第39話:彼の夢はここにあります
父の過去と緋色の名前の由来を知った。
どこか晴れやかな顔をする緋色だった、が。
「そうだ。緋色。アンタはどうするつもりなの?」
奈保は改めて確認するように、緋色に問う。
「何が?」
「この村で一生を終える気なのかって話よ。私はここが好きだからここで暮らしている。でも、緋色はどうなの? まだ都会に未練があるんでしょう?」
「え? あ、あぁ。そりゃ、そうだが」
「前から言おうと思ってたの。アンタが好きな都会に行きたいなら止めはしない」
「――!?」
それは緋色にとっても寝耳に水のような、母からの言葉だった。
都会に行きたい。
それは彼の夢であり、憧れだった。
「何を今さら……?」
「あの人が亡くなって、このお店に縛り付けて悪かったなぁ、というのは常々思ってたのよ。年頃の男の子だもの。将来の夢もあったでしょう」
「緋色の将来の夢ってなんです?」
「都会でビックなスターになるとか。アイドル歌手になりたいとか」
「どこの昭和時代の子供の夢だ、それ。そんなのはねぇよ」
唖然とする緋色は「俺を何だと思ってやがる」と否定する。
特に村を出てやりたい夢があったわけではない。
ただ、この窮屈な箱庭のような世界から出てみたかっただけだ。
「いきなり何だよ。俺の自由にしろってか」
「選択肢の話よ。お店を続けるもよし。都会に行ってみたいならそれもいい。若いうちに外の世界を知るのもいいことだわ」
あまりにも突然の話に緋色は戸惑いを隠せない。
「あ、あのなぁ。俺がいなくなったらこの店のコーヒーは誰が淹れるんだ」
「それよ、それ。実はね、こんなものを取り寄せてみました」
それは先ほど見ていたパンフレットだった。
一面にコーヒーメーカーが掲載されている。
「最新の業務用のコーヒーマシンよ。ボタンひとつで挽きたての美味しいコーヒーが淹れられるの。全自動でお手軽簡単に本格的な一杯、どう?」
「――!」
「あー、これってコンビニとかにもあるやつ?」
「そうそう。今時の最新のはボタンひとつで、ちゃんと豆から挽いた本格派のコーヒーが楽しめるんだって。ただのインタストコーヒーじゃないのよ」
「おい、待て。ちょい待て。え?」
「緋色の使ってる本格的なコーヒーメーカーで淹れるコーヒーも、これならボタンひとつであっという間に出来ちゃう。これなら私でもできるわよね」
「ボタンひとつで、って連呼するなぁ!?」
本格的なコーヒーを淹れるのにどれだけの努力が必要か。
コーヒーへのこだわりや、プロの味を簡単に再現されるとか言われると不愉快だ。
緋色は失笑気味に鼻で笑いながら、
「はっ。そーいう業務用の機械は美味いコーヒーを淹れる実力がない喫茶店とかでよく使うやつだろ。俺は自分のこだわりの豆を、培った技術で……」
「でも、お客さんってコーヒーはお手軽に飲みたい人も多いんじゃない? だから、コンビニコーヒーも流行ってるわけだし」
「あんなのと一緒にするな」
「緋色のコーヒーは美味しいけど、時間もかかるもん。お手軽さも必要でしょ」
「というわけで、緋色。ユー、いらないから好きにしなさいよ?」
緋色の存在を全否定するかのような発言。
機械任せで簡単にコーヒーが淹れられたら、彼が喫茶店に残る必要性はない。
きょとんとする緋色は母親に対して、
「お、俺のモットーは人の記憶に残るような一杯を淹れることなんだよ」
「ふーん。そーですか」
「いいか、そんなボタンをぽちっと押せば出てくるようなやつじゃなくてな。じっくり、丁寧に厳選した素材をこだわりを持って淹れるのがいいんだよ」
「……ふふっ」
「わ、笑うんじゃない。待ってろ、今、本当に美味しいコーヒーを淹れてきてやる。偽物と本物の違いってやつを教えてやるぜ」
「あー、緋色。私はカフェオレねぇ」
「分かってんよ。待ってろよ、本物の味を見せてやる」
焦ってるような、不満そうな顔をしながら彼はキッチンの奥へと逃げ去る。
さすがの緋色もこの展開は予想外のようだ。
その様子を見ていた二人は顔を見合わせて笑う。
「ふふっ、あははっ。何、あの子の顔を見た?」
「ものすっごく焦ってました」
「ホントよねぇ。まぁ、こういう機械を入れたらお店のことはどーにでもなるってことなんだけど。あの子、ホントにどうしたいのかなぁ」
お店に、この村に。
長い人生のある子を縛り付けたくない。
それは奈保の本心でもある。
――やっぱり、お母さんなんだなぁ。
まだまだ若い息子の未来を考えての発言でもあった。
母として子供を想う気持ちが伝わる。
「大丈夫ですよ」
「え?」
朝陽は奈保に微笑みながら言う。
「緋色はお店が好きなんです。憧れるだけの都会よりもずっと、思い入れもあるし、大事にしてます。この村だってそう。何もないけど、好きなんです」
「朝陽ちゃん……」
「喫茶店も村のことも、好き。それは両親も同じように好きな場所だから好きになった。だから、緋色は村を捨てて、出ていったりしませんよ」
それは数ヵ月間、一緒にいてきたからこそ分かること。
何もない、と口癖のように悪態つく、この村のことも。
父親の死がきっかけで押し付けられたような形になった喫茶店も。
緋色は受け止めて、好きになっている。
「お店でお客さん達に美味しいコーヒーを淹れる。それが緋色の日常で、自分の人生の一部になってる。だから、彼の夢はここにあります」
「……」
「そーいう純粋で真っすぐなところ、緋色はちゃんと持ってるでしょう? 私、緋色のこうと決めてたらブレないところも好きですよ」
口では何とでも言うけども。
心に決めたことはブレず、真っすぐなのが緋色の性格だ。
「……えいっ」
「きゃっ。な、奈保さん?」
ぎゅっと強く彼女に抱きしめられた。
それは母が娘に与える愛情のような温もり。
どこか照れくさくなる。
「ありがとう。緋色のことをそこまで分かってくれて」
「えへへ。私は緋色の恋人ですもん」
「あの子の恋人が朝陽ちゃんでホントによかった。緋色は朝陽ちゃんと再会して変わった気がする。少しだけ大人になってたような気がするわ」
「子供じみた意地悪ばかりしますけど」
「それは好きな子いじめに近いわね。きっと朝陽ちゃんの気を惹きたいのよ」
奈保は息子の事を理解してくれていることが何よりも嬉しかった。
恋人がこの子でよかった、と本心から思う。
「……あの子、さっき道弘さんと同じようなことを言ってたわねぇ。子は親の背を見て育つ。いろんな意味で、道弘さんの想いは繋がって、引き継がれてるわ」
「ですね。緋色が淹れてくれるコーヒーを待ちましょう」
「アイツの自信を打ち砕いてやらないとなぁ。この程度かぁって」
「うわぁ。奈保さん、ひどいや。あははっ」
和やかな雰囲気で緋色を待つ。
人の記憶に残るようなコーヒーを淹れたい。
緋色にとっての居場所はこの小さな村にあるようだった――。
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