第七話

 俺と黒騎士隊一行は一路、ギア王国との国境境にある国境砦へと向かっていた。

 だが、向かう先にはこれからの事をまるで暗示しているかのように、暗雲が立ち込めていたのが一層、俺の不安を掻き立てていた。


「……何事もなければいいが、やはりそういう訳にもいかないだろうな」


 それは幾千もの戦場を戦い抜いた戦闘者としての、勘のようなものだった。

 しかしそれによって、俺は馬を走らせる道中、決して逃れられない戦いが、国境砦で待ち受けているであろうことを、今からすでに予感していたのである。



 ◆◆



「ぶわっはっはっは、よく来おったな、ライゼルア家の若当主!」


 国境砦に到着した俺達が入り口の大門をくぐると、出迎えたのは壮年の男、ライゼルア家が先代当主の頃から親交があった、騎士団長のオセ殿だった。

 俺も子供の頃からよくしてもらっている。

 オセ殿が駆け寄り、俺達はかたく握手をする。


「ご壮健そうで何より、騎士団長殿。何やら一大事ということで黒騎士隊を率いて馳せ参じました。魔物ゴルグ退治は俺の専門ですから俺達が到着したからには敵兵がいかな怪物だろうと、好きにはさせません」


「それは頼もしいことだのう! ほう、ヴァイツとノルンも一緒か。二人とも黒騎士としてずいぶん様になってきたではないか」


「ご無沙汰しております、オセ騎士団長」


「お久しぶりでございます、オセ様」


 ヴァイツとノルンが頭を下げる。


「それでどうなっているのです? 状況は?」


 俺は単刀直入に聞いたが、その表情を見ただけで状況を悟ってしまった。


「……うぅむ、まあな。見てもらった方が早い。ついて来てくれ」


 オセ騎士団長の後に続いて、石の階段を上っていくと、国境砦の屋上へと出る。

 辺りはすでに夕暮れに差し掛かっていた。まもなく夜が訪れようとしている。


 屋上から国境沿いを見下ろすと、確かに報告で聞いていた赤い全身甲冑の兵士達が国境に沿って、横並びに整列している。

 ここからでも兵達の獣のような唸り声が聞こえ、その体格は大きくいずれの兵士も二、三メートルはあった。


「どうじゃ、アラケアよ。今の緊迫した状況を分かってくれたか? 奴らああして整列しているだけで何もしてこないが、あんな兵どもを国境ぎりぎりに配置されておっては、安心など出来ん。一触即発な状況には変わらんのだ」


 オセ騎士団長は眼下を見下ろしながら、忌々しげに呟く。


「兵数は大よそ百人と言った所ですか。多くはないですが、あれが人ならざる兵となれば確かに話は違ってくる。ただ……なぜギア王国は今、我々に仕掛けてきているのか。五十年周期で奴らも黒い霧の対処に追われているはず。ギア王国も我々と戦争になれば、人と魔物ゴルグの両方を相手にしなくてはならず、奴らにはそんな余裕があるというのでしょうか」


「ああ……そのことなんじゃがな。今、文官たちが接客しているが……見てみるか? 今、来ている相手を……」


「来ているのですか? 誰です、相手は?」


「では、こっちへ来るがいい。それから一応、気配を消してな。文官達も相手をするのに苦労をしておるようじゃが、お前も敵を知るには、顔を見ておくべきだろう……」


 俺はオセ騎士団長の後を追うと、案内された別棟の部屋にかかっているカーテンを静かに開けた。

 ここからなら相手も分からない。そして俺はそっと相手を見始めた。


(あ、あれは……)


 俺は目を疑った。その相手とは……。

 別室にいて文官の者達と歓談している人物は、ギア王国国王の懐刀であり、王国の実質ナンバー二でもある現宰相。

 赤みがかった髪に、同色の双眸を持ち、暗色の上質の服を身に纏ったその男は紛れもなく……。


「シャリム……」


「ああ、宰相だ。奴が何を考えているのかワシにも読めん。護衛も連れず、たった一人だけで国境砦にやって来おった。しかも何か要求する訳でもなし、何気ない話をしているだけだからのう」


 そんな俺達の会話をよそに、別室での会談は進んでいた。


「さすがに宰相をお勤めになられるシャリム殿ですな。貴方ほどの方が右腕でいてくださるなら、ギア王国の国王陛下もさぞ頼もしいことでしょう」


 文官は当り障りの無い言葉を選んで、シャリムに話し掛けている。


「いやいや……最近は我が国も物騒でしてねぇ。黒い霧の広がりと魔物ゴルグ討伐に追われて、予断を許さない状況なんですよ。王国内ではいつになったら平和が訪れるのか、そんな意見が多いのです。陛下も貴国との友好関係を結んで、共に世界を蝕む黒い霧の脅威に立ち向かいたいと、そう言っておられます。ですから、私もそのための橋渡しをしたいと、尽力しているのですよ」


(……のう、どう思う? 我々に何を要求しているのか、まったく分からん)


 オセ騎士団長は、俺に小さな声で話し掛けた。


(宰相が自らここに来たからには、やはり思惑があるはずです。恐らく……推測ですが、これから何かを起こすつもりかもしれません。何か事が起きても、奴から目を離さない方がいいでしょう。いざとなれば人質に使うことも出来ますから。ただ一人で来たということは何か切り札を持っている可能性があります)


(そうか、だが奴が来てからも警備は怠っておらん。外からの敵襲に関して、砦の警備は万全じゃ。まもなく夜になるが、奴は今日はここに滞在するそうじゃ。大胆じゃがのう。お前の言うように今日は一晩、奴の部屋を見張っておくとしよう)



 ◆◆



 日が沈むと、国境砦の灯りが消え、一日が終わろうとしていた。

 シャリムは国賓として部屋に案内され、文官達も各々の部屋に戻り、見回りの兵士達の声だけが聞こえている。

 今夜にでもギア王国が何かを仕掛けてくる可能性を考え、俺と黒騎士隊は砦の兵士に混ざり警備に当たっていた。


「外の赤甲冑の兵士達にも動きはないようだね。唸り声が聞こえてるだけだ。でも、アラケアの読みではそうは思ってない。宰相が滞在してる間に、何かが起きると見ているんだよね」


 国境砦の屋上で、俺の隣に立つヴァイツが声をかけてくる。


「ああ、宰相が動くからには意味があるはずだ。今、何も起きていないようで、俺達は攻められているのかもしれんぞ」


「君の勘か。宰相シャリムの部屋の前には、黒騎士隊の隊員を数人配置してあるし宰相が何か起こすにしても、すぐに身柄を確保できる用意はしてある。願わくはこの警備体制を維持したまま、何事もなく朝が訪れてくれることだね」


「ああ、このまま無事に朝を迎えられればいいんだがな……」


 俺は事が起きるのを危惧していたが……少しずつ……少しずつ…恐怖が忍び寄っていたことに気づかなかった。



 ◆◆



 シャリムにあてがわれた国賓用の部屋。本立には沢山の本がある。

 彼はその中の一つを取って読み始めたが、その時だった……。

 不意にどこからか女性の声がした。


(シャリム様……)


「エリクシアか……どうしたんだい……?」


(はい……今日の夕暮れ頃、国境砦にシャリム様の読み通り、ライゼルア家の当主アラケアがやってきたようです。先ほども別棟の部屋からシャリム様達の話を聞いていました。どうやら彼は今夜、私達が襲撃を仕掛けると見ているようです)


「ふーん、勘がいいなぁ。けど僕らの目的はで今まで彼の到着を待っていただなんて、夢にも思わないだろうねぇ」


 姿の見えない何者かは黙って、シャリムの声に耳を傾ける。


「ああ、だけどこれで準備は整った訳だねぇ。僕らの新兵器のお披露目だ。ふふっ……アラケア君も楽しんでくれれば幸いだよ。始めてくれ、エリクシア」


(はっ……ではシャリム様のお望みのままに)


「頼んだよ……エリクシア」


(御意)


 そうして何者かの気配が消えていった。

 それを合図とするかのように、数刻して突然地響きがし、あっという間に国境砦内部から黒煙が噴き出したのである。

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