第33話 舞台裏

「それじゃあ、お兄ちゃん、恭子さん、行ってきます」

 コートを着て、出掛ける支度を済ませた清香が、清人の仕事部屋のドアを開けて顔を覗かせると、清人は机に向かったまま幾分不機嫌そうに、恭子は本棚から何かのファイルを抜き出しながら、笑顔で答えた。


「……ああ」

「行ってらっしゃい。気をつけてね?」

「はい」

 そうして清香が笑顔で出て行ってから二・三分して、マンションの前の通りを一台の車が走り去って行った。それを窓際に移動した恭子が見下ろしながら、誰に言うとも無しに呟く。


「聡さんは、BMWなんですね。あれは3シリーズかしら? 先生は」

「川島さん、無駄口は叩かないで下さい」

 ピシャリと釘を刺された恭子だが、しかしそれほど恐れ入る様子は無く、両手で抱えていたファイルの束を、清人の目の前にドサリと置いた。


「はい、それではこちらも端的にお伝えします。こちらの銀行口座入出金額と購入品の伝票の名前と金額、それと必要経費として計上する領収書を、今日の夕方まで全てチェックして下さい」

「量が多過ぎませんか? 全部川島さんの方で、適当に処理してくれて構わないんですが」

 憮然として、丸投げしようとする清人に、恭子がにこりと笑いかける。

「先生?」

 しかし全く目が笑っていないその笑顔を見てしまった清人は、神妙に頷いて、ファイルに手を伸ばした。


「分かりました。やります」

「全く……。下手すれば本業収入より副収入の方が多くなりそうで、そちらの計算で手一杯なんですから、本業に関わる事位、責任を持ってちゃんとやって下さい」

 ぶちぶちと文句を言いながら部屋を出て行こうとする恭子の背中に、清人が傍目には素直に頷いてみせながら、疲れた様に付け加える。


「ああ。…………しかし、最初の頃は、こんな女じゃ無かったんだが」

「聞こえていますよ? それ以上文句を言うなら、夕方から清香ちゃんのデートの監視に出掛けるのも、断固として阻止しますからね! 第一、誰のせいで私がこうなったと思っているんですか?」

 途端にピタリと足を止めて背後に向き直り、恭子が本気で怒った顔を向けてきた為、清人が懇願する様に呻く。


「……終わらせるから、出掛けさせてくれ」

「勿論です。頑張って下さい、先生」

 最後は笑いを堪える様な顔で恭子が部屋から出て行ったのを確認してから、清人は溜息を一つ吐いて携帯を取り出した。そして予め予定していた番号を選択して、短く告げる。


「もしもし? ……ええ、宜しくお願いします、長野さん」

 その頃、清香はマンションまで迎えに来た聡の車に乗り込み、のんびりと聡との会話を楽しんでいた。


「迎えに来て貰って、すみませんでした」

「これ位何でも無いよ。それより……、今日は無理に付き合わせてしまったみたいで悪かったね。先生に何か言われなかった?」

 運転しながら慎重に尋ねてみた聡に、清香が自信満々に請け負う。

「流石にちょっとだけ渋い顔をしていましたけど、ちゃんと了解して貰えたし、大丈夫です!」

「それは良かった」

 それを聞いた聡も笑顔で答えたが、チラリとバックミラーに目を走らせ、清香を乗せた辺りから二台程後ろにチラチラ見えている様に感じる、一台の車を確認した。


(しっかり尾行を付けているみたいだがな。あの黒のカローラか? 取り敢えず様子を見るか)

 色々思う所は有ったものの、聡は余計な事は口にせず、清香との会話を楽しみながら目的地へと車を走らせた。


「凄い! 聡さん、またストライク!」

 何回目かのストライクを出して、満足そうに聡が戻って来ると、清香が小さく拍手しながら出迎えてくれた。それに気を良くしながら聡が苦笑する。


「清香さんも、取りこぼし無くスペアを取ってるだろ? 正直、もう少し差が付くかと思っていたんだけど」

「うふふ、小さい頃から皆に鍛えて貰いましたから」

 自信有り気に答える清香に、思わず聡が尋ねた。


「皆って……、先生や柏木さん達の事?」

「ええ、両親が忙しかったから、旅行や遊びに連れて行ってくれたのは、専らお兄ちゃんや皆だったんです」

「そうなんだ」

 そこで聡が、何となく周囲を見回しながら立ち上がった。


「ちょっと飲み物を買ってくるから、ここで待っていて。何が良いかな?」

「えっと……、烏龍茶があれば」

「了解」

 そして清香から離れた聡は、片隅の軽食を取り扱っているカウンターで烏龍茶とアイスコーヒーを頼んで支払いをしながら、そこから見通せる入口の向こうに佇んでいる男に。さり気なく視線を向けた。


(ボウリング場に来て、ボウリングをしないなんて目立つだろ。それともあいつはおとりで、他にゲーム中の人間の中に、別に監視要員が居るのか? そう考えると、誰も彼も怪しく見えて落ち着かないな)

 そう考えて小さく溜息を吐いた聡は、注文したカップを二つ受け取り、これからの事を思案しながら席に戻った。


「お待たせ。じゃあ後、一ゲームしたら出ようか」

「はい、今度こそ負けないから」

「はは、俺も負けるつもりは無いけどね」

(取り敢えず、本当の勝負はここを出てからだな)

 そうして傍目には何事も無くゲームを終え、二人は再び車に織り込んで移動を開始した。そして暫く走らせた所で、聡が確信する


(やっぱり付いて来たな。結構車線変更もして、交差点でも信号が変わる直前で振り切ったんだが……)

 清香には不審に思われ無い程度に遠回りをしたり、交差点をギリギリですり抜ける様な真似をしても、相変わらず付かず離れずの絶妙な位置を保っている相手に、聡は横目で助手席の清香を見つつ算段を巡らせた。


(発信機でも付けられてるのか? ……ちょっと試してみるか)

 そんな事態も予め予想していた聡は、余裕でとある老舗百貨店の専用駐車場に愛車を滑り込ませた。

 そうして清香を連れて店内に入った聡は、躊躇う事無く勝手知ったるVIP専用ルームに直行し、重厚な扉の前に佇む男性店員に一言告げた。


「小笠原ですが」

「お待ちしておりました。どうぞお入り下さい」

 相手が恭しく扉を開けると、扉の内側のカウンターに控えていた年配の女性が歩み寄り、聡と何が起こっているのか全く理解できずに戸惑っている清香の前で一礼する。


「お久しぶりです、小笠原様。お二人ともこちらにどうぞ」

「ありがとう。お世話になります。……さあ、行こうか」

「え? は、はい……」

(あまり、こういう所は利用したく無かったが、使える物は使わないと。あの人相手には分が悪すぎる)

 まだ良く状況が飲み込めていないまま、促された清香は大人しく聡に付いて奥へと進んで行った。そして壁際に置かれた座り心地の良さそうな応接セットの前で、出迎えた女性が立ち止まり、聡と清香の方に向き直る。


「それでは小笠原様は、こちらでお待ち下さい。それで、今日はこちらのお嬢様のお支度を整えれば宜しいのですね? 何かご希望はございますか?」

「いえ、特には。三上さんのお手並みを拝見させて貰います。費用は幾らかかっても構いませんので、宜しくお願いします」

 聡に笑顔でそう言われた途端、三上と呼ばれた女性の目がキラリと光った。

「お任せ下さい」

 そして聡の斜め後ろに立っていた清香の手を取り、満面の笑みを浮かべる。


「さあ、お嬢様。こちらへどうぞ」

「え? あ、あの、聡さん?」

「じゃあ清香さん、また後で」

「後でって……、ちょっと、あの!?」

 更に奥へと促されて、清香は一気に不安が押し寄せて聡を見やったが、聡は笑って手を振るのみだった。

 そして三上は一言も発しないまま目配せで部下の女性達を呼び寄せ、彼女達が清香を半ば強引に奥へと連れ去って行くと、聡を室内の隅にセットしてあるソファーへと促した。そして目の前に運ばれてきたコーヒーカップを眺めてから、聡が小声で確認を入れる。


「三上さん、電話でお願いしていた件ですが……、使わせて頂けますか?」

「全て終わりましたら、部下に案内させます。ご心配無く」

 万事心得た風情で頷いた三上に、聡も満足そうに頷いた。


「それは良かった。彼女の事は、両親もとても気に入っていまして。下手な男の目に触れる様な真似をするなと、きつく言われているんです」

 いけしゃあしゃあと言ってのけた内容に、三上は僅かに笑いを堪える表情で応じた。

「小笠原様は、お二人揃ってあの方を随分可愛がっておられる様ですね。また足をお運び頂ける様に、宜しくお伝え下さい」

「分かりました。今回の事も併せて伝えておきます」

 そして二十分後。


「さ、聡さぁん……」

 先程とは違う衣装に全身を包んだ清香が、殆ど涙目で戻ってきたのを見て、聡は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。


「うん、とても良く似合ってるよ?」

「似合ってるよ、じゃあなくてですね、これは一体何事ですか?」

「うん? だからチョコのお礼」

「やっぱり……、じゃあなくてっ!! 幾ら何でも、これは大げさすぎます!」

「じゃあ彼女が着ていた服と荷物は纏めて、今日中にこの住所に届くように手配しておいてくれ。それから車も、後日取りに来るから」

「畏まりました」

「お願いですから、人の話を聞いて下さい!」


 そこで清香の自宅住所を書いたメモと車のキーと駐車券を纏めて三上に渡した聡は、苦笑しながら清香を宥めつつその手を引いて、入ってきたドアとは反対方向に向かって歩き出した。

(これで何とか振り切れるか? 流石に金魚のフンを引き連れてデートはしたくないからな)

 そして聡曰わく“金魚のフン”を排除するべく、行動を開始したのだった。


 その日の夕刻、ブリーフケースを手に提げた清人が、予約していた料亭の個室に入ると、何故かそこには予想外の人物まで存在していた。


「随分遅かったな、清人。後十分来なかったら、確認の電話を入れようと思っていたところだ」

「何か飲みますか? 俺達は先に《六華の舞》と《越の剣峰》を飲んでいましたが」

「ここ、料理も旨いけど、酒もなかなか良いのを揃えていますよね」

 途端に仏頂面になり、空いていた浩一の正面の席にドサリと腰を下ろした清人は、ブリーフケースの中からモバイルPCを取り出し、既に料理が置かれていた卓上の隙間で何やら起動させ、次いでラジオのような物を乗せてダイヤルを調整しながら、問いを発した。


「一つ聞いて良いか? 一人で料亭を予約したら流石に不審に思われるから浩一を誘ったんだが、どうしてお前達まで居るんだ?」

 それに対し、まず浩一が言いにくそうに弁解する。


「いや、だってな? 男二人で個室ってのも、変な風に思われそうで……。それで声をかけたら、友之と正彦が空いてるって言うから」

「ご馳走になります」

「いや~、タダ飯とタダ酒は、本当に旨いよな~」

「…………浩一?」

 杯を傾けながらの、招かれざる客である二人の脳天気な台詞に、清人の顔が凄みを増す。それを真正面から受けた浩一は、諦めて溜め息を吐いた。


「……二人分は俺が払う」

「当然だ」

 そうして音声を発し出した機械とPCで表示出されている内容について、他の三人から逆に質問が発せられる。


「ところで、俺も聞きたいんだが。指定されたここに入ってこっそり廊下の様子を窺っていたら、隣の部屋に清香ちゃん達が入って行って驚いたぞ。どうして聡君の予約先と、部屋まで分かったんだ?」

 その浩一の問いに対し、清人は片手でPCの画面をスクロールさせて内容を確認しつつ、手酌で杯を傾けながら事も無げに答えた。


「あいつの身辺を徹底的に探って、これまでのデートや商談、接待などで使った店をピックアップしただけだ。その中の和食の店に片っ端から予約を入れた」

「入れた、って……。他の料理の店だってあるだろう」

 浩一が怪訝な顔を見せた時、先ほど清人が調整していた見慣れない機械から、どう考えても清香と聡の声としか思えない会話が聞こえてきた。


「……嬉しい! 久し振りに和食が堪能できて。しかも本格的だし」

「絶対和食と言われてここにしたけど、そんなに喜んで貰えて嬉しいな。最近、あまり和食を食べて無かったの?」

「そうなんです。うちは基本朝食は和食なのに、この五日は全部パンばかりで! しかも夕食も『俺は最近辛味に目覚めた』とか訳の分からない事を言って、南米料理やら韓国料理やらインド料理ばかりだったの。やっぱり最近のお兄ちゃん、どこかおかしいわ! 日本人の味覚の基本は、鰹節と昆布よっ!!」

「……そうだね」

 それを聞いた浩一は、呆れた目を清人に向けた。


「確実に和食を選ばせる為、清香ちゃんに和食断ちさせたか……。可哀想だろう」

「背に腹は代えられん」

 溜め息を吐いてそれ以上質問を続ける気を無くした浩一に代わり、その横に座っていた友之が疑問を投げかけた。


「ですが、和食と言っても何店も候補があったのでは? しかも当然の様に隣室の会話を盗聴できている理由を、教えて頂きたいんですが」

 それに対しても清人は小鉢の中身をつつきながら、飄々と答える。


「候補店全部に予約を入れた時、ここの女将が昔付き合っていた女だったのが分かった。その誼であいつが予約を入れたら、連絡を貰える様に頼んたらビンゴでな。即座に、他はキャンセルした」

「それで? 昔の誼で隣の部屋を押さえた上に、盗聴器のセットも頼んだんですか?」

「俺は誰とでも円満に別れてるからな。仲居とかを一から口説く手間が省けて助かった」

「……良く分かりました」

(必要なら、その為だけに口説く気満々だったんだ)

 呆れた表情を隠しもせず、清香達の会話を肴に黙々と食べ始めた友之に代わり、これまで清人の隣の席から身を乗り出す様にしてPCの小さいディスプレイを覗き込んでいた正彦が、不思議そうに呟いた。


「……清人さん、今日はずっと二人に尾行を付けてたんですね」

「ああ」

「送付されて来たこの経過報告では『帝日百貨店のVIPルームに入ってから、恐らく従業員専用通路及び隣接関連施設への地下通路使用で脱出し、一時追尾不可。しかしタクシーで移動中を発信機で再び補足』とあるんですが」

「それがどうした?」

 相変わらず杯を傾けながら淡々返した清人に、正彦が首を傾げながら疑問を呈する。


「添付されているこの写真を見ると、VIPルームに入る前後で清香ちゃんの服装が、上から下まで見事に変えられていますよ?」

「本当か?」

「ああ。靴やバッグは勿論、ポニーテールにしてたシュシュまで取られて、見慣れないバレッタでハーフアップにしている位だし」

 興味をそそられたらしい友之が口を挟むと、正彦は説明をしつつPCを向かい側に向けて押しやった。それを受けて向かい側の二人が、興味深そうにその画面を確認する。


「なかなかやるな……、聡君」

「そこまでして、まだ追尾できたのか? 一体何に発信機を仕込んだんだ? 携帯のGPSは電源を落とせばアウトだし、キーホルダーとか?」

 そこに映し出されていた画像を見て思わず友之が感心した様に呟き、浩一が心底不思議そうに尋ねると、清人は箸を動かしながら淡々とその場所を告げた。


「清香は寝る前に、翌日着る物を揃えておく習慣があるからな。夜中に部屋に入って、清香のブラの中に縫い込んでおいた」

 それを聞いた途端浩一は箸を取り落とし、友之は飲みかけていた酒を噴き零し、正彦は思わず尋ね返した。


「何でそんな事をしてるんですか!?」

「年頃の女の子の部屋にはプライバシーの面からも必要かと思って、一応清香の部屋のドアに鍵を付けておいたんだがな。普段ロックしていないから助かった」

「いや、そういう事じゃなくてですね!?」

 真顔で答えた清人に正彦は声を荒げかけたが、額を押さえて疲れた様に浩一が宥めた。


「……もう何も言うな正彦、放っておけ。疲れるだけだ」

「しかし最近変ですよ? 清人さん。今まではここまで尾行させたり、盗聴まではしていなかったでしょう」

「そこまで骨のある奴が、居なかっただけの話だ」

「そうですか?」

「友之、お前もだ」

「分かりました」

 不審そうに尋ねた友之も一応大人しく頷いて黙々と料理を味わう事に専念した為、室内に響くのは盗聴している清香と聡の声のみになった。


「……この前は、わざわざチョコを会社まで持って来てくれてありがとう。何か心配していたみたいだったけど、美味しかったよ?」

「心配というか……、これまでなかなかチョコを受け取って貰えなかったから」

「それは偶々、相手が悪かったんじゃ無いのかな?」

「朋美も、そう言ってましたけど」

 そのやり取りだけで、ほぼ正確に事情を察知した浩一は、清人に僅かに非難する様な視線を向ける。


「清人?」

「俺に少し脅された位で突っ返す様な男に、清香のチョコを渡してたまるか」

 悪びれず平然と言ってのける清人に、他の三人は無言で小さな溜め息を吐いた。


「そう言えば……、聡さん、真澄さんと一緒にチョコを作るって言ったら、それは食べられるのかとか失礼な事言ってましたよね?」

「う……、失言だった。謝るよ」

「本当にそうですよ? ちゃんと美味しい物ができましたし。お兄ちゃんが貰って普通に食べてましたから」

 それを耳にした男達は、揃って素っ頓狂な叫びを上げた。


「はあぁぁ? 姉さんがバレンタインのチョコを作った!? 有り得ない!」

「それを清人さん、食べたんですか? 本当に?」

「今度はどんなネタで脅されたんですか?」

 それを聞いた清人は、憮然としながら口を開いた。


「疲れが溜まってそうだから甘いのを食べろ、だそうだ。因みに同じ物をあいつの職場に記名入りで送りつけたらしいな。その代わりに、俺があいつへのチョコに細工するのを妨害された」

 その声に被せる様に、清香の声が響く。


「……でも、それは同じ物を二つ作ってたの。もう一つはどんな人にあげたのか、気になってしょうがなくて。聞いても教えてくれないし」

「は、はは……、誰に、だろうね……」

(姉さん……、嫌がらせにも程があるから)

(大人しくとんでもないチョコを食べさせられた方が、良かったんじゃないのか?)

(それにしても、真澄さんが作った物を食べるなんて、清人さんは勇者だな。聡君、相手が悪過ぎる……)

 何となく虚ろな声の聡に、その職場で何が起こったかをうっすらと悟った三人は、思わず聡に同情した。そこで清香が話題を変えてくる。


「真澄さんと言えば……、明日の真澄さんのお祖父さんのお誕生日のお祝いの席に、招待されてるんです」

「え? 柏木総一郎さんの? それはどうして」

 予想外に戸惑って声を上げた聡に、清香は子細を告げた。


「学祭で真澄さんが競り落としたアレンジを気に入られて、譲ったらしくて。是非一度、これを作ったお嬢さんに会いたいから、という事で」

「……へえ、そうなんだ」

 戸惑う口調で何とか相槌を打った聡だったが、寝耳に水だった友之と正彦は、冷静な顔をしている清人と浩一に問い質した。


「ちょっと待て、聞いてないぞそんな話!? 明日のあれだろう? そんな事になってたんですか?」

「それならお祖父さんが、いよいよ覚悟を決めたって事ですか?」

「ああ、お祖父さんが姉さんに泣き付いてね」

「その様だな」

 大して感銘を受けた様子も無く箸を動かし続ける清人に、友之は僅かに顔を顰めて見やった。


「良いんですか?」

「真澄さんにも言ったが、俺が反対する理由があるのか?」

「それはそうですが……、あなたは来るんですか?」

 慎重に顔色を窺いながら尋ねてきた友之に、清人は顔色を変えないまま淡々と答える。


「それも言ったが、総一郎氏が招待してるのは清香であって、俺じゃないだろう」

「……浩一さん?」

 正彦が幾分非難する様な眼差しで浩一を見やったが、浩一は困った様に無言で首を振ったのみだった。そしてその場に何となく気まずい雰囲気が満ちる。

 それに触発されたかの様に、機会越しに伝わってくる清香の声も、何となく沈んだ物になっていた。


「お兄ちゃんは笑って行って来いって言ったけど、結構気にしてるんじゃないかと思って」

「どうしてそう思うの?」

「だって、その話があったのが月曜日の夜で、翌朝からパンが続いたんだもの」

「……清人さん、やっぱり気にしてるんですか?」

 二人の会話を聞いて疑わしげな視線を向けた正彦に、清人が仏頂面で応じる。


「そんなわけあるか。仕方がないだろう。その話の合間にあいつから清香に電話が来て、今日のデートが決まったんだから」

「結果的に、見当違いな方向で清香ちゃんに心配かける事になりましたね」

「…………うるさい」

 鋭く突っ込みを入れた友之に、清人がふてくされた様に呟いた。隣室でそんなやり取りがされているとは思わない清香達の話は、更に続く。


「真澄さんから話があった時、初めて皆が従兄弟同士だって事が分かって驚いたの」

「そ、そう……、それは俺も驚いたな」

「それで、明日の出席者は顔見知りばかりなんだけど、その顔ぶれが揃ってる場で、これまでお兄ちゃんが居ないなんて事は無かったから……」

「ああ、なるほど。心細くは無くなったけど、先生を仲間外れにしたみたいで、嫌なわけだ」

「仲間外れっていうか……、うん、まあ、そういう感じなのかもしれないけど……。何となく釈然としなくて……」

 考え考え言っているらしい清香の声を聞いて、正彦が小さく噴き出した。


「はは……、無用の心配だって、今清香ちゃんに言ってあげたいね。今更清人さん抜きで何かしても、全然面白くないからな」

「そうだな。俺達全員、今までのあれこれで血の繋がりなんて関係無しに、清人さんに惚れ込んでるし」

 そう言ってニヤリと笑った友之を、清人は如何にも嫌そうに眺めながら毒吐いた。


「……野郎どもに好かれても、嬉しくもなんともないぞ。第一、初対面の時に三人がかりで俺をボコろうとした奴が、何を言ってやがる」

「懐かしいですね。あれは実に感動の対面でした。見事に返り討ちされましたし」

「うん、あの啖呵に惚れたね」

 ヘラヘラと笑って言われた内容に、清人は本気で頭を抱えて呻いた。


「香澄さんに頼まれたから手加減したが、二度と顔を見たくないと思うまで、徹底的に叩きのめしておくんだった」

「まあまあ、そう照れるな」

「照れて無い! というか浩一、お前あの時も一人で傍観しやがって。混ざってボコるか止めさせるか、どちらかできなかったのか?」

「ああ、今度はどちらかにする」

「お前な!」

 そこで室内には清人の怒声と他の三人との笑い声が満ち、それに釣られた様に清人も顔を緩め、苦笑いの表情を浮かべた。

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