第35話 清香、人生最長の一日(1)
清香の予定到着時刻の直前、真澄が和風庭園に囲まれた離れの日本家屋を訪れると、そこの仏間で総一郎が、仏壇の前に正座してぶつぶつと独り言を言っていた。
「……澄江。お前にはあの世で、散々気を揉ませてしまったな。儂も漸く、決心がついたぞ。後で子細を報告するから、見守っていてくれ」
しんみりした声でそう言った総一郎が、鈴棒で鈴を打ち鳴らし、チーンとしめやかな音が室内に響いた所で合掌するのを、スラリと障子を引き開けた真澄が、些か呆れた様な表情で眺めやった。
「覚悟が決まって、何よりですわね。……正直に言わせて頂ければ、今までかかるなんて、往生際が悪過ぎたとは思いますが」
そんな皮肉を飛ばした真澄に、チラリと背後を振り返った総一郎が忌々しげな表情を浮かべる。
「なんじゃ、真澄か。今澄江と話をして、心を落ち着けている所だ。少しは遠慮せんか」
しかし勿論そんな事で怯む真澄では無く、再度祖父に向かって念を押した。
「お祖父様……。くれぐれも清香ちゃんの前では」
「くどいぞ真澄! 正直に一連の話をして、その結果清香に罵倒されて殴り倒されたとしても、ひたすら黙って頭を下げて許しを請う覚悟はできておるわ!」
「そうですか? 本当にそうなら、私もこれ以上は言いませんが」
自分の話を遮って言い切った祖父に、真澄は懸念を払拭できないまま話を終わらせようとしたが、案の定総一郎は、余計な一言を付け加える。
「心配せんで、黙って見ていろ。何、あの得体の知れんクソガキでは無く、清香に頭を下げるのだから、何だって我慢できるわ」
「お祖父様! だからそう言う不穏当な発言は慎んで下さいと、私があれほど!」
流石に語気を険しくして窘めようとした真澄だったが、総一郎は素知らぬふりで仏壇に向き直り、今は亡き愛妻に向かって語りかけた。
「なあ、澄江。真澄はいつになったら嫁に行けるのかの。もう三十三じゃぞ?」
「それとこれとは、今は関係無いでしょう?」
「この口うるさいのが治らんうちは、やっぱり無理じゃな。清香の件が無事済んだら、今度は真澄の嫁入り先の心配をしてくれんか? なあ、澄江」
「お邪魔しました!!」
怒りでぶち切れた真澄は、開けた時とは比べ物にならない位乱暴に障子を閉め、ガラス越しに明るい日差しが差し込む縁側を、憤怒の表情で母屋へと進んだ。
「全く! あの脳天気爺がっ!」
ぶちぶちと文句を吐きながら離れの出入り口で靴を履き、母屋に繋がる絨毯敷きの通路を進み、幾つかの角を曲がって応接室に入る。そして広さにしたら四十畳位はありそうな室内を見渡すと、二つある応接セットの手前の方に、自分の弟達や従兄弟達が勢揃いしているのを見て、真っすぐ歩み寄った。
「もう全員、揃っているのね」
「姉さん、お祖父さんの様子はどうでしたか?」
すかさず姉に席を譲りながら首尾を尋ねた浩一に、真澄はソファーに乱暴に腰かけながら、早速毒吐いた。
「どうもこうも! それなりに覚悟は決めているらしいけど、薔薇色の未来を頭の中に思い描いて、頭に花を咲かせているわよ」
苛立たしげに告げた真澄の態度で、総一郎がどの様な状態だったのかを、その場全員が容易に察した。
「大体の様子は分かりました」
「清人さんに頭を下げるわけではなく、清香ちゃんだから良いとか言いましたか?」
「何かこの期に及んでも、清人さんの事を貶していそうですね」
周りから口々に言われた内容に、思わず真澄が右手で額を押さえて俯きながら、常には無い弱気な言葉を漏らす。
「……段々不安になって来たわ。文句を言われても、清人君を同席させるべきだったかしら」
「残念ながら、もう手遅れですね」
容赦無く断言した友之に反論する気も起きず、真澄はただ一つ溜息を吐いた。それを見て流石に不憫に思ったのか、玲二から励ましの声がかかる。
「まあ、俺達も出来るだけフォローするから、なんとかなるって! そう暗くなるなよ、姉貴!」
わざと明るめに言ってみた玲二だったが、真澄は玲二に恨めしそうな顔を向けた。
「玲二……、あなた今日の席次、まだ見てないの?」
「え? 決まってるの?」
「ほら、これだ。和室の続き間でやるからな」
そう言って沈鬱な表情でテーブルの片隅から一枚の用紙を取り上げた浩一は、弟に向けてそれを差し出した。受け取った玲二がそれを開いて確認すると、長い座卓を一列に繋いでその両側に席が配置されており、上座は勿論、主役の総一郎だが、総一郎の向かって右側の列に雄一郎ら三兄弟夫婦と修夫婦の順で座り、向かって左側には客人の清香が座ってから、独身の孫達が年齢順で座る様に席が配置されていた。
つまり清香の次は必然的に真澄であり、順に浩一、友之、正彦、明良、玲二で座るとなれば、末席の玲二には咄嗟にフォローのしようが無いのが実情である。
「これだと……、祖父さんのすぐ左側に清香ちゃんで、その隣が姉貴と兄貴?」
「……良かったわね、一番下座で。何なら代わるわ」
恐る恐る玲二が確認を入れると、真澄がボソッと呟いた。それに本気で慄きつつ、玲二が頭を下げる。
「ごめん、姉貴。心の中で応援してるから!」
「真澄姉! 頑張れ!」
「取り敢えず微妙な話題は振らない様に、私達も十分気をつけますから」
「NGワードとしては、清人さん関連の事や、連想する内容だよな」
「一回で終わらせようぜ? 何回も胃が痛い思いをするのはごめんだ」
従兄弟達に加えて奈津美にまで励まされても、気が重くなるのは隠しようも無い真澄だったが、ここで使用人の一人が、皆が集まっている場所に歩み寄って来て報告してきた。
「真澄様、佐竹様がご到着されました」
「噂をすれば影ね。……まずこちらに案内して頂戴」
「畏まりました」
色々覚悟を決めた真澄が普段通りの顔で指示すると、相手の女性は一礼して応接室を出て行った。それを見送って、真澄は周囲の者達を見回す。
「皆、今日は宜しくね」
それに応じて全員無言で小さく頷くと、先程の女性に先導されてドアから清香が現れた。一抱えもある大きな花束を持って、ゆっくり真澄達の方に歩み寄って来る。
「真澄さん! 今日は招待して頂いて、ありがとうございます。迎えの車までよこして貰って、助かりました」
まず清香が礼儀正しく挨拶すると、それまでの不安など感じさせない様な笑みで真澄が応じた。
「それ位、気にしないで? こちらこそ、無理を言ってしまって悪かったわ」
「ううん、皆で集まるのは学祭で偶然顔を合わせて以来だし、嬉しくて、この一週間楽しみにしていたの」
ニコニコと心から嬉しそうに笑う清香に、思わずほっこりとその場が和む。
「そう? 俺達も清香ちゃんに会えて、凄く嬉しいよ」
「ああ、可愛げの無い祖父さんに会うためだとしてもね」
「もう、正彦さんったら口が悪いんだから。実のお祖父さんさんでしょう?」
「いや、だって本当に口うるさくて頑固で可愛げが無いんだよ? ……相手限定で、意気地なしでチキンだけどさ」
「結構可愛い、お祖父さんみたいじゃないですか」
「……随分豪胆な性格になったね、清香ちゃん」
正彦の愚痴に清香がクスクスと笑った所で、半ば呆れた様に明良が応じると、そこで真澄が清香が手にしている花束について尋ねた。
「ところでその花束、わざわざ持って来てくれたの? 気を遣わせちゃってごめんなさい。でも祖父が喜ぶわ」
すると、清香が幾分恐縮気味に言い出した。
「えっと……、恥ずかしいんですけど、これ、実はお兄ちゃんが準備してくれて……」
「え?」
「清人が?」
意外な事を聞かされて、真澄と浩一は揃って驚きの声を上げたが、それを受けて清香は淡々と説明を始めた。
「はい。私、何も考えないで手ぶらで出掛けようとしてたんですけど、午前中にお花屋さんが配達してくれて。『お前からと言って持って行け。慶事と弔事は、金を惜しむものでは無いからな』と言ってました。やっぱりお兄ちゃんは気配りのできる大人だなと、再認識して」
嬉しそうに清人自慢を繰り出す清香に、真澄と浩一の顔が微妙に引き攣った。
「そ、そうなの……。後から私からもお礼を言っておくわね?」
「清香ちゃん、それ、お祖父さんには自分からのプレゼントだって言ってね?」
「お兄ちゃんからって、言わない方が良いんですか?」
不思議そうに首を傾げた清香に、周りが焦りながら二人の発言をフォローする。
「そうじゃなくて……、支払いは清人さんがしたかもしれないけど、実際持って来てくれたのは清香ちゃんだし」
「可愛い女の子が持参してくれただけで、お祖父さんは満足だろうし」
「清人君は、あまりでしゃばった事はしたがらないタイプだしね」
「はあ……、分かりました」
何となく納得しかねる顔付きながらも、了承の言葉を返した清香に、真澄と浩一は取り敢えず安堵した。
(何とか、不安要素は回避できたかしら?)
(詳細を聞いたお祖父さんが「こんな物受け取れるか!」とか喚いたら、一巻の終わりだからな)
そんな冷や汗ものの会話をしていると、応接室に入ってきた年長者達が、清香を見つけて歩み寄ってきた。
「清香ちゃんいらっしゃい!」
「やあ、久し振りだね、待っていたよ」
「雄一郎おじさん、玲子おばさんも、お久しぶりです!」
それを合図の様に真澄達は自分の親達に席を譲り、さり気なく窓際の方へ揃って移動した。そして雄一郎達が遠慮なく清香を取り囲む。
「元気そうだね。今日はわざわざありがとう」
「早速プレゼントを身に付けてくれているようだね。嬉しいよ」
「はい、せっかくだから付けてみようかと。和威おじさんも義則おじさんも、ありがとうございました」
淡いパステルグリーンの、胸元にゆったりとしたドレープが付いて裾が広がっているワンピースに、伯父達が送ったパールとプラチナで作られたネックレスとイヤリング、ブローチの三点セットは良く似合っていた。それを間近に目にする事が出来て、送った面々も満足そうに頷く。
「清香ちゃん、スポンサーは主人だけど、選んだのは私達なのよ? 忘れないでね?」
「やっぱり、私達の目は確かよね、良く似合ってるわ」
「はい、おばさん達のセンスは抜群ですから。本当に素敵な物を、ありがとうございました」
「まあ、清香ちゃんって、相変わらず正直で可愛いんだから」
嬉しそうに玲子達が笑いさざめいてから、ふと絢子が清香を眺めながらしみじみと言い出した。
「でも二十歳過ぎると、忽ち大人っぽくなるわねぇ……」
「そうよね、普段と全然雰囲気が違うし」
「おばさん達が寂しくなってしまうから、あまり早くお嫁に行かないでね?」
絢子の台詞に玲子と真由美が真顔で応じると、清香は激しく動揺しながら反論を繰り出す。
「おおお嫁って! まだ全然そんな事はないですから! 雰囲気が違うって言うのも、単に髪を下ろしてるせいだと思いますしっ!」
「あら、そう言えばいつもポニーテールですものね」
「そのハーフアップも似合ってるわ、清香ちゃん」
「バレッタもアクセサリーに合わせて、パールとシルバーなのね。素敵よ? 清人君が買ってくれたの?」
何気なく玲子が尋ねた一言に、清香が口ごもりながら答える。
「あ、いえ……、これはお兄ちゃんではなくて、昨日聡さんに頂きまして……」
「……聡さん?」
「いえっ! あのっ、何でもないですから!」
「………………」
怪訝そうに問い返した玲子に、清香は慌ててその場を取り繕った。
(何だか、ここでうっかり聡さんの事を口に出したら、おばさん達に根掘り葉掘り聞き出されそうな気がする……)
清香は当然初めて聞く名前に食いつかれると予想したのだが、昨年末その聡の見合い話の為に奔走した雄一郎達は、余計な事は言わずに黙って顔を見合わせた。そこで離れていた真澄が、再び清香の所にやって来て、控え目に声をかける。
「清香ちゃん、お父様達との話は済んだ? 準備が出来たそうだから部屋に移動しましょうか」
「私達はちょっと話があるから、先に行っておいで」
「あ、はい。それじゃあまた後で」
雄一郎に優しく言われた清香は素直に頷き、皆に向かって小さく頭を下げた。それに他の者も鷹揚に応じる。
「ああ」
「楽しんでいってね?」
そうして清香と子供達が先に離れの方に向かうのを見届けてから、和威が雄一郎を問い質した。
「……兄さん。そう言えば小笠原の方では、あれをどうしたんですか?」
「未だに清香ちゃんに、纏わり付いているって事は……」
幾分目線を険しくして義則も問いかけると、雄一郎がどこか楽しそうに答える。
「全て何とか、穏便に事を収めたらしいな。やるじゃないか、小笠原社長も」
「まあ! 私達があれほど骨を折ってあげたのに」
「許せませんね、お義姉様」
「それもそうなんだけど……、実はお義父様に、まだこの事をお伝えしていなくて……」
そこで義妹に同意を求められた玲子は、困った様に夫に目をやりつつ現状を告げた。その内容に、弟夫婦達が固まる。
「は? 本当ですか!?」
「俺達はてっきり父さんに話をした上で、父さんの人脈も総動員してあれだけかき集めていたのかと」
幾分非難する様に訴えて来た弟達に、雄一郎が渋い顔になって言い聞かせる。
「本当だ。ここであの清人君も手を焼いている男が、清香ちゃんと付き合いだしたなどと言ったら、あの父の事だ。逆上して、何を言い出すか分からないぞ? しかも何やら因縁があるらしい、小笠原の人間ときているからな」
「まあ、纏わり付くだけじゃなくて、付き合い始めたの?」
「じゃあさっきの反応は、色々聞かれるのが恥ずかしかったのかしら? 可愛いわね」
のほほんとお気楽な事を言い出す妻達に、男達は揃って苦虫を噛み潰した様な表情になった。
「お前達、あまり気楽な事を言うな」
「そうだ。今日一日、何とか無事に祖父と孫としての対面を済ませたら、追々説明すれば良いだけの話だからな」
「くれぐれも、余計な話題は口にするなよ?」
「それは重々、承知しております」
「そう心配なさらなくても」
「少しは信用して頂戴?」
口々に念を押した夫達に妻達は呆れつつ、そこで揃って離れへの移動を開始したのだった。
応接室でそんな些か深刻な会話が交わされている頃、清香達は離れに到着してそこの玄関で靴を脱ぎ、奥の続き間へと進んでいた。そして目的の場所に辿りつくと、上座に一人ポツンと座っていた皺の深い老人に向かって、真澄が声をかける。
「お祖父様、清香ちゃんを連れて来ました」
「お、おう、すまなかったな、真澄」
そう応じてから、総一郎は近寄ってきた清香に座ったまま畳に手を付いて、軽く頭を下げた。
「その、清香さん。今回、我が家に突然招待したりして……、驚かせてしまったら申し訳無かった」
「そんな事、気になさらないで下さい。私も真澄さん達のお祖父さんにお会いできて嬉しいです。お誕生日、おめでとうございます!」
目の前に座った清香が総一郎に向かって持参した花束を差し出すと、総一郎は信じられない物を見る様な目つきで清香を眺めやった。
「これを、儂にくれるのか?」
「勿論です。お嫌でなければですが……」
些か心配そうに語尾を濁した清香に、総一郎が満面の笑みで頷く。
「なんの、可愛いお嬢さんから貰った物をお断りするほど、無粋な性格はしておらんのでな。ありがたく頂戴しよう」
「気に入って頂けて、良かったです」
第一印象はちょっと怖そうなお祖父さんかもと密かに思った清香だったが、嬉しそうに笑っているその顔は好々爺としか見えない物で、清香は一人笑いを堪えた。
(うん、可愛いお祖父さん。やっぱり若い女性から貰ったっていうのが、ポイントなんだろうな。余計な言は言わないでおこう)
(これで第一関門はクリアかしら? もう何でも良いからさっさと告白してよねっ!)
すぐ横でそのやり取りをひやひやしながら見守った真澄だったが、そんな切なる願いとは裏腹に、全員が席に着いて雄一郎が乾杯の音頭を取り、食事をしつつ歓談の流れになってからも、総一郎は清香と当たり障りのない世間話などをして、一向に埒が明かなかった。
一同、特に至近距離の真澄が流石に苛々し始めた時、漸く総一郎が口調を改めつつ清香に声をかける。
「あの……、清香、さん?」
「はい、なんでしょうか?」
その緊迫感溢れる雰囲気と表情に、清香以外の全員が瞬時に話を止めて事態の推移を見守る。
「今まで黙っておったが、清香さんは…………」
そこまで言って言葉を途切れさせた総一郎に、清香は本気で首を傾げた。
「何か?」
「その……、儂、の……、ま……」
「はい?」
そのまま次の言葉が出てこない総一郎に、清香が(どこか急に具合が悪くなったのかしら?)と本気で心配しかけたその時、漸く総一郎が言葉を絞り出した。
「ま……、饅頭を食後のお茶請けに準備したんだがの。若い娘さん相手では、もうちっとハイカラな物の方が良かったかの?」
その台詞に、ある者は盛大に溜息を吐き、ある者は頭を抱えたが、真澄は心の中で容赦なく実の祖父を罵倒した。
(いい加減にしなさいよ、このチキンじじいっ!!)
そんな一同の心境など分かる筈も無い清香は、笑って告げる。
「いいえ、とんでもない! お饅頭は大好きです」
「そ、そうか。それなら良かっ」
「私もお兄ちゃんも和菓子の類は好きで、時々贔屓の店にお使いを頼まれる位ですから」
予想外の人物の事が話題に上った瞬間、総一郎の顔が僅かに引き攣った。
「ほ、ほう……、お兄さんも好きかの」
「はい。もうお酒が強くてザルな癖に、甘い物にもこだわりを持ってて。ですから、お兄ちゃんが美味しいと言った物は絶品なんですよ? 良かったら今度、お持ちしますね?」
「……それは嬉しいの」
親切心から申し出た清香には一応笑顔を向けたものの、声の調子が冷えたものになったのを感じた真澄は、話題を逸らそうと慌てて清香に声をかけた。
「あのっ! 清香ちゃん、今日身に付けてるそれって、成人のお祝いにお父様達が贈った物よね? 良く似合ってるわ」
「うんうん、清楚さと気品溢れる装いじゃな。それに実際使っている所を見せるのは、贈った者への何よりの礼じゃ。清香さんは人情の機微を分かっている、若いのに似合わずできたお嬢さんじゃな」
その姿を改めて見やり、それですっかり機嫌を直した総一郎が清香を手放しに褒めると、清香が若干照れながら弁解した。
「いえ、あの、そんな大した事じゃありません。せっかくだから付けている所を見て貰いなさいって勧めたのは、お兄ちゃんですし」
「……ほう」
「あ、そ、そうだったの」
「本当にお兄ちゃんって、些細な所まで目配り気配りできる人なんです。私も見習わないといけないと思っているんですが、なかなかそうはいかなくて」
「…………」
しみじみと清人を褒める清香に、総一郎は表情を消して無言になった。益々危険な物を感じた真澄は、内心の動揺を押し隠しつつ事態の打開を図る。
「えっと……、清香ちゃん? 例のアレンジなんだけどお祖父様が気に入って、仏間に飾ってお祖母様に見せているのよ」
「お祖母様、ですか? 仏間って……」
当惑した清香に、総一郎が幾分寂しそうに真澄の説明に付け加えた。
「ああ、儂は連れ合いを、二十年近く前に亡くしておっての。あれが生きていた時代にはああいう物は無かったから、綺麗な物が好きだった澄江が見たら、喜ぶと思ってな」
それを聞いた清香は納得した様に頷き、しみじみと言い出した。
「奥様は澄江さんって仰るんですか。総一郎さんの奥様なら、きっと素敵な方だったんでしょうね」
「そう思ってくれるかの?」
「勿論ですよ。だって息子のおじさん達も孫の皆さんも、揃って美形で優しい人ばかりですもの」
笑って断言した清香に勇気を貰った様に、総一郎が口を開いた。
「そう言って貰えると嬉しいの。だが実は、清香も澄江の」
「だから皆で集まると、私一人醜いアヒルの子みたいなんですよね。お兄ちゃんは皆に混ざっても、違和感無い位美形で存在感を醸し出してるのに。やっぱり母親が違うと、その違いが結構見た目に出るんでしょうか?」
せっかくの告白を遮られた挙げ句、謙遜して「あはは」と笑ってみせた清香に、総一郎は思わず腰を浮かせて叫びかけた。
「そんなわけあるか! 儂の娘があやつの母親に負」
「清香ちゃん! さっきから見てたんだけど、そのバレッタ、素敵ねっ!」
そこで総一郎に負けない位の大声で真澄が会話に割り込み、それと同時に清香の肩を掴んで、強引に反対側の自分の方を向かせた。その乱暴な振る舞いに驚きながらも、真澄に向かって清香が律義に答える。
「はい、お兄ちゃんも今日の出で立ちには似合うなって、出掛けに誉めてくれました」
「……そう、それは良かったわ」
(もう嫌っ! どうして振る話題が、悉く清人君に繋がるわけ!?)
(清人が度が過ぎたシスコンだって事は頭に入れてたが、清香ちゃんも相当なブラコンだって事を、すっかり忘れていたな……)
真澄と浩一が激しい頭痛を覚え始めたその時、何とか平常心を取り戻した総一郎が、再度真顔で清香に声をかけた。
「清香さん。改めて話があるんじゃが」
「はい、何でしょうか?」
再び自分の方を向き直った清香に、総一郎は深呼吸してから徐に話し出す。
「その……、真澄から聞いたんじゃがの。清香さんは、母方の親族とは疎遠じゃそうだが……」
「はあ、確かにそうですが、もっと正確に言えば疎遠では無くて没交渉です」
「清香さんは……、その人達と会ってみたいとは思わんかの?」
恐る恐る問いかけたそれに、清香が平然と答える。
「会えるなら、それを回避するつもりはありませんよ?」
「それは本当か!?」
思いもかけない言葉に、総一郎が喜色を露わにして僅かに膝を進めたが、対する清香の答えは容赦の無いものだった。
「ええ。もし会う機会があったら今度は私がボコボコにしてやろうと思って、お兄ちゃんと一緒に幼稚園の頃から道場通いをしましたし。だってお母さんが『清吾さんと清人君の前で土下座して、四つん這いのままその場で三回回ってわんって吠えて、靴の裏を舐めるのを見たら、二人に対してしたあれこれを、全部許してあげても良いわ!』って断言してましたから、娘で妹の私はそれくらいかなと思いまして」
「……………………」
事も無げに清香が口にした内容に、総一郎は再び表情を消して黙りこみ、その息子達は(香澄、お前それは厳し過ぎるだろう)と父の心情を慮って密かに涙し、孫達は(だから柔道を習ってたんだ。単に大好きなお兄ちゃんにくっついて、通っていたんだと思ってた)と頭を抱えた。そこで何故か清香が苦笑して、小さく肩を竦めながら話を続ける。
「と、一昨日までは、固く心に誓っていたんですが……」
「は? そうすると、昨日どうかしたのかの?」
微妙な所で言葉を区切った清香に総一郎が不思議に思って仔細を尋ねると、清香が真顔で言葉を継いだ。
「昨日、ある人に同じ様に母の親族の話をした時、言われた事があるんです」
そうして清香は前日の聡とのやり取りを、簡潔に語って聞かせ始めた。
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