第1話:嫌い、嫌い……大嫌いっ

 

 昔から淡雪は母親が大好きだった。

 優子と同じ綺麗な天然茶髪。

 母譲りの美人さで小さな頃から評判もよかった。

 特に淡雪が好きなのは、母がつけてくれた自分の名前だった。


『淡雪って名前はね、貴方が生まれた日に雪が降っていたの?』

『雪? 私、春生まれだよ?』

『そうなの。でもね、その日はとても寒くて、雪が降った』


 優子は過去を思い出しながら、彼女に一枚の写真を見せた。

 それは白い雪と共に桜の花びらが散る幻想的な光景だった。


『うわぁ、雪と桜の花がさいてる!』

『綺麗でしょう。すぐに溶けてしまう、春の雪。それを“淡雪”って言うの』

『あわゆき……』

『言葉の響きがとても綺麗だもの。貴方にぴったりの名前だなぁって』

『えへへ。私に似合う?』

『とても似合うわ。将来、貴方はきっと美人になる。その時に誇れる名前よ』

 

 淡雪と言う名前。

 自分でも気に入っている。

 大好きな母との繋がりを大切にし続けてきた。

 だからこそ、母に会いに来た。

 その純粋な気持ちは嬉しかった優子は、


「淡雪。もう無理しちゃダメよ?」

「ごめんなさい」

「分かればよろしい。猛、少しだけ彼女と遊んであげてね」

「うん、いいよ」


 一瞬だけ、優子が何か躊躇するような仕草を見せた。


「……これくらいなら大丈夫よね」


 そして、独り言のように何かを小さく呟く。


「え?」


 淡雪は理解できず不思議な顔をして見つめていた。

 優子が須藤家に連絡を入れている間、彼らと遊ぶことになった。

 広い庭には綺麗な白い花が咲いている。


「これは何のお花なの?」

「百合の花だよ。綺麗でしょ?」

「……うん、とても綺麗。可愛いね」


 淡雪がそう呟くと彼は「そうだ」と少し離れた場所からハサミを持ってきて、


「はい、どうぞ。これ、あげるよ」


 綺麗な百合の花を一輪、プレゼントしてくれた。

 淡雪はその手に花を掴んだ。

 真っ白な可憐な花は見ているものの心を癒す。


「可愛いでしょう。僕の妹も好きな花なんだ」

「ありがとう。お花、大事にするからね」


 淡雪はその花を手にして、彼の顔をマジマジと見つめる。

 

――カッコよくて、優しくて、きっと人気者なんだろうな。


 初対面の自分でさえ、こんな風に優しく接してくれる。

 しばらく、彼らと遊んでいると、先ほどの女の子がやってくる。


「たっくんー、おばさんが呼んでるよ?」

「分かった、すぐに行く。少しだけここで待っていてね」

「うん。気にしないで」


 淡雪は彼が立ち去ると、静かにその手に持つ花を見つめた。

 

――何でだろう。心の中がすごくモヤモヤとする。


 この苛立ちに似た、不愉快な感情は何だろうか。


――変な気持ち。すごく、ざわざわするの。


 淡雪は自分自身でもよく分からない感情が心に芽生えていた。


「……私、猛クンの事が嫌い?」


 そうなのだ、淡雪はこんなにも優しくしてくれている彼が不愉快なのだ。

 嫌いだと認めてしまえば、感情が溢れだしていく。

 

――私のお母さんが、彼のお母さんになっている。


 どうして、そんなことになったのか。

 淡雪は母に甘えるのが好きだった。

 優しい彼女に抱き締められるのが好きだった。


――なのに。なんで、この子は、私と違ってお母さんといられるの?


 淡雪は優子と離れて暮らしているのに。

 彼は、そんな母の愛情を受けて育っている。

 幼心に抱いたのは“嫉妬”と言う名の負の感情。


――嫌だ、そんなの嫌だ。お母さんは私だけのものなのに。


 母を奪われたような不快な気分が淡雪に思わぬ行動をとらせた。

 先ほどもらったばかりの百合の花を淡雪はそのまま折って放り捨てたのだ。


「ホント、大嫌いだよ」


 そんな言葉と共に。

 靴で何度も踏み潰して、淡雪はその場を後にしようとした。

 その視線に気づいたのはただの偶然だった。


――誰かいる?


 こちらを見ている、小さな女の子。

 足を怪我しているのか、縁側にひとりで座っている。

 黒い綺麗な髪をした女の子だった。

 淡雪の方を見て驚いたような顔をして怖がっている。


――変なところを見られちゃった。


 もらったばかりの花を踏みつける。

 礼儀知らずで恩知らずっぷりが恥ずかしくもなる。


「……っ……」

 

 気まずくなった淡雪はすぐにその場から離れた。

 去り際に少女と一瞬だけ視線を交錯させた。

 びくびくと子ウサギのように、引っ込んでしまう。


「あの子は、一体?」


 臆病な少女。

 その小さな瞳がなぜか忘れられなかった。

 やがて、家から迎えがきて淡雪は連れ戻された。

 その後、祖母からもきつく叱られてしまい、大和家に行く事はそれ以来なかった。

 ただ、淡雪は家に帰ってからも脳裏に焼き付いて離れない彼の存在を嫌悪をし続けた。


「……大和猛」


 淡雪の大嫌いな男の子。

 今回の事で淡雪のお母さんを奪った男の子の存在を知った。

 

「嫌い、嫌い……大嫌いっ」


 嫉妬の感情が幼い淡雪を支配する。

 嫌いになることが唯一、淡雪にできる抵抗のようなものだったのだ――。

 それから数年を経て、再び出会うことになるなんて。

 

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