第18話:そんな事実はありません



 緋色に抱きつくと昔を思い出す。

 よくこうやって彼に甘えていた。

 その度に嫌がられてはいたけども、本気で拒絶はされなかった。

 そして、今もそうだった。

 口では悪態をつきながらも、弱々しく落ち込む朝陽を気遣っている。


「……なんかドキドキする」


 湧いてくる気持ちの高揚を感じる。


――やだな、私っててば……。

 

 自分で分かるほどに朝陽は緋色に心を惹かれている。

 久しぶりに会った男友達。

 ちょっと優しくされただけで心を動かされてしまう。


――私はなんて“ちょろい”んでしょう。でも、いいんだ。


 朝陽はきっと惚れやすい方だから。

 そして、その気持ちは、もうずっと前から無自覚にあったものかもしれない。


「なんだよ? こっちの方をずっと見やがって」

「緋色ってカッコいいよね」

「……は? いきなり褒めるな」


 朝陽はにこやかに微笑みながら緋色にだけ聞こえる声で、


「ファーストキスの相手だもん」

「お、お前!?」

「また好きになっても仕方ないよね?」

「……」

「小学5年生の夏でした。私のファーストキスは緋色に奪われて、むぐっ」

「お嬢、その話をするなって言ってるだろうが!?」


 過去の暴露。

 動揺する緋色は繋いでいる手を無理やり放そうとする。


「きゃっ。びっくりした、大声を出さないでよ」

「お前、その話を人様の前でしてみろ。宅配便で都会に送り届けてやる」

「私、モノ扱い!? もうっ、素直じゃないなぁ」

「……お願いします。さっさと村から出て行ってくれないか」


 困惑している彼に「やだよぉー」と微笑みながら言う。


「緋色ってば、何も知らない私にチューしてきてさぁ。私のファーストキスはあっという間に奪われたのでした。ドキドキしたなぁ」

「そんな事実はありません」

「私の記憶にはあるよ。あの日のドキドキ感。人生で最大級だったもん。えへへ」


 いわゆる、初恋の淡い記憶。

 当時の感情としては、恋とは呼べなくて。

だけど、確かな気持ちが芽生えてた。

 結局、その後に特別な関係に進展することはなかったが。


――特別な思い出。それは事実だもの。


 忘れられない記憶は朝陽の唇だけが覚えている。

 緋色もまた、幼い頃とは言え、やってしまった事実は覚えており、


「だから、お嬢がここに戻ってきたのは嫌だったんだ」


 失態の弱みに唇を噛み締める。


「ねぇ、緋色。なんで私にチューしたの?」

「知らん」

「え、えー。そこは可愛かったから、とか理由くらいあるでしょ」

「近所の猫に似てたのかもな」

「にゃんこ扱い!?」

「そうだ、そうだ。多分、そんな感じ」


 適当過ぎる言い訳を並べて、逃げようとする。


――少なくとも、嫌われたわけじゃないよね。


 あの頃、どんな想いがあったのかは知らない。

 だけども、お互いに想いあうものはあったはずだ。

 それ以上の追及はされたくない様子で、


「……昼飯をおごってやる。だから全部、忘れろ」

「安すぎない!?」

「相場だと大体、それくらいだろ」

「お、乙女のファーストキスはお昼一食分の値段の価値ですか。ぐすっ」

「十分だろうが。むしろ、おつりが来そうだ」

「乙女の唇はそこまで安くありません!」


 何だかんだ話しているといつのまにか、緋色のお店の前まで来ていた。

 ランチタイムに向けての準備があると言うのでお店に入る。


「お昼ごはんって緋色が作ってるの?」

「まさか。ランチタイムはもうひとり、うちの……」

「――あらぁ、緋色じゃない。可愛い子を連れて同伴かしら?」


 店の奥から現れたのはエプロン姿の綺麗な美女。

 スタイルもよくて、同性でも見惚れそうな美人さん。


――素敵な人です。どなた?


 朝、お店へ来た時には見かけなかった。

 

「知らない人だ。緋色のお姉さん?」

「そんなわけあるか。これはただのおばさ――ぐふっ」


 最後の言葉を言う前に、ティッシュペーパーの箱が顔面に投げつけられた。

 

――見事命中。やりますね。


 ぶつけられた緋色は落ちたティッシュ箱を拾い上げて睨みつける。


「いきなり物を投げるな」

「手が滑っただけよ。緋色、誰が年増のおばさんだって?」

「最後まで言ってねぇし」

「言ったら潰すわ」


 遠慮容赦のない物言い。

 ずいぶん緋色と親しそうな関係だった。


「はぁ。自分の年を考えろよ。もう四十過ぎたおば――ま、待て。灰皿はやめろ。間違って当たり所が悪かったら怪我するぜ」

「次に年齢の事を言ったら私の息子とはいえ、言葉にできないひどい目に合わせるわよ。さぁ、言いたいのならどうぞ」

「まずはその灰皿をテーブルに置け。俺の命が危険すぎるわっ」


 灰皿を片手に緋色を威圧する美女。


「まったく、この子の生意気さは誰に似たのかしら」

「さぁね」

「ホント、可愛くないわぁ」


 その凛とした目はどことなく彼とよく似ている。

 きょとんとする朝陽は、


「もしかして、緋色のお母さんなの?」

「そうだよ。俺の母親。無駄に若作りしてるだけで、決して若くはない」

「……緋色。ちょっと表に出なさい。教育し直してあげるわ」

「やれるものならやってみな。……ただ、灰皿はとりあえず置いてください」


 似た者親子。

 言い争う二人を見ながら、


「緋色のママはとても美人だけど、ちょっと緋色と性格が似てるなぁ」


 朝陽はそう呟くのだった。

 

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