第9話:くっ、この歩くラブポエマーめ

 

 図書室の一角で美織は淡雪をからかう。


「でも、こんなに仲がいいとは想像してなかったわよ?」

「そう?」

「夏休みでも恋人ごっこは継続中なんて」


 自分でもそう思う。

 二人の関係がここまで長続きするなんて思いもしていなかった。

 予想以上に淡雪はこの関係を気に入っているのだ。


「もう付き合っちゃってもいいんじゃない?」

「……放っておいてください。さっさと帰って勉強しなさい」

「いや、私としてはかなり珍しく図書館まで来て勉強してるのに。あっ、英語と数学の宿題、もう終わってるんだぁ? さすがですねぇ」


 何かに期待するような目でノートを見つめる。

 淡雪はため息を一つつきながら、


「ノートを貸してあげるから、向こうに行ってください」

「あら、悪いわねぇ。そんなつもりはなかったのに」

「嘘つき。狙いが分かりやす過ぎ。人をからかう気満々でしょ?」


 彼女は渋々、ノートを貸すと「そんなつもりはないって」と美織は笑う。


「淡雪、ちょっと変わったわよね」

「え?」

「うん。なんていうのかな、自然体っていうの? 堅苦しさが消えてるわよ」

「……堅苦しいお嬢様で悪かったわね」


 拗ねた口調で言うと、彼女は淡雪の肩を叩きながら、


「中学時代の友達を集めて今度、遊ぼうよ。皆、淡雪は変わったって言うわよ?」

「私、そんなに変わったかしら」

「大和君の前だと無理に良い子を演じてないでしょ?」


 美織の言葉に淡雪はハッとさせられる。


「軽口を言い合ったり、意地悪してみたり。それは淡雪が普通の異性の相手にすることがなかったことでしょ。違う?」

「……違わないと思う」

「ふふっ。恋してるなぁ、こやつめ」


 淡雪は美織のからかいに「違います」と定番になりつつある反論をしておいた。


「恋する乙女の顔をしてるのに?」

「……あんまりからかうとノートを貸してあげない」

「はーい。これくらいにしておきます。淡雪のノートがあれば、英語と数学は終わりだし。すごく助かるわぁ。終わったら返すから、帰る時に声をかけて」

「まる写しだけはやめてね。はい、向こうに行きなさい」


 ノートを渡して追い払うように淡雪は美織を遠ざけようとする。


「でもさ、それでいいんじゃない?」

「え?」

「恋する乙女。淡雪はずっと我慢してるところがあったでしょ。自分が素直になれる相手と巡り合えた。それだけでも十分じゃん」


 最後までにやにやとして、彼女は立ち去って行った。


「ホント、人をからかうのが好きなんだから」


 淡雪が独り言を呟くと、


「良いお友達じゃないか。淡雪さんの理解者だろ?」

「……っ……」


 淡雪は今度はこちらか、とばかりにゆっくりと背後を振り返る。

 そこには寝ていたはずの猛が起きていた。


「た、猛クン。いつから聞いてたの?」

「遠見さんが『キスしちゃえ、今がチャンス』と言ってた頃から目が覚めてた」

「……全部、聞かなかったことにしてください」


 淡雪はげんなりとしてうなだれた。


――さ、最悪だわ。私、変なことを言ってなかったわよね? そう言って。


 最初から聞かれてなかったとはいえ、恥ずかしさで死にそうだ。


「ふわぁ」


 彼は小さく欠伸をしてから伸びをする。

 

「いつのまにか寝ちゃってたんだな。悪かったよ」

「……寝てる間にキスなんてしませんから」

「いつキスされてしまうんだろうと起きてからドキドキしていたのに。残念だ」


 淡雪は彼の頬を軽くひねる仕草をしながら、


「やーめーて」

「ははっ。冗談だよ、冗談」

「寝たふりなんてひどい人だわ」

「あはは。でも、淡雪さんが変わったのは俺も感じてるよ」


 最初に会った4月よりも、今の淡雪は違うのかもしれない。

 彼女自身もそう感じている。


「猛クンから見ても私は堅苦しさがなくなった?」

「ていうか、笑顔が多くなった」

「――っ」

「俺は淡雪さんは笑った顔が可愛くて好きだよ。すごく素敵だもの」

「……うぅ」


 淡雪は今度こそ、恥ずかしさでどうしようもなくなり、無言で彼を攻撃する。

 

――笑った顔が多くなった、か。


 今の淡雪はすごく毎日が充実している。

 それは傍に猛がいるからだ。

 

『恋してるなぁ、こやつめ』


 美織の指摘が脳裏によみがえる。

 気づかないうちに自分の気持ちはもう抑えられないものになりつつある。


「人をからかってないで、勉強を再開しましょう」

「からかってないよ。本音だよ?」

「くっ、この歩くラブポエマーめ」

「言い方がきつくないっすか」

「恥ずかしいセリフをサラッと吐ける貴方にはお似合いでしょ」


 気恥ずかしさを誤魔化すために彼女は教科書に視線を向ける。


――本音ならなお、悪い。私の心臓を止める気かしら。


 可愛いとか、笑顔が素敵だとか言われると嬉しくなる。

 それを顔に出したくない。


「ここが分からないんだけど、聞いてもいい?」

「あー、これね。俺も最初は分からなかったけど、こっちの……」


 勉強に集中するふたり。

 その様子を遠くの席に座って伺う美織は、


「……素直じゃないやつ。でも、ホントに変わったなぁ」


 と、友人の変化を面白そうに眺めていた。

 ただし、心配事もあるようで、


「でも、恋人にはなれないんだろうなぁ。あの子、最後の勇気は出せない子だわ」


 どんなに仲良くなっても。

 どんなに想いを積み重ねても。


「自分の殻を壊せなければ、前へ進めない」

 

 幸せになってほしいのに。

 最後は恋人になれそうにないと友人として危惧していた――。

 

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