第百十五話

「ちっ……!」


 俺は落下していく中、傾斜の激しい崖に指先を引っ掛けようと試みた。

 ルーンアックスと自身の全体重を支えるには、あまりにも心もとなかったが、僅かながらその試みは成功し、落下速度は幾分か弱まっていった。

 クライミングという技術があるが、父から修行の一環でやらされていたのが、今、この時になって功を奏したようである。しかし……。


「くっ……おおおおっ!!!」


 指先の皮膚が次第に裂けていき、出血していった。

 速度は幾らか弱まったものの、指先だけでは中々、踏み止まれずに尚も真下へと、吸い込まれるように俺の体は落ちていく。

 マクシムスらも抵抗を試みているのが、感知能力により感じ取れていたが、俺に比べても、その努力は空しく落下していく速度は速かった。


「アラケア!」


 そんな中、聞こえたのはラグウェルの声だった。

 そして俺の視界をかすめるように、黒い影のようなものが急接近してきたかと思うと、俺の体を掴み取って、空中に浮かび上がった。


「良かった、アラケア。何とか助けられたよ!」


 俺を落下から救ったのはラグウェルだった。

 そして俺の体を両手で掴みながら安堵の声を漏らしたが、そんな彼に俺はすぐさま言い放った。


「助けてくれて礼を言う、ラグウェル。だが、マクシムス達も助けてやってくれ。仲間は一人でも多く必要だ。俺達だけでは、この大陸の脅威から生き残ることは出来ない」


「分かった。それじゃ振り落とされないように、しっかり僕に掴まっててね!」


 そう言うと、ラグウェルは獲物を狙う隼のごとく急降下し、今まさに眼下の暗黒の大空洞へと転落していっている、マクシムス達をもその背中で次々と受け止めていった。

 しかしそれでも……落下している全員を助けるには、あまりにも時間的な猶予が足りなかったのである。



 ◆◆



「五人だけ、か。助かったのは……」


 大空洞の穴底に着地したラグウェルから降り立った俺は、生き残った仲間達の顔を見回しながら、思わず漏らした。

 俺とマクシムスとラグウェルを含めて、助かることが出来たのは、あまりにも少ない……僅か五人だけだったのだ。


「また、部下達を失ってしまいましたか……。しかしあの奇襲を受けて、五人残っただけでも実に運が良かった。失った者達のことより、これからのことを考えましょう」


 だが、その淡々とした無感情な言動に怒りを覚えたのか、ラグウェルはマクシムスに歩み寄り、食って掛かった。


「ねえ、さすがに冷酷なんじゃないの!? 仲間達が死んじゃったんだよ? 少しぐらい哀悼の言葉をかけてあげたっていいんじゃない!?」


「悲しむ間もないというのが、正直な所ですよ、ラグウェルさん。頭をすぐさま次のことに切り替えていかなければ、残った部下達まで危険に晒しかねないですからねぇ。何しろ、ここはそういった大陸なのですから」


 それでも胸倉を掴みながら憤るラグウェルだったが、マクシムスは抵抗する素振りもなく、成すがままに身を任せている。


「よせ、ラグウェル。マクシムスの言う通りだ。今は仲間割れをしている状況じゃない。ここから先、生き延びることを考えなくては、俺達はここで屍を晒すことになるぞ」


 俺の言葉にラグウェルは渋々、従ってマクシムスから手を放した。

 だが、その表情は悲痛に満ちている。恐らくラグウェルは心細いのだ。

 短期間に仲間が矢継ぎ早に死んでいき、より危険が増していっている状況に不安と心細さから、誰かに非を求めないと押し潰されそうなのだろう。


「心配するな、ラグウェル。お前の身は俺が守ってやる。お前に何かあっては、カルティケア王に申し訳が立たないからな」


「……う、うん。こんな時だって言うのに、僕だけ取り乱してごめんね。皆が大変な状況だってことは、一緒なのに」


 俺はラグウェルの肩をぽんと叩くと、今、落下してきた真上を見上げた。

 なぜならすでに俺の感覚は敵の襲来を、感じ取っていたからだ。


「だろうな、やはり追って来たか……。気を付けろ、お前達。さっきのあの男が、ここにやって来るぞ」


 その言葉にマクシムスとラグウェルも、僅かな光も差さない上空を見上げた。

 すると、鳥がけたたましく鳴く声が聞こえた。

 そして鳴き声に僅か遅れ、その主は超高速で俺達が立つ穴底へと降り立った。


「安心しましたよ、当主殿。あの程度で死なれては、張り合い甲斐がないと言うもの。私が目指すものは、貴方を超えることなのですから」


 そう言いつつ、巨大な虹色の雉から降り立つと、カルギデは背負っていた鬼刃タツムネを手にし、俺達へと突き付けた。

 そしてそのまま背後の雉に声をかけた。それも俺達も良く知る名前で。


「エリクシア、私が当主殿と死合います。ですから邪魔立てが入らないよう、他の連中は貴方に任せましたよ」


 その声に反応するように、エリクシアと呼ばれた虹色の雉は次第にその姿を人型へと変化させていったが、やがて俺達のよく知る姿形となった彼女は、カルギデのすぐ隣で肩を並べて、俺達と相対した。


「……ええ、任されたわ。今の貴方なら、この前のように……不覚は取らないでしょうから。けど……周囲にはこちらを窺って、今にも襲い掛かろうとしている……魔物ゴルグ達がいるわ。だから……十分、気を付けて」


「ふっ、魔物ゴルグ共の横槍も想定の内です。ここはそう言った大陸なのですから、それしきで生き残れないようでは、私もその程度の男だったと思うまで」


 そう言ってカルギデはずいっと一歩を踏み出すと、俺もそれに準じた。

 デルドラン王国の地下監獄の時以来の、本気の命の奪い合いである。

 否応なく、向かい合った俺達の間には一触即発の火花が散った。


「お互い、あれから腕を上げたようだな、カルギデ。現状に満足し、立ち止まっていては淘汰される。俺達が選んだ……いや、宿命づけられた道とはそう言うものだからな、当然か」


「そういうことです。ライゼルア家とクシリアナ家とは、戦いに適正を持った者に家を継がせ、更に優秀な血を取り込むことで、戦闘に特化した人間を造り出すことを使命とした一族。常に高みを目指すのは、一族に生まれた者にとっては至極当然なのです」


 俺とカルギデはそれぞれ武器を構える。しかし、どちらも仕掛けない。

 動けないのではなく、互いに先の先を取るべく、探り合っているのだ。

 しかし、それも終わりを迎え、先に動いたのはカルギデの方だった。


「では……推して参る、当主殿」


 カルギデの動きが加速したかと思うと、鬼刃タツムネが俺の首元へと迫る。

 俺は姿をふっと掻き消すように、それを回避すると、俺もまた攻撃を仕掛けるべく、ルーンアックスを横薙ぎに払った。

 だが、カルギデの姿も同様にふっと掻き消え、空しく空を切るだけだった。


(……当たらない、か。本当に腕を上げたな、カルギデ)


 俺は感知能力を動きの先読みに応用していた。

 相手の体内の気の流れを読むことによって、事の起こりを見極める。

 だが、カルギデは俺とは異なり、俺が動く前に動いているのだ。

 俺も国境砦の魔物ゴルグを相手に使った手だが、その熟練度は俺を遥かに凌ぐ。

 恐らく余程の修練を重ねたのだろうことが、窺えた。


「ふむ、どうやら拮抗しているようですなぁ、私達の実力は。今の所は……ですがね」


 そう言い放った瞬間、カルギデの体が更に加速する。

 そして……鬼刃タツムネの刃が、俺の頬を僅かに掠めた。

 だが、それを皮切りに、カルギデの攻撃が首の皮一枚であったが、徐々に俺の動きを捉え出していった。


「くっ、相変わらず……いや、前以上に馬鹿げた身体能力だな。しかも、肉体の強さに振り回されない技量もまた備えているか。だが、しかしっ……!」


 飛び退き、後退した俺に追撃を仕掛けるカルギデだったが、俺は間髪入れずに蹴りを繰り出した。

 が、それも見切られ、易々と避けられる。

 そのまま背中から倒れ込む俺だったが、そこへカルギデは大上段の構えから鬼刃タツムネを勢いよく振り下ろす。


「どうしたのです、これで終わりと言う訳ではないでしょう、当主殿!」


「ああ、勿論だ!」


 俺はルーンアックスを手放し、鬼刃タツムネをその両手で挟んで受け止めた。

 咄嗟に俺が使ったのは東方の国家ギア王国にて伝わっていると言われる、真剣白羽取りと呼ばれる技だった。


「むっ!?」


「まだまだ……勝負はこれからだ、カルギデ!」


 俺はじりじりと力を込められていく両手で掴んでいる鬼刃タツムネを、横へと押しやると、カルギデの横っ腹に蹴りを食らわせて、ふっ飛ばした。

 そしてすぐさまルーンアックスを手に取り、距離を取ってから相対した。


「奇策で救われましたか、当主殿。いや、何も強力な技のみが強さではない。それもまた実力と言えるでしょう」


「ああ、そろそろ観客達も待ちきれないようだ。敵味方が入り乱れた戦場となりそうだが、それでも負けるつもりはない」


 俺とカルギデが揃って横に目をやると、今にも飛びかかってこようと、巨体の魔物ゴルグ達がこちらの様子を窺っていた。

 そして……ついに堰を切ったかのように無数の魔物ゴルグ達が押し寄せてきた。


「いくぞ、カルギデ! 魔物ゴルグなどにやられてくれるな!」


「ええ、当然です。戦闘続行と参りましょう、当主殿!」


 俺とカルギデは高速でぶつかり合うと、互いの武器の切っ先を合わせた。

 その度に生じる激突の衝撃波に、周囲に甲高く響き渡る金属音。

 俺達2人の一騎打ちは魔物ゴルグ達も巻き込んで、より激しさを増していった。

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