第29話:私の居場所はこの意地悪な人の傍なのです


 お花見という時間はいつもとは違う素敵な時間だ。

 綺麗な桜の花を眺めるだけでも、楽しい時間が流れていく。


「綺麗なお花、ずっと見ていたい」


 桜並木の風景を眺めているだけで癒される。


「そう言えば、アサちゃんはもうすぐ帰っちゃうんだっけ」


 ふとした、弥子の言葉に朝陽はうぐっと言葉を詰まらせてしまう。

 

――うぇーん、避け続けた話題が来たー。


 そう、黙っていただけで彼女の環境は何も変わっていないのである。

 現在、無職……将来の目標もなし。

 このままではいけないと旅に出たのが少しだけ前の話。

 それから何か進展したわけでもない。


「そ、それなんだけどね。私、ちょっと誤魔化してたというか」

「ん? この春から大学生なんだよね?」

「俺も弥子からそう聞いたが?」

「えぐっ。じ、実は……もごもご」

「はっきりしゃべれ」

「は、はひ。私、大学受験に失敗してただの無職さんなのです」


 朝陽は気恥ずかしくて言い辛そうにそう呟いた。


「もう一度、言ってみ?」

「そ、その顔、嫌いっ。意地悪な緋色!」

「なんだよ、お嬢。大学生じゃないどころか、無職か。ニートってやつか」

「言わないでー。ぐすっ」

「え? ホントに大学生じゃないの? もしかして、私の早とちりだった?」

「うぅ、恥ずかしくて言いだせませんでした。ごめんなさい」


 嘘を重ねて誤魔化して。

 

――ごめんなさい。人間って弱い生き物なのです。


 見栄や嘘をつきたくなるのも人情である。


「てっきり、アサちゃんは大学生になるんだって思いこんでた」

「はぁ、このお嬢が大学生なんておかしいと思ってたんだよな」

「緋色、この件に関しては地味にデリケートな話題だからいじらないでください。お願いします。じゃないと、私は本気で泣くかも」


 さすがの緋色もそれ以上は空気を読んで深くは追及しなかった。

 

――平気でいじってくれますが、これでも普通に落ち込んでるんだからね。


 その心の傷は村の来訪で多少は癒えたが完全回復ではない。


「沙羅ちゃんからも提案されたんだけどね。私はもうしばらくこの村にいようと思うんです。ダメでしょうか?」

「いいに決まってるじゃん、アサちゃん。でも、それでいいの?」

「うん。……せっかく皆とも仲良くなれたし。それにお友達がたくさんいる場所の方が私にとっても居心地がいいんだもん」


 朝陽自身がここに来て、少しだけでも成長できたような気がする。

 わざとらしく緋色がにやけ面をして、


「都会では一人寂しい“ぼっち人生”を送ってたのか、お嬢」

「う、うるさいなぁ」

「友達少なそうだもんなぁ」

「ぐ、ぐぬぬ。緋色は人をイジメるのが趣味なんですか。悪趣味ですよっ」

「今さらじゃない。この日暮緋色と言う男は昔からそう言う男よ」


 淡々とした沙羅の言葉に「そこまで言うか」と緋色はげんなりとする。


「お嬢の人生だからな。どうしたいかは自分で決めるものだろ。どこが自分の居場所なのかも含めてお前が決断するものだろう」

「いいの? 最初はここに来た瞬間に村から出ていけって言ってたのに?」


 あれだけ拒んでた緋色があっさりと認めてくれるなんて信じられない。

 朝陽の問いに彼はわざとらしく視線を逸らしながら、


「……都会育ちのお前が羨ましかっただけさ」

「ただの田舎者の嫉妬だから気にしないでいいわ、朝陽」

「そうそう。空き缶の飲み口くらいの心の狭い緋色君だもの」

「さっきからうるせぇよ、お前ら。人を何だと思ってやがる」

「自業自得ですぅ」


 和やかな雰囲気。

 最初はここに来て、不安だけしかなかった。

 辛い思いもしたし、帰りたい気持ちにもなった。


「まぁ、お嬢がこんな田舎にいたいと言うならそれもありなんじゃないか」

「緋色……」

「お前が決めればいいさ」

 

 だけど、今。

 皆がいるこの場所は朝陽の大切な場所だと思える。


「ありがと、みんな」


 朝陽の居場所はこの小さな村にある――。

 そう思うと嬉しくて自然と笑みがこぼれた。

 しばらくはそれぞれみんなが思い思いに春を満喫する。

 桜ひらひら、舞い散る様が美しく瞳を奪われる。


「ホントに綺麗で見ていて飽きない。ねぇ、緋色?」


 こっそりと少し離れた場所で朝陽は緋色に囁いた。


「なんだよ?」

「私がここに残りたいと思った一番の理由を教えてあげよっか?」

「あん?」


 他でもない、大好きな人がいる場所がここだから。


「それはね……緋色の傍にいたかったからだよ?」

「お嬢、何を言って……?」

「その意味くらい、緋色なら分かってくれるよね?」


 朝陽がちょっとドキドキしながら緋色の顔を見つめると、


「お前は時々、不意打ちで可愛い時があるよな。ずるい奴」

「んぅっ……」


 返事の代わりに彼は数年ぶりに朝陽のそっと唇を奪うのだった。


――えへへ。私の居場所はこの意地悪な人の傍なのです。


 朝陽の顔はきっと桜のように紅潮していることだろう。

 満開の桜と共に。

 春うららを身体に感じる心地よさ。

 数年ぶりの時を経て、朝陽達の恋が始まった――。

 

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