第104話:だって、これは私の罪だもの

 

 真実を知りたいと思ってはいたけども、予想すらしてなかったこともある。

 失意の淡雪を車で家まで送っていくために優子たちがいなくなる。

 猛と撫子はようやくホッと安どして、騒動の終わりを実感していた。


「まったく、驚き以外の言葉がでないね」

「……それは須藤先輩の言葉も含めてですか?」

「俺、嫌われてたんだな。知らなかった」

「まさかの大嫌い宣言ですからねぇ?」

「調子にのって、好かれてると勘違いしてた。ものすごくダサい」


 何も知らずに、淡雪からは頼りにされて好意を抱かれてると思い込んでた。


『私は貴方を憎んでいた。大嫌いだったのよ』


 彼女が実の妹だというのもショックだけど、そっちの方もショックだ。

 親友が妹で、好かれてると思っていたら嫌われていたのだ。

 猛でなくとも、落ち込んで凹む。

 話はそこで終わってしまい、具体的に何を嫌っていたのかは不明だが。


「俺、何を嫌われることをしたのでしょうか」

「多分、セクハラです。きっと幼女時代にひどい悪戯でもしたのでしょう」

「してません! それは断言できる」

「では、実の妹と恋人ごっこをしてしまった事への罪悪感でしょうか」

「やめて!? いま、その話は言わんといて!?」

「ごめんなさい。落ち着くまで兄さんをこのネタでいじめるのはやめます」

「……はぁ。本当にお願いしますよ」


 今、そのネタでいじられたら切腹したくなる。


――妹と恋人ごっことか。何してたんだろう、俺。


 彼はぐったりとうなだれると、撫子が寄り添ってくる。


「今日は長い一日になりましたね」

「まったくだ。そして、俺はもう疲れ切りました」

「お疲れ様です。椎名先輩の起こした事件を解決したと思いきや、黒幕は須藤先輩で、実は彼女は兄さんの双子の妹だった。そして……」


 彼女は甘えるような口調で彼に言い放つ。


「私は兄さんの実の妹ではありません。これ、一番、幸せな事実でしょ」

「……かもしれないね」


 そこに救いを求めるのはどうかと思うけど、喜ばしい事実ではある。

 どちらからともなく、軽くキスをしあい想いを確認する。

 その事実は、ふたりにとって安心して寄り添えるものだ。


「これで望みさえすれば兄さんとの赤ちゃんもこの手に抱けます」

「おいおい」

「前にも言いましたが、男の子ならば明日夢、女の子ならば明日香と言う名前を決めています。可愛い子供たちを育てましょう」

「いろんな意味で早すぎだ!?」

「もちろん、今すぐではありません。少しだけ未来の話です」


 にっこりと笑って言う撫子。

 

――そうだな、俺達に明るい未来が開けたのは事実だ。


 ふたりは実の兄妹ではない。

 ならば、結婚や子供だって望めばできるのだから。

 それはこの猛が長年望み続けたことだった。


「これで兄さんは堂々と私を愛することができますよ」

「母さんは相変わらず、認めてくれてないけど」

「最大の障害はなくなりました。例え、実の兄だとしても、私の想いは変わりませんが、世界を敵に回さなくても、兄さんとの幸せを手に入れる事ができます」

「……撫子もさすがに世界を敵に回すのは辛かった?」


 今回の事は彼女にも堪えただろう。

 だが、猛の言葉に彼女は「いいえ」と否定して、


「一番辛いのはそれで苦しむ兄さんを見る事でした。優しい貴方を苦しめてしまい、申し訳ありませんでした」

「撫子が謝ることじゃないさ」

「いえ、違うんです。兄さん、私はずるくてひどい子なんですよ」


 撫子は猛に身を委ねながら、謝罪の言葉を続ける。

 

「この事件で一番ひどいのは誰でしょう、という事です」

「それって?」

「嫉妬と悪戯心で騒動を生み出した椎名先輩。その椎名先輩を言葉でそそのかした須藤先輩。違いますよ、一番の大悪はこの私なんです」


 明確な罪悪感を持って彼女は猛に言う。


「撫子が大悪? 意味が分からない。撫子も被害者だろ」

「この事件、本当の被害者は皆から責められて追い込まれた兄さんだけです」

「どういうことかな」

「私は被害者ではなく、どちらかと言えば先輩たちと同じ加害者なんですよ」


 小さな手を猛の手の上に重ねて、彼女は懺悔するように、


「……だって、私はこの騒動が起こる前に真実を知っていたんです」

「あっ」


 そういえば、そうだった。

 撫子が優子が揉めたのはこの事件の起こる少し前だ。

 あの時から、彼女は猛と血の繋がりがないことを知っていたのだとしたら。


「なのにもかかわらず、私はまるで少女漫画のヒロインのように、悲劇ぶって、実の兄妹が禁断の恋を踏み出してしまったような苦悩を体験していました」

「……撫子」

「えぇ。私の心にも彼女達と同じように魔が差してしまったんです。この状況を利用して私と兄さんの関係を世間に公表してしまおうって……」


 確かに今回の騒動で猛達の関係は世間に知られることになった。

 良い意味では決してないけども。


「私達が実の兄妹ではないことを証明すれば、この騒動が終わることも知っていました。それなのに、兄さんが苦しませて、傷つけてしまっても、この騒動を止めませんでした」

「この騒動をどこか楽しんでいた?」

「心のどこかでは、きっと。だって、世界のすべてを敵に回しても、兄さんはちゃんと私との愛を貫いてくれたんです」


 その瞳に涙の粒を浮かべて、彼女は言った。


「……嬉しかったです。兄さんの愛は私が実妹でも何も変わらないんだって。強い思いを知り、私は歓喜しました。それと同時に嘘をついた自分を恥じました」


 涙の雫がその頬を伝って流れ落ちる。


「初めて嘘をつきました。普段から嫌っているはずの嘘をついたんです」

「……事実を黙っていることは嘘ではないだろ」

「結果としては同じです。兄さんを傷つけた事実は消えません」


 そっと涙を流しながら「ごめんなさい」と彼女は謝る。

 静かに嗚咽する撫子の肩を猛は抱き寄せながら、


「許すよ。今回の騒動はもう終わった。それでいいんだ」

「……兄さん」

「ふっ。まったく、悩みに悩んだ俺は何だったのだと嘆きたくなるのは事実だよ。でも、結果としてみれば、ハッピーエンドじゃないか」


 撫子が心の底からこの状況を望み、楽しんでいたとは思えない。

 それは事件を起こした彼女達もそうだ。

 人の心には魔が差すことも多々あって、しょうがない事もある。

 事件は終わった、それでよしと思う事にした。


「相変わらず、兄さんは優しいですね」

「どうだろうか」

「何があっても他人のせいにしない。自分の事は自分の事として受け止める。それが貴方の本当の強さだと思います」

「……褒めないで。照れるから」


 撫子の涙を指先でぬぐってやりながら、


「好きな子なら少しくらい騙されてもいいかなって。それだけだよ」

「兄さん……私、今なら抱かれてもいいです」

「そこで母さんが帰ってきて修羅場を迎えるのが容易に想像できるんですが」

「いいじゃないですか。見せつけてあげましょう」

「本気で家から追い出されるのでやめて!?」


 ここで撫子を押し倒した結果が恐ろしくて勇気がなかった。

 ちぇっと彼女は舌うち気味に、


「やっぱり、兄さんはヘタレさんですね」

「うわっ、好感度が激減した」

「……下がりませんよ、倍増です。兄さん、私は嫉妬深くて、時々、ひどい真似をしてしまう女の子です。それでも、兄さんを想う心だけは誰にも負けません」


 彼女は猛に唇を近づけてほんのりと涙に濡れた瞳をつむる。


「貴方はこんな私を愛してくれますか……んぅっ」


 返事の代わりに猛は撫子の唇にキスをした。

 ようやく長い一日が終わり、騒動が終わりを迎えたのだ。

 たっぷりと恋人としての甘い時間を過ごす。

 それくらいの権利はふたりにあった。





 優子に車で送られて、淡雪はずっと沈黙したままだった。

 須藤家までの数十分がとても長く感じられる。

 運転席から淡雪の顔色をうかがう優子。


「大丈夫、淡雪?」


 淡雪と猛が兄妹かもしれないという事実。

 可能性としてはあっても、それを確認できず。

 ずっと自分の中でもやもやとしていたモノ。


「今回の事、本当にごめんね」

「……お母さんが謝る理由なんてひとつもないよ」

「あるわ。貴方たちが兄妹だという事実を話さなかった」

「それを言うのなら、私は須藤家として謝罪をしなくてはいけないわ」

「そんなことは」

「あるでしょう。私は須藤家の人間だもの。その責任があるの」


 罪のない子供と引き離そうとした。

 親子の絆を引き裂く真似をした須藤家は非難されるべきものだ。

 優子にとっても、淡雪にとっても、その話はとても辛いもの。


「……お父さんと離婚したかったわけじゃなかったんだよね」

「えぇ。でも、あの子を守りたかった気持ちが勝った」

「お母さんは猛クンを守るために、離別を選んだ。苦しかったでしょ」

「もちろん。淡雪と離れたくもなかったもの」

「須藤家は人を不幸にしてばかり。多くの人の人生を狂わせてきたわ」


 自分の代になれば、それを変えたいと願っていた。

 その前に、自分自身もまた被害者だったのだと思い知らされた。


「まさか、私にお兄ちゃんがいたなんてね」


 実の兄である猛という存在を淡雪は知らないできた。

 男子であると理由のみで、排除されてしまった哀れな存在。

 車内から夜景を見つめて、淡雪は静かに呟く。


「……私は残酷なことをしてきたわ」

「なにを?」

「猛クンのこと、嫌いだったもの」

「どうしてって聞いてもいい?」

「単純な理由だよ。お母さんの子供だったから」


 大好きな母親の愛情を受ける存在であるがゆえに。


「再婚相手の子供なのに、お母さんから愛されて。それが許せなくて」


 勝手な思い込みで、嫌い続けてきた。


「でも、違った。それは思い込み。ただの勘違い。猛クンもお母さんの子供で、愛情を受けて当然の存在だったのにね。私はバカだわ」


 何よりも淡雪が落ち込んでいるのは、


「猛クンに何の罪もないのに、須藤家と同じように私は彼を疎ましく思い続けてきた。自分を恥じる以外の言葉が見つからなくて、消えてなくなりたい」

「……淡雪、その心の痛みは貴方が受け止めるべきものじゃない」

「いいえ。だって、これは私の罪だもの」


 優子は「ごめんなさい」ともう一度だけ謝る。

 愛娘を追い込んでいるのは、事実を黙り続けてきたせいだ。


「もっとはやく、私は貴方たちに真実を話すべきだった」


 真実を知らされたところで、過去を取り戻せるわけではない。

 須藤家が幼い猛にしたひどい仕打ちも。

 淡雪が心の底で、彼を嫌い続けてきた事実も。

 何もかも、取り戻せない。


――なんて世界は残酷なんだろう。


 それ以上は何もお互いに言えずに。

 自宅につくまで淡雪は猛のことを想い続けていた。


――ホント、ひどい。私は最低で愚かな女の子だもの。


 嫉妬深くて、どうしようもないほどに浅はかな自分。

 欲しいものを取られたくないから、嫌いになった。


――猛クンに、謝っても謝りきれないほどのことをしてきた。


 逆恨みをして彼を憎しみ続けて。

 そして、再び会ってからは今度は彼と恋に落ちて。

 運命に翻弄され続けてきた人生。


――私はもう、彼の傍に二度と近づいてはいけないんじゃないか。


 己の罪を償うために。

 今の自分にできること、しなくてはいけないこと。

 罪悪感に押しつぶされそうになる。


――猛クン。私、私はずっと……。


 淡雪の瞳からは静かに涙が零れ落ちる。

 愚かさと悲しみと、怒りと憎しみと、愛おしさと。

 涙という形となって、様々な感情が溢れ出し流れていくのだった――。

 

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