第六十七話

 その「老人」は玉座の間を覆い尽くす、巨大な粘液の塊の中にいた。

 しかも粘液の中には巨壁に張り付いた彼を中心として、周囲に東方武士団の兵士や忍衆の忍、それに文官らが、こと切れたまま融合していたのである。

 更にそこから無数に生えている蜘蛛のような手足が蠢き、城壁と一体化していた。


「な、何だこれは……! お前がギア王国国王、ダルドアなのか?」


 俺は現実とは思えない光景に思わず目を疑ったが、ダルドアと思わしき老人は眼下にいる俺達に実に麗らかな調子で、言葉を発した。


「ひょー! とうとう余の命を狙って刺客がやってきおったか。その風貌、お主がシャリムが言っておったライゼルア家の当主じゃな? いかにも余こそがダルドアじゃが、さて……今の余の姿を見た感想はどうかの? まあ、その顔を見れば言わずとも分かるが、そう憐れんでくれるな。この姿には自ら望んでなったのじゃからな。だから余は気に入っておるのじゃ」


 俺は視線の先で俺達を見下ろす異形のダルドアに一歩一歩、近づいて行った。

 マクシムスとギスタもそれに続く。


「……ダルドア、そんな姿になってまでお前は何をしようとしているんだ」


「余は国王として災厄の周期を迎えても微塵も揺るがぬ強い国を作る必要があった。そのためなら余は躊躇なく、この身を人外の者にすることを受け入れよう。ここに来るまで、お前達も見たであろう? 人でありながら、強靭な肉体を得た一人一人に至るまで余が大切に思っておる、我が国の民達を」


「ああ、見たとも。何なのだ、彼らは? お前は彼らに何をした?」


 俺はダルドアを真っ直ぐに見据えて、いつでも飛びかかれる体勢をとった。

 しかしダルドアはそれを見てもお構いない様子で、更に話し続けた。


「余の体から抽出した体液を一口飲めば尋常ならざる力がその身に宿るのじゃ。そしてそれは、いずれこの世のすべての人間に与えるつもりの力じゃよ。この先の未来のことも見据えて、余は民が自分自身で魔物ゴルグと戦える力を持った弱き者など存在しない、強大な統一国家を作り上げておきたかった。余の代でアールダン王国とも併合を果たしてのう。それが歴代国王達の悲願であり、そして余の責務でもあるという訳じゃ」


 そう言い終えると、ダルドアは無数に伸びた蜘蛛の手足を床へと下ろし始めた。

 そしてぶるぶると動き始めると、城壁に癒着していた粘液状の物が、徐々に大きく広がっていった。

 俺達を取り囲むかのように。


「さて、お主に問おう。この城がなぜこれほど、うず高く作られたか分かるかのう? 余は派手な生活を好まん。にも関わらず城をこのように作り上げたその理由……それはのう、余の体が巨大になりすぎたからじゃ。気付かんかったか? お主らがここに来るまで通ってきた、蜘蛛のごとき糸に覆われたこの王城は、すべて……この余の体と一体化しておるのじゃからな!」


 その刹那、粘液状の物が、ダルドアを中心として四方へと伸びていき、ダーム城と一体化したそれらはダルドア自身と共に、上空へと上昇を始めた。

 がらがらと床は崩れていき、足場を失った俺達は階下へと落下していく。


「ちっ、事態は俺達の予想を遥かに超えていた、ということか!」


 俺とマクシムスとギスタは城壁にしがみつき、何とか落下から免れた。

 しかし高さ百メートルはあろうダーム城全体までもが、ゆっくりと地面を離れ空中へと浮かび上がっていった。


 ――ボン!!


 マクシムスは手の平から骨を射出し、巨壁に張り付いたダルドア本体へと攻撃を仕掛けた。

 しかしダルドアが纏う粘液によって遮られ、威力を殺されてしまいその攻撃は届くことすらなかった。


「厄介ですねえ、こちらの攻撃が通じないとは。これまで人とも魔物ゴルグとも戦ってきたことはありましたが、ここまで巨大な敵を相手にするのは初めてです」


「それでもやるしかねぇよ。けど攻撃をするにしてもあの粘液が邪魔だな。おい、アラケア。もしかしたらあれは炎で焼けるかもしれねぇぞ。お前の最高奥義であれを焼き尽くせねぇか?」


 もっともな意見だが、ガンドとの戦いが響いている今の俺には全力で最高奥義を放てる自信がなかった。

 それにもし今の状態で放ったとして、それで大きな効果が望めなかった場合、体力を更に消耗することになってしまう。

 試してみるには、あまりにも大きな賭けだと言えた。


「いや、あの粘液に炎が確実に効果があるか分からない以上、試すにはリスクが大きすぎる。それが確認出来ない限りはまだ『光速分断破・無頼閃』は使う訳にはいかない、今はまだな……」


「なるほど、では炎による攻撃が有効か、確認出来ればよいのですね? アラケアさん、炎を操るのは何も貴方だけではないことをお忘れですか? 貴方ほどではありませんが、私とて『黒太陽の悪魔』と呼ばれる黒炎の使い手。まずは私が道を切り開いてみるとしましょう」


 そう言い放つや否や、マクシムスは壁を蹴り上がって無数に伸びる蜘蛛の手足へと飛び移ると、そのままダルドア本体へと手足の上を駆けていった。

 その全身からは奴自身の気を燃やした黒い炎が激しく燃え上がり始めるが、ついにダルドア本体へと迫ったマクシムスは、その黒炎を纏った刃を振り上げた。


「さて、覚悟はいいですかねえ。いきますよ、ダルドア陛下」


 マクシムスはそのまま刃を振り下ろすと、ダルドアを覆う粘液へと突き放った!

 じゅじゅううううっ! という音がして、粘液はみるみる焼けて溶けていった。

 確かに炎による攻撃は効果が見られた。

 しかし溶ける側から新たに粘液が次々と生成されていき、次第に炎はその量に飲み込まれて、鎮火していってしまったのだ。


「……駄目か。あの粘液はあるいは無尽蔵に生み出せるのかもしれん。だが、このまま手をこまねいている訳にはいかない。何か別の打開策を考えなくては……」


 だが、現実は考える時間など与えてはくれなかった。

 奴の肉体の一部であるダーム城が大きく揺れ動いたのだ。掴んでいた壁から手が離れて、俺達は更に階下へと落下していった。

 八階だった場所から、どれほど落ちたのだろう。

 床に叩き落とされた俺達は奇しくも蜘蛛の糸に覆われた床が緩衝材となり、致命的なダメージは免れていた。


「アラケア殿。ご無事でしたか、何よりです」


 ふいに声がかけられ声がした方を振り向くと、そこにはゼルがいた。

 その腕にはぐったりとしたミコトを抱きかかえている。


「ゼル! ミコトはどうした、大丈夫なのか? 意識を失っているようだが、まだ生きているのか、ミコトは?」


「はい、ミコトなら心配いりません。彼女を沈黙させたのはこの私ですから。あのまま殺戮衝動に身を委ねていれば、ミコトは死んでいたでしょう。獣となったミコトは何も無敵ではありません。ただ満月を見たことによる激しい興奮によって、痛みを感じなくなっているだけなのです。そうなった彼女は無類の強さは発揮するものの、その肉体は徐々に壊れ破滅へと向かってしまう。だからそうなる前に彼女の手綱を握る役目を私は陛下より、密かに承っていたのです」


 俺は改めてミコトを見たが、体のあちこちを負傷し、出血している。

 しかし姿は先ほどの獣のような姿から、普段の人間のものに戻っていた。


「そうか、生きてさえいるのなら、今はそれを喜ぼう。だが、ゼル。まずい状況になった。このダーム城が空中に浮上したのは知っているか? この城自体が国王ダルドアの肉体の一部なのだ。そして奴は俺達を抹殺するべく、動き出している。今も続いているさっきからの揺れはそのためだ」


 しかしそれを聞いてもゼルは動揺した様子はなく、落ち着き払っている。

 まるで今の状況が、少しも脅威ではないかのように。


「ご安心を、アラケア殿。反撃に動いたのはダルドアだけではありません。こちらもとうとう動き出されたのです……あのガイラン陛下が。すでに陛下は上階へと向かわれています。じきに決着はつくでしょう。我々は後はただ待つだけです、陛下がダルドアを倒してくださるのを」


「な、何! 陛下が? そうか……では俺達はやるべきことを果たしたのだな。しかし俺達もここまで戦ったんだ。事の結末をただ待っているだけというのも面白くないとは思わないか? 俺は陛下がダルドアを倒す様を見てみたい。見届けたいんだ、戦いの決着を」


 それを聞いたギスタがにやりと笑う。

 マクシムスまでもが腕を組んで、ふっと笑みを浮かべている。


「同感だな。美味しい所はあの国王陛下に持っていかれちまうとしても俺達だって精一杯戦ったんだ。それくらいしたって許されると思うぜ」


「まあ、良いのではないですかねえ。ただ犯罪者である私は到底、勝ち目などないあのガイラン国王と対面するなど御免被りたいですから、遠く離れた場所から観戦させて頂きますが」


 ゼルも俺の意を組んでくれたのか、反対はしなかった。

 だが、ミコトを介抱せねばならない自分は行くことは出来ないことを伝えると、俺達を黙って見送ってくれた。

 俺とギスタとマクシムスはゼルに別れを告げると、再び上階を目指して、階段を駆け上がっていった。


「……ついに陛下が本気で戦うお姿を見ることが出来るのか。俺が目指す強さの到達点……興味が沸かないはずがない。だが、戦いに魅入るあまり、巻き添えにならないようにしなくてはな」


 内壁は今では生き物であるかのように不気味に収縮し、先ほどよりも禍々しさを増していたが、依然と城の揺れは続いたまま……。

 そしてそれはこれから行われるであろうガイラン陛下とダルドアとの激しい戦いを予感させるものだった。

 しかし今の俺はそんなことは目に入らず、ただ胸の高鳴りを隠せなかった。

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