第103話:私はずっと貴方が憎かった

 

 そんな撫子と優子のやり取りがあったとは知らず。

 真実を知ってしまった猛はひどく動揺する。


『須藤先輩の実の母親は私達の母、大和優子なんですよ』


 屋上で撫子が告げたのは予想もしていなかった言葉だった。

 

――どういうことだよ? それって、俺達は兄妹だっていうのか?


 しかし、撫子に深く追求する前に大和家に場所を移すことになる。


『私ではなく、ちゃんと説明してくれる方がいます』

 

 そこでは、既に彼らの母が待っていた。

 リビングで待ち構えていた彼女に猛は問う。


「……母さん、どうしてここに?」

「撫子から今日は家にいた方がいいって言われてね。嫌な予感はしてたのだけど……。撫子、約束が違うんじゃないの?」


 不満そうな表情で撫子に詰め寄ってくる。


「私の口から言うつもりはなかったんですが、事態が深刻になりました。真実を知らないことがお母様の望まない亀裂を生んだんですよ」


 辛辣な言葉を撫子は投げかける。


「……嘘をつき誤魔化し続けた結果は最悪のものになりました」

「どういうこと?」

「それは、須藤先輩の口から聞いてください。ねぇ、先輩?」


 猛達の後ろについてきた淡雪も黙り込んだままだ。

 その顔色は青白く、どうしていいのか分からないといった顔をしている。

 娘に対峙して優子は「淡雪」と名前を呼んだ。

 何ともいえない表情をしながら、淡雪は消え入りそうな小さな声で、


「……お母さん」


 猛からすれば、“嘘だろう”と言うのが最初の感想だった。

 

――これまで一度すら想像すらもしたことがない。

 

淡雪の愛する母親が自分の母親だったなんて。


「まず、今、貴方達がどういう状況なのか説明してもらえるかしら?」

「……うん」


 淡雪は事実をありのまま、母に伝えた。

 学校では猛と撫子の交際が明るみになった。

 その結果、後ろ指をさされるような事態になっている。

 さらに、この状況を生み出したことに、淡雪も少なからず関わっている。

 撫子の口から淡雪の実母が優子だと告げられた。

 それらの説明を聞いて、優子は小さくため息をつきながら、


「つまり、撫子と猛が付き合い始めたのが一番悪いと?」

「そうきますか、お母様?」

「油断してたわ。この子の暴走をなめてた。ひどい子ね」

「あのですね、前にも言った通り、私達の関係は止められませんよ。誰にもこの愛を止める権利なんてありません」

「……はぁ、付き合い始めるなんて。私の監督不行き届き。母親失格ね」

「反省するのはもっと別の所だと思います」


 なぜ、この状況でも彼女達は争うべき論点がそこなのだろうか?

 いつも通り過ぎて猛も「あのー」と困惑気味だ。

 

「お母様はいい加減に私と兄さんの交際を認めてください!」

「だから、何度も言うけど、私の子供たちが恋愛してる事実を認めません!」

「ホント、頑固ですね。私達の愛を認めてしまえば楽になれると言うのに」

「……そこで楽になりたくないわ。私、本当に許したくないの」


 バチバチと火花散らす、母さんと撫子。

 

――いやいや、もっと追求すべきところがあるでしょうに。


 言い争う親子を横目に、彼は隣に座る淡雪に声をかける。


「淡雪さん。本当にキミの母は、俺の母さんなのか?」

「……っ……」

「そうだとすると、キミとは兄妹ってことかな?」


 その可能性が湧いて出てくる。

 全く、想定外の現実を前に猛は口の中が乾いていた。

 首を横に振りながら淡雪は、


「分からないわ」

「え?」

「私にも、真実は分からない」

「どういうこと?」

「あのね、私もずっとそれを知りたかったのよ」


 力なく救いを求めるように淡雪は優子の方を見た。


「お母さん。私は怖くて一度も聞けなかった。猛クンと私の関係。本当に兄妹なの? 今日は全部、教えてくれるよね?」


 それまで言い争っていたふたりはこちらに視線を向け、


「ごめんなさい。撫子とやりあってる場合じゃなかったわ」

「……私もつい熱くなりました。今日の本題は違いましたね」

「そうよね。この子には伝えたけども、貴方達には何も伝えていなかったんだもの」

「最初から説明してくれるんだよな?」

「えぇ。その覚悟だけはしていたわ」


 そして、ついに猛達の関係を彼女は話してくれることになった。


「猛、貴方の出自は須藤家よ」

「マジか……」

「須藤家の長男として生まれたの。そして、貴方には双子の妹がいた。それが……須藤淡雪、私の娘でもあるわ」


 まるで殴られたかのような衝撃が身体を突き抜けていく。

 

――俺と淡雪さんが双子の兄妹?


 淡雪もそれを信じられないといった様子で話を聞いている。


「須藤家にはあるルールがあるのを猛は知っている?」

「あぁ、女尊男卑の変わった風習が残っているんだろ」

「どういう状況かは知らないけども、ある世代から須藤家の権力を握ったのは女性だった。それ以来、直系の女性に家督を譲る風習があったらしいわ」

「……で、生まれてきた男子の俺は不遇の扱いを受けたと?」

「えぇ。猛はこの事情をどこまで知っているの?」


 ほとんど何も知らない状況だ。


「詳しいことは何も知らないよ。ただ、あの家に生まれた男子には未来がないのだと聞かされている。……俺もそうだったのか?」


 優子は静かに頷きながら、


「猛は生まれてからずっと私のもとを離れて暮らしていたのよ。離れの狭い部屋で、親と引き離されて育てられていた」

「噂は聞いてたけど、ホントだったんだなぁ」

「私は同じ敷地でも、貴方の成長すら見守れなかった」

「……須藤家には古い離れがあるの。そこを利用していたのね?」


 淡雪の言う通り、屋敷に小さな離れがあるのは知っている。

 

『あそこはね、男の子を閉じ込めておくための場所なんだって』


 結衣が説明してくれたあの場所で猛は生まれ育っていたのだ。


「淡雪なら分かるでしょ。あの家での男子の扱いは冷遇そのもの。私や辰夫さんには何も手出しすらできなくて……」


 そこで猛を養子に出す話が出てきたそうだ。

 ここで幽閉に近い生活を送るよりは人並みの生活をできるだろう、と。

 けれど、優子は彼を見捨てはしなかった。

 旦那と離婚してでも、猛を引き取り、須藤家を出たのだ。


「実の子と引き離される直前になって、私は自分の愚かさを思い知ったのよ。私が守らなきゃいけないのは今の生活じゃない。子供の未来だって」

「……母さん」

「猛を引き取って、しばらくして私は彰人さんと再婚した。まだ小さな撫子はすぐに猛に懐いてね。猛も初めての妹の存在に次第に立派なお兄ちゃんになっていったわ」


 それは猛達に物心がつく前だった。

 ……初めての妹の存在に本当の妹だと撫子を思い込んでいたのだろう。


『撫子ちゃんから聞いたんだ。優しいお兄ちゃんができてよかったって』


 今になって思うと、恋乙女の記憶は正しかったのである。

 もちろん、撫子にその自覚があっていったかどうかは分からないが。


「確認なんだけど、俺と撫子は実の兄妹ではないんだよな?」

「実の兄妹ではないけども、恋愛関係は一切認めませんから。あのね、猛。実の妹じゃなければ結婚してもいいと言う理由にはならないのよ? 分かってる?」

「……そ、その話はちょっと置いといて」


 母の剣幕に押し負けて、猛は思わずのけぞる。

 

――これはこれで説得に時間がかかりそうだ。


 とりあえずは棚に置いておく。

 

「こほんっ。母さん、気になることがまだあるんだ。俺の名前だよ」

「名前? それが何か?」

「撫子が大和撫子と言う素敵な名前のように、俺も大和猛じゃないか」

「ヤマトタケル。名前で見れば、間違いなく大和家で生まれたと思うわよね」

「当然のようにそう感じてきた。でも、違うんだよな。俺は大和の名字が合わさってヤマトタケルだけども、本当は……」

「須藤猛、それが貴方の本当の名前だった」


 名前縛りの呪縛から解き放たれる。

 名前縛りこそが猛と撫子が兄妹としか思えなかった。


「ややこしいのだけど、大和の名字が合わさったのは偶然よ」

「ちなみに、私の大和撫子と言う名は実母の趣味でつけられたものだそうです。名前縛りは曲者でしたね。完全に翻弄されました」


 撫子が思わず苦笑いしてそう言った。

 

「本当にそうだな」

「猛と言うのは、貴方が生まれてきたときに、須藤家の宿命に負けないで欲しいからそう名付けたのよ。猛々しい男の子、つまり強い子になって欲しかった」

「全然、名前負けしたヘタレになりましたが」

「そんなことないわよ。誰よりも優しい男の子に育ってくれた。自慢の息子だもの」


 優子が真っ直ぐに猛の目を見て言い切った。

 どこか照れくさくなる。


「生まれてきてからの貴方の境遇を思えば、一歩間違えれば、荒んでもおかしくないのに。こんなにも人を思いやれる子に育ってくれて嬉しいわ」

「俺には撫子がいたからな」

「……良いお兄ちゃんでいるうちに、そういう性格になったのね」


 そして、彼には愛情を傾けてくれた人々がたくさんいたから。

 道を踏み外す事もなく、今があるのだ。


「淡雪、猛。貴方達には真実を話さなくてごめんなさい」

「……びっくりしすぎて、思考が追い付かないわ」

「俺も整理するには時間がかかりそうだ」


 頭を抱えるふたりはそう答えるのがやっとだった。

 今まで自分の信じてきたことが崩れるのだから仕方のない事だろう。

 だが、しかし。


「お母さん。私は……」


 淡雪は唇をかみしめて、悲痛な表情をする。


「私は、もっと早くそのことを知るべきだった」


 顔を蒼白させながら、彼女はゆっくりとそう告げた。


「淡雪さん?」

「そう。私は取り返しのつかないことをしてしまったわ」

「え? それって……?」

「猛クン……私はずっと貴方が憎かった。大嫌いだったのよ」


 彼女の口から告げられたのは嫌悪の言葉。

 今にも泣きそうな辛辣そうな表情で彼女はそう言った。

 

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