第百三話
「雲行きが怪しくなってきたようだな……今日中にでも嵐が来るかもしれん」
気圧の低下により、体の古傷に痛みを覚えた俺は、進行方向を覗いていた望遠レンズを下ろし、誰に言うでもなく漏らした。
巨大な島の
マクシムスが言うには後、数日以内には奴らの拠点に辿り着くそうだが、その前に俺達に立ちはだかるのは、自然現象となりそうだった。
「マクシムスに伝えてくれ、今から帆を畳んでおいた方がいいとな」
俺は付近にいた黒衣の者に伝言を頼むと、船首の先から黒い霧が立ち込めるその最奥を、これから待ち受ける困難を思い描きながら、ただ凝視していた。
しかしその時、気配もなく真後ろから声をかける者があり、虚を突かれた俺は思わず振り返った。
「いえ、事態はそれ以上に、面倒なことになりそうですねぇ。声が近づいてきているのです。どうやら奴らも、こちらに気付いた様子です。このままいけば、接触は避けられないでしょう」
「……む、マクシムスか。いつからそこにいた?」
そこにいたのはマクシムスだった。
しかしいつものような笑みはなく、腕を組みながら海上を見ていた。
「先ほどからですよ。貴方の視界の外から、外の様子を窺っていました。殺し屋としての習性から、気配を絶っていましたがねぇ。それよりも私達と奴らは、後一日もすれば海上で接触することになります。一応、覚悟は決めておいてください、嵐の中で戦闘になることを」
「ああ、まったく厄介だな」
あえて嵐の中で戦いを挑んでくるとは、略奪者達は死を恐れないらしい。
しかも船を操舵するだけの知性があり、考えて動ける分、本能のみに従って仕掛けてくる
海上戦で挑まれ、白兵戦に持ち込めなければ、この前の戦いのように易々と勝つことは難しくなるだろう。
「あの時、奴らは遠距離から船や人を攻撃する、独自の武器を扱っていた。側舷に設置された鉄の塊を打ち出す大筒と、携帯用の小型の筒をな。恐らく災厄の周期によって滅びた異国の武器なのだろうが、もしあれらで距離を置かれて一方的に攻撃されては、一溜まりもあるまい」
「あれはかつて、西の大陸で栄えたバーゼンバム王国で剣に代わる武器として開発された、『銃』と『大砲』と呼ばれる兵器です。国が滅亡し、その技術が、流れに流れて彼らの手に渡ったのでしょうねぇ」
マクシムスはそう言いつつ、懐から一つの小筒を取り出す。
それは紛れもなく、奴らが使っていたものと同じ代物だった。
「まあ、こちらにも同様の武器はありますし、挑まれれば受けて立つのみです。向こうが船同士の海戦を望むなら、私達も応じてやればいいでしょう」
「……どこからそんな知識や代物を手に入れてきているか分からないが、今はお前が味方で心底、良かったと思える」
俺は自分の知らない深い知識を有している、マクシムスに素直に感心した。
そしてこれ以上ない、頼もしさも。
やはり外海を渡るには多種多様な知識と技術を持った、幅広い人材達が協力し合うことこそが、何よりも重要なのだと思い知った。
「そうと決まれば、モタモタしている訳にはいかないな。嵐の前に、今から準備はしておかねばなるまい」
来るべき嵐に備えて、マクシムスとの話を切り上げた俺は、黒衣の者達を手伝って帆を畳むと、予想した通り三時間もしない内に海は荒れ始め、船体はぎしぎしと軋みを上げた。
雨は横殴りに襲い、波は甲板に乗り上げ、船を大きく揺らす。
「……どうやら運命の女神は、どうしても俺達に試練を課したいらしい。見ろ、海洋性の
「ええ、分かっています。総員戦闘配置につきなさい。来ますよ、
マクシムスの叫びと共に、渦巻く海原から数体の
否、全身ではなくタコやイカのような無数の触手の一部だった。
俺は甲板で暴れまわる、それらを次々とルーンアックスで斬り落としていく。
「ちっ、デカいな。本体のサイズはこの船とほぼ同じくらいか。地上戦ならどうと言うことはないが、やはり海上戦では、ちと分が悪い」
「心配は無用です。貴方は海に引き込まれないように、注意してください。これから私があのデカブツにお見舞いして、怯ませてあげますのでねぇ。この妖精鉱を加工して作り出した、特性の弾丸を」
そう言い放つと、マクシムスは取り出した先ほどの銃の引き金を引き、小筒の先からあらぬ方向へと、弾丸を撃ち出した。
だが、その弾丸はかなりの急角度で軌道が変化し、海中へ飛び込んでいく。
「ギィシャ……ァァアアァッ!!!」
すると海中から俺達を襲っていたタコの
「見事に眉間に命中したようですねぇ。妖仙力の使い手が銃を扱えば、このような芸当も可能となるのです。やろうと思えば貴方にも出来るはずですが、試してみますかねぇ?」
「いや、遠慮しておこう。戦場には使い慣れた武器で挑みたいのでな。むっ、それよりどうやら新手がやって来たようだ。戦闘を続行するぞ、マクシムス!」
「ええ、朝までに片付けばいいのですが!」
――そして、俺達の戦いは夜通し続けられた。
しかし嵐は依然と鎮まる気配はなく、若干の疲労を覚え始めた頃、マクシムスが俺の側に駆け寄って来ると、穏やかに言い放った。
「気をつけなさい、アラケアさん。とうとう奴らがこちらへと近づいています。
「もうそんな頃合いか。海洋性の
しばらく時間が経過した頃、マクシムスが言っていた通りに黒い霧の中から、巨大なガレオン船が姿を現した。
しかし今度は一定の間隔で距離を開けたまま、一向に近づいてくる様子はない。
だが、やはり危惧していた通り、側舷に沿って無数に配備された砲口が……。
――連続した爆発音と共に、一斉に火を噴いた。
次々と球形の鉄がこちらの船体に放たれ、海原から水柱が高く立ちのぼった。
今の掃射が全弾外れた所を見ると、命中精度はあまり高くないようだが、こう何度も続けざまに撃たれては、まぐれ当たりもあり得る。
だが、マクシムスは余裕の笑みを浮かべると、手を掲げながら言った。
「では、反撃といきますかねぇ。目には目を、歯には歯を、です。大砲に対しては、こちらも大砲で対抗させて頂きましょうか」
すると船の側舷から砲口が顔を出し、マクシムスが合図をすると、瞬く間に応酬射撃が始まった。
しかもこちらからの掃射は、海面に着弾と共に爆発して、直撃こそしなかったものの、略奪者達のガレオン船を大きく揺らした。
「何しろ、こちらの砲弾は炸裂弾です。爆発によって破壊範囲が大きい。そしてこの性能の差が、勝率に如実に表れるのが、兵器を用いた戦闘です。では、戦闘を続行するとしましょうか、略奪者さん」
マクシムスは再び手をかざし、砲撃音が鳴り響いた。
しかし突然、ガレオン船が進路を変え……いや、そうではなかった。
俺は思わず目を疑ったが、何と……船が海中へと、潜り始めたのだ。
そして俺の直感が告げていた、これは沈没した訳ではない、と。
「気を付けろ、マクシムス。相手は死から蘇った略奪者達だ。どうやら人間を相手にするようには、いかないようだからな」
「……ええ、そのようですねぇ」
俺とマクシムスは完全に海中に潜り切ったガレオン船を、用心深く凝視し、略奪者達の次なる手を見極めんとした。
しかし海面の波の動きから、海中に潜航した巨大ガレオン船は……真っ直ぐに、明らかにこちらへと忍びよってきていた。
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