第34話 真実の一端

 明日の事を口にした途端、何となく沈鬱な空気を醸し出し始めた清香を、聡は苦笑いしながら、何とか宥めようと試みた。


「そう心配しなくて良いよ、清香さん。皆も清人さんとは、普通の血縁者以上に仲が良いだろうし。……特に清香さんに関する事では、一致団結していると思う」

「それは十分、分かっていますけど……」

「清香さんが寂しい思いをしない様に、また招かれる機会とかがあれば、きっと他の皆が、清人さんも招待しようと言い出すよ。実際、先生は人間的にもごく一部を除けば立派な人だし、総一郎氏も大部分では、気に入ってくれると思うから」

(そのごく一部が、もの凄くえげつないんだが……)

 清香に全面的に嘘を言うつもりはなく、微妙な言い回しで清人の事を評した聡だったが、それを全面的な褒め言葉と受け取った清香は、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、聡さん。何か変な気を使わせてしまったみたいで、ごめんなさい」

「いや、本当の事だから」

 そうして幾らか元気を取り戻した清香と共に、綺麗に彩られた旬の料理を味わうのを再開した聡だったが、翌日の事に対しての懸念は捨て切れなかった。


(話の流れからすると、あの連中が従兄弟同士って事は告げても、清香さん自身の従兄弟にも当たる事や、総一郎氏が清香さんの母方の祖父という事までは、知らせていないって事だよな? 当日告白するつもりなのかもしれないが、そこに兄さんが不在と言うのが、どう転ぶのか全く予測できない……)

 そして暫くの間、上の空気味に、清香と会話をしながら密かに悩んでいた聡は、箸置きに静かに箸を置いて、清香に声をかけた。


「……清香さん、話があるんだけど」

「はい、何ですか? 聡さん」

「以前聞いた、清香さんの母方の親族の事だけど……」

 そう聡が口にした途端、清香は嫌悪感一杯の表情で、聡に文句を言った。


「聡さん! せっかく美味しく食べている時に、不愉快な話題を持ち出さないでくれますか? せっかくのお料理が不味くなります!」

「俺としても、君の気分を悪くしたくは無いんだけど。一度は言っておこうかと思ったから」

「何をですか」

 不機嫌さ丸出しで応じた清香だったが、聡は気を悪くする素振りは見せないまま、慎重に口を開いた。


「一つ確認なんだけど、清香さんのお母さんは、清香さんに自分の身内についての文句を言っていても、お父さんと先生は何も言って無かったんだよね?」

「そうですよ。以前にもそう言いませんでしたか? 全く、二人揃って大怪我させられたくせに、お父さんもお兄ちゃんも人が良いんだから!」

 当時を思い出して憤慨する清香に、聡が尚も言葉を選ぶ様に質問を続ける。


「文句を言わないどころか、お母さんが文句を言う度、窘めたりしていなかった?」

「してましたよ? 『子供に向かって、つまらない事を吹き込むのは止めなさい』って。それがどうかしたんですか?」

 そこで聡は、幾分躊躇いがちに言葉を継いだ。


「……お母さん、口で言うほど実家の人達の事を、怒っていなかったんじゃないのかな」

「はぁ? どうしてそうなるんですか!?」

 わけが分からないといった感じで怒りの声を上げた清香に、聡が真顔で自分の考えを述べ始めた。


「これは、あくまで俺個人の考えなんだけど……。お父さんと先生には、結果的にお母さんを実の家族と引き離してしまったっていう負い目があって、怪我をさせられたのは仕方が無いと思っていたんじゃ」

「確かにそうかもしれないけど、それでよってたかって袋叩きにして良いわけが無いですよ!?」

 聡の話を遮って机を叩きながら訴えた清香だが、聡は机に片肘を付き、疲れた様に溜め息を吐きながら懇願する。


「ごめん、清香さん。取り敢えず最後まで、俺の話を聞いてくれるかな」

「……分かりました」

 話の腰を折った自覚はあった清香は、真剣な聡の表情を見て何とか怒りを抑えた。その状態を確認してから、聡が再度口を開く。


「それで、二人が恨み言の一つも言わないから、一方の当事者のお母さんとしては、逆に辛かったと思うんだ。二人に訴えても恐らく困った様に宥められるばかりで。だからついつい清香さん相手に、殊更文句を言っていたんじゃないかと思う」

「どうして部外者の聡さんが、分かった様な事を言うんですか?」

 淡々と言い聞かせる様な口調に、清香が反発心を覚えて半ば拗ねながら嫌味を言うと、聡は苦笑いしながら推論を述べた。


「何となく、分かる気がするから。…………本当に心の底から嫌ってて会いたく無かったら、清香さんにそんな話すらしないよ、きっと」

「え?」

 一瞬何を言われたか分からずにきょとんとした清香に、聡は苦笑を深めながら話を続けた。


「それほど毛嫌いしている人の事を、好き好んで口にしたいと思う? きっと存在すら、自分の中から抹消すると思うな。嫌いだって言っている事自体、気にしている証拠じゃないか?」

「……そんなものでしょうか? 聡さんはどうしてそう思うんですか?」

「偶々似た様なケースを知ってるから、かな?」

(まさか兄さんの事だなんて、今の段階では口が裂けても言えないが)

 穏やかに言い聞かせる様に言われて、清香は疑わしげな視線を向けたものの、どこか困った表情の聡を見て、頭から否定はしなかった。すると聡が、幾分恐縮気味に問いかける。


「失礼な事を言ってしまうかもしれないけど、清香さんのお母さんって、結構気が強くて負けず嫌いな所が無かった?」

「それは全面的に認めます」

「それでお母さんが自分の身内の仕打ちに憤慨してても、お父さんと先生が何も文句を言わないから、自分だけは許しちゃ駄目だと自分自身に言い聞かせてたんじゃないかって、話を聞いてて思ったんだ。振り上げた拳の下ろしどころが分からない、みたいな」

 素直に即答した清香に聡が慎重に意見を述べると、清香は思わず声を荒げて噛み付いた。


「じゃあ聡さんは、お父さんとお兄ちゃんが悪いって言うんですか?」

「そうは言っていない。ただ二人とも、お母さんが清香さんに文句を言うのを、あまり良く思って無かったんだよね。それはいつかはお母さんと実家の間が上手くいくようにって、願っていたからじゃないかと」

「……本当に、そんな風に思ってます?」

「ああ。だからお母さんから散々恨み事を吹き込まれていた清香さんが、腹を立てているのは分かるけど、君が生まれる前の話だし。頭から最低の人間だなんて決めつけないで、一度本当にお母さんが実家の人達を心底恨んでいたのか、どうしてこれまで没交渉だったのかを、少し考えて欲しいなと思って」

 聡はそこまで言って、黙って清香の反応を待ったが、清香も不機嫌そうに聡の顔を真正面から睨んだまま、黙り込んでしまった為、室内に重苦しい沈黙が満ちた。そしてそのまま一分程経過してから、清香が溜息を吐き出して、面白く無さそうに告げる。


「どうして聡さんは、母の親族の話題なんか持ち出すんですか?」

 そのごく真っ当な問いかけに、聡は冷や汗を流しつつ弁解じみた台詞を口にした。


「それは……、世の中、いつどんな時に、何が起こるか分からないから。ちょっと物の見方を柔軟にしておいた方が、対処の幅も広がるだろうと思って……」

「すみません、もう少し分かりやすくお願いします」

「だから、つまり……、例えば偶々道で出会った人が、お母さんが散々悪口を言っていた人だったと分かったとしても、問答無用で殴りかかったら、悪く言われるのは清香さんの方だし……」

「私、そんなに乱暴者に見えますか?」

「いや、今のはあくまで物の例えで」

(これ以上、何をどう言えば良いんだ? まさか明日、そのお母さんの実家の面々と顔合わせする筈だよ、なんて言えるわけないし)

 自分でも支離滅裂な話になってきていると思ったものの、目を細めて睨みつけて来た清香に、益々どう話を進めたら良いか分からず、聡の中で焦りばかりが先行していたその時、清香がふっと目許を緩ませてクスクスと笑い出した。


「怒っていませんよ、聡さん。そんなにビクビクしないで下さい。何だか、私が苛めているみたいじゃないですか」

「そう? そう言って貰えると、気が楽だけど」

 辛うじて笑顔を浮かべた聡に、清香は小さく頷いてからきっぱりと断言した。


「分かりました。聡さんがそこまで言うのなら、これからもし万が一、そういう人達と出くわす事があっても、その人達の事を頭ごなしに決めつけないで、冷静に今の状態を見詰め直してみる事にします」

 そこで漸く、聡は安堵のため息を吐いた。


「そうしてくれると嬉しいな。なるべく清香さんに、嫌な思いをさせたくないし」

 しかしそこで清香が、どこか悪戯っぽい笑いを浮かべながら念を押してくる。

「でも、実際目にした時に気に入らない相手だったら、叩きのめしても構いませんよね?」

「ま、まあ、そこまでは、俺も強制するつもりはないから……」

「ですよね」

 そう言って再び小さく笑いだした清香に、聡は疲れた様に溜息を吐いた。その聡を見ながら、清香が笑いを収めてしみじみと言い出した。


「でも聡さんって、やっぱり普通の人とは違いますよね?」

「え? どこが、かな?」

 結構神経を擦り減らす話題の後に、まだ何か不審な所があったのかと身構えた聡だったが、清香は平然と話を続けた。


「だって、お母さんと再婚する時にお父さんとお兄ちゃんがされた事をこれまで話した相手は、全員『それは酷い』とか『あんまりだよね』って怒ってくれたけど、聡さんの様に『実はお母さんは実家の人達をそんなに嫌って無かったんじゃないか』なんていう人は皆無だったもの」

「確かに、一般的にはそう思い難いかもしれないね」

(だけど、関係を明らかにしていないにしても、兄とか甥姪を家に入れて清香さんに近付けていたあたり、そうだと思うんだが)

 自分の考えを再認識していた聡に、清香の感心しきった声がかけられた。

 

「やっぱり聡さんって、私なんかよりずっと大人で、素敵だと思います」

 そういってにこやかに笑いかけられた聡は、先程までの緊張感から一気に解放され、つい軽口を叩いた。

「そう? それは嬉しいな。それなら聞くけど、先生と俺だとどちらの方が格好良いと思う?」

「え、ええ? そ、そんな事、急に言われても!」

 途端に頬を僅かに染めつつ、視線を彷徨わせて狼狽する清香を見て、聡はついからかってしまった。


「こらこら、ここは迷わず『聡さんの方が』って言う所じゃないのかな?」

「そ、それはそうかもしれませんけど! 生憎言いなれてないんですっ!」

「じゃあ、この際、自然に言える様にしてあげようか?」

「してあげようかって、一体何を………………っ! きゃあぁぁっ!!」

 そこでそわそわと視線を左右に動かしていた清香が、自分の右肩口から腕にかけての部位に視線を向けたと思ったら、いきなり悲鳴を上げて座ったまま後ずさりし、背後の壁に背中を押しつけるようにして真っ青な顔で固まった。それに流石に驚いた聡が立ち上がり、座卓を回って清香に近付きつつ声をかけてみる。 


「清香さん?」

「く、首っ……」

 清香の肩から首にかけてゆっくりと移動している小さな蜘蛛を見た聡は、それから顔を背けつつ涙目になりながら言葉少なめに訴えてきた清香に、思わず笑いを誘われた。

(こんな小さな蜘蛛が駄目とは、意外だけど可愛いな)

 そんな事を考えつつ、聡はポケットティシュを取り出し、そこから一枚引き出しながら尋ねた。


「清香さんは、こういうのは苦手?」

「苦手って言うか……、それ以前の問題で」

 潤んだ瞳でふるふる震えながら見上げて来る清香に、思わず溜息を吐いて手を伸ばす。


「すぐ済ませるから、少しだけ大人しくしてて」

「やだっ! だめぇっ!」

 どうやら問題の蜘蛛が、服の襟から首に降り立ったらしく、その微妙な感触を感じ取ってしまったらしい清香が半ばパニックを起こし、触りたくないけど振り払いたい一心で、手や肩を乱暴に振り回した為、聡は閉口した。


「ほら、暴れると余計に時間がかかるんだけど?」

「そ、そんな事言われてもっ! やだあぁぁっ!」

 清香が本格的に泣き叫ぶ寸前で、聡は清香の肩を押さえつつ首尾良くテッシュで蜘蛛を摘まみ上げた。


「はら、取れたからもう大丈夫だよ? 服にも付かなかったし、機嫌を直して」

 そう聡が声をかけ、ティッシュの中で潰れかけた蜘蛛を見せつつ宥めた所で、廊下に繋がる引き戸が勢い良く開いて壁にぶつかる音が響いた。聡と清香が(何事?)と思う間もなく、続けて出入り口の襖がバシィッッ! と勢い良く開かれ、同時に姿を現した清人の絶叫が響き渡る。


「清香、無事かっ!? 貴様っ! 俺の清香にこれ以上触れたら、今すぐ後腐れ無く、あの世に送ってやるぞ!!」

「お兄ちゃん!?」

「…………っ!?」

 傍から見たら、聡が清香の肩を掴んで壁際に押し付けている体勢に、清人は理性を吹き飛ばしかけたが、取り敢えず予想外の乱入者に揃って固まっている二人の元に駆け寄り、聡を一睨みしてから膝を付いて清香に尋ねた。


「清香、大丈夫か? こいつに何をされた!?」

 勢い込んで尋ねた清人だったが、清香は当惑した様に聡の手元を指差しながら答えた。


「何って……、気が付いたら肩に蜘蛛が居て、首の方に上がって来たから、聡さんに取って貰ってたんだけど……」

「は? 蜘蛛?」

「……はい、これですが」

「………………」

 白い目をしつつ聡が差し出して見せた中身を見て、清人は無言で固まった。そして清香が、当然過ぎる疑問を発する。 


「ところで、お兄ちゃんはどうしてここに? ……あれ? 浩一さんに友之さんに正彦さんまで居る。今晩は。聞いてなかったけど、皆でここでお食事していたの?」

 清人を止めようとしたものの間に合わず、そのまま戸口から顔を覗かせていた面々に気が付いた清香が、不思議そうな顔をしながらも挨拶をすると、三人は強張った笑顔で言葉を返した。


「こ、今晩は、清香ちゃん」

「そうなんだ。奇遇だね」

「ここ、料理も酒も旨いって、結構評判でさ」

 そうして揃って「あははは……」と乾いた笑いを零した面々から、清香は再び清人に視線を戻した。


「本当に凄い偶然ね。……でもお兄ちゃんは、どうして私がこの部屋に居ると思ったの? 何だか血相を変えて飛び込んで来たし」

 そんな問いを発した清香から聡は視線を外し、注意深く室内を眺めまわした。


(あの流れで何かされたのかと誤解したなら、カメラは無くてマイクだけか……。しかしどうやって、この店と部屋を割り出して仕込んだんだ?)

 そうして眉を顰めた聡だったが、目の前で答えに窮している清人を見て、多少意地悪く考えた。


(全く油断も隙も無い人だが……、この場をどう収拾をつけるつもりだ? まさか妹のデートを盗聴してましたなんて、言えないだろうし)

 そんな聡の前で、清人が幾分開き直った様に口を開いた。


「それは……、清香の悲鳴が聞こえたから、何かあったのかと心配になって、思わず飛びこんでしまったんだが」

「確かに蜘蛛に驚いて声は出したけど、そんなに大声では無かったと思うけど。ねえ、聡さん?」

「まあ、そうだね」

 反射的に聡が頷くと、清香が不思議そうに首を傾げる。

「それなのに、他の部屋で聞こえたの?」

 それに対する清人の答えは、ある意味大方の予想通りだった。


「それは…………、ひとえに俺の清香への愛の深さが、為せる業だな」

 堂々とそう言い切った清人に、男四人は思わず白けきった視線を向けた。


(面と向かって、そんな事言えるんですか、あなたって人は……。ある意味、尊敬します)

(ああ、絶対聡君が呆れている……)

(これで清香ちゃんを誤魔化せると、本気で思ってるんだろうか)

(清人さん、やっぱり最近、どこか切れ味が鈍ってませんか?)

 しかしそれに対する清香の反応は、これもある意味、大方の予想通りだった。


「……凄い! お兄ちゃんって昔から色々超人じみていた所があったけど、最近益々超能力者みたいね!?」

 そこで清人の言葉を疑いもせず、無邪気に褒め称える清香を見て、他の人間は激しく脱力した。


(信じるんだ……。いや、素直なのは美点だと思うけど……)

 清香のブラコンぶりを再認識した面々が、何とも言えずに黙り込んでいると、それに気付いた清香が不思議そうな顔になる。


「あれ? 皆、どうかしたの?」

「いや、何でもないから」

 そこで慌てて取り繕った浩一の台詞に合わせて清人が立ち上がり、何事も無かったかの様に歩き出しながら清香に告げた。


「じゃあ俺達は部屋に戻って食事を続けてくるが、食べ終わったら一緒に帰るぞ」

「え? でも……」

 思わず清香は聡に顔を向けたが、聡は穏やかに笑って了承した。


「俺の事は気にしないで。先生と一緒に帰って良いよ」

「……はい」

 申し訳なさそうに答えながらも、頷いた清香に背を向けて清人達はその部屋を後にし、その後は比較的平穏に食事を済ませた。聡は会話が筒抜けの状態の場所で、これ以上突っ込んだ話などはしたく無かったし、清人達も自分達の存在がバレた以上、あまり騒ぎを大きくしたくない浩一達が、清人を必死に宥めていた為である。

 そして部屋を出た所で待ち構えていた清香を、清人は半ば強引に確保し、予め呼んでおいたタクシーに一緒に乗せた。


「今日はご馳走様でした。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。先生もお疲れ様です」

「……ああ。出して下さい」

 聡が開けた窓越しに清香と別れの挨拶をし、清人にチクリと嫌味を放つと、二人を乗せたタクシーは料亭の門の前から走り去って行った。それを角を曲がるまで見送ってから、聡は背後に黙って佇んでいた面々に、幾分冷たい視線を向ける。 


「最初から聞いていましたよね。どうやったんですか?」

「それは……、企業秘密?」

「失礼します」

 車を途中で置いて来た聡は、へらっと笑って誤魔化した正彦の横を通り抜け、表の通りに出てタクシーを拾おうと歩き出した。しかしここで腕を組んでいた友之が、楽しそうに声をかけてくる。


「お気遣い、どうも」

「何がです?」

「うちの不良中年や老人達のフォローを、してくれただろ?」

 思わず足を止めた聡は、それを聞いて僅かに不愉快そうに眉を寄せた。


「別に……、あなた達の身内を庇うつもりで、あんな話をした訳じゃありません。清香さんが本当の事を知った時、必要以上に過剰に反応して欲しく無いからです。懐いてるおじさん達が、実は今まで嫌い抜いていた人物と同一人物だったなんて知ったら、相当ショックを受けそうじゃないですか?」

「確かにそうだろうな」

 指摘されて頷いた友之に、聡が些か疲れた様に語る。


「それに……、明日は兄は一緒に行かないそうですし。あの人が居ればどんな状況に陥っても、清香さんを丸め込める筈ですが。現に今日だって“ああ”でしたし」

「確かに」

「もう殆ど刷り込みに近いよな。『お兄ちゃんは悪くない、間違わない』って言う、絶大なる信頼っぷり」

 そこで思わず笑いを零した友之の横で、正彦が相槌を打った。それを見た聡が、僅かに顔をしかめて二人を見返す。


「それなのに未だにその兄を排除する、柏木氏の神経を疑います」

 それに正彦が軽く目を見開き、意外そうに問い掛けた。


「……へえ? これまで散々嫌がらせされているのに、清人さんの肩を持つんだ?」

「総一郎氏にとっては、愛娘を奪った憎い男の息子である事は確かですが、今では清香さんの唯一人の家族です。清香さんの為にもきちんと認めてあげて欲しいと思うのは、そんなにおかしい事ですか?」

 小さく肩を竦めて淡々と語る聡に、友之が笑いを堪える表情で応じる。


「聡君は、実は隠れお兄さん思いの、苦労性だったんだ。知らなかったよ」

「正直……、この四ヶ月で、それ以前の人生までと同じ位の気苦労をしている実感はありますね」

「それは大変だな」

 心の底からの呟きを茶化す様に言い返され、聡は幾分険しい目で友之を睨んだ。それを受けて、友之が肩を竦めつつ弁解する。


「そう睨まないでくれるかな。爺さん達だって、好き好んで事を荒立てたくは無い筈だ」

「年寄り連中は、取り敢えず打ち明ける事だけで、テンパってる状態だろうしな。変な事にならない様に、俺達がフォローするよ」

「清人の事も、そのうちきちんとさせるから。それに関しては心配しなくて良いよ。それより、自分の事を心配した方が良くないかな?」

 正彦と浩一にも続けざまに言い聞かされて、聡は憮然として頷いた。


「……分かっています」

 そして僅かの間考え込んでから、その場で車を待ちながら雑談を始めた三人に声をかけた。


「ところで……、その明日の集まりっていうのは、何時から何時まで予定されているんですか?」

 その問い掛けに、正彦が包み隠さず答える。

「えっと……、昼食を食べてお茶を飲みつつ歓談って流れだから、午後の一時から五時位までの予定になっているが。それがどうかしたのか?」

「いえ、清香さんに聞きそびれたので、何となく聞いてみただけです」

「そうか?」

 そんな会話をしているうちに、そこの門前に柏木家所有のロールスロイスが静かに滑り込んで来た。


「じゃあお疲れ様」

「俺達も帰るから」

「今日は色々悪かったね」

 浩一達が口々に微妙な表情と口調で挨拶をしてきた為、聡も一応、社交辞令の範囲内での返事をした。


「いえ、失礼します」

 そうして三人が乗り込んだ車が走り去って行くのを見送りながら、聡は静かに誰に言うとも無く呟いた。


「それなら、明日だったら邪魔が入らず、心おきなく話ができそうだな……」

 そうして何やら決意した聡は、今度こそ大通りに向かって足を踏み出して行った。

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