アイしてる (恋愛、作者:六月菜摘)
アイなんて信じない。何処にもない。
彼はいつも私に告げる。「君を永遠に愛す」
そんなこと、よく真顔で言えるなぁ。
私はそれに返答しない。
「一生君をアイス」に聞こえて、ひんやりしてしまうんだ。
アイなんて信じない。信じても消えていく。
*
ゆらゆらゆったり横切る、紙飛行機をぼんやり見てた。
「わぁー、先生すごーい」
「どうやったらあんなに長いこと落ちないの?」
はっと気づくと、クラス中のこどもたちが、校庭で思い思いに自分たちの紙飛行機を飛ばしている。飛ばしているというより、すぐ落下させている、かな。
まずその折り方のテキトーさ加減がこどもらしいというか。ね、君たち、飛ばす気ある?
私は今、教育実習で母校の小学2年生のクラスに参加している。
まさかね、こんな偶然ってあるんだ。いや、仕組まれたのかな。
目の前に、昨晩も至近距離で私にアイをささやいた彼が、こどもたちに囲まれている。彼はこのクラスの担任の先生。こどもたちを見る目が優しくて、こんな顔するんだって発見した。
「ほら、こうして端っこを折り返すとね、もっと飛びますよ」
語りかける声が響く。そんなほほえましい光景を見ながら、私は、空色の紙を手に取る。
画用紙の方がしっかりしてるから、空を切って上手に飛びそうな気がしたんだけど、彼は「いや、コピー用紙がいいんだよ」と微笑んだ。
備品室に取りに行って、白だけじゃ味気ないから、色つきの紙もたくさん持って来ちゃった。
朝礼台に広げて、あの飛行機を折っていく。左右をきちんと合わせて、一回ずつに線をつけながら、ていねいに願いをこめて。そして秘密のスパイスをかける。
小学生なら目を輝かせてくれるだろう、と期待しながら。
あの日、私の心を一瞬でトラエタ、彼が私の前で見せてくれた飛行機を。
ただの小さな紙が、姿を変える。
くるっと回って帰ってきた時の、胸の高鳴り。
せんせー、すげぇー。
飛行機もどってきたー。
わぁー、Uターン。
そう。ブーメラン飛行機の完成だ。
*
ずっとすきだったあなたに、信じていたあなたに、実は裏切られてると知った時、私の愛は終わっていた。それから私は「愛」という漢字が嫌いになった。この時からカタカナに変わったアイ。私の名前も同時に。
それなのに、確かめたくなる、私へのアイ。だから私は彼にたくさんわがままを言う。甘えたふりで、背中からしがみつく。
「アイ、君はいつまでもこどもっぽくて、可愛いな」
そんな熱をこめた目で見ないでよ。していることは、もうこども向けじゃないのに。
報われない思い、届かないきもち。それでも私は知らない振りをして、キスをせがむ。それを合図とばかりに、彼は私を組み伏せてくる。
ね、みんなの先生は、みんなの知らないところで、こんなことしているんだよ。いくら紳士然としてたって、大人の男だからね、幻滅しちゃだめだよ。
アイよりも、肌の熱さを信じたくなる。私だけが知っていたかった、ほとばしる情熱。
*
「えー、アイ先生って、ナオ先生の彼女なのぉー?」
早熟な女の子たちの視線が一斉に私に向く。あはは、小2でも女は女だ。
そうだよ、とは言えない。こどもに嘘はいけないからね。
「君を永遠に愛す」は「アイ、いつまでも一緒にいよう」と同義語ではない。
どんなに想っていても、願っても、駄々をこねても、しがみついても、アイなんて手に入らない。いつかあなたたちにもわかる時が来るよ。
ずっとあなたの特別だとカンチガイして、私は自分の人生がすきだった。
あなたによって人生はいつも華やかに塗られていたから。
突然にモノクロになる世界。あんなにあった私の色は、一体どこに散らばってしまったの?
あなたの永遠は、すぐそこで止まってる。
*
「アイ先生、みみちゃんが!」
少年が指差す方向を見ると、鉄棒の下で少女がうずくまっている。
見渡しても担任の彼はいない。とにかく保健室だ。
「おいで。立てる?」首を振る少女に、昔の自分が重なる。
「じゃあ、背中に乗って」
あったかい背中。すがりつく小さな手。守りたくなる存在。
私も彼にとっては、そうだっただろうか。あの出会った日からずっと。
*
職員室であの人が報告していた。花束をもらって嬉しそうに、結婚の報告を。
相手はナオじゃない人。じゃあ、どうして一緒にいたの? 何度も何度も見かけたよ。
「あの先生、結婚するんだね」
「ああ、なかなか相手が本気になってくれないって相談受けてたんだ。彼女の結婚相手、俺と大学の同期だから」
そうなんだ。だから会っていた。それだけだったの? あなたの目をのぞきこむ。目の色では判断がつかないけど、祝福しているのかな。
*
「一見、何の変哲もない飛行機なんですけどね」
「せんせー、ヘンテツって何ですかー」
「ヘンコツかなぁ?」
「どこにでもある、という意味ですよ。これにね、左右の翼の折り方を少し工夫するだけでいいんです」
みんなが魔法使いの講義を聴くみたいに、嬉しそうに集まる。
「そうそう、あとはちょっとしたコツなんだよね。飛ばし方なんだ。腕をこうひねってね」
あれからずっと紙飛行機ブームが続いてる。みんな時間があれば飛ばしている。どんどん上手になっていくね。こどもの習得力は侮れないな。
*
「お世話になりました。みんなありがとう」
お手紙をくれる子がいたり、クラス全員で合唱して送り出してくれると、先生だって泣けてきちゃうのだ。あっと言う間のひと月だったね。
ありがとう。やっと決心がついたよ。私は、折り方を変える。
本当にすきな人なら、信じようと思う。戻ってくる飛行機のように。
たとえ裏切られても、自分のきもちを最大限に託してみよう。
もう、中途半端な落ち方をするものは、私の人生にはいらないんだ。
アイをもう一度愛に変えられるように、ちゃんと歩いていく。相手のアイではなく、自分の愛で。
*
実習の最後の日、校庭がブーメラン飛行機でいっぱいになった。
昼休みの校庭を三階の教室から眺めていた私は、思わずその光景ごと抱きしめたくなってしまった。
私が準備した、色彩り彩りのパステルカラーで折られた飛行機たち。私の世界にも色が戻ってくる。
彼がそっと横に立つ。私の方を向いて、はじめてこう言った。
「アイしてる」
その言葉は、私の中に帰着して、私の氷をとかしていく。
アイスから、アイしてるに変換。今を生きていく言葉。
アイしてるが「愛してる」に、あったまっていく。
そして、私も、尚の目を見て、はじめて伝える。
「あなたを誰よりも愛しています」
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