第37話:守りたい気持ちは同じなのにね

  

 猛は撫子にとって、兄であり続けようとしてきた。

 彼女を愛している。


――妹以上に、女の子として、ずっと前から好きだった。


 撫子が猛を想ってくれている。

 その想いに負けないほどに愛してた。

 

――恥ずかしながら、中学を卒業するまでは平気で口説いてもいたし。


 子供の頃は兄妹の仲がいいことは世間的にも悪いイメージなどない。

 お兄ちゃんが妹を守る構図は、仲のいい兄妹だと言われたりするくらいだ。

だけど、大人になればそれは違う。

 大人になっても仲が良すぎる兄妹はその間に愛情を疑われる。

 世間的に兄と妹の愛は禁断の関係であり、愛を貫けば世間では白い目で見られる。

 

――映画や漫画のように、愛を貫く勇気が俺にはなくて。


 いつしか猛は“兄として”彼女を好きでいようとしていた。

 本当の気持ちは胸のずっと奥底に封じ込めて。

 今も、彼は兄として撫子の傍に居続けていた。

 

 

 

 

「……猛は本当に撫子の事が大好きよね」

「は? いきなり、なんだよ。姉ちゃん」

 

 夕食後の洗い物を雅と一緒にしていた。

 

「こらこら、お皿を洗う手は止めない」

「分かってるよ。で、何の話なんだ?」

「撫子は兄離れできないけども、逆も同じ。猛も妹離れはできないでしょ。相思相愛の兄妹は禁じられた道を歩むのね」

「やめーい。そんなことはないさ。俺も成長してますから。妹離れもしてきてます」

 

 昔ほどはベタベタとしていないつもりだ。

 雅はそんな猛を見つめて笑う。

 

「ホントかしら。ねぇ、猛はいつから撫子のお兄ちゃんになったのか覚えてる?」

「はい? 俺は生まれた時から撫子の兄だろう?」

「……ふふっ、そういう意味じゃない。私は猛を自分の弟だと思ったのはきっかけがあったからよ。人ってきっかけから始まるもの」

「きっかけ……? 」

 

 彼女はお皿を泡だらけの洗剤がしみ込んだスポンジで撫でる。

 

「姉になる瞬間っていうのかな。兄妹になる瞬間、そういうものがあるのよ。懐かしい話だけども、貴方と撫子が家の庭の古い蔵に閉じ込められた時のことを憶えてる?」

「あぁ、覚えてるよ。入っちゃいけないと言われたら入りたくなる。あの日、あの蔵の扉が開いていたんだ。だから、入ってしまったんだよな?」


 偶然にもその話は先日、撫子としたものだった。


「猛は詳しいことを覚えてないようだから教えてあげるわ。あの日は1年に1度、蔵の掃除をする日だったの。けれど、お父さんが掃除を終えた後に鍵をするのを忘れていた。それを知らず、私は貴方達にせがまれて、隠れんぼをしたのよ」

 

 隠れんぼ、言われてみればそうだったかもしれない。

 

「そうだ、隠れる場所を探していたら、あの蔵の扉が開いていたんだっけ。ちょうどいいやって、入ってしまったような」

「えぇ。隠れんぼの最中、運悪く扉が壊れて、猛と撫子は閉じ込められてしまった。私はどこを探しても、ふたりがいなくて、飽きてどこかに遊びに行ったんだと思い始めてた時、蔵の方から撫子の泣く声が聞こえたの」

 

 慌てて、扉を開けようとしても壊れて開かない。

 そこで雅は父を呼んできて、扉を何とか開けることができた。

 

「暗くて怖かったんでしょうね。撫子は泣きじゃくっていたわ」

「不安だったんだろうな」

「でも、猛は泣かずに、撫子を安心させるように抱きしめていた。あー、この子はお兄ちゃんなんだって思ったわ」

「男の子ですから」

「でも、私の顔を見たら安心したのか猛も泣き出しちゃったけども」

「う、うぐっ。必死に妹を安心させたかったんだろ」

「でしょうね。ふたりとも、私に抱き付いて泣きわめいて。お姉ちゃん、お姉ちゃんって……私はその時に、思ったのよ。私はこの子たちの姉なんだって」


 雅が姉としての自覚を実感した。

 猛や撫子の事をもっと好きになった気がした。

 そんな風に姉から言われると気恥ずかしい。

 

「猛も撫子も、きっとその時にお互いを兄妹だと認め合ったんじゃない?」

「認め合う……そういうものかな」

 

 皿洗いを終えて、片づけを始める。

 雅は洗い終わったコップを食器棚に戻しながら、

 

「猛はずっと前からシスコンだったでしょ。どこに行くのも撫子を連れて遊びに行って、どんな時でも撫子が傍にいてさ」

「……あの、俺はなんて答えるべきところ?」

「それだけ一緒にいたら、愛情くらい芽生えちゃってもしょうがないじゃない」

「しょうがないでいいのか」

「否定できないものはしょうがない。撫子はずっと前から猛を本気で好きだもの。間近で見てきたから、私は姉としてあの子の恋を応援してるつもりよ」

「応援しちゃダメでしょ。俺と撫子は兄妹です」

 

 時々、冗談か分からないことを言うので焦る。

 いや、冗談じゃないのかもしれない。

 猛の気持ちもきっと分かっていて、それでも、反対せずに応援してくれている。

 

「……猛は真面目よね。貴方だって、撫子のことが大好きなのに、兄妹だからって最後の一線は超えないし。撫子みたいに世界を敵に回す覚悟はないのかしら」

「現実問題として、猛と撫子が一線超えるようなことがあったら、母さんが卒倒するでしょうが。家族バラバラなんていうのはハッピーエンドになれないから嫌だ」

「……ハッピーエンドね?」


 そんな都合のいい現実が早々あるとは思わない。


「猛、恋愛ってうまくいかないことの方が多いものよ。時に周囲の人を悲しませてでも乗り越えなくちゃいけないこともある。皆が幸せになれるハッピーエンドを望んでるみたいだけど、そんなものはただの綺麗ごとだもの」

「真顔で説教された!?」


 綺麗事だと切り捨てる雅に対して、


「もし、そんな関係になったとしたら姉ちゃんとしては応援してくれるわけ?」

「……本気度によるかしら。その気持ちが本気なら、姉として可愛い弟と妹の幸せを私は望むわ。例え、世界が敵にまわっても、私は貴方達の姉だもの」

「そりゃ、心強いことだ」

 

 これは冗談だろうけども、姉の優しさは彼もよく知っている。

 

「母さんにも言われてるんだけども、俺たちってそこまで危険に思われてる?」

「兄妹仲が良すぎるせいかしら」

「そこは反省しておくべきところか」

「まぁ、お母さんが気にしているのは別の事だけどね」

「別のこと?」

 

 雅は苦笑いをするだけで答えてはくれなかった。

 

「母は母で大変なのよ。家族を守りたい気持ちは同じなのにね」

「そうなのか?」

「気にしすぎて、自分で勝手に追い込まれたちゃう」

「確かに、母さんは自滅するタイプだ」

「優しい人だから余計に気にしすぎるほどに気にする人なのよ」

 

 意味深にそう呟く。

 母は家族の何を守ろうとしているのか。

 その時の猛にはまだ分からなかった。

 

 

 

 

 

 雅が自分の部屋に戻ったので、撫子とのんびりとした時間を過ごす。

 リビングのソファーの上に寝転がる妹の身体をマッサージ中。

 決して、変な所は触っていません。

 

「撫子が俺を兄だと思った瞬間っていつだ? 」

 

 先ほど姉と話していたことを猛は妹に聞いてみた。

 

「……兄さんをですか? そうですねぇ」

 

 あの蔵に閉じ込められた時の記憶は撫子にはないという。

 だとしたら、いつなのかと気になっていた。

 

「幼稚園の頃です。私はある男の子に意地悪をされていました。その彼から兄さんは私を守ってくれたんです」

「そんなことが?」

「あの時、『撫子は僕が守ってあげるから』と言ってくれたカッコよさに惹かれて恋をしたのだと思います。私たちの相思相愛歴は長いですよ。素直に結婚しましょう。アイラブユー♪」

「……おー、まい、ごっど」

 

――幼き頃の俺はその頃からシスコンでしたか、そうでしたか。

 

 思わずぐったりとしたくなる気持ちを何とか堪える。

 

「人生でかけがえのない人なんです。兄さんを兄だと思った瞬間があるとしたならば、貴方に恋をした瞬間だとはっきりと言えます」

 

 撫子にとって猛を兄だと思った記憶があるのは嬉しい。

 そして、これからも……この子の笑顔を守りたい、守り続けていきたいんだ。

 

「あんなに私を愛してくれていた兄さんも、今は過去」

「あのー」

「私に対して一途だった時代があったんですね。懐かしいです」

 

 遠い目をしてため息がちに撫子は呟いた。

 

「まだ淡雪さんの事を引っ張りますか。仕方ないけどさ」

「そう簡単に忘れてはあげられません」

「せめて過去扱いにしないで。今でも一途なタイプだよ?」

「はいはい」

「やめて、軽く流されると傷つくわ。恋人ごっこは許してくれたんじゃないのか」

「許しはしました。でも、兄さんは私を裏切った事実は消えません。私の心を深く傷つけた事も。兄さんはそのことを真摯に反省してくださいね」

 

 拗ねてる彼女は猛に対して、軽く背中を叩いてくる。

 撫子への精一杯の抵抗。

 彼女をなだめるように受け止める。

 

「では、須藤先輩が嫌いですか?」

「嫌いじゃないよ、好きだよ。あっ、違う、違う。だから、これは友情の好きであって、恋愛の好きではなくて……待て、この質問はずるいだろ」

「男らしくありませんよ。兄さん。猛と言う名前のごとく、猛々しく男らしい所を見せてください。兄さん、言い訳ばかりしていては情けないです」

 

 睨みつける妹に押されているダメな兄である。

 この対応を間違えると本当に撫子は淡雪を攻撃するかもしれない。

 今まで犠牲になった女の子達の事を思いだすと、それだけは避けたい。

 

「そこまで言うのなら、気持ちを聞かせてください。私と須藤先輩。恋人にどちらかを選ぶとしたら、どちらを選びます?」

「かなり困る究極の選択肢、来たー」

 

 真面目な顔をする彼女に猛は悩みながら、言葉を詰まらせがちに、

 

「……恋人、とかまだ分からないけども、傍にいたいのは撫子だよ」

「え? ほ、ホントですか? 私、先輩に勝ってます?」

「淡雪さんは良い子だし、近くにいると安心できる。でも、どちらかを選ぶのなら撫子だよ。これからも傍にいて欲しい」

「兄さん~っ! 大好きです、愛していますっ」

 

 いきなり撫子が猛に抱きついてくる。

 

「うぐっ、は、離れなさい」

「兄さんの想い、この私の胸に伝わりました。キスをしましょう」

 

 唇を尖らせて猛に迫る妹。

 彼は必死にそこは抵抗しながら、

 

「私の想い、今日こそ受け取ってください。ちゅー」

 

 迫りくる妹の淡く濡れた唇。

 抵抗むなしく、そのまま強引に唇を奪われてしまった。

 

「ちゅっ……んぅっ……」

 

 兄妹で重なり合う唇と唇。

 唇を離して、彼女は恍惚とした表情を浮かべて見せる。

 

「兄さんとキスするのは久しぶりです。昔はよく一方的に兄さんにされていましたが」

「うぎゃー」

「ふふっ。あの頃は兄さんに唇だけでなく心も奪われてました」

 

 猛は必死に過去を消したくなって悶絶する。

 犯罪者として捕まっても仕方ない、変態兄です。

 

「最近は兄さんからキスを求めてくれる事がなくなってさびしい限りです」

「……過去の俺と今の俺はきっと別人なんだ」

「たまには、兄さんから求めてください。キスはいつでも歓迎です。兄さんは私の愛をなめすぎです。私への愛をもっと素直にになりましょう」

 

 ピタッと猛にくっついて離れようとしない。

 

「兄さんとの愛を確かめ合う必要がありそうですね」

 

 有言実行とばかりにその夜遅くまで彼を解放してはくれなかった。

 お互いを想いあいながらも、最後の一線だけは超えなくて。

 この関係はいつまで続けられるのだろうか。

 きっと、この甘い日常にもいつか終わりが来る。

 その日は近づきつつあるような、そんな気がしていた――。

 

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