第31話:まさか、どなたかと結婚のご予定でも?


 それまで疑うことを一度もしてこなかった。

 人は思い込みがあると、どうにもよろしくない。

 見たくないものを見ないようにしていたのかもしれない。

 考えてみれば、その可能性はいくらでもあったのに。


「猛クンの誕生日は4月4日」


 私は自分の家の庭を眺めながら縁側に座っていた。

 心地の良い春の夜風を感じながら、


「4月4日」


 淡雪はもう一度、その事実を口にする。

 今日の昼、偶然にも彼の誕生日を知ってしまった。


『猛クンの誕生日って4月4日なんだ。私と1日違い』

『そうなのか』

『うふふ。お兄ちゃんって呼んでみたり』

『お兄ちゃん、よい響きだ』

『……兄さん。妹は一人で満足できませんか? 他に妹が必要ですか!?』


 今までも知ろうと思えば機会はあったはずなのに。

 淡雪は無意識に優子の家族である猛の事を知ろうとしていなかったのか。


「もっと彼の事が知りたいって思っていたのは誰かしら?」


 自分自身に呆れかえってしまう。

 誕生日なんて簡単に得られる個人情報なのに。

 それを知らずにいた事実。


「私と一日違いの誕生日。これはただの偶然なの?」


 独り言を呟きながら、淡雪はその事実に頭を悩まされていた。

 淡雪の実母は猛の母親である優子だ。

 これまで、彼は優子が再婚した相手の連れ子だと勝手に思い込んでいた。

 だけど、一日違いとなると話は別だ。

 

「……もしかして、私と猛クンは兄妹かもしれない?」


 想像すらしていなかった。

 考えてみれば、その可能性もおかしくないのに。

 ただの偶然かもしれない、けれど。


「兄妹」


 その疑惑が淡雪を大きく動揺させている。

 

「猛クンがお兄ちゃん?」


 不安と焦りと動揺。

 淡雪は気持ちを落ち着かせようと星空を見上げる。

 あの日、彼と見た星とは比べ物にならない程に暗く霞んだ空。

 見える星も都会では全く質が違う。

 綺麗な星をまた見たい、彼と一緒に。

 

「……兄だったとしたら、この須藤家に男子が生まれていたってこと?」


 そこが大きな問題のひとつ。

 この須藤家と言う家は古くから男子を嫌う変わった風習がある。

 もしも、彼がこの家の生まれだとしたら。


「おかしい。そんな話は一度も聞いたことがないわ」


 男の子の誕生は須藤家の大問題。

 何かしらの痕跡があってもおかしくない。

 なのに、そんな話は一度も聞いた覚えがない。


「……っ」


 淡雪は立ち上がると、庭の方へと降りる。

 庭には古い離れがあって、今は使われていない。

 かつて茶室だった事もあり、部屋は狭く数畳ほどしかない。

 長年、家に住んでいてもここを訪れたことはほとんどなかった。


「子供の頃、ここに来ちゃいけないってよく言われてたわね」


 淡雪は久しぶりに離れに上がり、その狭い部屋の中へと入った。

 鍵は施錠されておらず、中は埃っぽく手入れもされている気配がない。

 

「普段から使われていないのだから当然か」

 

 明かりをつけて、淡雪はその部屋をぐるりと見渡す。


「男の子を閉じ込めておくための場所。牢獄みたいなものだもの」


 淡雪の父が生まれた時、ここで育てられたと聞いている。

 須藤家に男子の居場所はないと言っても過言ではない。

 父も肩身の狭い思いをして育ってきていたはずだった。


「私の代ではそんなことはさせない」


 もう悲しい風習は繰り返さない。

 淡雪の代で、須藤家の悪習は終わらせるべきだと考えている。

 男の子だから、女の子だから。

 生まれてきて、それだけの理由で差別される事などあってはならないのだ。


「……淡雪お嬢様?」


 いつまでそうしていたんだろう。

 気が付けば、家政婦の志乃に声をかけられてハッとする。


「こんな所でどうなされたんですか?」

「……少し気になって。あまりここって入ったことがないじゃない」

「そうですか。ただ、ここは立ち入られない方がいいと思います」

「いい顔をされないのは分かってるわ」

「不可侵領域と言うべき場所ですもの」

「そうね。須藤家にとってはその言葉がよく似合う場所だわ」


 淡雪は電気を消して、母屋の方へと二人で戻ることにする。

 志乃は淡雪が子供の頃から家政婦をしてくれている。

 その長い付き合いで、淡雪も信頼している。

 

「そう言えば、娘の美帆ちゃんは今年で小学生だったわね」

「えぇ。下の子もようやく小学生になりました。ですが、上の子と違い、すごく我がままで困らせられてばかりいます」

「どこの家も妹は甘えたがりな子が多いのね。……うちの結衣と同じだわ」

「ふふっ。結衣お嬢様は昔から無垢なままです。ですが、うちの娘たちは可愛がってもらっていますよ。この前も服をいただきました」

「結衣の服?」

「子供時代の服で可愛いのがあるあげる、と譲ってもらって。娘もすごく気に入ってます。とても懐いて、慕わせてもらっていますよ」

「あの子を慕うのはどうかと……」


 他愛のない雑談をしながら淡雪はあることを聞きたくてタイミングを見計らう。

 彼女の知らないことを志乃ならば知ってるかもしれない。


「ねぇ、志乃さん。おかしなことを聞くかもしれないけどもいいかしら?」

「何でしょうか?」

「今の須藤家に男の子が生まれたら、昔のようにひどい目にあわされたりするのかしら。例えば、あの場所に閉じ込められてしまったり、とか」


 ふと、志乃は足を止めて、神妙な面持ちになる。


「……」


 その横顔に淡雪はどことなく不安に感じてしまう。

 

「志乃さん?」

「須藤家の方針に私がどうこう言える立場ではありませんが、その可能性もあるんでしょうね。私がこの屋敷に来たころはまだそう言う風潮がありました」

「……そう、なんだ」


 猛が淡雪の兄かもしれない。

 この疑惑、志乃ならば答えをくれるかもしれない。

 はぐらかされるのを覚悟で彼女に尋ねてみた。

 

「私に兄か弟がいたら、辛い目にあっていたのかしら?」

「……それは」


 しばらく沈黙する彼女。

 だけど、志乃は「もしもですが」と前置きして、


「須藤家ならばありえるでしょう」

「……そう。私と結衣は女性でよかったわね」

「本当に今の時代にどうして、そういう風習があるのか」

「まったくね」


 志乃は「子供には何の罪がないのに」と呟いた。

 生まれてきた子供が悪いわけではない。

 悪習が繰り返されてきている現実に淡雪は嫌気がさす。


「でも、そんなことをどうして気になるんですか?」

「え?」

「まさか、どなたかと結婚のご予定でも?」

「違います」

 

 そんな予定があったらびっくりする。

 子供ができたら、と考えていると誤解されたようだ。


「あらあら。てっきり、淡雪お嬢様が結婚を考えらてれるとばかり」

「なんで、そんな話に……」

「違いましたか」

「誤解よ、志乃さん。そんな話じゃなくて」

「冗談ですよ。ですが、お嬢様も考えられる年頃になってるということですよね。時の流れとは早いものです」


 志乃は微笑みを浮かべてこの暗い空気をかえようとする。

 これ以上は聞けないな、と判断して淡雪も笑みを見せた。


「でも、私の代ではそう言うことはさせたくないわね」

「……どんな家に生まれてきても、子供に罪はありませんから」


 志乃が放った言葉。

 そこに特別な感情が見え隠れしたのは気のせいか。

 猛と淡雪は兄妹かもしれない。

 疑惑は彼女の心の中でくすぶり続けていく。

 

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