第2話:人は恋をすると世界が明るくなります
入学シーズンである4月初旬。
新入生の撫子はまだ学校生活に慣れていない。
「ずいぶんと過ごしやすい気温になったな」
今日も放課後に待ち合わせて、いつも通り撫子と一緒に帰宅していた。
親密すぎる兄妹仲に疑惑を抱かれてもおかしくない。
「兄さん、公園に立ち寄っていきませんか?」
「公園? 久しぶりだな、ここにくるのは……」
「ホントですね」
撫子に誘われるがままに、猛は家の近所にある公園へと立ち寄る。
美しい桜並木が広がる公園は今、まさに桜が見ごろだ。
お花見をするには最適な場所である。
夕方という時間帯ゆえか、人の姿はひとりもいない。
「今度の土日にでもお花見に行くか」
「えぇ、お弁当を作りますよ」
「それは楽しみだ」
近くのベンチに座って軽く桜の花を見て楽しむ。
「暖かくなってきて、すっかりと春らしくなりました」
「撫子は寒いのが苦手だから歓迎だろ」
「冬が嫌いと言うわけではありません」
「そうなのか? 勝手な俺のイメージか」
「冬は兄さんと素敵な雪を眺めて楽しむことができます。夏ならば、海へ行きましょう。秋ならばお月見をしましょう。春夏秋冬、巡り巡る季節のすべてが兄さんと過ごせばどれも素晴らしい季節になります」
撫子は常に前向きな考えの子だ。
そういう所は猛も見習いたい。
「相変わらずのポジティブ思考で。撫子はいつも楽しそうだな」
「楽しいですよ。日々、充実していますから」
「幸せそうで何よりだ」
「私を幸せにしてくれるのは兄さんだけです」
妹と共に桜がひらひらと舞う様を眺める。
のんびりとしたこの時間こそが彼らの日常である
「そういえば、意外な木の花が桜の花に似ているのをご存知ですか」
「知らないな。何の木だ? 」
「アーモンドです。海外では桜のように綺麗なピンクの花を咲かせるんです」
「へぇ。それは知らなかった」
「アーモンドの木の花もこんなに美しい花をしていると思うと素敵ですね」
綺麗なピンク色の花びら。
日本の春を代表する花、桜。
この桜の花が咲いて人は春が来たのだと思えるのだから。
撫子は桜の木々を見上げながら、
「兄さんとまた同じ学校に入れてホッとしています」
「改めて、入学おめでとう」
「……ありがとうございます。ですが、私が言いたいことを兄さんは理解されていないようです。私が言いたいのはですね」
ぐいっと猛の服の袖をひっぱりながら拗ねてみせた。
その表情に彼は思わず「やばっ」と不穏な空気を感じる。
「兄さん」
「は、はひ」
「私がいない1年間でずいぶんとモテていたようですね?」
「そ、そんなことはナイデスヨ」
「ない、とは言い切れません。入学してから1週間、私は兄さんの評判を聞いて回りました。女性の方からはかなりの高評価のようです」
「いつのまに、そんなことをしていたんだ」
撫子はこうみえて、嫉妬深い一面もある。
その上、元弁護士の父親譲りか、気になることは調べまくる癖もある。
「兄さんがカッコよく素敵な方なのは私が一番よく知っているわけですが」
「ありがと」
「それでも、他の女性に好かれて人気なのは少々、複雑な気持ちにさせられます」
「……そうかな」
「だって、私のライバルが多くなるのは見過ごせません。兄さん、分かっているでしょう。私の貴方を想うこの気持ちを……」
そっと甘えるように抱き付いてくる。
男とは違う女の子の香り。
柔らかな身体を触れ合わせてきながら、妹は上目づかいで猛に迫る。
「兄さんもよくご存じでしょう。私はブラコンであり、兄さんを愛するがゆえに嫉妬深い性格です。そんな私の気持ちを踏みにじらないでください」
「そんなつもりはないよ」
「私は貴方を裏切りません。兄さんも私を裏切りませんよね? 」
静かに桜の花びらが風に吹かれて舞い散る。
「私以外の女性に愛されても決して振り向かないでください。兄さん、浮気はダメですよ。許しません」
「……してないんだけどなぁ」
「浮気心を疑っているわけではありませんが、兄さんも人間です。女性に興味を抱くなとは言いません。男と女、惹かれあうことも時にあり、残念ながら間違いを犯してしまうこともあるでしょう」
淡々と言葉をつづける彼女は、
「ですが、事と次第によっては、この桜の花をもっと美しくさせてしまうかもしれません。もしかしたら、来年の桜はこの薄いピンク色が深い真紅色に染まっているかもしれませんよ」
「どういう意味か聞きたくない」
想像して顔をひきつらせた。
「桜の妖しげなほどの美しさとは、その桜の木の下に……」
「い、言わなくていいからっ。分かってる、その言葉の意味は理解してます」
桜の木が美しいのはその下に(以下略)。
どこか冗談めいた口調言うが、それは冗談に聞こえないセリフだ。
――この子の場合、やる時はやる子だからな。
過去、何度か撫子の怒りによりひどい目に遭った女子がいる。
彼女たちの犠牲を思い出した。
「撫子がそのような真似をしないことを切に祈ろう」
「兄さんがいけないんですよ」
「俺の何がダメなのかな」
「私の気持ちを素直に受け止めてくれません」
「俺たちは兄妹です」
「そんなことは些細な問題なのですよ。私の気持ちは幼い頃から何一つ変わらず、兄さんだけを愛しているというのに」
「……何度も言うけど、兄妹です。無理だからね?」
「お決まりの台詞が聞きたいわけではありませんよ」
兄と妹、大っぴらに恋愛関係にはなれない関係。
禁じられた関係、。
恋をしてはいけないと、ルールで決めているのだから。
――例え、どんなに愛していても、俺は……。
禁忌を破って、世界を敵に回す勇気がない。
撫子は猛の隣で懐かしそうに語る。
「兄さん、覚えていますか? この場所で、私と約束してくれたことを」
「何だっけ?」
「してくれたじゃないですか。私の事をお嫁さんにしてくれるという約束です」
期待に満ちた瞳を猛に向ける。
それは小学生に入る前だった。
猛はこの場所で、撫子に約束したんだ。
『将来、僕が撫子をお嫁さんにしてあげるから』
そんな子供ならば誰もがした、大人になれば笑い話にもならない約束。
けれども、子供の頃はきっと本気で約束した想い。
覚えてはいたけども、恥ずかしくてつい誤魔化した。
「……そんな約束したかな。覚えていないや」
「あら、兄さん。その顔は覚えているという顔ですよ」
「そうかな。昔の話だぞ。覚えてる方が難しいかもな」
「それでもです。兄さんが私との約束を覚えていないはずがありません。覚えていないふりをしても無駄ですからね?」
はっきりと言い切る妹は猛にその唇をふいに近づける。
「兄さんの悪い所があるとするのならば、それは世界を裏切る勇気がないところです。兄と妹、確かに禁じられた愛を貫くのは難しいでしょう。だけど、私はその勇気をもって欲しいと思っています」
「……勇気か」
「はい。誰の理解も得られない恋愛を突き進むには愛だけでなく勇気も要ります」
誰かを傷つけてまでも彼は前へと進もうとしない。
「そんな兄さんに対して、私ができるのは……」
撫子はそのまま、躊躇うことなく猛に唇を触れさせる。
「……んぅっ」
静かに重なり合う唇。
触れ合う時間はわずかでも、とても長く感じる。
「――こうして、兄さんの気持ちを本気にさせることだけです」
うっとりとした表情で微笑みながら撫子は唇を離した。
「な、撫子!? 」
いきなりのことに戸惑うと彼女は笑いながら、
「ふふっ。油断をした兄さんが悪いんですよ。無防備すぎるんです。そんなことでは、私にキスされても仕方ありません」
「……まったく油断も隙もない」
「いつだって私の事を意識してください。私は兄さんのためなら何でもしますよ」
撫子はキスしたばかりの自分の唇を指で撫でる。
艶やかな唇に目を奪われる。
「隙があれば、兄さんを襲ってしまうかもしれません。要注意ですね、くすっ」
薄桃色の唇を尖らせて、猛を挑発するような仕草。
兄を誘惑する、小悪魔のような妹。
彼女は兄妹の壁などあっさりと超えてしまえる、すごい子だ。
「兄さんはさっき、私を楽しそうだと言いましたね。当然ですよ。兄さんと過ごした一秒、一秒は私にとって大切な思い出となります。これから先もずっと。私は幸せな日々を送り続けることができるんです」
桜は舞う、ひらひらと――。
「兄さん。これからもずっと楽しい思い出を私に与え続けてください。貴方と一緒ならば、それだけで私は幸せなんです」
妹がまるで花に包まれているように見えた。
夕焼けに照らされる桜吹雪を背に彼女は囁く。
「知っていますか。人は恋をすると世界が明るくなります」
「世界に色がつくっていうよな」
「今の私の世界が明るい色をしているのは兄さんに恋をしているからです。こんな私の一途な思いを裏切らないでください。私は貴方だけしか愛せません」
朱色に染まるピンク色の花びら。
綺麗な光景に撫子の美しさがより際立つ。
そんな幻想的な雰囲気の中で彼女は言った。
「貴方だけをこれからも愛し続けます」
大和撫子という女の子は心の強い子だと思い知る。
猛にはない勇気を持ち、自分の欲望に素直になれる。
――俺はどうなんだろうか?
妹だというのに、彼女を愛している。
ずっと前から、大好きな女の子が目の前にいる。
なのに、自分からは行動ひとつできない臆病者。
妹を愛する、そんな禁忌を犯す勇気がない。
「……お腹、すきました。そろそろ家に帰りましょうか。そうだ、たまには兄さんも夕食を一緒に作りましょう。大丈夫です、私がいろいろと教えてあげますから」
「そうだな。たまにはチャレンジしてみますか」
「一緒に料理をするという行為に意味があるんです。ぜひやりましょう」
撫子が差し出してきた手を握り締めて、ふたりで歩き始める。
すっかりと夕日は沈み、暗くなり始めていた。
猛は寄り添う妹に、かけがえのない愛しさを。
何も踏み出せない自分自身には、もどかしさを感じていた。
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