を視認出来ているだろう。

『原因不明』ーーまるで正常に働いている人体の構造を、別の他人に『使われている』かの如き不可解な症状だと、とある医学の権威に言い聞かされた。


 ーー僕の世界は、不可視で理不尽だ。

 ーー僕の世界は、耳を塞ぎたくなる現実に満ちている。


 それでも別に構わないさ。

 天音が側にいてくれれば、それだけで生きている価値があると思わせてくれるのだから。

 もし、僕から彼女を奪う存在がいるのならば、絶対に許さないけれど。


「うん、今日も幸せだね!」

「……そうね。早く帰ってご飯にしましょう?」

 ほんの少しだけど、いつもより強く握られた手に痛みを感じながら、家路に着いた。


 __________


 世界が無価値になるまであと二日。

『化け物』が泣哭に呻く日まで、ーーあと二日。

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