第38話:振り返れば歴史ありですね
「それじゃ、俺は行ってくるよ」
「いってらっしゃい、兄さん。夕飯までには帰ってきてくださいね」
連休も残りわずかとなっていた。
今日は猛が旧友と会うそうで、朝から支度をしていた。
あまり面倒くさい女と思われたくないので、束縛することはしない。
――本当はすべての時間を私のために使ってほしいけども我慢する。
彼が出かけてからは家事をしながら時間を過ごす。
すると、雅が外から帰ってきた。
テイクアウト用の白い箱をちらつかせて、
「撫子。これ、友達のバイト先で買ってきたシュークリーム。一緒に食べよ」
「もしかして、駅前の専門店のシュークリームですか?」
「そうだよ。いろんな種類を買ってきたの」
「私、大好きなんです♪」
雅と一緒にティータイムの準備を始める。
「お茶はダージリンでいいですか? 」
「いいわよ。撫子は紅茶を入れるのが上手よね。貴方のお茶はいつもおいしいわ」
「ありがとうございます」
「猛はどうしたの? 朝から出かけちゃったみたいだけど?」
「何でも古いお友達に会うとか。四季さんとか言ってました」
「あー。四季って、あの彩葉ちゃんか。懐かしいなぁ」
相手を知ってるらしくて名前を呼ぶ。
「彩葉? あの、その方は女性ですか?」
「ん? そうだよ、金髪美人さん。撫子も知ってるはず?」
「いえ、初耳のお名前ですが……そうですか。兄さん、懲りずに女子と遊びに」
「あ、あの? 撫子、落ち着いて。シュークリームを食べましょう」
旧友とはいえ、女子相手だと感情を抑えきれない。
甘いものを食べて心を落ち着かせる。
「ホントに撫子は猛が好きって感じ」
「そういう、姉さんは彼氏とか作らないんですか」
「……その話は禁止の方向でお願いできる?」
「は、はい。すみません」
触れないで欲しい話題の空気を察して頷く。
――どんなに優しくて美人でも、女子大では出会いがほとんどないらしい。
合コンとか参加してもいいと思うけど、性格的に無理なんだろう。
恋と縁遠い雅には恋愛の話題すら禁止だった。
「たまには庭の方でお茶を飲もうよ。今日はいいお天気だもの」
庭を眺めながら、縁側に座り、ティータイムを楽しむ。
シュークリームの甘い味が口に広がる。
「おいしいですよね。このシュークリームは他じゃ食べられません」
「シュークリーム専門店っていうだけあるわ。これで勝負してるから味もおいしい」
たっぷりのクリームとパイのようなサクサクとしたシュー皮の食感。
ふたつが合わさった時のおいしさは他のシュークリームとは比較にならない。
心地の良い初夏の風を肌で感じながら、
「もうすぐ夏ですね」
「この季節は撫子みたいに肌の色素が薄い子は大変ね」
「そうですね、嫌というくらいに気を使いますから」
撫子は人よりも生まれつき肌の色素が薄い。
そのためよく肌が白いから綺麗だと言われる。
けども、太陽に長時間当たると赤くなったりするために、気を使わなければいけない夏場はそれほど好きではない。
「今年も百合の花は綺麗に咲くかしら」
「そうですね。球根なので、毎年ちゃんと咲いてくれます」
庭の端に植えられているのは百合の花だ。
この庭には季節ごとにいろんなユリを植えている。
年中、大好きなユリの花を楽しめるようにしていた。
「これだけあると、花の世話も大変じゃない?」
「好きですから。私、ユリの花が好きなんです。見た目が美しいのもそうなんですけど、花言葉はもっと好きなんです。純粋、無垢、そして……貴方は偽らない」
「貴方は偽らない、そんな花言葉もあるんだ? 知らなかった」
紅茶を飲みながら百合へ視線を戻す。
「撫子は嘘が嫌いだけども、少し過剰だと思うこともあるわ。どうして?」
「嘘をつく人間の見苦しさ、というのもそうですが、嘘をつくということは誤魔化すことが多いじゃないですか。見栄、現実逃避、虚偽、嘘をつく人間は大抵、自分の身を守ろうとするために嘘をつきます。それが私は嫌なんです」
「……確かにそうかも。でも、世の中には人のためにつく嘘もあるわ。相手を思うための嘘、それも撫子としてはダメなの?」
彼女の質問に私は考えながら、
「相手のために、というのは本当に良いでしょうか。よく言いますよね、優しい嘘って言葉を。相手が知らないでいいことがあって、そのために嘘をついたとします。ですが、ついた嘘の重さが重いほどに、その嘘はついた人間を苦しめませんか?」
「……苦しむかもしれないわね」
「嘘をつくということは相手を騙すということです。嘘をつき続けるという事は意外と大変なんですよ。ずっと相手を騙し続けることです」
嘘をついた方も苦しい。
「嘘をつき続ける覚悟がなければ、嘘なんてついてはいけないと私は思うんです。綺麗ごとかもしれませんけど」
「嘘をつき続ける覚悟、か……」
遠くを見つめるような目でそう呟いた。
単純がゆえに嘘をつくことは思いほか、重いことなのかもしれない。
世の中に出ていけば、仕事で、対人関係で嘘をつくことも多々あるんだろう。
大抵の人間は嘘がバレた時に、相手の信用を失墜してしまう。
嘘をつく側とつかれる側、どちらもいいことなんてない。
「百合の花で思い出しました。昔、この家に女の子が遊びにきてませんでしたか? 私の友人ではなく、兄さんの友人です」
「猛の友達? いつ頃?」
「幼稚園から小学生の低学年のくらいです。ひとりだけ、とても嫌な記憶が残り続けてる女の子がいるんです。その少女が一体、誰なのかが私は知りたいです」
忘れられない女の子。
もしも、あの子が今も兄さんの近くにいたら危険だから排除しなくてはいけない。
「あの頃はとにかく、お母さんが家に友達の子を連れてきてたのよ。人生でモテ期があるのなら多分、あれが猛の第一次かも。いろんな子が遊んでたから覚えてないわ」
「兄さんがハーレム生活を満喫していた許せない過去です」
「過去は過去だもの。そんなに前の事なら写真とかあるんじゃない?」
記憶をたどるために、アルバムを探しにリビングへと戻る。
リビングの奥にあるアルバムを置いてある棚からいくつか取り出す。
すると、あることに気づいた。
「あら? 私達が赤ちゃんの頃の写真はないんですね?」
「どこかに、あるはずよ。ここにはないだけじゃない。今日は関係ないからパス」
意外なことに幼少時代のアルバムは見当たらず。
――なんとなく、姉さんの子供の頃の写真も見たかった。
姉が出してくれたアルバムはふたりが幼稚園の頃からの写真だ。
仲よさそうに写る猛たちの写真。
「ここからは、思っていたよりも写真の数が多いです」
「そりゃ、親にとって子供が一番可愛い時期だもの。必然と写真も増えるわ。子供は成長が早いから、こうして思い出として写真に残したいものなのよ」
「そういうものですか」
「それが親心ってだもの。たくさんあるでしょ」
「私もいずれわかる気持ちですね」
別のアルバムを眺めながら、
「懐かしい。こうして久しぶりに家族の写真を見ると、どこかくすぐったくも感じる」
「私、あんまりこういうアルバムを見たことがなかったんです」
「うちは家族そろって過ごす時間が少ない家だからしょうがないわ。特にこの頃はお父さんが政治家になった時と重なってるから余計に家も忙しかったし」
今もそうだが、父はこの家に帰ってくることが少ない。
年に数回は落ち着いて家族と過ごす時間は作ってくれるが、普段は疎遠気味だ。
「あっ、この頃からようやく兄さんの友人っぽい子の写真もあります」
猛と楽しく遊んでいる女の子達。
その頃の写真を見ていると、撫子が距離を取ってる写真も出てくる。
物陰に隠れるように見つめていたり。
彼の後ろで大人しくしている子供時代がそこにあった。
「……姉さん。私、ストーカーをしてる子みたいな写真があるんですけど」
「あー、それは撫子が人見知りだからでしょ。まだ小さかったこの頃はそれがひどかったから。他の子が近づくと、いつも猛の後ろに隠れるか、距離を取っていたわ」
「なるほど。それで私の記憶にはあまり兄さんの友人の記憶がないんですね」
子供時代には感じていなかった意外な構図。
写真で改めて成長してからみると、気づいたりすることも多い。
「この頃から撫子はブラコン全開だったのよ。普段は大人しいのに、お兄ちゃんを取られると思ったらムキになったりして」
「兄さんも私を甘やかせてくれていましたから」
「猛もシスコンだからしょうがないわ。世間的には異常なほどに、ものすごく自分を慕ってくれる妹がいて、それがこれだけ可愛い子なら男の子なら誰でもシスコン気味になるものでしょ」
一通り、アルバムをのぞいてみたけども、気になっている少女の写真もない。
だけど、雅はふと、自分の方のアルバムを見つめて、
「え……どうして、これが?」
一枚の写真に何か疑問を感じたらしい。
「姉さん、どうしました?」
「う、ううん。何でもないわ。気にしないで」
「そういわれたら気になります。姉さん、今、何かを後ろに隠しましたよね」
アルバムから何かを抜き取ったようなしぐさをしたように見えた。
明らかに怪しいので追求してみる。
「何でもないわよ。気にしないで」
「何を隠したんですか? 私に隠し事をしても無駄ですよ」
姉に隠したものを差し出すように告げる。
彼女は「うぅ」とうなりながら渋々に写真を出した。
そこに写っていたのは……。
「こ、これは……」
どこに家にでも一枚くらいはアルバムに入ってるお風呂で遊ぶ子供の写真。
小学生くらいの姉さんと小さな猛たちが裸でお風呂に入ってる写真だった。
裸といっても泡で見せちゃいけない場所は隠してるけども。
「やめて、見ないで!?」
「ヌードな写真が……なんてことでしょう」
「どうして、こんなのがあるのよ」
「大事なところは隠れているので問題はありません」
「そういう問題じゃないの。私の気持ち的な問題なの」
恥ずかしそうに写真を見つめていた。
ひとりだけ年上の彼女は恥ずかしいのだろう。
「ふたりとも、素直で可愛かったから私も楽しかったな」
「仲良さそうです」
「こういう写真で見ると恥ずかしいから勘弁してほしいわ」
「改めて昔の写真を見ると、人の成長を感じさせられます」
「大人になるとそれを切に感じるわ。子供の成長って本当に早くて短いものよ。だから、大切な思い出なの。撫子も今という時間を大切にしなさい」
彼女の言葉にうなずいて見せた。
古いアルバムを見ていると、懐かしい気分になる。
「私はまだ人生を十数年しか生きてませんけど、振り返れば歴史ありですね」
「当然じゃない。積み重ねてきた年月、それだけの思い出があるんだもの」
時間をかけて探してみるけども、成果はなし。
該当した子がいたのかもしれない。
だが、これだという、顔までは思い出せなかった。
「結局、分からずじまいです」
「昔の記憶なんてそんなものよ。いいじゃない、忘れたままでいれば?」
「……そうするのが一番楽でいいんですけどね」
そうしたいのに、心のどこかで警鐘を鳴らしている。
――あの子は危険だ、と。その手の私の直感はよく当たる。
彼に何かしらの感情を抱く相手ならなおさらだ。
その後、姉とお茶会を楽しんで、一日を過ごした。
その日の夜、アルバムを片付けようとしていた。
「昔の赤ちゃんの頃の写真はどこに……? もしや、そっちのアルバムに」
そう思いながら、アルバムを片付けていたら、
「これは?」
アルバムの間に挟まれて、出てきたのは一枚の封筒だった。
中には何か写真のようなものが入っている。
開いて中をみると、思わず、その写真を手放しかける。
「……え?」
そこに写るのは薄茶色の髪をした幼い女の子。
その容姿、瞳には見覚えがある。
この子が成長したらきっと、あんな風になるんだろうって一瞬で分かるほどに。
「この子は、まさか……須藤先輩? いえ、似てるだけ?」
その幼女の写真は撫子を心底、ドキッと驚かせた。
「どうして、私の家に彼女の写真が――?」
写真に写る少女。
撫子にとって一番苦手なあの人によく似ていた――。
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