第26話:女の子はずるいものよ


 涼しい夜風が吹く夜だった。

 淡雪達は別荘から少し離れた展望台に腰かけて星空をのんびりと見上げる。


「この別荘には何度もきたけども、ここでゆっくりと星を見たのは初めてね」

「そう?」

「……えぇ。だから、とてもいい機会だわ」


 夜空に広がる星々の輝き。

 ただ、その光景に見惚れるだけ。


「どうかしたのかい? 顔色が悪いように見えた」

「さっき、何だかとても怖い夢を見た気がするの」

「怖い夢?」

「それが何かを覚えていないのだけども」


 覚えていないため、怖いと言う表現があってるのかもわからない。

 ただ、不思議な夢だった気がする。

 気持ちがざわめくような、そんな嫌な余韻だけは胸に残っている。

 

「なるほど、夢か。夢の記憶を引きずる事ってたまにあるよね」

 

 彼はそっと淡雪の髪を撫でた。


「猛クン?」

「ちょっとは気がまぎれるかなって」

「……ふふっ」


 髪を撫でられるのは気持ちがいい。

 心を許している相手には何をされてもいいとさえ思える。

 

「どういう夢だったんだ?」

「分からないわ。ただ、小さな頃の記憶だったのだけは覚えてるの」

「子供の頃の記憶かぁ。夢って昔の記憶を思い出すことがあるらしい」

「ふーん。猛クンはどういう子供だったのかしら?」


 淡雪が知っている彼は迷子になってる女の子を助けてくれる優しい男の子。

 今もその優しさは変わっていない。

 

「俺の家にはよく母さんが同い年くらいの子供たちを連れてきてくれたんだ。友達の子供とか、知り合いの子供とか」

「……女の子ばっかりだったでしょ」

「え? なぜそれを?」


 少し気まずそうに彼は驚いた顔をする。

 

「なんとなく」


 猛は男の子のお友達が少なくて女の子のお友達が多いように思える。

 実際に彼が男友達と話しているのをそんなに見た事がない。

 女の子に囲まれていても自然と受け応えて、慣れている。

 それは小さな頃の経験が積み重なっているからなんだ。

 

――でも、彼がモテていることをあんまり認めたくない。


 いい意味でも、悪い意味でも。


「猛クンはイケメンだからモテてたんでしょうね。あの頃は」

「あの頃はって!? 今は?」

「どうでしょう?」


 意地悪く淡雪は微笑で誤魔化しておく。

 

「その笑顔はずるいっす」

「女の子はずるいものよ」


 淡雪の本音とすれば、


――今も十分にモテてはいるでしょうけど、妹さんが来年入学してきたら色々と終わっちゃう気がするもの。


 シスコン気味な彼の未来展望にはノーコメント。

 というか、コメントの価値もない。


「小さな頃の俺って誰にでも話しかけるようなタイプだった。気が付いたらいろんな友達ができて、毎日が楽しかったよ」

「人の中心にいる子ってイメージね。うん、猛クンらしいと思うわ」

「淡雪さんはどういう子供だった?」

「私は……今よりも我がままな子供だったわ」


 自分勝手で我が侭。

 今の淡雪が苦手とする妹の結衣みたいな女の子だった。


「周囲を我がままで困らせたり、幼稚園の子達にも横暴なふるまいをしたり」


 迷子になって助けてくれた子に感謝すらせず、勝手な恨みをぶつけてみたり――。

 ずっと嫌いでい続けていたり――。

 

――本当にひどい、嫌な女の子。


 夜空を見上げて自分の過去を振り返る。

 

「……今の淡雪さんからは想像できないな」

「本当に我がままな子だったのよ。高飛車、傲慢、横暴。あのままの私が成長していたらそういう嫌な感じのお嬢様だったでしょうね。うん、ならなくてよかった」


 自分でもそう思う。


「私が結衣を苦手なのはあの頃の自分を思い出すからかもしれないわね」


 今の結衣にムカッと来ることがあるのは、多分そのせいだ。

 あの頃の淡雪が成長したら、と思った感じに育っている。

 

――他人に対して甘えまくり、自分にも甘い。


 人が嫌がる真似をしないだけ、性格が悪いとは言わないが。


「淡雪さんの心の変化っていうのかな。今は違うよね? どうして?」

「きっかけと言うのがあるのだとしたら、お祖母様の影響かしら。あの人は厳しく私をしつけたもの。自分にも厳しい人だから自然に真似をするようになったわ」


 祖母は決して厳しいだけの人ではない。

 淡雪が逆らえず、畏怖する存在ではない。

 尊敬、憧れ、女の強さみたいなものを子供心に抱いた。

 そして、いつしか淡雪は我がままな自分から早い段階で卒業できたのだ。

 それに、もう一つだけ理由がある。

 淡雪の一番の我がままを須藤家が許してくれたからだ。

 実の母親に今でも会い続けている。

 それこそが、淡雪が須藤家に許してもらえてる最大の“我が儘”だから。


「お祖母様の期待に応えたいと今は頑張ってるわ」

「自分に無理のしない程度にね?」

「えぇ。そうね……」


 こういう話をしたのは彼が初めてかもしれない。

 家族相手にはすることではないし、友人に話すのも気が引ける。

 猛なら受け止めてくれるような気がして。

 こういう事を言える相手というのは特別なものを感じた。


「淡雪さん、空を見て」


 彼がふと指をさすと無数にきらめく星々の中で瞬間的な輝きが見えた。

 一筋の儚なく消える光。


「流れ星!」


 思い返せば、流れ星を今まで淡雪は見た事がない。

 実物を目撃して、思わず声に出してしまう。


「へぇ、流れ星ってああいう風に流れるんだ」


 夏の夜空を駆け抜ける星の瞬き。

 幻想的な雰囲気に見惚れながら、


「……星に願いを。猛クンは何を願うかしら?」

「俺? そうだな……今の時間がずっと続いてくれたらって思うよ」

「今の?」


 それは彼の取り巻く現状が満たされているから。

 

「仲のいい家族がいて、信頼できる友達がいて。淡雪さんみたいに美人さんと仲良くなれて。今の俺はすごく満たされてる」

「さり気に褒めてくれてありがとう」

「こんな日常がずっと続くわけじゃないからさ」

「なるほど。猛クンの未来はシスコンが暴露されて可哀想な事に」


 彼は首を横に振って「決してそういう意味じゃありません」と否定する。


「くすっ。冗談よ。でも、その気持ち。すごく分かる気がするわ」


 一緒に星空を見上げる。

 淡雪はいつも隣にいてくれる、この優しい男の子が好きだ――。

 

――この恋心、いつまでも関係が続いてくれればいいのに。


 現実はそういうわけにはいかない。

 タイムリミットはすでに終わりへと向かい始めている。


『淡雪には無理。その関係を自分では終わらせられない』


 美織に指摘された通りだ。

 自分の意志では終わらせられない。


――分かってる。私は終わらせたくないんだもの。


 矛盾する気持ちと氾濫する想い。

 星に願いを。

 せめてもう少しだけこの幸せな時間が続いてくれますように――。

 二人で星を眺めながら、静かに夜は過ぎていく。

 

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