第53話:向日葵の花言葉はご存知ですか?
祖母が猛に会いたがっている。
それに気づいたのは夏の少し前のこと。
「淡雪お嬢様、どうされたんですか」
自宅の中庭で離れを眺めながら考えことをしていた。
様子が気になったのか、家政婦の志乃に声をかけられる。
「少し考え事をしてたのよ」
「あの離れが気になりますか」
「小さい頃、ここに来たらいつも誰かに連れ戻されてたわ。その理由が双子の兄が幽閉されているからだなんて思わなかった」
「……須藤家にとって、この場所は悲しい歴史を持つ場所ですから」
この離れにこれまで何人もの男子が運命を捻じ曲げられてきたのだろう。
「猛クン、お父さん、その前の世代の男子も冷遇されてきたと聞いているわ」
須藤家に積み重ねられてきた負の象徴とも言える場所。
「あのね、私の代になったらここを取り壊してしまうつもりなの」
「……くすっ。淡雪お嬢様らしいですね」
「志乃さん、笑わないでくれない? これ、結構、重要な問題なのだけど」
「いえいえ、正しいことを常とするお嬢様らしいと思っただけです」
ここを壊してしまったところで、彼らの人生を狂わせた事実は変わらない。
ただ、これ以上に悲劇を重ねて生きたくないだけ。
いつか淡雪に子供ができてたとしても。
その先の世代にまで須藤家の呪いは続けさせたくない。
「ねぇ、志乃さん。猛クンはどういう男の子だったの?」
「そうですね。基本的には泣いたりしない大人しい子供でした」
「へぇ、子供って泣いて騒ぐものでしょ」
「さほど、夜泣きに悩まされる事もなく、素直な男の子でしたよ」
志乃にとって猛は息子のような存在であり、彼にとっても母のような存在。
約2年間、実母から引き離された幼子を育てていた。
育ての母である志乃にとっても、猛との再会を喜んでいた。
優子ですら知らないこの須藤家にいた頃の猛を知る唯一の人物だ。
「でも、中々、外に出る機会がありませんでしたから。いつも外に出たがっていましたね。たまに目を離すと自分で外に行こうとしたりして。ふふっ、懐かしいです」
赤ちゃんとはいえ不自由な生活を強いられていた。
それは須藤家の人間が背負うべき罪だ。
「外に出たら何に興味があったの? 鳥とか虫とか?」
「興味があったのは花ですよ。庭に植えられている花を見ては楽しそうに笑っていたのを思い出します。感受性の強い男の子だったんでしょう」
「なるほど。ロマンチストな彼の一面は志乃さんが育てたのね」
「ふふっ。そう言ってもらえるとどこか嬉しいですね」
そう言えば、彼に初めてもらったのも百合の花だった。
猛が花を好きだというのは、その頃の記憶の影響なのかもしれない。
離れの近くには花が植えられている。
今年も夏を前に夏の花が咲こうとしている。
「そういえば、この時期には毎年、向日葵の花が植えられているわよね」
「今年も綺麗な花が咲いてます。夏が来たという実感を抱きます」
「向日葵ってお祖母様の好きな花らしいわ」
「猛さんも向日葵の花を見ると、喜んでいました。手を伸ばして掴もうとしたりして。大きな花だから、余計に興味を抱いたんでしょうね。可愛らしかったですよ」
今も離れの花壇にはたくさんの向日葵の花が咲いている。
夏を象徴するような黄金の花。
「そう言えば、お二人が生まれてからここに向日葵の花が毎年のように植えられるようになったと聞いたことがあります」
「お祖母様が孫たちが喜ぶようにと植えはじめたのかしら?」
「そうかもしれません」
幼き猛も見た光景がここにある。
淡雪は向日葵の花に触れながら、
「お嬢様。向日葵の花言葉はご存知ですか?」
「花言葉は『貴方だけを見つめてる』だっけ?」
「はい。愛の花ですね。海外ではプロポーズに使う事もあるとか」
「……向日葵か。お祖母様がお気に入りなのは意外だわ」
あまり華道では使わないので、個人的な好みだろうか。
淡雪は花を眺めていると、時間が来た事に気づく。
「そろそろ、お祖母様にお茶のおけいこをしてもらう時間だわ」
「頑張ってくださいね」
志乃と別れて淡雪は茶道のけいこをするために移動する。
華道は別に先生がいるけども、茶道はお祖母様に直接、稽古をしてもらう。
――結衣なんてお稽古事が苦手でよく逃亡するけども。
淡雪も子供の頃は苦いお茶の味が苦手で、お茶菓子目当てでしていたものだ。
部屋に入るとすでに祖母は用意をして待ってくれていた。
「お待たせしました、お祖母様」
「それでは、始めましょうか」
「はい。今日もよろしくお願いします」
茶道の稽古が始まった。
昔と比べて淡雪も腕を上げたつもり。
祖母は淡雪の淹れたお茶を飲んで感想を告げる。
「随分と腕前を上げましたね、淡雪さん」
「ありがとうございます。お祖母様の指導のおかげです」
「……問題は結衣ですね。せめて結衣も基本だけでも身に着けてくれないと」
「お祖母様は結衣に甘いんですよ。もっと厳しくてもいいと思います」
何かと稽古事を逃亡してばかりの妹を祖母は結構、甘やかせている方だ。
先日も結衣がダンスの練習に専念したいという我が侭を彼女は渋々ながらも「仕方がない子ですね」と了承した。
普段は厳しいけども、あの子の自由を奪ってまでは強制しない。
「結衣は自由な子です。そういう性格が娘によく似ているので、あの子を思い出してしまうんです。そのせいで少しばかり甘い所が出てしまうのかもしれません」
「亡き伯母様にですか?」
「えぇ。あの子にそっくりですよ。須藤家の宿命を背負いながらも、自分の生き方を大事にしている子でした。あの事故さえなければ……」
若い頃に事故で亡くなった娘を想う。
あまり話を聞いたことはなかったけども、結衣に似ていたと言うのは驚きだ。
――伯母様が存命ならば、この須藤家はもっと早く変わっていたかもしれない。
きっと、猛も苦しむことはなかっただろうに。
「そういえば、淡雪さん。猛さんとは関係修復ができたようですね」
「えぇ。今は少しずつ兄妹であることを受け入れています」
「そうですか」
淡雪は新しくお茶を淹れながら、
「親しい友人だと思っていた相手が実の兄妹だった。簡単に受け入れられるものではありません。ですが、私達は新しい関係を作ろうとしています」
「兄妹というのは切れない縁で結ばれているものなのでしょうね」
こんな風に彼女の口から猛の名前が出るとは思わなかった。
彼は須藤家が追放した存在だから。
「貴方達が再び兄妹の関係になれるとは思いませんでした」
「……お祖母様」
「引き裂いた私が言える立場ではないのは分かっていても、これでよかったとのだと安心している自分がいるのです」
静かにそう告げる祖母。
この話をするのは今しかない。
「お祖母様は以前に、ずっと後悔していることがあると言っていました」
「……えぇ」
「それは猛クンをこの須藤家から追放したことですよね?」
淡雪もこの話を直接、祖母にするのは躊躇いもあった。
だけど、彼女の想いを知るチャンスだとも思えたのだ。
「幼い孫にした仕打ち。その罪は消えません」
消えない罪。
それは祖母が猛を須藤家のために切り捨てた事。
ただ、男の子と言うだけで彼は不幸な幼少期を過ごした。
家の古い慣習を捨てきれずに、彼女は孫を見捨てた。
――お祖母様もそろそろ、救われるべきなのではないかしら。
それは彼女自身にも消せない傷を残し続けているのを淡雪は知っている。
「……お祖母様。猛クンに会いませんか?」
「え?」
「後悔し続けていること。謝りたいと思っているのでしょう? お祖母様も救われるべきです。苦しみ続けていては何も解決などしません」
「私に救われる資格はありませんよ。淡雪さん。私はね、須藤家のためだけに生きてきました。須藤家の慣習を守り、息子を冷遇してきたんです」
それは須藤家の当主としての覚悟。
大事なものを切り捨てでも守り通してきたこと。
「結果として今も息子とは溝があります。息子は私を憎んでいるでしょう。孫は私に恨みを抱いているでしょう。そういう生き方をしてきたんです」
静かに目をつむり、彼女は過去の自分がしてきた行動を悔いる。
いくら事情があったとはいえ、ひどい真似をした事実は消えない。
長年続いてきた呪いような須藤家の慣習。
運命に逆らえず、抗えず、彼女もその慣習に従っただけだ。
その事と向き合い、彼女がこの数十年も苦しんでいたのもまた一つの事実だ。
「いいえ、父も猛クンも貴方を憎んでいません」
「恨まないはずがないでしょう。人権を無視し、存在を軽視される。それがどんなに辛いことなのか。かつて、私の実兄も同じ運命をたどりました」
「……そうなのですか?」
「家族が同じ目にあい、それがどんなに辛いことなのか、よく分かっているんです。なのに、私も母と同じ道を歩みました」
繰り返され続けた悲劇の連鎖。
止めることのできない呪い。
だからこそ、その連鎖を断ち切る時が来ている。
須藤家が古い慣習、呪いから解放されて、新しい未来を切り拓くために。
「過去は変えられません。ですが、未来は違います。話をするだけでも、いいじゃないですか。猛クンが貴方をどう思っているのか、恨んでいるのか、許しているのか。貴方自身が彼の言葉を受け止めるべきではありませんか?」
祖母はこの数十年、仕事一筋で生きてこられた。
須藤家と言う家のために、須藤グループと言う会社のために。
十分に苦労して、彼女だってもう救われてもいいはずだ。
『……あの子は私を恨んでいないと言った。それに救われた。親の私が子に救われるなんて情けない。だが、子供の成長と言うのは親にとって嬉しいものだ』
かつて父は淡雪にこう言った。
猛と話したことで救われた、と。
「前へ進みませんか?」
「……淡雪さん」
「私はお祖母様にも知ってほしいんです。私の兄がどういう考えをする人なのかを。どういう人間なのかを。そして、貴方をどう思っているのかを……」
猛もいつかは祖母に会って話がしたいと言っていた。
すぐに分かり合えるかどうかは分からない。
だけども、分かり合える努力はしなくてはいけない。
一度も分かり合おうとしないで諦めて、それで後悔し続けるのはよくない。
淡雪は須藤家の和解を何とかしたいと思っていた。
数日後、猛と祖母が話し合う場を作ろうと、そのことを話す。
「お祖母さんと会わないかって?」
「……猛クンの複雑な心中は察しているつもり。でもね、お祖母様も貴方に会いたいと思っているのは本当のことなの」
「須藤家か。俺もいつかは分かり合いたいとは思ってる」
「猛クン。貴方に許せと言ってるワケではないの。会ってお話しするだけでいいから。祖母の想いを知ってほしいのよ」
須藤家の人間として、都合のいいことを言ってるのは十分に承知している。
時間が経過したからと言って、過去の罪が消えてなくなるわけではない。
「……いいよ。俺もこれは乗り越えたいと思っていたことだ。俺と淡雪さんがどうして引き離されなくてはいけなかったのかも含めてね」
「呪いのような悪夢。誰もが解放されたがっているわ」
そして、呪いを解放できるのは淡雪の兄以外にいないのだ。
翌日になり、淡雪は須藤家に猛を連れてきていた。
祖母と面会する前に彼は「離れに行きたい」と言い出した。
離れの縁側に座り、ふたりで庭を眺める。
「この庭には綺麗な花が咲いているけど、お祖母さんの趣味かな」
「そうね。植えられている花はほとんどがお祖母様が選んでいるの。季節ごとに綺麗な花が咲いて、見事でしょう。手入れも大変だけどね」
初夏の日差しを浴びながら、過去に見たかもしれない光景に想いを馳せる。
「さすがに物心つく前のことって覚えていることは少ない」
「時々、昔の事を夢に見るわ。それが真実かどうかは分からないけども」
「俺もあるよ。小さな頃、俺のお世話をしてくれた志乃さんの事とか。抱き上げられた時の記憶が今も脳裏に残っているんだ。不思議だよね」
「志乃さんは猛クンにとって第二の母のような存在だもの」
彼は小さく頷いて「俺に愛を与えてくれた人だよ」と答えた。
「おや。あれは向日葵の花かな?」
離れの横の花壇には満開で綺麗に咲く向日葵の花があった。
毎年、決まって夏には庭の片端に“黄金の花”が咲き誇る。
「へぇ、この純和風な庭に少し不似合いだけど綺麗な向日葵だね」
「そうね。普段は和風な花が多いのだけど、この季節はいつもここに向日葵が植えられているの。お祖母様が好きなのかしら? 夏を代表するような花だもの」
「毎年、離れに向日葵の花を……? もしかして――」
彼は何かを考えながらあることに気づいた。
「……そうか。そう言うことなんだ」
「猛クン、どうしちゃったの?」
「早くお祖母さんに会おう。会いたい気持ちがより一層に強くなったよ」
なぜか彼は口元に微笑みを浮かべていた。
その意味がよく分からず、向日葵を見つめて不思議そうな顔をする淡雪だった。
「……向日葵の花?」
離れに咲く美しい向日葵の花達。
それは誰のために咲いていたものなのか――。
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