記憶 (現代ドラマ、作者:湯煙)

 ……リリリリン、リリリリン、リン、リ、リ、リ、リー、リン、リ、リー、リン、リ、リー、リン、リ、リン、リ、リー……


 有名なテーマパークで人気者のテーマ曲、この軽快なマーチが、私はとっても好きだった。お兄ちゃんと喧嘩して、べそをかいていても、この曲を聴くと私は笑顔になった。


 「だから、いつでもすぐ聴かせられるように、オルゴールを買ったのよ」


 そうだった。私のそばにはいつもこの音があったのよね。


 明るく楽しい曲でも、オルゴールで聴くと、可愛らしくて、だけどどこか寂しいような曲に感じる。もちろん好きなのは変わらないけれど、そう思う。


 ……幼いころの私はどう感じていたのかな?


 この部屋には、ずいぶん久しぶりに入ったわ。でも、昔とまったく変わらないのよね。

 繕いものに使っていた卓上ミシンが置いてある小さな低い机があって、その前には座布団が敷かれている。机の横には仏壇があるけれど、今ではたまにしか蝋燭は灯らない。他には小さな窓があるだけの和室。日が射してる時間でも少し湿ってるような、涼しい空気。線香の香りが混じったこの部屋の匂いもとても懐かしい。


 滅多に人が来ないから落ち着いて裁縫仕事しやすいと言って、ここにいつも居るものだから、何か用があるとこの部屋を最初に探していたわ。お腹が空いた、お気に入りのおもちゃが見当たらない、勉強が判らない、お兄ちゃんが虐めた、いろんな用事のたびにここに来たのよ。


 そのたびに、私はこのオルゴールの音を聴いたの。とにかく私が元気になるようにって頭をやんわりと撫でながら聴かせて、気持ちの落ち着いた私の話を微笑んで聞いてくれるの。温かさが伝わる手の感触が嬉しかった。


 ……知ってる? 私はあの時間がとても幸せだったのよ?


 でもこの部屋の主人は、もうここには居ない。この部屋は一人で過ごすにはいろいろと不便だからって、居間の横の広い部屋へ、この部屋の主は移されている。そこなら何かあってもすぐ誰かが相手できるから……仕方ないわよね。


 今年三歳になった娘もこの曲が好き。

 だから、今この手にあるのとは別に、娘のためのオルゴールを買って渡したわ。

 これはだいぶ汚れて塗装もはげてるし、力加減を間違えると蓋も壊れそうですもの。


 居間では、娘がオルゴールを鳴らすたびに、笑顔で頭を撫でるわよね。あれは幼いころ私に向けられていた笑顔と仕草。

 私のことは判らなくなって、娘が私に見えてるのよね。


 だから、このオルゴールもこの部屋に置いておくね。

 このオルゴールの居場所はここなの。


 ……ここになきゃダメなのよ。


 最後にもう一度だけ聞こうかしら。


 ゆっくりと慎重に蓋を開けると、あの頃と変わらない曲。

 この空気に馴染んだ可愛らしくて儚い音色。


 部屋の外に流れるこの音を聴いてくれているかしら……。


 ……リリリリン、リリリリン、リン、リ、リ、リ、リー、リン、リ、リー、リン、リ、リー、リン、リ、リン、リ、リー……


 今、この胸から溢れ、この部屋に満たされてる私の想いが、このオルゴールの中に眠る曲と一緒にたたずんで欲しい。


 ――私は、そっと蓋を閉じ、部屋の電気を消した。

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