第10話:噂のお相手はどなたでしょう?
学校での猛は正直、かなり女の子からモテる。
小さな頃から彼の周りには女の子がたくさんいた。
撫子の人生は戦いの歴史と言っても過言ではない。
――兄さんに恋する他の子は私の敵だもの。
だからこそ、ずっと彼女たちと戦い続けてきた。
そして、それはこの高校でも、繰り返されそうな予感――。
放課後、猛を迎えに教室まで行くけども姿がない。
「あっ、撫子ちゃんだ。お兄ちゃんに会いに来たの?」
「よぉ。相変わらずの美人さんだな」
「優雨さん、修斗さん、こんにちは。兄さんはどこにいるんですか?」
「猛君なら今日は日直で、今は先生のところにプリントを届けに行ってるはずだよ」
微笑む彼女の名前は優雨(ゆう)。
猛の友人である修斗の恋人だ。
とても気さくな子なので、撫子とも仲が良かった。
「少し待たせてもらってもいいですよね?」
「すぐに来ると思うよ」
「前から聞きたかったんですけども、兄さんに恋人などはいませんよね?」
そう質問すると、優雨は「恋人?」と不思議そうな顔をしてみせた。
「恋人かどうか微妙だけど、特別に仲のいい女の子はいるよね」
――ピキッ。
張り詰めた空気が教室中を包みこむ。
「い、今、空気がピキッて音が鳴った!?」
「……気のせいでしょう」
「き、気のせいならいいんだよ。う、うん……」
優雨が泣きそうな声で呟く。
胸の内にわく不愉快な気持ちを必死に堪えながら、
「噂のお相手はどなたでしょう?」
黒いモヤモヤした感情が渦巻いてる。
この感情の名前は“嫉妬”だ。
「え、えっと、それは……あのね、撫子ちゃん」
撫子の黒い心の内を見たせいか、優雨が顔をひきつらせていた。
「去年も同じクラスメイトだった女の子で――」
何かを言おうとした優雨の口を修斗が口をふさぐ。
「優雨、お前の悪い所は考えなしにおしゃべりな所だ」
「ご、ごめん。今のは何でもないです」
何かを隠しているかのような様子だったので追求してみる。
「本当ですか? ここで嘘をついても、優雨さんのためになりませんよ?」
「ほ、ホントだよ。わ、私は知らないもん。う、うぇ……」
睨まれてしまい、優雨が隣の修斗に助けを求めるような視線を向ける。
「……大和の事だろ? アイツには彼女とかいない。今まで何人か、恋人っぽい雰囲気の子はいたけども、恋人までは進展してない、はず」
「兄さんは素敵でモテますからね。誰にでも愛される優しい人です。ですが、恋人なんて作っていたとしたら……どうにかしちゃいそうで困ります」
「何をどうしちゃうのか怖いよ、撫子ちゃん。お兄ちゃん大好きだね」
「あまりにも兄さんを愛しすぎて、時々自分を見失います」
愛の前には時に正常な自制心を奪う場合もある。
嫉妬の炎に燃えた撫子が何をしでかすのか、自分でもよくわからない。
「あはは……大好きなお兄ちゃんがモテると大変だ」
「でも、兄さんは私以外の女性とお付き合いするなどありえませんから。私と兄さんは愛という絆で結ばれた兄妹ですもの」
優雨は「それは結ばれちゃダメな絆だと思うなぁ」と呟く。
中々、ふたりの愛には理解してくれる人が少ない。
「皆さんが好きになるのも無理はないです」
「そこに理解はあるんだ」
「兄さんは時折、無自覚ながらも平気で女の子を口説くセリフを言ってしまうんです。クラスの方々もきっと経験があるはずです」
周囲の皆さんに尋ねると、「私も経験あるかも」とあちらこちらで納得する声が。
「……大和君って、確かに平気で普通の子が言わない事をさらって言うよね」
「たまにドキッとして惹かれる事はあるかも」
「優しいし、カッコいいし、女の子には評価が高いよね。今は急落気味だけど」
なるほど、このクラスでも彼に惹かれている子は何人もいるみたい。
それはそれで不愉快なので、ここでその想いを潰しておいた方がいい。
「兄さんは妹相手でも平気で口説く方です。私も何度も心を弄ばれています」
「……ちなみにどんな事を言われたの? 」
そう尋ねられたので、満面の笑みを浮かべながら、
「――撫子の心の鍵は僕だけのものだから、合鍵なんて作っちゃダメだよ?」
「そ、それを本当に言ったとしたら、猛君はシスコン決定だね」
ドン引きした様子の優雨。
クラスメイトの方々も「ないわー、それはないわぁ」と嘆いてる。
「――今日もまた幸せな夢をみた。僕の夢に可愛い撫子が出てきたんだ」
「やめて、カッコいい大和君が崩れるからやめてっ!」
彼のファンであろう子の叫びが聞こえた。
「――僕はこれ以上、撫子を“好き”にはなれない。だって、“愛して”いるから!」
「愛なんて叫ばないで……鳥肌たつから、勘弁してよ。大和くん」
まだまだ続く、暴露の数々。
「――撫子の声が好きすぎて、話す度に心臓のときめきが止まらない」
「い、痛い、寒すぎて痛い。でも、大和君にならそう言われてもみたい」
「これはすべて兄さんから私に言われた台詞です」
今も時折、そういうセリフを言ってくれる。
「さすがにキツイな。そんな過去、俺なら死ねる」
唖然とする修斗に同感の優雨は、
「ていうか、猛君の一人称って僕だっけ?」
「中学時代までは僕でしたよ」
「そうなんだ? 意外だねぇ」
「高校に入ってからなぜか似合わない”俺”が一人称になったんです」
昔話をひとしきりすると、クラスメイトの方々の印象も地に落ちたようだ。
「はぁ、大和君はポエット(詩人)だったんだ」
「ラブポエマーとか。中二病のオタク男子より痛すぎるわ」
「イケメンでも許されない事ってあるんだね」
「いや~。あんな人に憧れていた自分が今はすごく嫌になる」
それぞれショックを受けて、苦労する女子達を見て撫子は確信する。
――可憐な乙女心をぶち壊す事には成功したみたいだわ、うふふ。
これで彼に興味を持つ女性はこのクラスにはいなくなったはず。
心の平穏を取り戻した彼女はご満悦の様子だった。
「兄さんはロマンチストなだけですよ」
「それをすべて受け入れてる撫子ちゃんってホントはすごいかも」
「当然です。私は兄さんを心の底から愛しています」
「こんなに可愛い妹に愛されて、大和は幸せだねぇ」
そんな会話をしていると、優雨は撫子に小声でたずねてくる。
「……あ、あのさ、撫子ちゃん。私は直接聞いたわけじゃないだけども、猛君と毎日、一緒にお風呂に入っている噂があるんだ」
「一緒にお風呂ですか」
「それって、ホントなの? ただの冗談だよね?」
以前から噂になっているみたいで、興味深々なので真実を話す事にした。
「本当ですよ。幼少の頃より、毎日、私は兄さんと一緒にお風呂に入ってます」
「――!?」
「毎日のように、兄さんに髪を洗ってもらってます。これが気持ちよくてたまりません」
「ま、マジだったの? えーっ!?」
「それどころか、一緒にも寝ていますよ。私、兄さんの腕枕をしてもらわないと寝れないんです。昨晩も一緒に寝て、良い夢をみさせてもらいました」
――嘘は言ってないもの。すべてが真実とは限らないけどね。
毎日ではないが、そのような事実はある。
嘘というエッセンスを混ぜ込んでしまうと、何が真実か分からなくなる。
撫子は意味深に頬を赤らめて呟いた。
「ああ見えて、兄さんって結構二人っきりの時は私に甘えたりするんですよ。それがとても可愛くて。年上の男の人に甘えらえるとドキッとしますよね」
「……あの猛君が撫子ちゃんに甘えるの? 想像できないよ」
優雨も普段と違う猛の様子を聞かされて愕然としていた。
――話を盛りました。私、お話だけは大盛にするのが大好きです。
真実は猛の立場にとって残酷なものだったらしく、教室内が大きくざわめく。
深刻なダメージを与えられるのを知らない彼はとても可哀想だ。
「マジだったとは……大和猛。正真正銘のシスコン決定だな」
「え? シスコンどころじゃないでしょ、普通に犯罪レベルだよ」
「純粋な妹の恋心を利用して、影でそんな真似をしてたなんて……ひどい」
「今日と言う日を私は恨む。大和くん、最低すぎ」
「あの色男、人生楽勝モードだと舐めてたら痛い目みるぜ」
クラスメイト達が口々に失望を呟く中で。
何も知らずに可哀想な人が教室に戻ってきた。
「――あれ? 撫子じゃん。教室に来ていたのか?」
タイミングが良いのか、悪いのか。
何も知らない彼の登場にその場全員のため息が漏れた。
「なんだ、どうした?」
「兄さん、おかえりなさい」
「待たせたようだな。あれ? 何か俺って注目されてる?」
周囲を見渡すと、クラスメイト全員から視線を向けられていた。
「……え? あ、あの、何かしました?」
「猛君。キミはこのクラスでもう平穏無事な学校生活はできないよ」
同情気味な優雨がポンポンと彼の肩をそっと叩く。
「優雨ちゃん。何で俺がそんな目に?」
「それは過去のキミの行動が悪いの。過去からの刺客は自分自身よ」
「あのー、白い視線を全力で向けられている理由が分からない。修斗、どういうことなんだ? 俺が一体何をしたら、こんな絶望的な状況になる?」
「……さぁ、知らない方が良いと思うぞ」
修斗も苦笑いしかできず。
困惑する猛に対して、フォローの意味を込めて。
「大和、一つだけ言えるのはこのクラスでお前の評価は地に落ちた。お前の時代は終わったと言う事だけだ。残念だったな」
「なぜ、どうして?」
「それは自分の胸に手を当てて考えてみろ」
「やめてくれ、キミ達。そんな目を向けないでくれ。やだなぁ。俺、何もしてないよ? 信じてくれよ」
誰もが何も言わずに無言で見つめていた。
沈黙が重すぎて泣きそうになる。
「……お願いだからせめて理由くらい教えて下さい。その危ない人を見るような冷たい視線に耐えられません。一体、何をしたっていうんだ」
がっくりと肩を落として戸惑う。
いわれのない非難に、悲愴感を背負っているように見えた。
その日からあだ名で「ラブポエマー大和」と呼ばれるようになったらしい。
でも、思いほか、彼に失望する女子は少なかったようで。
「猛君ならああいうセリフもいいかもぉ」
「痛い台詞でも一度くらい耳元で囁かれてみたい」
「イケメンの男の子ならアリだよね。不細工なら死ねと言えるけど」
「やっぱり、イケメンって得だわ。それに彼ならいいと思える」
などと、甘い台詞を言われてみたい女子には人気があったらしい。
――私の作戦、失敗……高校生ともなると、簡単にはいかない。
女性人気は健在、撫子の敵がまた増えそうな感じがするので残念。
それとは逆に男子達の方は彼に対して敵視する人々は倍増した。
「大和猛め、許せんぞ。あの破廉恥野郎」
「人気の大和撫子ちゃんに対しての不埒な真似は断罪すべきだ」
「イケメンな上に美人な妹がいるだけでも許せん」
「兄であるという立場を利用しての非道の数々。見過ごせんな」
猛の今後が心配なほどに男子から嫌われてしまったのだった。
しかしながら、撫子には懸念が一つだけ残った。
『恋人かどうか微妙だけど、特別に仲のいい女の子はいるよね』
優雨の発言。
詳細は教えてもらえなかったが、初耳だった。
――あの兄さんに特別な女の子がいるなんて……誰なんだろう?
疑惑と言う、小さなしこりが心の中に残り続けていた――。
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