第50話:私、本気で怒ってるんですよ?
優子に絶望を味わさせるためにあえて猶予を与えた。
非道で無慈悲なカウントダウン。
母を追い込んだ撫子は笑顔で自室に戻っていった。
リビングでは「怒られる、怒られる」と顔面蒼白状態の優子。
ソファーに座りうなだれて後悔している。
「隠してたはずなのに。どうして撫子にバレたのかしら……」
「下手に隠したからバレたんじゃないの」
「うぅ、欲しかったから買ったじゃ、言い訳にもならないわよね。あの人へのプレゼント、いや、嘘はバレるし。どうすればいいのかしら、ぐすっ」
そして、諦めて本当に言い訳を考え始める母である。
――うちの母も生まれはそれなりのお家柄だそうだからな。
人間、育ってきた環境の癖は簡単には抜けきれない。
昔からお金の使い方に関してはちょっとした浪費癖に近いところがある。
――父さんに通じそうな良い言い訳など、簡単に思いつくはずもなく……合掌。
逃げるのを諦めた雅は猛から最初の方から説明を受けていた。
「……なるほど。またやらかしちゃったわけだ」
「またって何よぉ」
「撫子と喧嘩ってお母さんは無茶しすぎ。あの子がお父さんの血を一番色濃く継いでるのは知ってるでしょうに。私が思うに、我が家で一番怖いのはあの子よ」
「ホント、撫子は父さんの性格によく似ているよな」
世間でキレ者の敏腕弁護士として活躍していた時代もある父は、今の政治の場でも相手を徹底的に追及し、どこにも逃げ場をなくして追い込んでいく怖いお人である。
失言でもしようものなら、容赦なく攻める所とか、撫子も性格を受け継いでるようで、末恐ろしさを家族そろって感じていた。
「とはいえ、こそこそ隠れて無駄遣いをしてたお母さんも悪いわけだ」
「そうねぇ、今回の事は自業自得?」
「子供たちが私の味方じゃない」
「だって、同情はしてあげてもいいけども、わざわざ味方になってあげるだけのことでもなさそう。怒られてもやむなしじゃん」
「雅、ひどいわっ。うぅ、娘が最近、冷たい」
「同情する余地があればの話でしょ。ないもん」
バッサリと言い切る雅である。
「ただの浪費癖、ここは怒られるしかないんじゃないの。大丈夫、離婚とかはならないように私達も適当にフォローするわ。そこは安心しなさい」
「り、離婚とか縁起でもないことを言うのはやめてよ。想像もしたくない」
「可能性はゼロじゃない。使い込んだ金額が金額だけにねぇ」
「す、捨てられたら泣くわよ、私、ホントに泣くからね?」
今にも泣きそうな母に追い打ちをかける雅であった。
離婚はなくとも、かなり怒られるのは回避できなさそうだ。
「撫子を怒らせた時点でアウト。怒ったあの子をどうにかできるわけ?」
「できません」
「素直にお母さんが誠心誠意、真心込めて謝れば許してくれるんじゃない?」
「多分、今の撫子はどんなに謝っても笑顔で『嫌です』と言い切るぞ」
今日の撫子は容赦なさすぎて、家族そろってため息をつく。
「あの子を怒らせるって、そんなにひどい暴言だったの?」
「私はただ、猛への想いは思春期の気の迷い的な話をしただけよ」
「……十分すぎるほどの怒りの理由ね。あの子は猛のためなら世界さえ敵に回すと常々宣言してるじゃない。自分の想いを否定されたら、そりゃ怒るわ」
その辺に関しては姉は撫子に理解がある。
兄妹愛に呆れはしても、全面否定はしないのだ。
「とはいえ、お父さんを怒らせるのも問題ね。仕方ない。家族の危機を救うために長女の役目を果たしましょう。私が間に入るわ」
「ほ、ホントに?」
「少し、あの子と話してくるから……ただ、あんまり期待はしないように」
「頼むわよ、雅。貴方ならきっとやってくれるわ。私はそう信じてる。雅は私の可愛い娘、助けてくれるわよね?」
「そんな都合のいい時だけ私に頼られてもなー」
軽く笑いながら、雅が撫子の部屋へと向かった。
「……雅なら、なんとかしてくれるわよねぇ?」
「どうでしょうか」
「撫子も懐いてるし、きっと大丈夫だわ」
母の期待通りに行くのかどうか。
たった数分がすごく長いように感じる中で。
しばらくして、雅が戻ってくる。
状況に進展あり、と意外にも手ごたえがあったようだ。
「今回の事、全面戦争の前にもう一度だけ話し合う機会を作ってあげるそうよ」
「ホントに? よかった、まだ怒られずにすむ道はあるのね?」
――母さんは素直に怒られた方がいいと思う。
反省の色なしなので猛的にはそう感じていた。
すると雅は指をピースするようなしぐさを見せながら、
「ただし、条件が2つ。駅前のケーキ屋のガトーショコラを食べたいから用意すること。あの子の好物ね。それが第1の条件らしい」
「今すぐに買ってくるわ! まだお店やってるわよね?」
「あと、もうひとつ。撫子は猛をお呼びだわ。交渉のテーブルにつくかどうかは貴方次第ということみたいよ」
「責任重大じゃん」
「ようするにお兄ちゃんとお話したいってだけだけども。お母さんが許してもらえるかは貴方次第ね。猛の活躍ですべてが決まるの」
「……猛、撫子の説得は貴方に任せるわ。私の世界で一番大事な息子は私を裏切らないって信じてる。それじゃ、お店に行ってくるから」
と、足早に優子は家を出て行ってしまう。
残された姉弟は「なんだかなぁ」とふたりして呆れるしかない。
「……相当、母さんも追い込まれてるらしい」
「好きな人に嫌われたくない。それだけよ」
「え?」
「お母さんはずっとお父さん一筋で生きてきた人だもの。愛を失ったら辛いじゃない。怒られるのは本気で堪えるのでしょう」
「あの母さんがねぇ?」
雅は微笑しながら「愛ってそういうものよ」と頷いた。
そもそも怒られるような真似をした優子の自業自得でもあるのだが。
「さて、妹をなだめにいってきますか。あの子も落ち着いてるといいんだけど」
「……それが猛を見た最後の姿だったわ」
「ちょっ!? めっちゃ不安になる事を言わないで!?」
――今日のあの子は危険だから何をするか分からないので怖いんですよ。
いろんな意味で絶望しかない。
「家族戦争を回避できるか、最後は猛にかかってるってことよ。頑張りなさい」
雅はそっと弟の髪を手で撫でまわす。
「は、恥ずかしいからやめてくれ」
気恥ずかしさで視線をそむけると彼女は笑いながら、
「行ってきなさい、可愛い弟よ。ちゃんと撫子の機嫌をなだめてきなさい」
「頑張ってきます」
「あと、条件の2つとも私のでっちあげ。撫子は聞く耳持ってくれてませんでした」
「……は?」
白々しく嘘をついていた雅は肩をすくめてみせる。
「だって、『お姉様でも話はしたくありません』と即答で拒否られました」
「ま、マジかよ!?」
「私でも無理でした。今日の撫子は本気で怒ってるわねぇ」
「どうするんだよ、母さんが信じてケーキを買いに行ったじゃん!?」
「そこを何とかするのが私の弟の役目でしょ。さぁ、家族崩壊の危機を救いに行って来て。貴方が最後の希望なのよ」
すべては猛に押し付けられた。
責任重大。
ここが正念場となりそうだ。
撫子の部屋を訪れると、扉越しに彼は囁く。
「撫子、さっきの件だけどさ。少しは落ち着いたかな」
「お母様に私を説得するように言われてきましたか?」
「……できれば、穏便に済ませてあげて欲しいなぁとは思う」
「本当に兄さんは優しいですね。でも、ダメですよ。私はお母様を許せません」
怒りはまだ収まっていないようだ。
「私の心の痛みはこの程度ではすませるつもりはありません。もっと追い込むために、必要な手段をとるだけです」
「そこまでしなくても」
「これほどまでに強く兄さんを想い慕っているのを知っていながら、その想いを踏みにじるような振る舞い。許せるわけもありません。正当な報復行動です」
「報復せずに和平に持ち込むことはできないか?」
「そもそも、謝罪がないですよね。まず、謝るという態度も見せないのに許してくれと言うのは図々しいにもほどがあると思いませんか?」
「……図々しい」
「本気で許して欲しいのなら、地べたにでも這いつくばって、情けなく無様にすがりついて謝罪するくらいでないと」
「怖っ!? それ、母親相手に言うセリフではないぞ」
もちろん、実際にそれを求めているわけではない。
「今のはさすがに冗談ですが、気持ちの問題ですよ。謝罪らしい謝罪もしないで、何を許して欲しいのやら。誠意が足りていない、と言う事を私は言いたいんです。私、本気で怒ってるんですよ?」
「撫子の怒りも分かる。だが、仲良くしようよ。家族なんだから」
「……だったら、まずは謝る方が先でしょう。許して欲しいのならば発言を謝罪して、私と兄さんの恋愛関係を認めると言うのなら私も考え直します」
どうにも撫子の怒りは本物で、そう簡単に鎮静しそうにもなかった。
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