第22話:ありがとう

 

 別荘に荷物を置いてから淡雪達は近くの森林を散策していた。

 遊歩道を歩きながら自然豊かな光景を眺める。


「木漏れ日が綺麗ね」

「こんな風に落ち着いて散策するのって中々機会がないから楽しいよ」


 ふたりで寄り添いながら、淡雪達は緑一色の風景に魅入られる。

 木々の葉が風でこすれる音。

 近くの小川の水の流れ。

 小鳥たちのさえずり。

 耳をすませば聞こえてくるのは自然の音色。


「こういうのって地味だけど、私は好きなのよ」


 淡雪は自然に包まれている感じが好きだった。

 鞄から猛はカメラを取り出すと、


「写真でもとりたいな。淡雪さん、いいかな?」

「あら、私のモデル料は高いわよ?」

「ははっ。高くても払いたいくらいにモデルが素敵だからね」


――最近思うのだけど、彼は相手を無意識にドキッとさせる発言が多い。


 いわゆる“天然女ったらし”。

 女の子としては嬉しい反面、気恥ずかしい事も多くて。

 

――無意識なんでしょうけど。妹さんを口説くので慣れてるのね。


 甘い言葉もためらいもなく言い切る所とか。

 そう言うセリフが容姿的にも似合うから余計に攻撃力もある。

 

――こんなんじゃ、本命の妹さんがブラコンになるのも理解できるわ。


 淡雪の心境を知らず、彼は写真を何枚か撮りはじめる。


「写真っていいわよね。思い出を形にしておけるもの」

「……淡雪さんみたいに美人なら撮りがいもあるよ」


 カシャ、と音を鳴らして彼は撮影ボタンを押す。


「私ばかりじゃなくて猛クンの写真も欲しいわ。私にも撮らせて」


 猛と代わって淡雪もカメラに写真を収めていく。

 お互いの写真を撮って楽しむなんてまるで恋人同士みたいだ。


「……?」


 ファインダー越しに彼を覗いてた時のことだった。

 

「猛クン?」


 ふと、彼は何かが気になったのか辺りを見渡し始めた。


「ちょっと、ごめん。ねぇ、何か声が聞こえないかな?」

「それ、心霊系? 私を怖がらせようとしてる?」

「違うってば。何だろう? 今、女の子の声が……」


 淡雪はそういうのが苦手なので、「意地悪だわ」と唇を尖らせる。


「わざと私を怖がらせようとしているのかしら」

「だから、違います。淡雪さんを怖がらせるつもりは……あっ」


 そして、彼はようやくその姿を見つけたらしい。

 足早に森の歩道から外れた場所へと駆ける。

 その後をついていくと、そこにいたのは、


「うぅっ……ひっく……」


 年齢は5歳くらいだろうか、小さな女の子が嗚咽をもらしていた。

 可愛らしい髪留めをつけた少女。


「ホントにいた。こんなところでひとりなんて、迷子かしら?」

「だろうね。キミ、大丈夫?」


 自然に猛は優しい声色で彼女に声をかけた。

 

「お兄ちゃん?」

「どうしたのかな。迷子かな?」

「うん。パパとママ、いなくなっちゃった」


 彼女は小さな肩を震わせて、すがるように彼の服の裾を掴んだ。

 ずっとひとりで不安だったのがよく分かる。

 

「大丈夫だよ、俺達がキミのママを探してあげるから」

「ホントに?」

「あぁ。ほら、立てる? さぁ、行こうか」


 彼は彼女を安心させると、そっとその手を握りしめてあげる。

 不安そうだった少女の顔に自然と涙が消えていた。


「えへへ」


 迷子になると子供は誰だって不安になるもの。

 淡雪にも経験がある。

 

『たっくんはね、迷子を見つけるのが得意なんだよ』


 いつだったか、淡雪が迷子になった時も彼は見つけてくれた。

 その時、誰かが言っていた言葉を思い出した。

 困っている子がいれば助けてあげる。

 当たり前の優しさを彼は幼い頃から持ち合わせていた。


「……変わってないわ」


 淡雪は小さく独り言を呟いていた。

 何も変わっていないこと。

 それは彼の優しさ。

 あの頃と同じ、彼は本当に優しい男の子だ。

 

「淡雪さん。この辺りだとどこに連れていけばいいんだろう?」

「ここからなら、もう少し森を抜けた先に建物があるわ。そちらなら……」


 淡雪達は近場の人の多い場所へとまず移動する事にした。


「キミのお名前は?」

「あんりだよ」


 彼女はバッグを見せてくれると『城崎杏里』と名前が書かれていた。


「そうか。杏里ちゃんか。家族みんなで旅行にでもきてたのかな」

「うんっ。はじめてのりょこーなの!」


 女の子はすっかりと彼に懐いてしまったようだ。

 簡単に子供の警戒心を解けるのってそれなりにすごいと思う。

 

「綺麗な森だよね。杏里ちゃんは鳥さんでも追いかけてきたの?」

「蝶々さんだよ。ひらひら、飛んでたのっ」

「そっか、蝶々か。綺麗な蝶々を見つけて迷い込んじゃったんだね」


 猛はそっと彼女の手を握り、歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。

 その後を淡雪も歩いて追う。

 彼は本当に子供の心をつかむのが上手だった。


「あのね、あのねっ」


 不安だった少女の顔はいつのまにか笑みさえ浮かんでた。





 人通りの多い場所に出て、幸いにも彼女の両親はすぐに見つかった。

 ふと目を離したすきに森の方へと迷い込んでしまったらしい。

 再会できた時の女の子のホッとした表情には淡雪も覚えがあった。

 あの安心感は経験のない人間には分からないものだ。

 親から何度もお礼を言われて、淡雪達はその場を離れた。

 

「親が見つかってよかったわね。さすが猛クンというべきかしら」

「どういう意味?」

「迷子を見つけるのが得意なんでしょ?」


 淡雪は彼にそう告げると意外そうな顔をして、


「昔、そう呼ばれたこともあったかな。でも、どうして、淡雪さんがそれを?」

「……さぁ? どうしてでしょうね?」


 淡雪は笑顔で誤魔化しておく。

 

――そう、私も彼に見つけてもらったひとりなのだから。


 迷子になった不安を、彼の優しさが和らげてくれる。

 あの少女と同じ、話していると不思議と不安がなくなってしまう。


「猛クンは誰にでも女の子に優しいものね」

「……何だか含みがありそうな?」

「そんなことないわよ? 小さな子には特に優しい」

「い、いや、思いっきり別の意味だよね、それ?」

「よかったわよねぇ、あの子。今のご時世、犯罪者もいたでしょうに」

「ちょい待って。俺はロリではないし、犯罪者でもないよ。ホントだよ?」


 慌てふためく彼に淡雪は微笑む。


「そんなことは言ってませんよ? 他意はないわ」

「思いっきり他意がありそうな顔をしてますけど?」

「気のせいよ、気のせい」


 淡雪はそっと彼の手を掴む。


「淡雪さん?」

 

 あの頃の自分に、してくれたように。

 この手を掴んでくれたから、安心できたのだ。


――猛クンは覚えていない。ずっと昔に私を貴方は助けてくれたのよ。


 さっきの子供と同じように。


「――ありがとう」


 気が付けば自然とその言葉が口を出ていた。


「え? 何のお礼?」

「ふふっ。ずっと言えなかったから。ありがとう」

「だから、何の話? ん?」


 きょとんとする彼がおかしくて淡雪は笑ってしまう。


――ホントにありがとう、猛クン。


 あの時、淡雪は彼の事を嫌いになってしまったきっかけでもあったから。

 だから、素直な気持ちでこの言葉を告げる事はできなかった。

 あの日、迷い、不安に陥っていた淡雪を彼が見つけてくれた。


『大丈夫? キミ、迷子なの?』


 ずっと傍にいてくれて。

 安心させてくれて。

 優しい温もりのある手を差し伸べてくれた。

 淡雪にとって忘れる事のできない思い出――。


「それじゃ、散策の続きをしましょうか」


 彼女は手だけでは物足りなくて、彼の腕に抱き付いてみせる。

 猛の優しさは大好きな母親と重なる。

 淡雪が彼を好きなのはそういう所もあるのかもしれない。


――私は猛クンが好き。


 もう誰に言われなくても、分かっている事。

 止められない想い。

 

――好きだって気持ちが抑えられない。


 どうしようもないから、ちゃんと向き合うしかないんだ。


「この先に綺麗な池があるのよ。きっと猛クンも気に入るわ」

「今日のコースは淡雪さんにお任せするよ」

「お任せあれ。楽しい時間を過ごせるように頑張る」


 彼と過ごす全ての時間が特別に思えていた。

 

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