第74話: ……ホント、お似合いです

 夕方になり、家に帰ってきた撫子は雰囲気が暗かった。

 調べものがあるからと、放課後に学校に残った彼女を見送って別れたのだが。


「おかえり。どうした、撫子?」

「……兄さん。今の私の顔を見ないでください」

「え? ……ひっ!?」


 思わず、猛がびびったのは撫子のその表情だった。

 ものすごく怒ってる時の顔。


――あのー、撫子さん。何がありました?


 明らかに何かがあった様子。

 猛も普段とは違いすぎるそんな顔を見たくなかった。


「ぐぬぬ」

「口で言っちゃってるし」

「がるる」

「今にも噛みつきそうだし」


――やばい、これはやばい。


 怒りレベルで言えば、ここ数年見られなかったレベルだ。

 本気で怒ってるのは久しぶりに見た気がする。


「……兄さん。私、あの人が大嫌いです」

「あの人?」

「名前負けしてると言われた上に、私のプライドをことごとく粉砕されてしまいましたから。敗北気分ですよ」

「と、とりあえず、部屋でゆっくりしてくればいい。うん、そうしてね?」

「ですが、夕食の準備が」

「今日はお弁当でも買ってくるから夕食はそれにしよう」

「ご配慮に感謝します。そうしてもらえますか」


 夕食の準備どころではなさそうだ。

 彼女の心を落ち着かせるのが今は必要だ。


「姉ちゃんの分も買ってくるから。なので、大人しくして置いて」

「この仕返しは必ず……私は屈辱と怒りは忘れないですよ。ふふふ、大嫌い」


 唇を震えさせて、そんな不吉な発言しないでほしい。

 自室に戻っていくのを見送ってから、


「母さんの時とはまた違う怒り方だな」


 撫子の場合、相手をいびり倒し、とことんまで相手を追い詰めるやり方をする。

 正直、やられたらやり返すタイプだ。

 なのに、こんな風に発散できない怒りを抱える場合は……。


「撫子。久々に打ち負かされたか」


 言い負かされたりして、反論できずに終わった場合だ。

 

「あの人って言うのが誰かは想像したくない」


 多分、淡雪であろうと容易に想像できる。

 彼の周囲で戦争するのはやめてもらいたい。


「……はぁ。撫子の機嫌を直すのが先決だ」


 ため息交じりの猛にできるのはそれくらいしかなかった。





 近所のコンビニへお弁当を買いに行く。

 撫子が料理上手なのでコンビニのお弁当を利用する頻度は低い。

 一人暮らしとかしたら、大抵はお世話になるだろう。

 そういう意味では、ホントに撫子には感謝してる。


「撫子の好きそうなお弁当もあったし。あとは……」


 彼女の好みであるデザートでも買っていくことにする。

 これで機嫌がなおっておくれたらいいなぁ、という希望的観測。


――今回は俺絡みではないので、難しそうだ。

 

 どう考えても、淡雪が撫子に喧嘩を売るなんて展開はあり得ない。

 となると、妹の方から何かしら仕掛けて返り討ちになったとみるべきか。


――淡雪さんも言うべきことを言う人だからな。


 どちらにしても、2人には仲良くして欲しい。


「おっ、新作のマンゴーパフェ。この時期の限定商品か」


 この手のスイーツは撫子が特に好みのはずだ。

 猛は棚からマンゴーパフェを手に取る。


「ありがとうございました」

 

 買い終えて店から出ると、クラスメイトとすれ違った。


「あ、大和さん。こんばんは。偶然ですね」


 ピュア子と呼ばれ評判の眞子だ。


「椎名さん。こんなところで会うなんて珍しい」

「うん。ちょっと友達の家に遊びに行ってたんです。大和さんの家は近いんですか?」

「あぁ。すぐ近くだよ」


 駅に向かう彼女と方向が同じなので、歩きながら話をする。

 

――椎名さんって大人しい子だけども、話しやすいので好きだ。


 目立つ方ではないが、安定した安らぎ感がある。

 ピュア子の愛称は伊達ではない。

 雰囲気にマイナスイオンとか出てそうだ、と勝手に癒されている猛である。


「撫子さんとはずいぶんと仲が良いみたいで。よく噂にもなってます」

「悪い意味で、ですが。兄妹仲がいいと疑惑も多いってね」


 シスコン疑惑で女の子の信頼を失い、恋愛疑惑で猛の学校での立場も失った。

 これで撫子が本当にそういう関係だと知られたら……。


――想像したくもないな。


 現在、交際中のことは秘密にしておく。


「シスコンの噂がひどいからさ。女子からも評価が落ちてるだろ」

 

 風評被害って言うのを身に感じてます。

 反論できない相手をいじめるのはやめてくれ。


「前にも言いましたが、私は別に信じていませんよ」

「え?」

「別に恋愛関係ではないんでしょ? だったら、何も問題ないじゃないですか」

「あ、うん……そうだな」


 さすがピュア子さん。

 純真無垢な瞳を真正面から受け止める自信がなくて、視線をそらしてしまった。


――やましい心がある人間にはこの純粋さはキツイ。


 直視するには勇気がいりすぎる。


「大和さんには須藤さんみたいなタイプが良く似合うと思います」

「淡雪さん?」

「はい、お似合いですよ。おふたりとも」


 キラキラと屈託のない笑みを浮かべられる。

 可愛らしいくて、隠れファンが多いのも分かる気がする。


「……ホント、お似合いです」


 そう小声で呟く彼女の横顔が寂しそうに見えた。


「椎名さん?」

「あんなに仲がいいのなら、よりを戻せばいいじゃないですか」

「え? あ、いや、それは……」

「元恋人なんでしょう?」


 恋人ごっこの時代から周囲の人間はふたりが交際してたと思い込んでいる。

 それを否定しなかったのも彼らがあの時、過ごした時間をなかったことにしたくなかったからである。


「そうすれば、きっと噂もすぐになくなりますよ」

「どうかな? そうはうまくいかないと思うけどなぁ」

「ヨリを戻せない事情でも?」

「それなりに、あるかな」

「そうなんですか。すみません、事情も知らずに勝手に言ってしまいました」

「いや、俺の心配をしてくれるのは嬉しいよ」


 淡雪とは仲もよくて、信頼もしている。

 けれど、恋はしていない。


――彼女に抱いているのは恋心じゃないから。


 眞子に曖昧な笑みで誤魔化すことしかできない、猛であった。

 すでに彼は彼女の信頼を裏切っている。

 撫子を好きで、愛してしまっているからだ。


――俺と撫子が付き合ってることは誰にも秘密だ。


 誰にも知られてはいけない。

 例え、自分を信じてくれる人ですら欺かなければいけない。

 そうしなければ、大事な思いをなくしてしまう。

 世界を敵に回すのは、彼にとってはあまりにも辛い日々になりそうだ。

 

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