第52話:私の前からいなくならないで!



「……ひどい目に合った」


 教室に戻ると自分の席で彼はぐたっと疲れた様子を見せる。


「ごめんね。意地悪しちゃって」


 彼自身が騒動を起こしたわけでもないのに、毎度のことだけど、精神的にも立場的にも追いつめてしまっている。

 あの場にいた生徒の大半から「シスコン変態」と白い目で見られた。

 特にお風呂発言は女子の好感度は激下がり、今回も株価がストップ安。

 

――私が同じ立場なら耐えられないわ。


 隣の席に座りながら、悪いことをしたと内心、反省もする。

 

「ホントだよ。淡雪も、撫子相手だとやり返すから……」

「女の子にもプライドがあるのよ。譲れないものがあるの」

「そこで俺まで巻き込まないでほしいものだ。はぁ」


 撫子が相手だとつい冷静さを失うと言うか、ムキになると言うか。

 お互いに好きな相手を前には譲れない。


「強い気持ちがぶつかり合う限り、悲しいことだけども、どうやっても仲良くできないのはしょうがないことかもしれないわね」

「キミたちの関係が悪化するせいで、巻き込まれて俺まで被害をこうむっている」

「……猛クンが美乳好きって話?」

「そこだけは忘れてください。お願いします。兄をイジメないで」


 頭を下げて、必死にお願いされたのでこれ以上の追及はやめてあげる事にする。

 彼も人並みに男の子だったと言う事を知れた事件だった。


「ふわぁ」


 小さく欠伸をする淡雪を彼は「眠い?」と尋ねてきた。


「お腹がいっぱいになると眠くなるのは人間の摂理ね」

「眠いのなら寝たらどう? 数十分くらいなら休憩時間はあるよ」

「……無防備な寝顔をさらして、私に好き放題してくれるわけ?」

「兄としての信頼を損ねるような真似はしません」


 逆に淡雪は「ちぇっ」と拗ねてみた。

 

「そこで拗ねられる意味が分かりません」

「だって、猛クンに色々と悪戯をされてみたいのが乙女心よ」

「……しちゃダメだから。どんな乙女心なのやら」


 好きな人になら何をされてもいいと思う。

 それが乙女心というものだった。

 

「猛クンの寝顔は見た事がある。可愛らしかったわ」

「何度も言うけど、男に可愛いは褒め言葉じゃない」

「ふふっ。男の子のプライドってやつかしら?」


 そういう所が可愛い。

 男の子が可愛いと思えるのは素敵な証拠。

 

「お兄ちゃんに優しく起こされるというシチュエーションは採用。お昼寝タイムといこうかな。本当に眠くなってきて……」

「いいよ。時間が来たら起こしてあげる」

「眠り姫を起こすには王子様のキスが王道よ。そこもよろしく」

「実妹にキスをすると、俺の人生が終わってしまうので勘弁してください」


 淡雪は唇の端をきゅっと上げて微笑む。


「もう経験済みよ、と周囲に言いふらしてもいいかしら」

「その意味深な笑い。淡雪が今、ものすごく悪い顔をした。この子、危険だ」

「くすっ。猛クンは勘がいいわねぇ」

「本気で淡雪を怒らせたら、俺は社会的に殺されてしまう気がするよ」


 さすがに、あのことを言いふらす真似はしない。

 

――だって私たちの大切な秘密だもの。


 淡雪は机に寝そべっていると、彼に「頭を撫でて」と甘えてみる。


「ホント、淡雪は頭を撫でられるのが好きだよね」

「……気持ちいいの。安心感があって、すごく好きなの」


 心を許せる彼だからこそだ。


「眠るまでそうしていて」


 淡雪は瞳をつむってしまうと、一気に眠気が襲い掛かってくる。

 すぐに意識を手放してしまった。





 夢を見る。

 それは、淡雪にとってあまりよくない夢だった。

 ずっと愛する男の子。

 大事な存在、双子の兄、初恋の相手、大嫌いだった少年。

 彼女の人生において“大和猛”は特別な感情が入り混じる相手だ。

 不思議な夢だった。

 彼が淡雪の前から消えてはいなくなる。


「やだ、行かないで」


 手を伸ばしても、その手は届かず。


「私の前から消えないで。お願いだから」


 抱きしめようとしても、その身体は淡雪の身体をすり抜ける。

 手の届かない所に行ってしまう。

 その不安な気持ちが淡雪の心を締め付ける。

 

「ダメ、お願いだから――」


 必死になって淡雪は叫ぶ。

 彼がいなくなろうとすることを止めたくて。


「――私の前からいなくならないで!」


 消えていく彼を必死に止めようと、彼女は声をあげた。

 だけど、結局、その手も言葉届かず彼は闇の中へと消えていった。





「お願いだから――」


 小さな声をあげて淡雪は目を覚ます。

 寝言を叫んで目が覚めると言う経験をすることがある。

 それを学校のお昼寝でするとは思わなかった。


「……淡雪?」

「んっ。あれ? 猛クン」


 目が覚めると、淡雪の頭を優しく撫でて顔を見つめる猛がいた。


「どうした? すごく苦しそうな顔をいきなりし始めて驚いた。どこか痛む?」

「……なんで、あんな夢を」

「夢? 夢がどうかしたのかい」


 彼の優しい声色に淡雪はホッと胸をなでおろす。


「とても嫌な夢を見たわ」

「どんな夢だった?」

「猛クンが私の前からいなくなってしまう。そんな寂しい夢だった」


 思い出したくもない。

 どうしてあんな夢を見てしまったのかな。

 彼は淡雪の傍にいてくれるのに。

 良い夢を見られると思っていただけに淡雪は軽くショックだった。


「何か寝言を言ってた?」

「ん? あぁ、ちょっと苦しそうだったかな。あと、最後にお願いだからって言ってた。何だろう? 何かお願いしたい事でもある?」

「……分からないわ」


 夢から覚めたら、何の夢を見ていたのかはっきりとは思いだせなくなるもの。

 ただ、彼がいなくなることが怖かったのかもしれない。


「私の傍からいなくならいで。約束して」

「大丈夫だよ。俺は淡雪の傍にいます」

「うん……不安だから変な夢を見たのかもしれないわ」

「あれらしいよ。寝言を叫ぶ時ってストレスとかある時らしい。淡雪も何か抱えていることがあったり、不安だったりすることがあるんじゃないの?」


 なくはない。

 淡雪には今、ひとつだけ悩んでいる事がある。


「猛クンと撫子さんの関係について」

「はい?」

「今も一緒のお風呂に入ってることが辛いわ。心がズキズキする」

「え、そこですか?」

「嘘だけど。そんなに顔をひきつらせなくても。かなり気にしてる?」


 さすがに今回の事件で女子の好感度の激下がりはショックだったようだ。


「クラス中の女子達に陰口でひそひそと俺の顔を見て失笑されたら、さすがに落ち込むやい。俺の心はこーみえて、ナイーブなんです」

「女子を敵にまわした貴方の青春はもう終わり。エンドロールが流れてるわ」

「俺にとどめを刺さないで!? エンディングはまだ先だ!」


 確かに撫子の関係に悩んではいる。

 しかしながら、そんなものは彼女に失礼だけど些細な問題にすぎないのだ。

 淡雪の本当の悩みは……。


――須藤家の呪い。あのことかもしれないな。


 父の事、祖母の事、須藤家そのものが呪縛されていること。

 それを猛に相談することはできなかった。


「……それよりも、どうして猛クンは私をキスで起こしてくれないの?」

「ナンデスト?」

「眠り姫を起こすのは唇だけでしょ。んー」

「妹を起こすのにキスするお兄ちゃんはいません」


 彼はそっと淡雪の唇に人差し指を触れさせる。

 それはそれで、恥ずかしくて淡雪は顔を赤らめるのだった。


「つまらないの。撫子さんならキスで起こしていたはずだわ」

「そんなことは撫子相手にもしないから」

「ホントかしら?」


 彼なら平然とやってそうであまり想像はしたくない。


「恋人だものね。好き放題、やりたい放題しているんでしょう」

「……淡雪にそんな目で見られるとキツイっす」

「それじゃ、次からはお昼寝していた妹をキスで起こすこと」


 彼女のお願いを猛は「無理です」ときっぱりと断った。


「むぅ。お兄ちゃんは妹をもっと甘やかせるべきだわ」

「撫子みたい事を言わないでくれ。俺は可愛い妹の寝顔を見つめるだけだよ」

「ずるいわ」


 淡雪はそっと彼の手を握り締める。

 心の中からさっさと不安なんて消えさえってしまえばいい。


「それじゃ、次は悪夢を見ないように添い寝でもしてもらおうかしら」

「……ホントにキミは甘えたがりやさんだな」


 彼はいつもの笑顔で淡雪に囁く。


「私をこんな風に甘やかせるのは貴方だけよ。少しだけこうさせて」

「分かった。それに心配しなくても俺はいなくなったりしないからさ」

「うん……」


 あんな夢を見るなんてどうしてかな。

 夢は現実に影響されるもの。

 淡雪の内面にある不安を夢にしてしまったのかもしれない。

 この優しい手の温もりだけは失いたくない。


「今度、ふたりっきりの時に膝枕してもらって、お昼寝がしたいわ」

「また可愛いお願いを言う」

「妹のお願いを叶えてくれるのが良いお兄ちゃんというものよ」

「それが淡雪のお願いならば叶えてあげるさ」

「ふふっ。ありがとう。優しいお兄ちゃんに甘えられて嬉しい」


 やっぱり、猛は優しい男の子だ。

 素直になれる、甘えてしまう。

 弱さをみせてしまう、受け止めてもらいたくなる。

 淡雪が普段から我慢してることを彼にならば、さらけ出せるから。

  

「……あのー、ふたりとも。そろそろ授業なんだけど?」


 いつのまにか昼休憩が終わり、女性教師が呆れた顔でふたりに声をかけた。


――あらら、これはさすがに恥ずかしいわ


 すっかりとクラス全体の視線を向けられている。

 

「めっちゃ甘い空気だし。兄妹同士で雰囲気作りでしょ」

「キミたち、犯罪行為を平然としないで。私たちも見てるのが気恥ずかしい!」


 誰かの言葉がきっかけで教室中から笑い声に包まれた。

 話はそこで終わってしまったけども、淡雪には胸の内に不安がひとつだけある。

 それは猛の事で悩む、祖母のことだった――。

 

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