第六十八話
「ちっ、やはりそう簡単には行かせてはくれないか!」
城全体を揺らす振動は依然として続いており、しかも階段を駆け上がる俺達の進行方向から、大量の兵士や民間人達が、押し寄せてきた。
だが、内壁から伸びてきた複数の蜘蛛の手が彼らを捕らえ、蜘蛛の糸の中へと取り込むと、壁や糸と同化させていったのである。
「敵も味方もお構いなくですか。見境がありまえねえ」
「仕方ねぇ。こうなったら体力との勝負だが、連続で空間跳躍を繰り返して奴らを無視して上に向かうぜ。おい、俺に掴まりな、アラケア、マクシムス!」
俺達が言われる通り、ギスタの手を掴むとギスタは奥義にて、空間を跳躍した。
そして俺達が落ちてきた床の穴を上に向かって現れては消えるのを繰り返すと、確実に上階へと、俺達を移動させていく。
だが、その間も兵士や民間人達が次々と蜘蛛の手に捕まっては、ダーム城自体に取り込まれていく惨状を目にしなくてならなかった。
「ダルドアめ、民の一人一人まで大切に思っているなどとよく言えたものだ。これだけ大勢の同胞を飲み込み喰らっておいてな……」
「自分では正しいと思ってるんだろうぜ。国王なんてのは命令だけしていつも自分じゃ手は汚さないから、現場の血生臭さが見えてないのさ。もしかしたら、これまで実験で犠牲にしてきた人々や、今のこの惨状さえもあいつにとっちゃ必要な犠牲で国益のためだと信じてるんじゃねぇのか、……多分な」
そう言いながら、ギスタは奥義を再び発動させた。
ギスタが息切れを起こしながらも、俺達は何度、上に向かって空間跳躍を繰り返したことだろう。
とうとう限界がやって来たのか、付近の階に降り立つと俺達を手から放して、ギスタは床に手をつき肩で息をし始めた。
「ふぅぅーーーー……はあっ、はあっ……ちょっとここで休憩な。これ以上の奥義発動はしばらく休まねぇと無理だ。すまねぇが、体力の限界だ」
ギスタが床に横になりながら謝ったが、この場所には見覚えがあった。
そう、ここはつい先ほどエリクシアと一戦交えた大広間だったのだ。
「いや、ここまで来れば後は自力で八階にある玉座へ辿り着けるだろう。ギスタ、まだ普通に走るくらいは出来るか? この先の昇降機に乗れば目的地までもうすぐだぞ」
「そうなのか? じゃあもう少し頑張ってみるとすっか」
ギスタが立ち上がり、そう言った時だった。
これまでの揺れとは違う、凄まじい衝撃が上階から響き渡ったのだ。
二つの大きな力が、恐らく激突している。
そんな印象を受ける衝撃音だった。
「とうとう始まったようだな。ガイラン陛下とダルドアの戦いが。これはモタモタはしていられん。世紀の一戦を見逃すはめになるぞ」
「そいつは……勘弁願いたいぜ。急がねぇとよ」
俺達は再び駆けだすと、大広間を抜けた突き当りにある昇降機に急いだ。
そしてようやく辿り着いた俺達だったが、このような状況となっていても昇降機は幸いにも、そのままの状態で残っていた。
中に入った俺達は上階へと向かうスイッチを押すと、ガコンと動き始めた。
――そうして……。
昇降機が停止し、外へ出た俺達だったが、その広がる光景に思わず息を飲んだ。
先ほどまでも蜘蛛の糸に覆われた薄気味悪い場所であったが、それでもそこは人によって作られた建造物だと一目で分かるものだった。しかし今は……。
取り込んだ人間と融合し、肉や臓器のように蠢く壁、床、天井が広がっていた。
それらは筋肉であるかのように定期的に収縮し、生物のような臭いを放っていた。
「……ダーム城は自分の肉体の一部だと、ダルドア本人が言っていたが、兵士や民間人達を次々にこの城に取り込んでいくことで、本当に見た目さえも血の通った生物のように作り変えられつつあるということか」
「薄気味悪いもんを見せやがる。さっさと通り過ぎようぜ。玉座の間はもうすぐなんだしよ」
外観は大きく変わっていたが、構造自体は変化はないことは幸いだった。
俺達は先ほどと同様の道を辿り、玉座の間を目指したが、進めば進むほど正気と邪気がぶつかり合っているかのような、衝撃が幾度も響き渡ってきていた。
そして通路の曲がり角を曲がり、目的地が目前まで迫った時だった。
どどずううううんっ!!!
城全体を揺るがすかのような凄まじい音がし、俺達は音の方向を見た。
そこには……俺達の視線の先に対峙するダルドアと、そしてガイラン陛下がいた。
「ひょーー! 恐ろしい使い手がおったもんじゃ。この世にシャリム以外にこれほど極限まで力と技を鍛え抜いた人間がおったとはのう! じゃが余には勝てん。なぜなら今の余は人の身であることを捨て去り、いかなる
ダルドアがそこまで言った時、俺はガイラン陛下の表情を見てはっとした。
陛下は確かに笑っていたが、それは俺ですら寒気を感じさせる、冷たい微笑みを放っていたからだ。
「ほう、では試してみますか、ダルドア国王。私としてはアールダン王国に手を出した貴方を討ち、報復しなくてはなりません。それが嫌なら国を捨てて、さっさと逃げ出すのが得策。どちらがよいですかな?」
「ひょーひょっひょ! 減らず口を叩く若造じゃのう! では存分に相手をしてやろう!」
ダルドアは高らかに笑い、内壁から無数に生えている蜘蛛の手足を伸ばすと、陛下に向けて攻撃を仕掛けた。
それに対し陛下は腰を低くして、静かに剣を構えたかと思った、その刹那。
「『牙神』!!」
それは一瞬のことであった。
陛下の姿がぶれたかのように見えた瞬間、陛下に迫っていた無数の蜘蛛の手足は、すべて肉片となって消し飛んだのだ。
「ひょっ……!?」
思わぬ結果に驚きを隠しきれないダルドアだったが、俺は心の底から嬉しさがこみ上げてきていた。
そう、これがガイラン陛下なのだ。
いかなる敵をも圧倒し、撃滅する常勝不敗にして地上最強の男。
たとえ敵が百メートルを越す化け物であっても陛下の前では何の意味もない。
「さて、では今度はこちらの番ということだな。抵抗するなら早々にすることをお勧めしよう、ダルドア国王。死んでから後悔しても、遅いですからな」
凄まじい殺気と気配が陛下から立ち昇りぱらぱらと天井や壁の破片が崩れ落ちた。
それを目の当たりにして陛下の言葉がはったりではないことに気付いたダルドアは部屋中を覆う粘液を自身の周囲へと、集中して集めさせた。
「シャリムは言っておった。余は比類なき超越者にして王の中の王の器であると。奴の言葉が偽りだったことなど、これまで一度としてないのじゃ。余はこれからシャリムらと共に海を渡り、遥か北の
更に膨張するかのように、城内から無尽蔵に生み出される粘液は足場すら奪うかのように城内部全体へと、どんどんと広がっていった。
そしてそれはじゅじゅっと俺達の靴を溶かし始めるが、膨張のスピードはなおも早まって、粘液の量を増やしていく。
「まずいですねえ。このままではそう遠くない内に床も壁も私達までもこのダーム城の一部として取り込まれてしまいますよ。早くダルドアを倒さなくては……私達は全滅です」
マクシムスが冷静に状況を分析していたが、俺はこの状況を目の当たりにしても不安も恐れも微塵も抱いてはいなかった。
この場に陛下がいて、元凶の敵と戦っておられる。それらの事実が示すのは俺達の勝利、その二文字しかないことを確信していたからだ。
「信じろ、陛下を。あの方は必ず勝つ。そうでなければ俺達が中途半端な横やりなど入れたとしても、どうすることも出来ない。俺は陛下の勝利に賭ける」
加勢を考えていたギスタとマクシムスも、俺の言葉でそれを取りやめた。
俺達が見据える先にいるダルドアから生じる大きく、それでいて強大な邪気。
離れていても分かるほど気が張り詰めている。それが極限まで達した時だった。
「さあ、続きといこうか、老いぼれ。我が奥義を躱せるかな?」
陛下は下段に取った剣を、そこから更に深く沈めて後ろに引いた。
渾身の一撃を繰り出すつもりだろう。そして……ついに陛下は動いた。
とうとう激闘の最終幕が、俺達の目の前で開けたのである。
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