第37話:お嬢は時々、マシなことをする



 朝陽の問いに彼女は「昔のことよ」と過去を振り返りながら、


「奈保と道宏さんが出会ったのは私が結婚した後だから、20歳くらいの頃ね。都会から温泉宿に来る人って結構多いのだけど。当時、彼は失意のどん底にいたわ」

「え、どういうことですか?」

「何やら仕事の方がうまくいっていない様子で落ち込んでたみたい」

「エリートさんなのに」

「それゆえに、かしら」


 一流企業に勤めていれば、出世争いや人間関係で苦しむこともある。


「傷心旅行、みたいな感じだったかな。奈保はそんな彼を連れて村を案内して励ましてあげてね。気づいたらすごく仲良くなっていた」

「奈保さんの一目惚れだったということですか?」


 小さく頷いて「あの子、昔から年上好きだったの」と笑いながら答えた。

 桔梗いわく、初恋は小学校の先生だったそうだ。

 当時から大人びた恋をする人だったらしい。


「当時、道宏さんは結婚を約束した人がいたらしいんだけど、仕事の失敗でそれもダメになってしまったそうよ」

「何もかも失い、どん底に落ちたわけだ。うちの親父は」

「人間、失意の時ほど傍にいてくれる人に惹かれるものでしょ?」

「弱ったところを確実に仕留めたということか……ハンターだな」

「言い方に気を付けようよ、緋色」


 自分の両親の話で気恥ずかしいだけだろうけど。

 そんな彼に桔梗はくすっと微笑みながら、


「緋色くんは道宏さんに似てるわ。容姿も真面目な性格もそっくり」

「……真面目。緋色の評価で初めて聞く評価かも」

「おい。お嬢にだけは言われたくないぜ」

「あら、真面目じゃない。こんな風にお父さんの話を聞くってことは、緋色くんなりにいろんな考えがあってのことでしょう? ねぇ、朝陽さん?」

「はい?」


 朝陽がワケも分からず不思議そうな顔をすると、


「あらぁ、この子はまだ気づいてない様子?」

「お嬢はお嬢なので気づくわけもなく」

「どういうこと?」

「ふふっ。そう言うことか。奈保もまだまだ後押しが足りてないのかも。緋色くんもこれから頑張らないといけないわねぇ」

「う、うぐっ」


 桔梗の微笑みに緋色は戸惑っているようだった。

 

――どうしたんでしょうか、緋色は……?


 こんな姿の彼は初めて見る。


「俺の事はいいんで話を戻して良いですか」

「ふふっ。そうね、それは貴方達の問題だもの」

「えっと、緋色のお父さんは都会住まいだったんでしょ?」


 都会を捨てて田舎に来る決意と覚悟。


「ここに来た一番の理由は、奈保さんがいたから?」

「えぇ。奈保はこの村を出たがらなくて、それで彼も決意したの」


 仕事をやめて、田舎町に喫茶店を開くことにしたそうだ。

 元から喫茶店を経営するのも夢のひとつだったそう。


「ちょうど都会の喧騒に疲れて、新しい居場所を探していたのかもしれないわね。そして、あの子達は結婚したのよ」

「愛さえあれば。年の差を乗り越えたんですね」

「奈保の両親も年の差婚だったらしくてそこは反対されなかったみたい。村の皆からも祝福されて、幸せな日常を手に入れたわけね」


 その頃、温泉街も賑わうようになり、喫茶店の方の経営も順調に進んでいた。

 緋色も生まれて家族ができて、この村は彼の居場所になった。


「……親父は、母さんと結婚してこんな田舎に住む事を望んでいたのか」

「田舎ねぇ。緋色くんはそんなに田舎は嫌い?」

「何もないから、つまらないだけですよ」

「道宏さんは『都会よりも住みやすくて素敵な場所だ』って口癖のように言ってたわ」

「私もここが良いと思うよ。都会は時間の流れが速すぎて私にはついていけないもん。これくらいゆっくりと流れる方が私は好きだな」

「緋色くんが都会に憧れるのも分かるけど、価値観って言うのは人それぞれだもの」


 時間の流れが大きく違う。

 都会が合ってる人もいれば田舎が合う人間もいる。


「ふたりが決めて、ふたりが歩んだ人生。道宏さんもあんな事で亡くなってしまうなんて思わなかったけども、良い人生だったんじゃないかしら」

「そうですね。一番大事なのは、幸せだったかと言うことだもん」


 好きな人と出会い、好きな人と人生を歩んでいく。

 人生の最後によかったと思える選択が一番だから。





 桔梗から聞けた話は有力な情報だった。


「……」


 旅館からの帰り道、緋色はずっと何かを考えている様子だった。


「緋色?」

「親父がここに求めたもの。それは名水であったり、人間関係であったり。色々な想いがあったんだなって知ったんだ」

「そうだねぇ。どんな場所でも気に入らなきゃ住まないよ」


 緋色の父がこの場所を好きになったのが一番の理由だった。

 それは緋色の知らない真実でもあったようで。


「親父はすごかったんだな。都会を捨てる選択。同じ立場なら俺にできるか」


 と、彼にしては珍しく感心しているのだった。


「いい機会になったんじゃない」

「あん?」

「他人の過去を知る。自分を見つめなおす。普段はしないことだから、してみたら面白かったでしょ?」

「まぁ、暇つぶし程度にはなったかもな」


 彼は朝陽の髪をくしゃっと撫でながら、


「お嬢は時々、マシなことをする」

「素直に褒めてー」

「はいはい。……で、最後は母さんか」

「真実の答え合わせ、しにいこうよ」

「あぁ、そうだな」


 朝陽が手を差し出すと緋色は黙って握りしめる。

 

――その手が少し震えているのは気のせい?


 緊張してるというわけでもなさそうだが。

 彼には彼なりに思う所がある様子。


「さぁ、奈保さんに会いに行きましょうか――」

 

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