第八話

「なっ……何だ! 地震か? いや……」


 俺は戦斧を片手に、すぐに行動に移った。ヴァイツも俺に続く。

 石の階段を駆け下り、音の発生地点へと急ぎ向かう。


「君の予想通りになったね。本当に何かが起きたみたいだ。でも、これって…!?」


 砦内部に降りた俺達の目の前に、待ち受けていたのは……人類を脅かし、世界の大半を覆い尽くす、災厄の具現、あの黒い霧だった。


「どういうこと? これって……あの霧だよね!?」


「そうらしいな。この国境砦内に霧が発生した。気を付けろ、だとしたら黒い霧は魔物ゴルグを生み出す。すでにここは戦場になったということだ!」


「予想外、だね。霧は普通、外気が大っぴらに入らない建物内部まで侵入することは滅多にないのに、こんなことが起きるなんて。ノルン……あいつ、無事だろうか」


「心配するな。あいつも男隊員に劣らず腕が立つ。そうそうやられはしないさ。だが、戦場では何が起きるか分からん。お前も兄として喧嘩したまま、死に分かれるのは後味が悪いだろう。霧の発生源を探りながら、ノルンとも合流するぞ」


「うん、だね。行こう!」


 俺達は妖精鉱のランプを手にすると、霧の中へと突入した。

 と、同時にあちらこちらから人の喧騒と唸り声のようなものが、聞こえ始めた。


 ――すでに戦いが始まっている。


 砦内の王国兵と黒騎士隊が、魔物ゴルグ達と戦闘状態にあるのだ。

 このような事態が起きた時のため、オセ騎士団長から砦内の見取り図を見せてもらっていたから、砦内の構造は頭に入っている。

 俺達がまず急ぎ向かうべき場所は、ギア王国宰相シャリム、奴の部屋だ。


 妖精鉱のランプで周囲を照らし、魔物ゴルグ達との戦闘を避けつつ、俺達はその目的の部屋の前まで辿り着いた。

 部屋の前には、黒騎士隊の隊員と王国兵と魔物ゴルグの死体が無数に転がっている。

 俺達は同胞の死を悼むと、扉を開け中を確認する。

 しかしそこにシャリムの姿はなかった。

 だが……代わりにそこにいたのは。俺達、いや、砦内全員に聞こえただろう。

 あまりにおぞましく……獰猛な……咆哮。それを発したこの世の者とは到底、思えないものが、霧の中からゆっくりと姿を現す。


「むっ! 離れろ、ヴァイツ!」


 強い殺気を感じた俺は、舌打ちしながら、その場から飛びのいた。

 その刹那、今、俺が立っていた床から鋭い刃が突き出した。

 俺の言葉に即座に反応したヴァイツも、辛うじてそれを回避する。

 そして俺とヴァイツは驚愕の眼差しで、それを見た。


 背中に蟹のような頭胸甲を持ち、体のいたるところから鋭いギザギザの刃らしきものが突出している。

 先ほどの鋭い刃だと思っていたのは実はそいつの爪で、左右に突き出した六本の腕……そしてそれぞれに六本の爪がついていた。


 だが……何よりも俺達を驚かせたのは心臓が外部に露出している上、皮膚の腐敗が進んでおり、脊椎までもが露出していることだった。

 更にむき出しの筋肉が、不気味に収縮を続けている。


「……ずいぶん不気味な外見だね。こいつも魔物ゴルグの一種なのか。今まで見たことのないタイプだけど、恐らく新種の……」


 ヴァイツは嫌悪感を感じさせる姿を持つ魔物ゴルグに思わず後退りそうになるが、俺は反対にずいっと前に進み出ると、一呼吸ついた。


「お前に恨みはないが、お前のような怪物を倒すのが俺の仕事だからな。ここで生かしておけば俺の仲間達に更に犠牲が出そうだ。悪く思うなよ、お前を抹殺する」


 俺は戦斧をその魔物ゴルグに向けた。

 すると化け物は床が揺れるほどの咆哮をあげて、俺に向かってくると、六本の腕のうち、二本を同時に繰り出してきた。

 手の指には大きな爪。それが俺へと迫る。

 だが、俺はカルギデ戦で使った攻撃に移る意識というものを完全に捨て去り、無の感情の境地にて戦う技『無拍子』でその攻撃を、易々と避けた。


 ――はずだった。


 次の瞬間、俺は左側の壁に叩きつけられていた。

 壁はその衝撃で大きく崩れ落ちる。


「アラケア!!」


 ヴァイツは叫んでいたが、崩れた石壁に埋まった俺が放つ『気』が大きく膨れ上がるのを感じ取り、すぐに安堵の表情を浮かべた。

 そして俺は瓦礫の中から平然と立ち上がると、誰に言うともなく言い放った。


「やれやれ、厄介だな。その触手のような腕、まるで鞭のごとく軌道が変幻自在という訳か。動きを見切るのは中々、難しそうだ。だが、だからこそ、ここで俺がお前と遭遇したのは幸運だったと言えるな」


 俺は埃で汚れた服装を手で払うと、怪物を険しい目で睨みつけた。

 そして俺は自身の姿が掻き消える程のスピードで間合いを一気に縮めると、奴を目掛けて戦斧を素早く一閃させた。


「ごるうぁがああああっ!!!」


 怪物は堪らず悲鳴のような咆哮を上げた。

 俺が一瞬にして怪物の腕二本を原型を留めないほどに斬り刻んだからである。

 そして刻まれた箇所から血が噴出し、怪物の周りに血がドクドクと溢れ、血だまりとなり、その目はまるで怒りと憎しみを写しているかのようである。


「見切れないなら、機先を制し、お前が仕掛ける前に攻撃してしまえばいい。さて、腕を二本失ってはお前の攻撃能力もいくらか落ちたようだが、次はどこがいい?」


「ぐるあぁああああああ……!!!」


 怒りの形相の怪物は叫びながら、目の前の俺を攻撃したつもりだった。

 だが、その前に俺は動いていた。

 すでに背後をとっていた俺は、怪物に戦斧を幾度も叩きつけた。

 ドカッ、バキッ、グシャ……

 その度に頭胸甲のような背面は砕かれ、血が噴出する。

 怪物は床に叩きつけられ、うつ伏せになり這いつくばった。


「さ、さすがだよ……アラケア。新種の魔物ゴルグが相手でもすぐに対応して撃退するなんて。やっぱり凄いよ、君は」


 ヴァイツはこの怪物に自分では敵わなかっただろうなと独り言ちるが、蹲っていた怪物の辺りに飛び散った肉片がずる、ずるっと動き始めた。

 そしてあっという間に集まり再生すると、再び立ち上がったのを見てヴァイツは思わず息を飲んだ。


「な、何だよこれ……この化け物、再生まで出来るってのかい……」


「だが、完全に元通り修復されたという訳ではなさそうだぞ、ヴァイツ。俺が与えたダメージはいくらか蓄積されているようだ。ならば全身丸ごと破壊するほどダメージを与えれば、今度は修復できまい」


 俺は目を閉じた。すると……俺の周辺から気の流れが生じた。


「これは……もしやアラケア、何かライゼルア家の奥義を?」


「ああ、とっておきだ。これを今まで実戦で使ったことはない。対象の肉体を確実に破壊するこの技であれば、奴を絶命に追い込める。下がっていろ、ヴァイツ。そこにいればお前も巻き込んでしまう」


「分かった、存分に戦ってくれ。でも、僕だって見届けさせてもらうよ、君の戦いを」


 ヴァイツはそう言うと俺の言葉に従い、部屋の隅まで移動し俺の構えを固唾を飲んで見守っている。目標の怪物は今も再生を続けている途中なのか、動くのを止めて憎々しげな目で、こちらを睨み付けていた。


「これから放つ技の名は『覇王影』だ。覚えておくんだな、怪物。……いくぞ!!」


 そして俺が戦斧を振るうと、俺自身の足元の影が大きく膨らんで、まるで「黒い魔獣のような形」へと変わっていく。

 そして怪物の全身を覇王影の巨大な影の手が掴むと……握り潰していった。

 怪物の肉体がまるで絞られた雑巾のように見える。

 ごりごり……ぐじゃぐじゃ……

 怪物の体が次第に音を立てて、握りつぶされていく。

 だが、怪物は抗うことも出来ず、体の各部から血が噴出し内臓が破裂した音と共に影の手の中に押し潰され見えなくなった。そして……。


 ――その時、他に誰もいなかったはずの部屋の外から、男の声がした。


「へえ、それがライゼルア家の奥義ってやつかい? 凄いものを見れちゃったなぁ。会えて嬉しいよ、アラケア君」


「お前は……」


 俺が振り向くと、開け放たれた入り口のドアに手をつきそこにいたのは……渦中の人物、シャリムだった。

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