第69話:やっぱり、俺は撫子が好きだ

  

 撫子が好きなのは猛という存在そのもの。

 実の兄であろうが、義理の兄であろうがあまり差異はない。


――兄さんが好きなだけ。誰にもその邪魔はさせない。


 邪魔するのなら容赦はしない。

 敵となる相手とは戦ってでも、愛を貫く。

 それが撫子という少女の覚悟だ。


「兄さん?」


 数日前から猛の様子がおかしい。

 撫子が話しかけても上の空、ずっと考えごとをしている。

 少し前に彼は悪夢で悩まされていたし、そのことかもしれないと思っていた。

 だけど。


「大丈夫ですか、悩みでもあります?」

「心配ないよ。ただ、考え事をしてるだけだから」


 普段と変わらないように笑顔を浮かべる。


――どうしてしまったんでしょう? 兄さんは内に秘めるタイプですし。


 悩みを抱え込んで自滅するタイプ、それが怖いので発散してもらいたい。

 何か思い悩んでいる、その姿に撫子は複雑な心境だった。





「兄さんが悩みを抱えているようです。何か心当たりはありませんか?」

「たっくんが? 私のせいかなぁ。あの地雷発言がダメだったかも?」

 

 水泳の授業なので皆、自由にプールを泳いで遊んでいる。

 隣のクラスの恋乙女とは体育が合同授業だったので話をしていた。

 ふたりはプールの端に座り、足を水につけて涼む。


「コトメさんの記憶のみですからね。本当に過去の私がそう言ったのか、という事でしょう。私としては残念ながら記憶にありませんから」

「……んー。確かにそう聞いた覚えはあるんだけど。子供の記憶だからねぇ」

「兄さんとコトメさんはいつ以来の付き合いんなんですか」

「私が4歳くらいだってママから聞いてるよ。たっくんは5歳の頃だね」


 幼稚園の頃、猛の周囲には友達がたくさんいて、彼は皆の中心にいた。

 中には特別に仲のいい数人の子供がいて、恋乙女はそのひとり。


「んー、彩葉姉なら覚えてるはずなんだけどなぁ」

「彩葉姉?」

「私のおねちゃん的存在の人。たっくんと仲が良かった幼馴染なの」

「同じように、過去を覚えているような方に心当たりは?」

「何人か聞いて回ってるけどダメだねぇ。やっぱり子供の頃だもの。遠い記憶は確証がなくて。私はこうだと思いこんでると言われたら否定もできないし」


 結局、録音や文章で残されていない限り、それが真実だとは言い切れない。

 あやふやな言葉に惑わされてしまうのだけはよろしくない。


「では、別の方向から攻めてみましょう。しつこいようですが、須藤先輩と昔にあったことがありませんか?」

「それね。私も思ったんだ。昔、どこかであの人に会ったような気がするって」


 恋乙女は撫子たち以上に昔のことを覚えている。

 彼女の記憶だけが最後の頼りだった。


『私、大和クンの事が嫌いだよ』


 かつて、百合の花を踏みにじったのは淡雪で間違いない。

 問題はその理由が知りたいのだ。


「んー。そうだ、あれかな。あの時に会った子かも?」

「どこですか? それはいつのことですか!?」

「へ? う、うわぁ!?」


 勢い余って詰め寄りすぎて、恋乙女がそのままプールに落ちてしまう。


「うわっぷ。ひ、ひどーい。油断してる時に突き落とさないでよぉ」

「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」


 恋乙女はプールの水に髪を濡らして「もうっ」と頬を膨らませる。


「……わ、わざとじゃないですよ?」

「むぅ、不幸な事故だっていいたいの? お返しだ、えいっ!」

「きゃっ。あ、謝ってるじゃないですか」


 彼女に水をかけられて反撃される。

 恋乙女は誰に対してもすごく気さくな子なので撫子もついつられてしまう。

 

――こういう性格を兄さんは好んでいたんだろうな。


 人懐っこくて、人当たりがいいから誰からも好かれる。

 ひとしきり、私に攻撃した彼女はプールの水に浮かびながら、


「あのね、昔の記憶で気になる女の子がいるの。その子は迷子だったんだ」

「……迷子ですか?」

「うん。道に迷ったのかもしれない。その少女はひとりで公園で泣いていたの。それを見つけた、たっくんが家に連れてきたんだ」

 

 過去を思い出すように、コトメさんは呟く。


「たっくんは迷子を見つける天才だからね」

「それは誉め言葉なんでしょうか」

「ある日、彼女を家に連れてきたら、たっくんのお母さんがすごく慌てたのを覚えてる。知り合いの子だったのかも。しばらくして、その子の迎えがきたよ」


 懐かしむように恋乙女は「それまで一緒に遊んでたんだ」と笑う。


「その子とはそれっきりですか?」

「うん。あの子、綺麗な子だったなぁ。その子が先輩に面影がある気がする」


 その子だとしたら撫子の記憶にも繋がる。

 我が家の庭で百合の花を手折った少女の記憶。

 

――私の場合は怖い印象が残ってる。


 あまりにも記憶の少女が印象過ぎる。

 

「迷子になった須藤先輩がどうして兄さんを恨むんでしょうか?」

「分からない。でも、それなら向こうだって、たっくんのことを覚えていてもいいはずなのになぁ。恩知らずじゃないけど、薄情すぎるかも」

「え? どうしてです?」

「だって、たっくんは彼女にすごく面倒を見てあげてたんだよ? 不安で泣き止むまで傍にいてあげたし、一緒に遊んでた時も気を使ってあげたし」

「……須藤先輩が嘘をついてるという事でしょうか?」

「さぁ、ホントに覚えてないだけかも。普通なら、覚えていると思うけどね」

「助けてあげた相手を恨む理由って何なのでしょう」


 それとも、淡雪が恨んでいた相手は猛ではないのかもしれない。

 思い違いと勘違い、何が真実で何が違うのか。

 困惑して、余計に分からなくなってしまった。


「そんな昔の話より、今は泳ごうよ。撫子ちゃん。……もしかして、泳げない?」

「泳げますよ。そうですね、せっかくのプールなんですから」


 恋乙女と同じようにプールの水につかりながら撫子は青空を見上げる。


――真実に近いづいてるはずなのに。決定的な欠片が足りていませんね。


 モヤモヤとしたものが消えないままで。

 もう夏はすぐそこまで来ている――。





 お風呂上りに撫子はオレンジジュースを飲んでいた。

 兄さんは家にまだ帰ってきていない。

 

「遅くなるという連絡はもらっているけど、こんなに遅くなるなんて」


 時計を見ればもう10時過ぎ。

 

「早く帰ってきて欲しいですね。まさか浮気? また女子と遊びにでも……」


 つい電話をかけようとしていた時、玄関の開く音が聞こえた。


「おかえりなさい。兄さん、遅いですよ」

「ごめんな。友達と気晴らしに遊んでいたらこんな時間に……怒ってる?」

「あまり私を心配させないでください。他の女の子とデートでもしてるのかもって疑っていましたよ。もしもそうなら、いますぐ追い出します」

「そんなことはしてないから、追い出さないで」


 猛は苦笑いをしながら、ソファーに座る。

 その横に撫子も腰かけると、そっと彼にもたれる。


「……兄さん。唐突ですが、昔、迷子になった女の子を助けた記憶はありますか?」

「迷子? そういえば子供の頃に道に迷っていた女の子を助けたことがあるよ」

「やっぱり……兄さんも覚えているんですね」


――ビンゴ、というべきでしょうか。須藤先輩との過去を知りたい。


 自分の知らない変な因縁があるなんて、許せないから。


「懐かしいな、あの子。元気にしてるかな」

「……それって、もしかして」

「あぁ、ミハルちゃんの事だろ?」

「――誰ですかっ!?」


 猛は優しい性格なので迷子を助けたのが一度ではなかったらしい。


――時々、この兄さんの誰にでも優しすぎる性格が嫌になる。


 ため息交じりに撫子は嘆くしかない。

 結局、肝心の淡雪の方は覚えがないそうだ。


「迷子の救出はひとつやふたつではなく、覚えてないほどにありまして」

「……はぁ。なるほど、それが”迷子を見つける天才”ですか。もういいです。別に、私が気にしていることです。それを知った所で解決する問題でもありません」


 この件は明らかになったとしても、猛との関係が進展するわけじゃない。

 何となくだが、撫子は淡雪との関係に因縁を感じている。

 それをはっきりとさせたいだけなのだ。

 

――いつか来ると思われる須藤先輩との決戦に備えたいだけだもの。


 いざという時の切り札を用意しておきたいだけ。

 イニシアチブ(主導権)を握ることができるかが、戦争を勝利するカギなのだ。


「……なぁ、撫子」

「はい? どうしました、兄さん?」


 様子がいつもと違うことに気づいて彼に近づく。

 すると、猛はいきなり撫子の身体を抱きしめてくる。


「あら、今日は素直ですね。兄さん。愛の抱擁ならば大歓迎ですよ」

「……」

「どうしたんです? 私の愛が足りていませんか?」


 抱きしめられたその身体を優しく抱きしめ返す。

 

――兄さんからこんな大胆な行動をとられるのは久しぶり。

 

 もちろん、拒む理由がひとつもないので受け入れる。


「……ここ数日、いろいろと考えていたんだ。俺と撫子は兄妹なのか否か。俺たちの事をどう思い、どう接していけばいいんだって」

「それが兄さんの悩みだったんですね。無理に変えなくてもいいですよ」

「現状維持。それも悪くない選択肢なんだと思う。だけど、俺は――」


 思いつめたように、撫子の目をジッと見つめてくる。

 

「今日の兄さんは積極的ですね。そういう兄さんも素敵です。そんなに私を見つめられたらキスしちゃいますよ? んーっ」


 唇を突き上げる仕草をしながら猛に顔を近づける。

 いつもならば照れて逃げるはずの彼なのに。


「……んぅっ!?」

 

 彼の方から唇を触れ合わせてくる。


「……ぁっ……やだぁ、兄さん」

 

 びっくりしてしまい、言葉がでてこない。

 情熱的に求めるようなキスを何度もされる。

 唇を離した彼はどこか晴れやかな顔をする。


「悩んで、考えて、答えは出たよ」

「答え?」

「俺は世界を敵に回してもいい。やっぱり、俺は撫子が好きだ」


 その言葉に撫子は目を見開いて驚かされる。

 彼の愛の告白に心が跳ねる。


「兄さん……私は妹ですよ」

「それでも好きだ」


 はっきりとした言葉で告げる。

 いつものように、曖昧でもなく逃げるわけでもない。

 彼の言葉に覚悟のようなものを感じられる。


「血の繋がりのある実の兄妹なのかもしれません」

「だとしても、自分の気持ちを誤魔化すことはできない」

「いいんですか? 私が恋人になっても?」

「もうずっと前から分かっていたんだ。子供の頃から、俺は撫子が好きだった」


 愛の言葉を耳元に囁かれて、自然と涙が零れ落ちる。


「……撫子?」

「10年以上、待ちましたよ? 兄さんが素直じゃないから、ホント大変でした」


 瞳を涙で潤ませながら、純粋に嬉しかった。

 愛してくれてるのは知っていても、言葉にされたいと思い続けてきたから。


「でも、許してあげます。だって、兄さんが私を好きだと言ってくれたんです。その言葉、待ち望んでいたものですから」

「待たせて、ごめんな。決断するのが苦手だから」

「かまいませんよ。兄さんの言葉はいつだって、私にとって大切なものなんです」


 優しい人は決断が遅いもの。

 優柔不断だろうが、決めてもらえたことが何よりも嬉しい。

 抱きしめられて、愛を確認しあう。


「私は兄さんを愛しています。例え、世界を敵に回しても、この愛を選びます」


 他のものをすべて失っても、愛情さえ残ればそれでいい。


「私、兄さんを好きになって本当によかったです」


 けれども、これは始まりに過ぎない。

 この愛を確かなものにするために乗り越えるべきものは多い。

 喜びもつかの間、猛に対して宣言する。


「……兄さんは私を選んでくれました。その愛に私は応えます」

「どういう意味だ?」

「まずはお母様と戦わなければいけません。そして、今の私には彼女に勝つ自信があるんです。兄さんの愛が後押ししてくれました。私が彼女を倒します」

「意気込んでる所を悪いんだが、母さんを倒しちゃダメだから。それは望んでません」


 軽く引き気味だが「私にすべてお任せください」と言い切る。


「もう少しです。あと少しであの人を追い込めると思います」

「世界を敵に回すのは母さんを倒すのと同義語か」

「私には倒すべき人がふたりいます。お母様と須藤先輩です」

「どっちも倒さないで欲しいんですけど」


 忠告されるけどもこればかりは宿命だ。


「悲しいですが、愛の前に犠牲は必要なんです」

「……か、母さんたちを犠牲にしないで」

「無理ですね。誰も傷つけないで、私達の愛を貫けるとでも?」


 甘い雰囲気に水を差してしまい、彼も顔色を曇らせる。

 少し引かせてしまったけども、これは覚悟してもらいたい。


「驚かせてすみません。それでも、きっと誰も私達の理解者にはなってくれないでしょう。そんな道を進んで行くという覚悟だけは持ってください」

「……分かった。それが俺達が超える、この一線に必要なんだな」

「はい。兄さんがしてくれた覚悟に私も応えます」


 彼は強く抱きしめてくれる、この愛があれば十分だ。


「例え、世界を敵に回しても貫き通せるものが愛です」


 今までのように、曖昧な言葉や態度で誤魔化すことなく。


「好きだ、撫子……」


 ただ、昔みたいに愛してくれている。

 改めて感じるのは、猛でないと撫子は幸せな気持ちになれないという事。


「愛しています、兄さん。この想い、誰にも邪魔なんてさせません」


 兄妹である二人が愛を貫くこと。

 それは世界を敵に回すこと。

 その意味をふたりはこれから嫌というほどに思い知ることになる。

 

「……兄さん。もっとくっついてもいいですよね」


 ただ、今だけはそんなことは忘れるように、甘くお互いを求めあうのだった――。


【第2部、完】

 

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