02.戦地

 少しだけ昔話をしよう。


 私の家は、祖父の代までは、多少は名のあるウルクの領主騎士の家系だった。

 それほど広い領地を持っていたわけではないが、それでも治める村の人々からは領主様と尊敬され、また、武門の家柄としての誇りも相応に持ち合わせていたと聞く。

 しかし。

 息子(私の父だ)が生まれたことで祖父は正式に曾祖父から家督を継いだのだが……その直後に出陣(無論、バランとの戦いだ)した際、盛大にやらかしてしまった。

 単刀直入に言えば、自軍の10倍近い数の敵軍と遭遇戦になった際、祖父は恥も外聞も投げ捨てて、一目散に逃げ出してしまったのだ。

 実際、その時の祖父のいた部隊の9割以上が未帰還だと言うほどの激戦かつ惨敗だったらしいから気持ちはわからないでもないし、逆に尻尾に帆をかけて逃げたからこそ助かった1割弱の中に入ることができたのだろう。


 しかし、「まがりなりにも騎士──すなわち生粋の武人として生まれ育って来たはずの人間が、一撃も干戈を交えることなく逃げるとは何事か!」と帝国軍上層部に激しく叱責され、挙句に領地と騎士の位を没収されたのも、これまた無理のない話だろう。

 祖父の面子は地に落ち、かつての同僚や上司はもちろん、治めていた村の平民階層の人間からまで侮られ、馬鹿にされることになる。不幸中の幸いは、領地と騎士籍は取り上げられたが、私財没収にまでは至らなかったことだろうか。

 祖父一家は逃げるように故郷の地を離れ、ウルクの南方の国境に近い片田舎の町へ引っ越し、騎士・軍人として以外のたつきの道を捜さねばならなくなったのだ。

 幸運なことに祖父の息子──私の父は少年時代から頭と要領が良く、その父が15歳の時に始めた質屋兼金貸し業が繁盛したため、私は子供時代に食うに困ったような記憶はなかった。


 ただ、金銭的にはそこそこ裕福になったとは言え、元騎士だった祖父は内心鬱屈したものを抱えていたようだ。

 父は、長男である兄を立派な後継者にすべく自ら計数や目利きなど色々教えていたが、次男であった私は放任に近い扱いだった。父に代わって私に教育を施してくれたのがこの祖父だ。

 父の目が届かないのをいいことに、祖父は私に「将来は立派な武人となれ」と吹き込みつつ、可能な限り、剣術や馬術、戦術、騎士としての心構えや礼法などを叩き込んだ。

 自分で言うのもどうかんと思うが、まだ純粋で素直な少年だった私は、祖父の教育に感化され、「いつか戦場で手柄を立て騎士の位を取り戻す」ことを夢見るようになる。

 そして、17歳の時、家を出て軍に入隊し、1年あまり国内の様々な戦場をたらい回しにされた挙句、魔甲騎兵マギアエクウェス乗りとしての適性が認められて、晴れて(?)最下級騎士デスペルに任官されたワケだ。


 魔甲騎兵を動かせる最低限の教習を受けた後、私はバランとの戦いの最激戦区のひとつであるラーマに配属される。

 そこで──私は、上官でありふたり目の師(ひとり目は祖父)とも言える存在、セルヴィ・カプラと出会ったのだ。


 「貴様が今回の補充要員か。我らジェスター小隊にようこそ。歓迎する」

 セルヴィは、ウルクの北の辺境に住む遊牧民族カプラ族出身の傭兵だった。

 戦争相手であるバラン連邦と異なり、名目上は単一国家ということになっているウルク帝国だが、極地や辺境に近い場所では、半ば独立しているような自治民族もいくつか存在する。

 カプラ族は、それらの中でも比較的大きな集団だ。男女ともに帝国の主流民族よりも頭ひとつ大きく、それに見合った頑健さを持ち、成人男子の半分近くが傭兵になってウルク軍と契約し、それを主な収入源にしている。

 仲間想いで、味方に情が深く、そして敵には苛烈。口数は少ないが、自ら口にしたことは必ず守る誠実さ(裏を返せば執念深さ)を持つ……というのが、カプラ族に対する風評だが、私の目から見たセルヴィも、まさにその通りの男だった。

 ただ、10年以上もウルク軍に身を置いているせいか、生粋のカプラ族に比べれば、それなりにさばけた融通の利く面ももっており、また、時折意外なユーモアのセンスを見せることもあった。

 ──と言っても、それが判明したのはもっと後、それこそ戦後に再会してからの話で、出会った当時の私にとってセルヴィは、「無口で無表情かつ鬼の如き厳しい訓練を課す上官」でしかなかったが。


 軍に入隊した当初の新兵時代にも2週間ばかり、軍人としての基礎を叩き込まれる強化合宿ブートキャンプがあったが、ズブの素人な周囲と異なり、祖父の薫陶を長年受けていた私は、(さすがに楽々とはいかなかったが)多少の余裕をもって訓練の日々も過ごすことができた。

 だが、魔甲騎兵を主力とする部隊のひとつである“ジェスター小隊”に配属された直後の私は、完全にヒヨッコ新兵同等の扱いでシゴかれ、そして誠に遺憾ながらそれについていくのに精いっぱいというていたらくだった。

 思うところは色々あったし、蔭で悪態をついたことも一度や二度ではないが、それでもいざ実戦に投入され、初めて敵の魔甲騎兵と交戦した後、何とか生きて帰れたのはセルヴィによる特訓のおかげであることを、嫌というほど思い知らされた。

 もし、小隊に配属された直後の私が、初陣と同様の敵の部隊と戦っていれば、間違いなく撃破され、戦場に屍を晒すハメになっただろう。

 そうして初の魔甲騎兵戦をくぐり抜け、からくも生き延びたことで、私もようやくジェスター小隊の一員(といっても一番の下っ端だが)と認められることとなった。


 “道化師ジェスター”と名付けられているだけあってか、私たちの小隊は遊撃部隊として様々な局面の助っ人ないし威力偵察さぐり役として、東奔西走させられることが多かった。

 当然、生き延びるための難度はべらぼうに高かったが、小隊長を務めるセルヴィの、冷静な判断力と豊富な経験、そして狩猟民族特有の危険を察知する優れた勘の3つに基づく指示のおかげで、ジェスター小隊に所属する戦死者は、私の所属していた2年間で僅かふたりだけだった。最前線を転戦し続けた魔甲騎兵の部隊としては、これは異例中の異例だろう。


 だが──「不死身の」とか「不滅の」といった形容が部隊の冠に付くようになるのは良いことばかりではない。敵側からは戦意昂揚のための標的(ウチを討ち取ればそれだけ敵側の士気が上がるのだろう)とされ、味方からもいわれのないやっかみを受けるようになる。

 そうした人の悪意に対処することは、間違いなくセルヴィの苦手分野だ。

 ジェスター小隊としての最後の作戦オペレーションも、そんな味方側からの思惑で押し込まれたものに違いなかった。

 敵味方の戦力が入り乱れる交戦地域から、敵の勢力圏方向に馬で丸1日ほど踏み込んだ場所に築かれた、物資集積ポイントを兼ねた砦。そこを急襲して最低限半壊、可能ならば全壊状態に追い込む──というのがその作戦の目標だった。

 急拵えの小さな砦だが、それでも200人以上の敵兵が常駐し、相応の数の魔甲騎兵や軍属魔術士も配備されている。

 普通に考えれば、魔甲騎兵主体の中隊規模で攻略して、ようやく五分五分かやや優勢……というところを、いくらそれなりに名が通っているとは言え、私たちジェスター小隊だけで攻略しろというのは無茶振りが過ぎる。

 私も他の隊員もそう思ったし、隊長であるセルヴィにもそう抗議したが、動揺あるいは憤慨を示す隊員たちを、彼は(普段の寡黙ぶりが嘘のように)根気強く説得し、またそれなりに筋の通った、「巧くいくかもしれない」と思わせる作戦案を提示してみせた。

 結果、上層部の理不尽な仕打ちに悪態をつきつつも、我らジェスター小隊は1名の脱走者を出すこともなくその絶望的な作戦に参加し──砦破壊に成功したうえ、満身創痍ながらひとりも欠けることなく味方基地への帰還を果たしたのだ。

 実のところ、小隊の先任下士官で戦術や戦力比見積りが得意な仲間が、その作戦についてざっと計算したところ、我が小隊の隊員・魔甲騎兵がすべてベストコンディションで、地形や天候に恵まれ、さらに敵の戦力配置予想が完全に此方の予想通りであったとしても、成功率は2割あるかないかだった……と、後日聞かされてゾッとしたものだ。

 前線で戦う魔甲騎兵が全機オールグリーンなんて状況はめったにないし、当日の天候も風が強く小雨がパラついた、あまり放火に適した環境ではなかった。事前の予想とは異なる場所で敵の魔甲騎兵と遭遇したこともあった。つまり、成功率は2割どころか1割を切っていた可能性さえあるのだ。


 いずれにしても、私たちジェスター小隊は危険極まりない賭けに勝った。その結果、俺たち隊員は全員1階級昇進、隊長のセルヴィにいたっては2階級昇進し中隊長になることが内定する。それだけならよかったのだが……。

 「これだけの精鋭を1箇所のみにまとめて運用するのは、ウルク軍全体のことを考えると損失」という訳のわからない理論によって、ジェスター小隊は解体され、隊員はさまざまな場所(ただしいずれも前線)に配属されることとなった。大方、(形式上は傭兵で“外様”の)セルヴィが必要以上に力を持つことを経験したんだろう。

 私が再配属された先は、歩兵が17に魔甲騎兵が3、騎馬兵が2、整備兵が1と、かなり小規模な小隊だった。おまけに隊長は軍医上がりで、私以外の魔甲騎兵乗りは、軍歴半年にも満たないヒヨッコ……というチクハグさ。

 完全に此方を殺しにきてる。いや、意図的にそうするまでもなく、この頃の前線はどこでもそんなモノだったのかもしれない。むしろ、私達ジェスター小隊の方が例外だったのだろう。

 案の定、配属後、ひと月も経たないうちに出撃した小隊は、敵陣内で孤立。このまま包囲殲滅すりつぶされるか……と思ったところで、あきらめの早い隊長が白旗を上げ、敵にそれが受け入れられたのは幸運と言うべきか否か。

 武装解除の後、私たちは拘束され、そのままバラン領内の捕虜収容所に送られることとなった。

 捕虜収容所での暮らしは──まぁ、大方予想できるだろう。はっきりいって人間が生きる環境じゃない。

 2プロト平方(いや、天井の高さも同じ位だから立方と言うべきか)の狭い部屋コンテナに、捕虜ふたりが詰め込まれ、ひとりに1枚、薄い下敷マットと毛布が寝具として渡される。

 食事は日に1回、硬いパンと大ぶりな椀に入った薄い塩味のスープが出されるのみ。

 苦役などを課されなかったのは不幸中の幸いだが、敵軍むこうからすれば、わざわざ捕虜を牢から出して何かさせるのに監視の人手を割くのが面倒だったのだろう。

 朝夕2回、武装した看守の監督のもと、ひと部屋ずつ囚人を出し、順に粗末なトイレに行かせてもらえるのだが、これも温情と言うより牢屋が糞便垂れ流しで臭くなることを避けただけに違いない。

 恒常的な暴力や飢餓などの明確な虐待はないにせよ、捕虜を心身両面から衰弱させるには十分すぎる環境だった。

 実際、壁が薄いので両隣のみならず廊下を挟んだ向かい側の他の捕虜とも話すことは可能だったが、私より数ヵ月早く収容されていたらしい彼らは、いずれも話をするのさえ億劫といった雰囲気で、まったく会話は弾まない。

 私が退屈凌ぎに話せるのは、必然的に同室の人間しかなかった。


  * * *  


 私より2日遅れで同じ部屋に収容されたその男は、カーツ・カノンと言う20代半ばの曹長で、ジェスター小隊時代に同じ中隊のもとに属していたこともあり、多少は面識がある相手だった。

 「知ってるか、エド? 今年で100年目になるこの戦い、どうやら近いうちに終結するらしいぜ」

 向こうが何歳か年長で従軍歴も長いが、私の方が階級は上(中尉)──ということもあって、牢内の相棒として暮らしていくに際して対等口ためぐちで話すことを決めてあった。

 「まさか。そのテの話は私だって、それこそ生まれた頃から何度も聞いた記憶がありますが、ほぼすべてが偽情報ガセでしたよ。実現しても、せいぜいがちょっと長めの停戦……ってところではないですか?」

 「それが今回ばかりはマジらしい。なんでも、両国ともそろそろ本格的に食料やら工業生産やらの後方負担がヤバいらしくてな」

 兵站部直属の護衛兵だったことに加えて、目端が利くというのか、カーツその種の噂話に妙に詳しかった。

 「──仮にそれが本当ならよい事なのではないですか? 終戦に至れば私達捕虜も釈放されて故国に帰れる可能性が高まるでしょう」

 「そいつはちょっと甘い考えだな。いいか、戦争で労働力ひとで不足に陥ってるのは俺達ウルク側だけじゃない。バランもだ。で、戦後の復興に取り掛かる際、酷使して使い潰しても問題ない人手が手元にたくさんあったとして、それをわざわざ無償で「どうぞお帰り下さい」と丁重に送り返してくれると思うか?」

 「………」

 カーツの意見は辛辣だが、あながち的外れではないだろう。

 「まぁ、ここまでは話の枕だ。なぁ、エド、このクソッタレな収容所を脱走するプランが俺にあるんだが、乗る気はないか?」

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魔甲騎兵マギアエクウェス -蒼狼之騎士の漂泊譚- 嵐山之鬼子(KCA) @Arasiyama

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