第34話:あの二人を絶対に幸せになんてさせたくない
初恋を納得して終わらせたのは淡雪自身。
淡雪がどんなに猛が好きでも、告白するつもりはないと諦めた。
彼への想いは胸に秘めたままで。
ずっとそのつもりでいた。
心の扉に鍵をしていた。
その鍵が思わぬ事で開くことになるなんて――。
「お祖母様。身体の調子はいかがですか?」
梅雨が終わり初夏になった、季節の変わり目。
祖母が体調を崩したと聞いて、淡雪は寝室を尋ねていた。
寝込んでいる祖母に淡雪は声をかける。
「大丈夫でしょうか、お祖母様?」
「ただの夏風邪です。心配するほどの事はありません」
「……だといいのですが」
祖母も何をきっかけに重病化するかは分からない。
本人に言えば「まだそこまでの年寄扱いをするな」と言われそうだけども。
淡雪はまだ須藤家の重責を担うにはまだ未熟。
これから先も祖母の存在は必要なものだ。
「とはいえ、もしもの事があっても私は安心しています。淡雪さんと言う立派な孫がいてくれる。須藤家の未来に憂いはないでしょう」
「お祖母様。そんなことを言わないでください」
「もちろん、私もまだまだ死ぬわけにはいきません。貴方の将来を見守り続けたいと思います。ただ、淡雪さんには大いに期待しているのです」
いつもと違い、祖母は穏やかな口調で話し出す。
「……私は仕事しかできない女でした。普通の女性のように家庭を顧みることなく、須藤家を、須藤グループを大きくすることだけを考えてきました」
若い頃からやり手の女社長として名を馳せた、祖母。
経済界からは“須藤の女帝”と呼ばれているほどの実力者。
須藤グループを大手企業にまで成長させた祖母の功績は大きい。
「ただ、思えば息子にはずいぶんと苦労を掛けたと思っています。本来ならば次の当主であった娘が不慮の事故で亡くなることもなければ……」
「伯母様が亡くなられてもう20年でしたか。私が生まれる前の事ですよね」
「えぇ。あの子は須藤家の後継者として育ててきました。ですが、事故で亡くなってしまった。その後、辰夫にはいらぬ苦労と辛い思いをさせてしまいました」
姉を事故で失い、突然、当主となった。
淡雪の父は須藤家において発言力はほとんどない。
ただでさえ、女尊男卑の須藤家。
今の地位を得られるまでにはずいぶんと苦労したはずだ。
「そして、犠牲にしてしまったものも大きい」
「……犠牲ですか」
「私は今でも後悔している事があります」
「後悔?」
「本当に“あの子”には可哀想なことをした。後悔をしても意味はないのに」
祖母は弱々しくそう呟く。
――あの子が誰をさしているのかは聞けそうもないか。
病気の時だからこそ、本音を聞けたような気がする。
須藤家を守り続けてきたお祖母様の後悔。
何かを守ろうとするには失うものもあったと言う事。
「淡雪さんがしっかりと育ってくれた、これが私の救いです。貴方は須藤家にとって期待を担うもの。そして、私達の希望なのです」
「ありがとうございます。その期待に応えていけるように頑張ります」
「……えぇ。期待していますよ」
憧れの祖母から認められているのは素直に嬉しい。
だけど。
彼女の寂しそうな横顔は何を意味していたのだろうか。
教室でクラスメイト達が何やら噂話をしている。
最近、噂と言えば猛と撫子の話が多い。
あの二人は良くも悪くも目立ちすぎるから。
「須藤さん、あの噂を聞きました?」
「猛クンのお話かしら?」
「えぇ。またですよ。今度は大和さんに隠し妹がいるらしいです」
「……は?」
先日、一緒にお風呂に入ってるとか噂が流れて猛の女子の好感度が激下がり。
――それは前から知っていたわ。
まだ一緒に入ってるんだと、内心、憤慨したけど。
「隠し妹? それは初耳ね」
あの撫子以外にまだ妹がいるって言うのか。
だとしたら、彼は本当の意味でシスコン魔人である。
「この前、大和さんをお兄ちゃんと慕う中学生くらいの可愛い妹と一緒にいたらしいですよ。あの人、本当にシスコンなんですね。ふふっ」
「……え、えぇ。そうね」
少し顔を引きつら気味に淡雪は答えた。
――あ、それは私の妹です。
とは言えませんでした。
ちょっと前から妹の結衣が猛に急接近して懐いている。
お兄ちゃんと呼んで思いっきり甘えていた。
「まぁ、予想はできてたけどね」
あの子が猛みたいな男の子を気に入る事は最初から分かっていた。
甘えたがりの女の子と甘えられたい男の子。
――相性としてはベストマッチ。抜群の相性だもの。
それがこんな形で隠し妹と呼ばれ噂れるのはどうかと思う。
「……今度は結衣か。確かにあの子の懐きっぷりは兄妹にしか見えない」
淡雪が姉よりも、彼が兄の方が結衣も嬉しいんじゃないか。
猛は基本的に女性に甘すぎる。
「そーいう所も好きなんだけど。複雑な気持ちだわ」
誰にでも甘く、誰にでも優しい。
だからこそ、彼と親しくなれば勘違いしてしまう子も多い。
自分は彼に好意を抱かれてるんじゃないかって。
――そして、勘違いはそれに気づいた時が怖いんだ。
自分の一方的な思い込みにすぎなかった。
この気持ちは、自分だけのものだったんだと知ることが一番怖い。
独りよがりの想いほど悲しい現実はない――。
幸せな恋人同士を見ていると、時々、嫌な気持ちにあることがある。
――どうして、自分はあんな風に心が満たされないんだろうって。
あんな風に幸せな時間を淡雪も過ごしてみたいのに。
恋人に憧れを抱いて、疑似的な恋をしていた過去がある。
恋人ごっこをしていたあの頃の淡雪の気持ち。
猛が好き。
でも、その気持ちを口にすることはできない。
胸の内に封じ込めた気持ちは行き場を失い、想いが氾濫しそうになる。
それは些細な事がきっかけだった。
猛と撫子が仲睦まじそうに兄妹同士で微笑みあっている。
「撫子、今日の帰りはどうする? どこか寄っていくか?」
「スーパーに行きましょう。今日の夕食、期待していてくださいね」
「楽しみにしてるよ。あっ、こら。人目があるところで抱き付くな」
「ふふっ。皆さんに見せつけてあげましょう」
「やめなさい」
シスコン気味の兄と超がつくブラコンの妹。
こんな兄妹がいるなんて。
「大体ですね、兄さんはモテすぎなんです。好感度の安売りはいけません」
「そんなつもりはないけど」
「無自覚な女ったらしなんですから。可哀想な子を増やすのはダメですよ」
「分かったから。とりあえず、離れてくれ。お兄ちゃんが社会的に死んじゃう」
撫子に抱き付かれて苦笑いする猛。
どこにでもいるような兄妹ではない。
まるで恋人同士のような兄妹。
幸せそうな関係を遠目に眺めていると、羨ましく思った。
「あんな日常を私も手に入れたかったのに」
――どうして、あのふたりは兄妹なのに、それを手にしているの?
希望と羨望。
――どうして、私はその幸せを手にいれることができなかったの?
嫉妬と言う名の悪魔の囁き。
淡雪の中のにもう一人の淡雪がこう囁くのだ。
『あんな幸せ、壊れちゃえばいいのに』
心の中に芽生えたのはかつて、思い込みで彼を憎しみけた愚かな過去の再来。
それは常に淡雪にあった、“恋心”と“後悔”。
思い通りにならない“現実”を前に暴走していく。
「――あの二人を絶対に幸せになんてさせたくない」
淡雪は口元になぜか笑みを浮かべていた。
自分でも制御できない、何か。
どす黒く汚れた心が再び目を覚ました――。
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