第百四十五話

「俺の名を知っているとはな……何者だ、貴様は?」


 俺の問いに答えず、巨大馬の化け物は六対ある目で俺をじろりと凝視すると、石造りの地面を思い切り踏みつけた。

 すると地面が波打つように揺れ動き、奴を取り囲むようにしていた俺達は咄嗟に防御姿勢を取ったものの、後方に吹き飛ばされる程の衝撃波が四方へと奔った。

 だが、しかしっ……!


「それしきでは俺の命は取れんぞ!!」


 俺はふっ飛ばされた先で民家の壁を蹴りつけると、すぐさま体勢を立て直し、今度は一転、奴に向かって駆けていった。

 全身から放たれる黄金色のオーラが溢れ出ては背後へと流れていく。


「ライゼルア家、奥義っ……!!」


 町中を走り抜けながら、俺はルーンアックスに黄金色のオーラを集中させると、それを一気に振り抜かんとする。


「光速分断波・輝皇っ……」


 だが、今まさにルーンアックスから奥義が放たれんとした、まさにその瞬間。

 全身から急速に力が抜けていくのを感じ、俺は思わず地面にしゃがみ込んだ。

 しかも今も力を奪われる現象に苛まされながら、何をされたか分からなかった。

 手段が分からないまでも、敵の攻撃と判断した俺はすぐさま奴を目で捉えたが、先ほどの位置から動いた様子すらなかったのだ。


「……何をされた? 奴は一体、どんな方法で」


 そして次の異変は俺が地面に手をついて立ち上がろうとした、その時に起きた。

 突然、上空からバーンが墜落してきて、民家の屋根に叩き付けられたのだ。

 一呼吸おいて、レイリアとラグウェルまでも。

 特に黒竜形態のラグウェルは民家を大きく破壊し、激しい激突音が鳴り響いた。


「どうやら……悠長に考えている余裕はないようだなっ」


 両足に力を込めて立ち上がると、すでに不可思議な脱力現象は止まっていた。

 如何なる攻撃手段だったのか分からない現実に俺は警戒感を滲ませたが、それは戦いの中で見つければいいと判断し、再び奴に向かって走った。

 俺達の距離はおよそ二十メートルは離れていたが、それを一足飛びで雷のごとき速さで駆け抜けると、俺はついに奴の眼前へと立った。


「アラケア、アラケアァ……っ。アラケア、アラケアァっ……!!」


 巨大馬は俺の名を繰り返しながら、全体重を乗せた蹄を俺へと振り下ろすが、しかし俺はルーンアックスを真上に斬り上げると、その前右足を吹き飛ばした。


「むっ!?」


 はずだったのだが、肉塊となって飛び散ったかと思ったそれらは、細かい無数の黒い虫となってバラバラに分解していただけだった。

 虫達はかさかさと動き回り、再び元の位置で右前足として再結合してしまう。


「黒い虫の集合体っ……それがお前の正体と言う訳か!」


 巨大馬の正体を見抜いた俺は続けて次の攻撃に移ろうとしたが、至近距離まで奴に接近していたことで、俺は先ほどの攻撃手段を今回ははっきりと理解した。

 またもや全身から力が抜けていく感覚を味わう中、判明した奴の攻撃手段とは、それは瞬時に特定の対象の体内の気を奪い取る、呼吸だったのだ。


「呼吸か。息を吸うことで、俺やラグウェル達から気を吸い取った訳だな」


 俺は吸われつつある気を体内に押し留めることで対抗し、今度は奴の頭上まで飛び上がると、大上段からルーンアックスを一気に振り抜き、その体を両断した。

 だったが、今回も切り離された部分は大量の虫へと分離し、しかし今度は元通り再結合することなく、俺の体へと群がり始めた。


「ちっ……こいつら! 離れろ、虫共め!!」


 全身を針で刺されるような激痛が走る中、俺は虫達を払い落とそうと試みる。

 だが、払う度に次々と新たに俺の体を這い上がり、皮膚が裂け血が飛び散った。

 視界すら奪われる程、体中を覆われつつあった俺だが、近くで重い地響きが、いや……足音がこちらへと近づいてくるのを聞き取っていた。


「多少の火傷は覚悟しろ、アラケア。お前ごと、この不気味な虫共を焼き払う!」


 間近で聞こえたそれはカルティケア王の声だった。

 そして間を置かずに、恐らくは王の獄炎が俺を目掛けて吐き出された。

 全身を激しい高熱で焼かれると言う痛みに近い熱を感じたが、皮膚の上を無数に這い回っていた虫達も離れ落ちていった。


「ずいぶん無茶な助け方だ。だが、礼を言います、カルティケア王」


「うむ、気を付けろ。こいつらは……何かがおかしい。攻撃にまったく手応えを感じんのだ。そう、まるで実体を持っていないかのようにな」


 王の言葉に俺は改めて再び一つに集合しようとしている虫達を見た。

 なぜなら、俺もまた王と同じことを考えていたからだ。


「ええ、同感です。更にこれは俺の推測ですが、奴らは魔物ゴルグ達の肉を得たことで不完全ながらこの世に具現化したのではないか、そしてどこかに核となっているその実体化した部分があるならば、それが弱点ではないかと考えています。もしそれを見つけ出し、破壊することさえ出来れば……」


「こいつらを倒せる、と言う訳か。いいだろう、試してみる価値はあるな」


 俺と王は再結合してまたもや巨大馬の怪物に戻った奴と対峙し、俺は感知能力を如何なく発揮して、あるかもしれない奴の実体の気配を探った。

 そして虫達の集合体である奴の一部分に、それをようやく見つけるに至る。


「奴の腹部に三十センチ程の丸い岩のような実体化している部分があります。俺の推測は当たっていたと言うことでしょう。あれを破壊することが出来れば」


「だが、正確な位置が分かるのはお前だけだ。しばし余が奴の体を抑えておこう。だから、アラケア。その隙にお前が核とやらを叩き斬るのだ」


 俺と王は短いやり取りで作戦を決めると、同時に頷き、直ちに行動に移った。

 俺は奴の腹の下へと滑り込んで核の位置を補足し、もう一方の王はと言うと奴に飛びかかり、全身の体重を乗せて圧し掛かって首元を右手で押さえつけた。


「今だ、アラケア! この間に核を破壊しろ!」


「ええ、言われるまでもなく!!」


 俺は頭上に向かって光速分断波・螺旋衝覇を放ち、奴の土手っ腹にぶち込んだ。

 奴の胴体は黒い虫に分離して周囲に散ったが、そこに核の気配はなかった。

 いや、前あった位置から移動していたのだ。


「核は今、どこにっ……?」


「アラケア、何やってんだ! 危ねぇ!!」


 突如、ギスタの俺の名を呼ぶ叫び声が聞こえた。

 その刹那、俺の肩を掴むようにギスタが空間移動して現れ、今度は俺を連れて空間を十数メートル程、飛び越えたようだった。

 そして飛んだ先で、近くにいた人の姿に戻ったラグウェルやバーン、レイリアと一緒に俺の目に飛び込んできたのは、あまりにも衝撃的な光景であったのだ。


「あ……あっ……ち、父上!!」


 ラグウェルが悲痛な表情で、その光景をただ見つめていた。

 たった今まで俺がいた場所は、黒い虫達に飲み込まれており、奴を押さえていた王の肉体はそのまるで黒い絨毯のような虫達に喰い散らかされていたのだ。

 漆黒の両翼が、胴体が、頭部が、両足が、右腕が、次々と肉は削げ落ちて、骨が剥き出しになっていった。


「父上っ! 今、助けにっ……!!」


 ラグウェルが王を助けに飛び出そうとしていたが、非情な決断であるが、俺は彼を行かせる訳にはいかなかった。

 ラグウェルの肩を掴んで強引にこちらへと引っ張ると、まだ息があったらしい王は俺達に顔を向けると、弱々しい声を絞り出した。


「アラケア……バーン、レイリア、息子を頼んだ、ぞ。必ず生きて戻るのだ……。王の座を……いずれ、ラグウェルに継がせるため、に……」


 それが正真正銘、王の最後の言葉となった。

 王の肉体は完全に黒い絨毯の中に沈み、肉眼で確認することも出来なくなった。


 ――どうにもならない、絶望。


 その二文字を噛み締めながら、視線の先で行われている惨状が終わってくれるその時を、俺達は離れた場所からただ見ているしかなかったのである。

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