第85話:もっと楽に生きなさい

 

 淡雪と結衣。

 猛にとって大事なふたりが分かり合えて、よかった。

 

――あの姉妹は互いを理想としている、良い姉妹だ。


 結衣も今年の夏は思う存分に好きなダンスに取り組めるだろう。

 その手助けをして、安堵して家に帰った猛に待っていたのは。


「――兄さん、大事な話があります。お母様と対決する日がついに来たようです」


 まさかの宣戦布告をする妹だった。

 玄関先で唖然とする猛は「え?」と情けなく声が漏れた。


「あの、どういうこと?」

「止めても無駄ですよ。私の意志は固いです。ついに決戦です」

「せ、戦争!? 家族間戦争、再び? またかよ!?」

「今度と言う今度は彼女を追い込む準備はできています」

 

 ものすごく物騒なことを言う撫子にびっくりだ。

 本気さがひしひしと伝わるので、どうしようもなくビビる。


「というわけで、兄さん。今日はとてもお見せ出来ない真似をするつもりです」

「何しちゃうんだよ!? 全面戦争か、ついに恐れていた事態がきちゃうのか」


 猛を追い出すほどと言うのが想像するだけでも恐ろしい。


「私も今日はどんな姿を見せてしまうのか分かりません」

「その発言がさらに不安だ」

「そこで相談した結果、数時間程度、家から出てもらいます」


 撫子の背後で雅が車の鍵を片手に、


「さぁ、行くわよ。私とドライブに行きましょう」

「待て。ちょっと待って。真面目な話、これ相当やばい?」

「……兄さん。私、この戦いが終わったら兄さんと結婚するつもりです」

「どんなフラグだ!?」


 もはや意味が分からないで混乱する彼を雅が無理やり家から追い出す。


「ほら、さっさと私の車に乗りなさい」

「ちょっ!? そっちの方が怖いんですけど」

「失礼な。何度もドライブに連れて行ってあげてるのに」

「だから嫌なんだよ!?」


 これ以上、怖い思いをしたくない。


「兄さん。ご心配なく。ただの話し合いですよ」

「ただの話し合いに家族を追い出す必要はないと思うんだ」

「……時に親子というのは他人が想像もしない、残酷さを見せることがあります」

「お願いだから、帰ってきたらBADENDだった、というのはやめてね」


 大いに不安を抱えながら、猛は意味も分からず、家から追い出されるのだった。





 夜の道路を車が走り抜ける。

 快走する車内で冷や汗をかきながら、


「あ、安全運転でお願いします」

「大丈夫よ、大丈夫。お姉ちゃんを信頼しなさい。トラストミー」

「できません」


 落ち着いた様子の雅は「夕食でも食べようよ」とのんきに語る。

 その冷静さが猛には信じられない。


「家ではこれから家族間戦争が始まろうとしているのに」

「撫子が決めたことよ。本気でぶつかりあいたいから猛は邪魔なの」

「……姉ちゃんがせめて間に入ってあげれば?」

「妹の覚悟に水を差す真似はしないわ」

「こんな時には緩衝材としての役割を姉ちゃんはずっとしてきてくれたじゃん」


 それが撫子の後押しをして、状況を悪化させるとは……。


「緩衝材って時に邪魔になることってあるでしょう」

「ないですね。どんな状況でも邪魔にはなりません」

「えー。あるじゃん。いらなくなったプチプチをため込んでもゴミだもの」

「そういう意味じゃなくて。そもそも、撫子は何でいきなり対決ムードに?」

「……貴方達の関係が進展したことに関係があるわ」


 指摘されてドキッとする。


「姉ちゃん……?」

「何を驚いてるわけ? 前から貴方達の気持ちには気づいてたし、その後押しを姉なりしてあげていたつもりよ。それ自体は問題じゃないの」

「いや、それはかなりの問題だと自覚しているのだが」


 撫子から聞いてたとはいえ、バレていたのはよろしくない。

 姉は呆れに似た微笑を浮かべて、

 

「猛もそろそろ気づいてもいいと思うけど?」

「何に対して?」

「……猛が撫子と違う所はそういう所かしら。想いを自分の中に抱え込んで、自己完結するタイプね。撫子は違うわ。自分の想いには行動で示す子よ」

「秘密にたどりついた?」

 

 兄妹には何かしらの秘密があると撫子は以前から言ってた。

 

「もしかして、今日はそれを確かめるということなのか」

「猛は自分でそれを調べようとしたことはある?」

「……」

「なくはないでしょうけど、撫子ほど真剣にはしてないでしょ」


 頷く猛に彼女は「それが悪いわけじゃない」と全否定はしない。


「例えば戸籍を見るとか。それですべてが解決するのに」

「パンドラの箱。中を開けてみるまで分からない」

「都合の悪い真実だったら、という不安もあるから?」

「……俺たちの未来に救いのない、実の兄妹だとしたら? 俺はその都合の悪い真実を知りたくない。弱気なヘタレですからね」


 その可能性が大いにある以上、迂闊には触れたくない。

 知らなければよかった。

 そんなことは世の中いくらでもある。

 見たくない、知りたくない。

 そうやって、猛は確証に近づくのを恐れ続けてきた。


「猛の事だから両親が隠すことの意味を考えているんでしょう。秘密は知りたい。でも、知ってしまえばお母さんが困るんじゃないか、とか」

「……その気持ちがないわけじゃないよ。隠すと言うだけの理由があることだとは思っている。何もなければ隠す必要なんてないんだからさ」


 それが積極的に秘密に踏み込めない理由でもあった。

 

「私は秘密が何かを知ってるわ。それでも教えてはあげない」

「なぜ?」

「勉強と一緒よ。テストで簡単に答えを教える先生はいない。答え合わせはしてあげるけども、頑張らない子には教えません」

「知りたいと思うなら、撫子みたいに自分で探せってこと?」

「そういうこと。だから、あの子はあそこまでたどり着いた。すごいわよね」


 猛にはないもの。

 それは家族を壊してでも前へと進む勇気だった。




 イタリアンレストランで夕食を終えたあとのことである。


「ふぃ。大満足。ここのお店のカルボナーラは最高だわぁ」

「……スパゲティーにピザ、ドリアにハンバーグ。さらにデザートは二種とか」

「なにか?」

「いえいえ。姉上は相変わらずだと思っただけです」


 昔から細身ながら、大食いな雅である。

 この程度は軽くぺろりと平らげてしまう。

 同じ姉妹でも小食の撫子とは大違いだ。


「今頃、撫子は母さんと戦っているのだろうか」

「殺り合ってるでしょうねぇ、うふふ」

「殺りはダメ。あまり派手な真似はしてないといいけど」

「ガチバトルの最中じゃない? さぁ、どっちが生き残るでしょうか」

「煽るんじゃない」

「いいのよ。あの二人はぶつかり合った方が気が済むでしょ」


 デザートを食べながら満足そうな姉を見つめて、


「なぁ、姉ちゃん。ひとつだけでいいから教えてくれないかな」

「なんでしょう?」

「その秘密を知った時、俺達、家族の関係って何か変わるのか?」


 理想的な現実は、猛と撫子が本当の兄妹ではないこと。

 最終的には漫画の世界のようにハッピーエンドを迎える事ができる。

 だけど、大抵は理想と現実は違う。

 下手な幻想を抱き続けても、裏切られるだけだ。


「……猛はどうあってほしい?」

「秘密を知っても、最終的に家族が笑いあえる関係であってほしい」

「ふふふ、甘いなぁ。そんなご都合主義な考えだけはやめなさい。無理だよ」

「はぐっ!?」

「でも、その甘さこそが、猛らしさだもの。そうね、私が言ってあげられるのは、秘密を知れば確実に関係は変わるわ。否が応でもね」

 

 やはり、それだけの事実ということなのか。

 

――間違いない、秘密は俺と撫子が義理の兄妹ってレベルじゃない。


 雅の口調からそのことだけは確証を得た。


「秘密を暴けば傷つく人もいる。困る人もいる。でも、変わらない人もいるわ」

「変わらない人って?」

「私よ。私は何も変わらない。猛のお姉ちゃんのままだもの」

「……姉ちゃん」

「心配せずとも、私はずっと貴方の姉だし、これからも撫子との関係は生暖かく見守るわ。例え、どんなことになろうともそれだけは変わりません」


 その一言にどこか安心する自分がいた。


「……姉ちゃんの言葉ってさ、すんなりと胸に落ちるから不思議だ」

「単純な事を複雑に受け止めるから苦しい」

「自分、不器用なんですよ」

「というか、もっと楽に生きなさい。心にため込んだら病むわよ」


 姉のストレートな言葉は猛にとって大きな影響を与える。


「自分を含めて誰かが傷つくことを恐れないこと。それが今の猛に必要な事よ」

「それが難しくてさ」


 もっと自分に素直になれたら苦労してない。

 いろんな人の想いを感じてしまうからこそ、猛は身動きができなくなる。


「もっと欲望を持ちなさい。そうすればきっと楽になれるわ」


 雅の微笑みに苦笑いをすることしかできない猛であった。





 魔のドライブを終えて、家に帰った猛を待っていたのは、

 

「あ、あの。すれ違った母さんがえらく、ムスッてしてましたが?」

「ガチでやり合った結果です」

「こちらもこちらで不機嫌なようで?」

「機嫌よくもありませんね。どうにもすっきりとしなくて」


 そっと猛に抱きついてくる。

 彼の腕の中で撫子は甘えるように、


「兄さんのために頑張りました」

「褒めるところ?」

「叱られたら悲しみます。姉さんと一緒に過ごしてどうでした?」

「……姉は姉だと思い知らされたかな」


 年上の余裕というべきか。

 悩める弟を姉はいつでも後押ししてくれる。


「俺は姉ちゃんの弟でよかった」

「そうですね。自慢の姉です」

「その、撫子……そっちはどうだった?」

「お母様とぶつかりあいましたよ。えぇ、私もボロボロです」


 撫子は「ずいぶんと傷つきました」と胸を押さえる。

 相当、大ゲンカに発展した模様。


「大丈夫か?」

「お母様も傷つけてしまいましたから。痛み分けです」

「……決着はつかなかったんだ?」

「ですね。決着と言う意味ではついていません。ただ、秘密についてはずいぶんと近づけました。まだ最後の戦いは待っていますけど」

「最後の戦いって、まだ戦うつもりか」

「お母様とはこれでしばらくは休戦になります」

「……誰か他に戦うべき人でも?」


 猛の問いに彼女は無言で微笑むだけだった。


――秘密について母さんが話してくれたことを撫子に聞いてみたい。

 

 だけど、それを知るには彼には資格がない。

 

――撫子と同じように、自分で近づかなければ知る権利はないんだろう。


 その勇気のない自分には聞く権利すらないのだ。


「兄さん。私はもう立ち止まりませんよ。せっかく手に入れた幸せを、自ら手放す気はありません。だから、貴方も覚悟を決めてください」

「……あぁ。分かってるよ」


 どんな結末が待っていようとも、猛もこの幸せを逃す気はない。

 撫子を抱きしめながら、今はただ、その愛を実感するだけ。

 失いたくない人がいる。

 この手に抱きしめる温もりだけは失いたくない――。

 

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