電書の瘤取り瘤取らず
「美味そうに食うなあ、お前」
「は! それは、光栄であります。は!」
昔話や英雄譚のお約束に反し、鬼の前では人間は無力な虫けらでしかない。我ながら返事は恭順なものだった。
※※
「おい、不良! 魚類をいじめるな。我々の遠い先祖かもしれんのだ」
肝臓の具合を心配するほどに緑黒く色素が沈着した顔に大きな目。正体はゴブリンかはたまた猫目少年かといった様相の少年は双眸を見開いて、私を睥睨した。
別にこんなガキにこだわる義理はない。
瞬間的に私はそう思った。それは自己防衛精神によるものだったのだろうか。上げた拳は下ろせばよいのだ。私は他人の事情にわざわざ口を出して面倒を被った夜も良い夢を布団の中で見れるほど、気位の低い人間ではない。
「――僕は殺意と悪意の塊なんであまり刺激しないでいただきたいんです」
ネコ目ゴブリン科少年の声は、その外見に反して年相応の幼さを残したものだった。
川面にはねた金魚の鮮やかさに反して、少年の顔色は暗い。
「刺激っていうのはどてっぱらを無機質な木べらで突かれるようなことを言うんだ、 甘ったれめ。聖書を読め、コーランを読め、般若心経を掌に書いて呑め」
私は記者である。だからポケットにはいつだって手帳とペンと文庫本がある。そのほかにICレコーダーとフリスクのミント味、くしゃくしゃになったレシートもある。まあ要するに、その日たまたま読んでいたのが岩並文庫の『わかりやすい宗教史(中)』だったため、たまたまそんなセリフが口をついて出たわけである。
「甘ったれの大人に甘ったれといわれた。本を読まねばやっていられない」
ぼそぼそ独りごちながら、少年は懐からタブレット端末を取り出し、こちらに画面を向けて電源を入れた。たちまち1200万画素を覆いつくしたのは白い原稿用紙。その見開きに描かれているのは大火を取り囲んで遮二無二踊り狂う還暦過ぎの翁と赤ら顔の青鬼と赤鬼。
「『こぶとりじいさん』じゃないか――
そういう間に、私は端末の中に滑り込んでいた。
とまあそういった経緯で、私はタブレット端末の中に入ってしまったのである。
ところで――君は間近で鬼を見たことがあるか。奴らの肌にはびっしりと太い体毛が生えており、その1本1本が海外カートゥーンの巨大猫類のようなツヤツヤした質感で、いやに存在を主張しつつ目の前に飛び出してくるのだ。二の腕は丸太のように太く、胴は大木のように
だが、鬼の宴に飛び込んだ私は瘤つき老人以上に鬼たちの興味をそそったらしい。同時にピラルクーも吸い込まれてきたことも私の利となった。
「こいつをお土産として持参いたしました。 一度三国の力自慢を挫き、三国の姫を娶る御鬼様の宴に私の芸をお見せしたかったのです」
そういって手をもむ私の動作は、やはり妙にアメリカカートゥーンを思わせる彼らのセンスにぴたりと合致したらしい。気づけば鬼にとられた瘤取り翁の瘤はへそのあたりに再度連結され、ヘルニア翁は泣きながらどこかへ駆けて行ってしまった。そうして私はタモを火に掲げてこんがり素焼きにし、鬼にふるまいつつ、自分もご相伴に預かることになったのである。
だが、平家の時代からの伝統か。蜜月は長くは続かない。赤鬼は言う。
「おいお前、なにか芸をやってみろ」
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