第15話 痛みと引き換えに。一

 世界は、急激に黒くなる。体調も、同じように悪くなった。

 何一つ面倒に思わなかった子供の頃、俺は何をして日々を過ごしていたのだろう。黒川美術商を訪れ、爺さんや部長と出会うまでの俺は、何を思って生きていたのだろう。

 鮮明な過去は、思い出すほどに辛くなる。今の俺とは、かけ離れているからだ。幼いの頃の俺は、毎日を楽しく過ごしていたに違いない。

 どこで道を踏み外したのだろう。今は、毎日を苦痛と共に生きている。俺にとっての芸術とは劇薬で、人生を百八十度回転させるほどに強い毒だったのだ。それほど、芸術を知ってからの俺は、それまでの俺とは違う存在になっていた。

 俺の人生は、他人からはどう映るのだろう。同じ世界でも、見る人間によって違う色を見せるように、俺の人生も、他人から見れば違うものとして映っているのかもしれない。俺には、それが不思議だった。

 不思議といえば、俺には分からないことがある。

 他人の考えや世間の常識が、その最たるものだ。

 たとえば俺は、大学が人生の夏休みだと言われても、あまりピンと来ない。

 高校生の頃は知らなかったことだが、大学の夏休みは、普段の講義があるときとあまり変わらない。講義に力を入れていない奴は、特にそれが顕著になる。講義があるときも、ないときも、毎日が遊び放題の日々。確かに、そんな生活をしている奴にとっての大学生活は、人生の夏休みなのだろうと思う。

 別に、遊んでいなくてもいい。家と講義室、そして美術室を淡々と行き来するだけの生活をしたなら、そう思う方が普通だ。

 しかし俺は、絵を描いている。描かなければならないほどに、自分を追いつめている。普通なら、意識を失うほどの集中状態になる奴はいない。だが俺は、一度走り始めると止まらなくなる。嵐の中にいるように、絵を描き始めてしまった俺には、他のすべてが些事に見える。何もかもを切り捨てて、絵を描き上げてしまおうとする。だから、身体を悪くする。

 俺の人生は、破滅の一途をたどる。

 何もかも、下野が悪い。どんな絵を描いていても、下野の顔が浮かぶから。

「だから俺は、他の絵が描けなくなったんだ」

 親の支援を蹴って、バイトを始めた大学一年生のあの日から、俺にとっての社会は敵でしかなかった。バイト先へ行くたびに、他人とすれ違い、傷つけあうことに嫌悪と恐怖を感じた。だから、バイトをしない夏休みは、俺にとって天国のような時間になるはずだった。

 大嫌いな人間から遠ざかって、大好きな絵を描くことだけに集中できる環境。

 それは、俺にとって最も幸せな時間になるはずだった。

「それが、どうだ。なんで俺は、下野のことばっかり考えているんだ」

 どれだけ描いても、満足することが出来ない。夏休みに入って、下野が初めて俺の部屋に遊びに来た日から、俺は一枚も絵を完成させられていない。全部、下野が悪い。下野が俺の心を癒してしまったから、俺に、救いの光があることを理解させたから。俺は、下野に縋ろうとしている。下野のことが嫌いになれないまま、日々が過ぎ去っていく。

 もっと早く、下野のことを心の底から嫌いになれていたならば、この状況は変わっていたのだろうか。今の俺には、判断がつきかねる。

 暑い部屋の中で、一人筆を握る。水分を減らし、普通よりも重い絵具を掻き回しながら、ここ数日のことを思い返す。一度俺の部屋に遊びに来てから、下野は毎日のようにやって来た。理由をつけては追い返そうとし、俺は、下野が俺を拒絶してくれることを願った。下野が俺のことを嫌いになってくれれば、俺だって下野のことを嫌いになれる。

 だが、無駄だった。芸術バカが、俺の心の内を知るはずがない。

 君が部屋に引き入れてくれなければ、私は熱中症で倒れてしまう。家の車を待つ間、どうしても過ごす場所が見当たらないから休ませてくれ。部長に頼まれて、君の生活を偵察に来た。

 適当な理由をつけて、しかも俺がそれを断れないことを知っていて、下野は俺の部屋を訪ねてくる。予測も何も、あったものじゃない。部屋に上がり、俺が制作している最中の作品を見るたびに、彼女はこう言うのだ。

「君は、綺麗な絵を描くね」と。それも、とびきり嬉しそうな顔で。

 なぜ、下野は俺に拘るのだろう。なぜ下野は、俺のことを嫌いにならないのだろう。

 俺は、どうして下野を遠ざけようとしていたのだったか?

 どうして今更になって、下野に会いたくなったのだろうか?

 そもそも俺は。

「下野のことが、嫌いなのか……?」

 考えれば考えるほどに、頭が痛くなってくる。吐き気すら催した。

 筆をおいて、部屋の中を歩き回る。完成を目前に控えた、しかし何かが決定的に足りていない作品たちを並べ直しながら、俺は何かを考えようとした。腹の中にある何かが、腹の中で生きている何かが、生まれ出ようとしている感覚。だが、俺の口は小さく、俺の喉へ至る食道は細い。飯を食べることを面倒くさがって絵を描き続けた結果、身体の線が以前にもまして細くなってしまった。だから、今の俺は生物としても弱い。弱すぎて、歯牙にもかけられない。

 激情と共に溢れ出ようとするその何かは、自分の名前が呼ばれる時を待っていた。俺は、その名前を探して、ただひたすらに部屋の中を歩きまわる。外に出ることは難しい。今の俺は、太陽の光にすら焼かれてしまいそうだ。太陽に晒され続けた作品が、その色を失って褪せていくように、俺の魂も太陽の光に蒸発して消えてしまいそうだった。今ならそれでも、いいかもしれない。

 風に揺れるカーテンを掴み、陽の光を浴びる。何も生むことが出来ないのなら、いっそ消えてしまえばいいと願いながら。

 部屋の外は、緑と命に満ちていた。深い色をした木の葉が風に揺れ、無数の昆虫たちが自分の遺伝子を残そうと、大きな声をあげている。気怠げに歩くサラリーマンを追い越すように、賑やかな高校生の集団が坂を下っていく。俺は、自分の部屋を見るために振り返った。

 部屋の中は、嫌悪と死の匂いに満ちていた。明るい色の床板を覆うように、白と黒で描かれた動物たちの死骸が散乱している。色が縫ってある作品も、少なからず存在した。必死に生きて、だけど報われることなく死んでいった生物たちの叫びが満ちている。なぜか、俺が圧倒された。練りこまれた、沢山の色。何度も上書きされた、複雑な線。腐臭が漂ってきそうなほど色濃い死の中ですべてが反響して、奇妙な感情を作り上げる。

 電柱にぶつかって羽を折り、自由を失った挙句に餓死した燕。一ヵ月の寿命を使い果たし、道路上で自動車に踏まれた蝉の死骸。誰に虐待をされたのか、脇腹から血を滲ませて歩く野良犬。仲間内で喧嘩をしたらしく、体中に傷を負い、居場所を失った猫。産卵を終えた雌の命となるべく、その身を供物とする雄の蟷螂。そして、心を失った人間。

 俺に描かれた生き物たちは、現実に生きるものだけではない。

 体中から血を吹き出す鎧の魔物。洞窟の奥で、誰に看取られるでもなく寿命を迎えた蛞蝓のように醜い小鬼の王。カラスと狼を掛け合わせたような不思議な魔物は、左の前脚を失っていた。

 今の俺が描いている、中途半端な作品とは何かが違う。少し前までの、少なくとも下野のことをそれほど深く考えないようにしていたころの俺は、何かが違う。何が違うのかを、回らない頭で考える。

 燕の死骸を指でなぞる。絵に描いた下野の、頬を撫でる。はみ出した犬の内臓に触れ、動かない蝉の腹をつつく。不意に吹いた風に目を細め、ついと窓の外を見やった。

 真っ暗な部屋の外に、眩しいほど輝く世界がある。

 喉の奥から何かが湧き上がり、俺は、ある作品を取りに向かった。貧血で、少しよろめく。

 転んでも立ち上がり、部屋の隅に小走りで駆け寄る。下野に見られないように、隠すためにと掛けておいた布を外す。制作を終えたあとに封印した、ある作品を取り出した。

 畳一畳よりも大きく、完成を目前に控えた作品だ。画用紙の中では、一人の女性が、茨に包まれた脳を抱きかかえるようにして眠っている。あの日、下野が来る直前までしていた妄想をもとに制作した絵だ。

 普通、展示会や美術展に出品される作品と比べて、一回りは大きい。人の背丈ほどもある画用紙の中では、白いワンピースを着た女性が、木陰で安らかな寝息を立てていた。絵の中の女性は、ただひたすらに美しい。俺がこの世で最も美しいと思う、下野をモチーフにしているのだから当然だ。美しい女性を囲むように生えた茨には、血を吸ったように赤い薔薇が咲いている。

 茨の中の少女、もしくは悪意を持たない諸悪の根源。それが、この作品のタイトルになる予定だ。この作品にはこれ以上、直すべきところが見当たらない。技術的な面でも、精神的な面でも、これ以上この作品に書き加えることは、俺が許さない。

 画面の端へ行けばいくほどに、深い闇と茨に覆われて色合いの黒さが増し、中央へ目をやれば、真っ白に輝く女性が眠っている。その安らかな表情にはどんな悪意も滲むことはないだろうに、人の思考を司る脳は、彼女の腕に抱かれている。淡い色をした綺麗な唇が、血の滴るような脳に触れることを想像しただけで、見ている人間の頭が痺れそうな作品だった。

 細部の描きこみも、俺が作品展に出したことのある作品の中で、一二を争うほどに丁寧に行われている。過去の俺よりも、ずっと技術は向上していた。きっと、一年後の俺が見たところで、羞恥心や屈辱、悔恨の念を抱くことなどないだろう。このまま作品展に出しても、佳作程度は取れてしまいそうな、美しい作品だった。

 きっと、この絵を見た人は誰もがこう言うだろう。

 美しさに、感動しました。

 だが、それで、終わりだ。この絵からは、一切の感情が滲まない。俺の望んだ、複雑怪奇な感情が浮かび上がってこない。油絵具の、強い色ではないからだろうか。重ね塗りをしても、絵の色に厚みが足りないような気がしてしまうからだろうか。しかし、そうではない。どんな絵具であっても、重ねれば重ねただけ、色や感情は濃くなっていく。大事なのは、色の重ね方だ。

 そこに込める、感情の強さだ。

 サイズの大きい絵は、どうしてもキャンバスに描くべきだと言う人がいた。水彩では色が悪い、色鉛筆など子供の扱う道具だから、本当の芸術家は油絵具でしか描かないのだ、と言われたこともある。黒川の爺さんと、部長に出会って絵を学び始めてから、彼らではない人に言われた言葉だ。事実、その人は芸術家として成功を収めている人で、作品もそれなりの評価を得ている人だった。芸術で食べていくことの出来た、稀有な人だ。

 だが、他人の意見など知ったことではない。彼がくれたアドバイスは、俺にとっては意味のない言葉の羅列に過ぎないのだ。決して彼を蔑むためではなく、自分の芸術の為だけに、彼の言葉を否定しよう。

 俺は、俺の為に芸術をつくる。世間から評価されるための、工業製品としての芸術など、存在する意味がないのだ。作品に込めるべきは製作者の魂と熱量とそして心なのであって、打算的な思考の一切は、作品から排除されるべきだ。俺が俺の魂を込めるために必要なものは画用紙と色鉛筆、そして淡い水彩の色。そして何より、俺に必要だったものは。

 そこまで考えたところで、脳髄に電撃が走った。

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