第51話:すべては兄さん次第ですよ
愛の否定ほどな悲しいものはない。
些細なことから撫子の怒りを買い、優子は粛清されつつあった。
お互いに分かり合えないこと、平行線をたどったがゆえに、
「私とお母さまは敵対しています。決裂ですよ」
猛を部屋に招き入れた撫子はそう宣言した。
「け、決裂ですか。もうダメですか」
和平交渉を任された彼は撫子の言い分を聞きつつも、
「決裂の前に最後のチャンスとして話し合いを……」
「無駄ですね」
「……ダメかぁ」
「それより、兄さんもお母様の味方をしている場合ではありませんよ。危うく転校させられる所だったじゃないですか。お母様は私たちの敵です」
何が不満なのかと言うと、ふたりの関係を本当に潰そうとするところだ。
今回の件でも、勝手に転校など目論んでいたようである。
「それだけではなく、まだ何かを企んでる様子でもあります」
「……そういや、何か撫子の指摘とは違う事を考えてたような感じだったな」
「あれはきっと、他に企んでいた事があったに違いありませんっ。兄さんと私の愛を引き裂くためなら、何でもしそうなお母様です」
「誤解もあると思いますが」
「例えば、勝手に婚約者でも決めようとするかもしれません。もう、私達が分かりあうことはできないんだと覚悟をしました」
分かり会えないって辛いこと。
自分の胸に手を添えて、兄に言うのだ。
「家族とはいえ、悲しいですが、私と彼女は戦う運命にあったということですね」
「た、戦いは回避しよう。家族間戦争はなしの方向で」
「では、兄さんは私との愛が邪魔されてもいいんですか」
「それも嫌です」
「……そう言えば、兄さんはどなたかとデートをしてたんですよね? 誰だったんです? 須藤先輩ではなかったと聞いていますが、詳しい説明を求めます」
「そ、それは……」
母との問題とは別に猛に追及すべき事はある。
「嘘偽りなく、お話をお願いします。私が嘘つきを嫌いなのはご存じのはず」
しどろもどろになりながら自白する。
「今日は恋乙女ちゃんとカラオケに遊びに行っていたんだ。恋乙女ちゃんは撫子と同い年で今年、入学した子なんだけどさ」
「ことめ? あぁ、同級生で名前は聞いたことがありますが、知らない方ですね。さぁ、詳しい説明を求めます」
知らない相手ゆえに不安は倍増。
――デートするほどの相手と急接近していたなんて……油断は大敵だ。
自分に与えられていない情報に不満げな撫子は、
「嘘をつくと厳しい状況になりますよ?」
「ホントに知らないかな。小さな頃によく遊んでいた花咲恋乙女と言う子なんだけども。つい先日、再会したんだよ」
「そう言われても……知りませんね。確かに、子供の頃に兄さんは不特定多数の女子に囲まれていました。お母様が兄さんのために、と家に友人の子を遊びにつれてきてましたから。誰が誰なんて覚えていませんよ」
「あれ? 俺のためだっけ?」
「みたいですよ。だって、家に連れてきた子と私は『友達になりなさい』と言われた記憶はありません。その頃は人見知りで、自分から近づくこともなかったですが」
「うーん。その辺は覚えてないけどさ。とにかく、昔の友達なんだよ」
親しい子供は何人かいて、嫉妬はしても間に入り込む真似はできなかった。
それくらいに撫子は大人しく、他人に対して警戒心の強い子供だったから。
「恋乙女ちゃんはまた今度紹介するよ。きっと、撫子とも友達になれるはず」
「紹介はしてほしいですね。念のためにも牽制しておかないといけません」
不穏な発言に顔をひきつらせながら「牽制?」と呟く。
「えぇ。兄さんに対して興味を抱く不埒な輩は処分するのが最適です。そうならないようにも、牽制は必要でしょう」
「やっぱりかぁ!? だ、ダメだ。もう中学の頃みたいな事件になるような事はしちゃダメです。穏便にいこう」
「平和的解決を私に望むのは無駄ですよ」
「敵ばかり作っても辛いだろ? お願いだから、すぐ敵を作る悪い癖はやめて」
「兄さん……害虫と言うのは放置してはいけないんです。気づいた時には手遅れな致命的な害になってしまうこともありますから。害虫は見つけたらすぐ処分する、それは大切なことなんですよ。ふふふっ」
穏やかに笑いかけると、「怖いわ」とびびった様子を見せる。
これまで彼に近付いてきた女子は影で撫子が文字通りに潰してきた。
――手段は問わずに。確実に。
そのせいで、撫子が彼女たちから嫌われ、悪意と敵意を向けられたのも一度や二度ではないけれど、大切な人を守るためには仕方のないことだ。
「兄さんがいけないんです。誰にでも優しいから勘違いさせてしまいます。きっとおトメさんも、兄さんの甘く優しい性格に惹かれたのかもしれません」
「ただの後輩で幼馴染なだけ。あと、おトメさんって言わないで。おばあちゃんか」
「可愛いのは妹だけで十分満足でしょう。私も可愛い後輩属性を持っています。私で満足しておいてください。浮気心はいけませんよ」
「浮気心って」
「……時に相手が謎の行方不明になることもありますから」
「それはやめて!? 何で行方不明? 絶対、やっちゃってるだろ!?」
大抵の場合は、撫子が相手を徹底的に追い込んで心を折り、二度と猛に近付かなくなるするようにしてしまうのだ。
警告の意味も込めてやんわりとした口調で、
「すべては兄さん次第ですよ」
「気をつけます」
「そう言うわけで、私の不機嫌さの約50%は兄さんの浮気心のせいです。許して欲しいなら分かっていますよね? んー」
撫子はそっと甘えるように寄り添う。
「私を抱きしめてください。ぎゅっとじゃ足りません。むぎゅっ、です」
「……ぎゅっと、むぎゅっとの違いが分からん」
「強く抱きしめてくれたら私は兄さんを許します」
軽く抱きしめられると心地よさと安心を肌で感じる。
――恥ずかしそうな。でも、大切に思ってくれる兄さんの想いが好き。
「も、もう許してくれ。妹相手に恥ずかしい」
「ダメです、まだ許してあげません……ふふっ」
愛の抱擁をやめさせない。
彼の腕に抱きしめられ続けて、幸せな時間を過ごしていた。
まもなく、1時間と言うことで、再びリビングに戻ってきた。
ケーキを買ってきた優子に対面する撫子は言い放つ。
「……兄さんは許しましたけども、お母様を許すつもりはありません」
そこで震えて待っていた母が愕然とした様子で、
「ちょっと、雅~!? どういうこと? ケーキを買ってきてたら許してくれるんじゃなかったの? 嘘ついた、嘘ついてたのね!」
「和平交渉をした猛の頑張りが足らなかったの。期待を裏切ったのよ、この子」
「おーい、ここで俺のせい? 責任転嫁ってひどくない?」
「兄さんは悪くありませんよ。お母様が許して欲しいと言うのなら私にちゃんとした謝罪をするのが筋でしょう」
ぐいっと撫子が迫ると「うっ」と一歩後ろに下がる。
威圧感たっぷりの娘相手にひるむ母親である。
「……私の兄さんに対する想いを否定したことを謝罪してください」
「だ、だって、ここで謝ると私が二人の事を認めたことになるでしょう。私は親として、貴方達の事を思って言ってるのに」
「お母様が心配しているのは子供ではなく、世間体とご自身のプライドでしょう?」
そう切り捨てると「雅、助けて~」ともう一人の娘にすがりつく。
「はぁ。お母さん……撫子の言う通りね。まずは謝罪は必要よ」
「雅まで裏切るの? ひどいじゃない」
「そこまで謝りたくないのか、この母親は……。私も撫子の側についてもいい?」
雅にも見放されて、四面楚歌に陥った優子はついに屈する。
子供たちに見放されるのを彼女は特に嫌う。
「……ごめんなさい」
「何に対しての謝罪でしょうか?」
「え?」
「ただ、謝れば良いと思いですか? 言葉だけの謝罪なんていりません。何に対して謝罪すべきなのか、気持ちを込めて謝罪するべきでしょ」
優子は言葉を選ぶように考えながら、
「撫子を傷つけてしまったことに対してごめんなさい」
「それだけでは誠意が伝わりません」
「うっ……。は、母親をいじめて楽しい?」
「お言葉を返しますが、娘をいじめ楽しいですか? 私は意地悪したくてしてるわけではありませんよ。お母様には非があって、娘に頭を下げる程度で救われる道もある。それだけのことです」
「言い方がひどい」
「別にこの件を報告しようが、私はどちらでもいいんですよ?」
最後の追い込みを駆けるようにとどめをさしにいく。
「お父様に報告した所で私には困る事は何一つないんです」
「……撫子」
「お母様がお父様に叱られるだけのこと。私にメリットもなければ、デメリットもありません。ただ、子供として親の悪事を時に注意することも必要でしょう。あぁ、私の良心が痛みますねぇ?」
「そ、そんな風に脅しておいて良く言うわ」
「何のことか、分かりません。過ちを犯すことは誰にでもあり、その時には真心込めて謝る事も必要なのではないでしょうか」
「謝ったじゃない」
「足りていません。それとも謝ると言う選択肢以外、今のお母様にありますか? あるのなら、ご自由にどうぞ。私は止めませんよ?」
にっこりと笑顔で優子に語りかける。
これで終わったと顔を青ざめさせた。
――もう何もできることはない。
あまりにも絶望的で、シュンっと彼女はうなだれる。
――チェックメイト、これで終わった。撫子の完全勝利(パーフェクトゲーム)だ。
猛は母の敗北を悟った。
敗者はただ勝者にひれ伏すのは世の常だ。
「な、撫子の気持ちを否定して、ごめんなさい。許してください。あの人には黙っていてください、お願いします」
どうしようもなく詰んだと判断した彼女は頭を下げて謝るしかない。
娘に屈辱的な顔をしながら謝罪する母の姿に、満足げで言い放った。
「今日の所は許してあげます。私が家族思いの良い子でよかったですね。性格が悪い子ならどうなっていたか」
「くっ……撫子、なんて恐ろしい子なの」
私に屈したお母様がしばらくの間、落ち込んでいた。
なんとか和解したあとは、優子が買ってきてくれたケーキを食べる。
「うん。美味しいですね。あら、皆さん、どうしました?」
「「……」」
美味しいガトーショコラを家族で、撫子ひとりだけが笑顔で食べていた。
誰もが思った。
撫子だけは怒らせてはいけない、と――。
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